5.すっぽんは目の前に
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「……ぐはっ」
「ぐは?」
胸を抑えて呻いた日香に、当真は小首を傾げる。
「な、何でもないよー」
「そうですか? あ、そのすっぽん皇女様ですけど」
「げほっ!」
だが、当真は再び仰け反った日香の様子に気付かない。考えるように目を泳がせている、教科書を丸暗記していたであろう今までの問答からは離れ、自分の言葉で話そうとしているのだ。
「ええと、彼の方は覚醒はもとより、徴も発現できなかった庶子です。朱月皇女月香様の双子の妹君と聞いています」
(うん私なんだなそれ!)
月神として覚醒した月香は、美しい朱色の気を有し朱月神の神格を持っている。正式な地位は太子だが、妃の立場に邁進すると宣言しているため、普段は太子妃か皇女と呼ばれることが多い。
「お二方のご両親は皇家の庶子で、皇国の国王及び王妃であらせられます」
まさかの両親の説明までされてしまった。日香は遠い目をしながら、温厚な父と優しい母の顔を思い浮かべた。両親は当代皇帝の遠縁であるが、天威師としては覚醒せず王族となった。今は国王および王妃として国政を取り仕切っている。
「すっぽん皇女様はご病弱だったことから、幼少期は離宮で育てられ、12歳で皇宮に帰られたと聞いています。それからも療養のため、通常の庶子が住まわれるのとは別の宮におられて――藍闇太子様の正室になったために、庶子としては超特例で皇女の称号を与えられたそうですよ」
藍色の気を纏い闇神の神格を持つ高嶺は、藍闇太子と呼ばれる。神としては藍闇神だ。
(知ってるー、だって自分のことだもん。あはは、表向きにはそういうことになってるよねー)
すっぽん皇女の略歴を丁寧に説明してくれた当真に、内心で頭を下げていると。当真は一切の悪気ない顔で続けた。
「本当に幸運ですよね、すっぽんは!」
(……いや、待って待って、せめて皇女を付けて! ただのすっぽんになっちゃったよ私!?)
日香の絶叫を知るはずもない当真は、悪気なく微笑んでいる。
「皇帝家は基本的に、同族内でしか縁組みしませんから、庶子でも天威師の伴侶になれることがあるんですよね。徴を出せなかった庶子から太子の妃になんて、まさに一発逆転ですね」
「……あーうん、そーだねー、はっはっはー」
棒読みで言いながら、日香は目まぐるしく頭を回転させた。
(まずい、すっぽんの話題から離れないと)
内心で焦りつつ、右手の小指にはめている指輪を撫でた。紅玉がはまった指輪は、相手の認識を歪める目眩しだ。皇家と帝家の者は人外の域にある美貌を持つため、お忍びで歩く際は素性を悟られぬよう細工を行う。この指輪をはめていれば、その容姿から皇家の縁者であると紐付けられなくなるのだ。
日香の場合、月香の容姿を知る者に彼女と瓜二つの顔を見られても、血縁関係を連想されなくなる効果も追加している。ゆえに当真はこちらの素性に気付いていない。
(今は気付かれてないけど……この子が力に目覚めたら、唯全家の次期当主になる。そしたら私のこと聞かされるよね)
名門中の名門である一位貴族ならば、今後本来の身分で会うこともあるだろう。
(まずい、後で絶対気まずくなっちゃうよ! とにかく話を戻して……)
咳払いをして、すっぽんに逸れた流れを戻そうとした時。
当真が笑いを収め、ぼそりと呟いた。
「皆、すっぽんを悪く言います。姉君は見事に天威に覚醒されたのに、妹は徴すら出なかった無能だって。双子だからという理由で、失敗作に付き合わされて離宮暮らしをさせられた月香様がお可哀想だとも。……でも僕は、すっぽんを悪く思えないです」
(あれ? そんなこと言ってくれるの珍しい)
ならすっぽん呼びはやめてくれと思うが、当真は至って真剣な顔をしているので、言い出せない。
「……それはどうして?」
「徴が出ない人がすごく悲しくて辛い思いをしているのが分かるから」
(そっか、当真くんも同じ立場だから……)
「それに、藍闇太子様が溺愛されていると聞きますから、素敵な方なんじゃないかなと思います」
(うわ、何か照れ臭いなぁ)
日香がもごもごと苦笑いすると同時に、軽い足音が響いた。小柄な影が四阿に現れる。
「明香、こんな所で何をしているの。声が聞こえて来たよ」
澄んだ声が紡がれ、肩にぽんと手が置かれた。
ありがとうございました。