59.番外編 優しいだけでは⑳
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「……ぅ、ん……」
フルードがパッチリと目を開こうとすると、瞼がやけに重かった。指で顔を触ってみると、頰がぐっしょりと濡れている。
(僕、また泣いてたんだ)
謹慎初日の夜から今朝まで、この状態が続いていた。何もしていなくても涙が勝手に溢れて来る。だが、心はとても穏やかだ。力強い腕の中で守られる安心感を、常に感じている。
原因は分かっていた。三日前に師匠兼お兄様になってくれたフレイムが、去り際にフルードの魂を神炎で包くるんでいったからだ。
守護と癒しの力を込めたという温かな炎に抱かれた魂が安堵し、涙している。それが現実世界でも反映されているのだろう。
もちろん、主神である狼神も同じようにフルードを包み込んで守ってくれている。だがフレイムの場合、こちらが欲する救いをど真ん中のピンポイントで与えてくれる。彼自身が精霊上がりのため、下の者や弱い立場にいる者の気持ちを真の意味で理解できるからだ。
(今、何時だろう)
ノロノロと起き上がり、時計を見ると6の時だった。
(今日は神官府に行くんだ。始業は9の時だけど、神官長たちと会うんだし)
大神官と神官長には昨日のうちに念話して、話がしたい旨を伝えている。緊急の仕事が入らない限り、時間を取ってくれるとのことだった。
『もう起きたのか。おはようセイン』
「お兄様! おはようございます」
寝室の壁にかけた鏡が揺らぎ、ワインレッドの髪を持つ青年――フレイムが映る。端整な顔立ちの中で輝く山吹色の瞳がフルードを優しく見下ろしていた。三日前よりたびたび、天界にある自分の領域から話しかけてくれるようになったのだ。
フルードはベッドから降り、深く頭を下げた。
「お兄様……いえ、焔神様。昨日は先生を救って下さってありがとうございました」
劣悪な環境である懲罰房に入れられた、フルードの恩師。彼に食事や毛布を届けたいと念話で願い出たフルードだが、差し入れは禁止だとオーネリアに一蹴された。すると、落ち込むフルードを見たフレイムが動いてくれた。
手先が器用な恩師は、絵画を描いて天界に奉納したことがある。フレイムは自らの従神に命じ、『焔神様がその絵を素晴らしいと褒めていらっしゃるゆえ、誉に思え』という声を託宣として神官府に下ろさせたのだ。
神よりお褒めの言葉を賜った功績により、恩師は懲罰房から出ることができたという。供物を粗末なものに変更し、同じく懲罰房に入れられている先輩神官も、恩師の嘆願で特別に待遇が改善されたそうだ。
『いいってことよ、気にすんな。あの神官の絵が見事だったことも嘘じゃねえしな』
「後日、改めてお礼をさせていただきたく。お望みのものがあれば可能な範囲で用意いたします。私にできることなら何でも……」
真面目な顔で告げるフルードに、フレイムはヒラリと手を振り、温かな声で言う。
『弟から礼を取るような兄になるつもりはねえよ。一ついいことを教えてやる。俺に何か頼む時は弟として頼めば、無償でソッコー叶えてやるぜ。俺の力が及ぶ範囲でだけどな』
選ばれし高位神である焔神に叶えられない願いなどほぼ無い。冷静に考えればとんでもない厚遇を取り付けたわけだが、今のフルードにまだ自覚はなかった。素直に礼を言う。
「あ……ありがとうございます」
『それよりお前自身のことだ。今日で謹慎が解けるから、聖威師たちに話すんだろ?』
「はい」
頷いた時、室内が光った。空色がかった灰銀の毛並みを反射させ、巨大な狼が現れる。
『セイン、目が赤い。よく眠れておるか』
「狼神様、おはようございます」
ふかふかの尾にクルンと巻かれたフルードは、狼神の毛に顔をうずめた。
「ここ数日はよく眠れています。とても安心できて……気持ちがすっごく穏やかなんです」
『ふむ……魂が安心し、喜んでいるな。焔神様のご加護が、セインの魂を最奥から救って下さっておる』
愛し子の中をじっと視つめた狼神が言い、若干悔しげにムムッと唸った。
『礼を申します。……焔神様は我が愛し子の心を掴むのがお上手ですな』
『成り上がりの小器用さです。寛大な御心でお許しを』
フレイムが両手を軽く上げて会釈した。フルードは慌てて口を挟む。
「狼神様にもたくさんたくさんお救いいただきました。僕は狼神様の寵を得て、今こんなに幸せにしていただけたのですから」
『ふむ、そうか』
それを聞いた狼神が一気に機嫌を直す。
「もうすぐ神官府に行きます」
神官衣に着替え、寝室と続きになっているリビングに向かう。立てかけてある大きな姿見にフレイムの姿が移動した。
『朝食はどうするのだ? ……そもそもこの邸に仕える者は、主人の起床時に茶の一杯も出しに来ぬのか』
狼神が声のトーンを変えた。聖威師は専用の広大な邸を用意され、数多の使用人が付く。だが、誰も朝の機嫌伺いに来ていない。
「ち、違います。謹慎中のお世話は最低限でいいと、僕の方から頼んだんです。朝食は元々あまり食べないので……夜食のビスケットの残りで十分です」
『……ふぅむ。そうか……』
不承不承といった体ながら、狼神が気迫を和らげた。
一方のフレイムは、姿見の中でウロウロと歩き回っている。
『しかしどうするかな。指導するにしても、一からみっちりとなると通いじゃ時間がかかる。指導中は一緒に暮らした方がいいかもしれねえ。どうにかして長期降臨できねえかな。セインの神官の務めもなるべく減らして、修行に専念できるといいんだが……それは難しいだろうな』
小声で呟きながら、今後どう教えていくかを検討しているようだ。
『いっそ時間を止めた空間を作るか? 天の神なら時空操作も使用可能なんだし。……いや、だが人間世界じゃ禁術って認識だからな。何かの拍子にバレて、禁忌の術を神に使わせて無理矢理修行した聖威師、なんて悪評が立ったら困る。これは最終手段だな。他に良い方法があればそっちにするか』
フルードはそんなフレイムの様子を見て、思わず口を開いた。
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