優しいだけでは⑰
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凄まじい神炎が爆ぜる。圧倒的という表現すら生温い、ただただ強大無比な力が。
(神炎が未来を焼いてる。他の部分で歪みが出る隙間もないくらい、もう徹底的に焼き尽くしてる。これが……火神の荒ぶる神威を受け継いだ焔神の真骨頂!)
火神が機嫌を損ねた時に弾けた気が精霊化したのが焔神だ。言い換えれば、火神が荒神化した時の気から生まれたということだ。
精霊や神使であれば、だからと言って特別なことはない。しかし、火神から寵を受け、正式な分け身かつ御子神となり、選ばれし高位神となった時点で、それは大きな意味を持つ。火神の荒神としての神威を正式に受け継いだことになるからだ。
他の火神の御子神たちも、火神の通常の神威と荒神の神威の両方を継いでいるはずだ。だが焔神の場合、寵を受ける際に改めて神威を注がれたとはいえ、元々の素の状態が荒神の力を基としたものだった。ゆえに、正規の神として顕現した時、生まれながらの荒神と同じ状態になったのだ。
荒神の神威は通常の神威よりも遥かに激しく力強い。その猛々しさと凄まじさは、天界で一二を争うといっても過言ではない。つまり、焔神は天界最高位の神であると同時に、天界最強の神の一柱でもあるのだ。
(すごい炎。やっぱり、生来の荒神は神威の強さが違う。白死神様、お義祖父様、お義父様、焔神、狼神、他にももっと……)
生まれながらにして荒神である神々を列挙していく間にも、奇跡は起こっていた。
フルードの前に広がっていた、暗い暗い絶望の未来。このまま昇天しない限り、決して逃れられない凄惨な末路。
それが、紅蓮の神威に焼き払われる。最高神に準ずる最強格の御稜威をもって、フルードを待ち受ける運命が根本から変わる。
暗闇を切り裂く鮮烈な焔が、そのまま光となってフルードが辿り着く場所を明るく照らした。
(運命が――変わった!)
日香の脳裏に閃光が走り、いつかどこかの情景が広がる。
聖威師の証である刺繍入りの法衣を纏い、神官府を歩いている青年の後ろ姿。隣に並ぶもう一人の神官と何事かを話しているようだ。その背にあどけない声がかけられた。
『大神官様!』
『フルード大神官』
背で緩く編んだ長い金髪を揺らし、呼ばれた青年が振り向く。薄氷を削り出したように整った容貌は、今にも消えてしまいそうなほど儚く美しい。少女にも少年にも青年にも見える神秘的な顔立ち。
憂いを帯びた優しく温厚な碧眼は、その奥に痛みと覚悟、そして底冷えするような強さを秘めている。だが同時に、今と同じく透明で澄み切ったままだ。
まるで奇跡のように、現在の彼がそのまま大きく強くなって生きていた。
隣で話していたのは、恩師である年かさの神官だった。現在より齢を重ねた容姿になっているが、はっきりと面影がある。その首にかかっている玻璃でできたメダル――玻璃章だ。
『はい、どうしましたか?』
トコトコと駆け寄る子どもの神官たちに、成長したフルードが優しい笑顔で応じている。初老の年齢になった恩師は、温かな眼差しでそれを見守っている――その光景は、すぐに流星のように遠ざかる。
(ああ――)
脳裏を走って消えゆく景色を眺め、日香は口元を手で押さえた。
これが新しい未来だ。
これ以上は視ることができなかった。未来視は使用上の制約が大きい力だ。先の全てを自由自在に視聴できるわけではない。だが、今の一瞬だけで十分に分かった。
焔神はこれから、フルードを大切に――それはもう大切に大切に育て上げる。この綺麗な魂を決して損なわせることがないように、深く慈しみながら。その未来すらも反転させて、他の部分に歪みを出すこともなく。
最下層の精霊上がりという異色の経歴を持つがゆえに、弱い立場にある者の痛みを知り、格下の者の心を理解不能と切り捨てず寄り添おうとする、最高神に準ずる神。
通常の高位神のように、圧倒的な神威をもって全てをねじ伏せるのではなく、相手と向き合い理解して伴走しようとする。
そんな特異な神だからこそ、運命神ではないにも関わらず、このような奇跡を起こすことが可能となった。
フルードは紅蓮の焔の守護と導きの下、幾つもの荒波を超えた末に、自分を殺すことのないまま神官府の頂点に立つ。ほぼ実現不可能だと思っていた結末だ。
(こんなことが……起こるんだ)
遠視している現在軸の光景はまだ視えている。その中では、狼神が絶句していた。彼も垣間見たのだろう。フルードが到達する未来が完全に変わった瞬間を。
『……これは驚きましたな。まさか……まさかこのような逆転劇が起こるとは。――いいでしょう。こうなった以上、私も腹をくくってセインを指導いたします。ですが、私ではどうしても愛し子を甘やかしてしまう。極力は動かない、が信条でもあることですし。ゆえに、メイン指導はあなたに託します。くれぐれも頼みましたぞ、焔神様』
『ドーンと任されましたとも、狼神様』
念を押す狼神に、フルードを離した焔神が軽く胸を胸を叩いて笑う。
「あ、あの、僕頑張ります! 必死に運動しても全然体力が付かなかったですけど、でも頑張りますから!」
『それは食事を満足にもらえなかったのと、心身が萎縮していたせいだ』
狼神が悲しそうに言った。焔神がフルードの頭をわしゃわしゃ撫でる。
『これからは俺が美味いもんたらふく食わせてやるよ。にしても、運動してたのか。クソ父に対抗したかったのか?』
「あ、いえ。もう少し大きくなったら外で働かせると言われていたので、体力を付けておかないといけないと思って」
『外で?』
「はい。両親から、僕は何をやっても駄目で使えないから、せめて体を使って稼げと言われていました。多分、工場や施設で肉体労働をさせるつもりだったのだと思います。その前に徴を発現したので、神官になって金を入れろと神官府に送られましたが」
『そんで体力作りをしようとしたってわけか。だが元々の栄養が足りてなきゃ駄目だろうな……狼神様、どうなさいました?』
狼神が焔神をちょんちょんとつつき、小声で囁いた。
『両親がさせようとしていたのは肉体労働ではございません。この子はそう思っているようですが、私が調べたところ違いました』
『違うんですか。地上で体を使う他の仕事といえば……新薬の実験台や犯罪組織の下請けとかですか?』
『いいえ……これは主神としての贔屓目なしで申し上げますが、この子は極上に可愛くて綺麗でしょう?』
複雑な表情を浮かべる狼神に言われた焔神は、フルードを見た。幼いながらも美しく整った顔立ちは、きめ細かい氷細工のようだ。白皙の肌、透き通った優しい碧眼、小さな口に柔らかな金髪、ほっそりした肢体。
『ええ、確かに。天界でも十分に通用する容貌かと』
『そうでしょう。ですから、まあその……そういう趣味の者たち専用の、男娼館に売り飛ばす予定だったのです。日常の暴力で怪我をさせたとしても、少し奮発した治癒霊具を使えば元通りにできるので問題なしと、暴行はやめなかったようですが』
焔神が凍り付いた。フルード本人は何のことか分からないように首を傾げている。
「狼神様、何を話されているのですか? ダンショーカンとは何ですか? ……あ、そういえば、僕はこれから体を張って家に貢献させるから傷物にはできないと言われてました。あんなに殴って蹴っておいて、おかしいですよね。治癒霊具があるからいいということでしょうか?」
(フルード君、違う違う。傷物って多分そういう意味じゃない)
日香は引きつった顔で首を横に振った。
「僕が働く場所ももう決めていて、ハードなプレイが売りだとか何とか言っていました。きっと相当きつい労働環境の工場だったのだと思います。徴が出るのがもう少し遅ければ、そこに行かされていました」
何も分かっていない純粋な言葉に、焔神が天を仰いだ。そしてフルードの肩を掴み、押し出すような声で言う。
『……よく聞け。お前はもっと危機感を持つんだ。世の中には不埒な変態が山ほどいるんだぜ。お前みたいなのがポヤポヤ歩いてたらあっという間にパクッと食われるぞ』
「ええ!? 僕、食べられるんですか!? 痩せてますし美味しくないです!」
『いや、食われるってのは文字通りの意味じゃなくてだな……いや、細かいことはいい。とにかく、変態を自分に近付かせるな。変態は即抹殺しろ』
いきなり極端なことを言い始めた焔神の目が怖い。日香はある可能性に思い至って半眼になった。
(もしかして焔神って……懐に入れた者にはめちゃくちゃ過保護なんじゃない?)
フルードが困惑したように山吹色の瞳を見つめた。
「こ、殺すんですか!? そんなの無理です!」
『文字通り心臓を止めるんじゃなくて、社会的に消し去るのでもいいんだ。そういう自衛も含めて俺が教えてやる。いいかセイン、変態は抹殺しろ。身を守れ。これは兄ちゃん命令だ』
「が、頑張ります……」
震え声で頷くフルードに、焔神は気を取り直したように言う。
『よし。……で、そもそもお前は今どこまでできるんだ? ちらっと視たところ、基礎もこれからのようだが……ちょっと剣を持ってみな』
「えっ」
焔神が懐から短剣を出してフルードに差し出した。
『ほら、お前の聖威を纏わせて振ってみろ』
「う……分かりました」
両手を伸ばし、覚束ない手付きで短剣を受け取ったフルードが、見るからに素人の構えで刃を振り上げた。
「え、えいっ」
精一杯振り下ろした短剣が、喜劇の一場面でも見ているかのように、小さな手からすっぽ抜けた。ひょろひょろと情けなく宙を滑った刃は、ポフンと間抜けな音を立ててベッドの上に落ちた。
ありがとうございました。




