35.全てが終わって
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統一暦2992年12の月、下旬。
「こらー! よくも取ったな、私のおやつ!」
『クケー! ギャアァ、ビギャギャ!』
皇宮の奥にある天威師の区画に、けたたましい声が交差した。
日当たりの良い庭に設えられた卓。その上には色とりどりの菓子が乗った皿がある。そして皿を挟み、日香と始まりの神器が睨み合っていた。
――運命の朝を迎えたあの日から、既に一月近くが経過した。
日香の覚醒と神格が公表されたことで、その日常は怒涛のように変化していた。何しろ皇国創建以来となる、太陽神の神格を持つ女性天威師の顕現である。第二の皇祖と崇める声が上がり、毎日のように献上品や謁見の列が軒を連ねている。皆、日香を一目見ようと必死だ。
通常、天威師が人間の供を付けることは少ないが、日香の場合は皇宮を歩いているといつの間にか女官たちが後ろにぞろぞろ並んで追従している。
おいこら、仕事はどうしたあなたたち――と内心で叫ぶも声には出せず、精一杯優雅に装って受け流している。
すっぽんと嘲っていた勢いは何処へやら、月香と並びまさに月と太陽だと賞賛一色に転じた人々には、突っ込む気力も起こらなかった。
人とはそういうものだと、茫洋とした瞳で呟いた秀峰の顔が焼き付いている。
国王と王妃たる父母は懸命に統制しようとしてくれているが、世界を上げて祝賀色に染まっている現状、なかなか抑えることが難しいようだ。
ともあれ、押し寄せる人々の対応に加え、堂々と動けるようになったことで天威師としての務めも増えている。
今は多忙な日々を送る中でようやく手に入れた休息だったのだが――茶菓に舌鼓を打とうした瞬間、乱入して来た彼奴が菓子をついばんで食べてしまった。一番先に食べようと狙っていたものだ。
「私あのお菓子好きだったんだよ!」
『ギャーギャ、ピギャピギャ』
「えっ、早い者勝ち? 取られる方が悪いって?」
『グゲェ〜、ケーケケケッ』
「何よ〜その勝ち誇ったような目は! また義兄様に指導してもらうからね!」
『……クケ……』
途端に始まりの神器が小さくなった。
運命の日の後。すっかり横幅が大きくなった神器の首根っこを掴み、どこかに引きずって行った秀峰は、戻った時にはすっかり彼奴を手懐けていた。
『少々恰幅が良くなりすぎていたゆえ、若干の教育的指導をしたまでだ』
いつもの無表情でのたまう義兄の横で、別鳥のように痩せた神器はカクカク震えていた。どのような指導をしたのかは聞いていない。怖いから。
「あーごめん、冗談だよ冗談。そんなに怖がらせるつもりはなかったんだけど」
予想以上に効いたらしく、しょんぼりと羽を丸めてしまった神器を慌てて慰める。
「私も教育係が義兄様だったから分かるかも。あの指導は厳しいよね〜」
『グケ! グケ!』
「いやもちろん教え方はめちゃくちゃ上手いんだよ? 上手いんだけど……鬼教師っていう言葉は義兄様のためにあるんだよ」
『ギャオギャ〜』
己に対してとてつもなく厳しい秀峰は、教え子にもそれを適用させる節がある。必要な休息はきちんと与えるが、妥協や怠慢は決して許さない。
「でも、何だかんだで一から丁寧に根気強く教えてくれるし。むしろ高嶺様の方がさらっと無茶振りして来るよ。説明しなくてもこれくらいできて当然だろう、みたいな感じでさ」
未覚醒であった15年間、努力と試行錯誤を重ねながら必死で学んで来た秀峰。誕生直後から覚醒し、学ばずとも何でもできるのが当たり前であった高嶺。両者の経歴の違いが現れている。
「あ、飲む? こっちのお菓子も食べていいよ」
話しているうちに親しみがわいて来た神器に、茶を注いでやる。ここに給仕はいない。必要ならば天威で形代を作るから不要だと言って、人間は来ないようにさせている。休憩の時は一人で羽を伸ばしたかったからだ。
『クキャオー』
神器が嬉しそうに日香の対面の席に陣取り、菓子をつつき始めた。どうでもいいが、もう少し上品に鳴けないものだろうか。
「ふふ、美味しい? ……それで、義兄様の指導って言えばね」
同じ師に教育された同志だと思えば、口も軽くなる。日香は舌先滑らかに、神器に向かって喋り続けた。
◆◆◆
「――で、あの鬼教師ってば何て言ったと思う? ほんと鬼だよ、だって表情一つ変えずに……ん? どしたの?」
『ク……クケー、クキィ……』
ぐびぐび茶を飲み、菓子をもさもさ頬張りながら話していた日香は、向かい合う神器がいつの間にか目を見開き、冷や汗をダラダラ流しながらこちらを凝視していることに気が付いた。あれ、と思った瞬間、ポンと肩を叩かれる。
「え、誰――」
振り向きかけた日香の耳に、玉を転がすような声が滑り込んだ。
「そなたが話していた鬼だが」
「――――!」
ビシッと体が凍り付く。恐る恐る振り向くと、淡い笑みを貼り付けた秀峰が佇んでいた。今まで抑えていたであろう黄白の天威が円を描いて放出され、周囲に満ちる。
(げっ!)
座った体勢のまま器用に椅子から飛び上がった日香は、えへへと愛想笑いを浮かべた。
「……わ、わー義兄様だー。どどどどうしたのー?」
「連絡事項があって来た。念話ではなく直後話したかったゆえ、足を運んだが――随分と楽しそうだな」
にこにこと微笑みながら言う秀峰に、ゾォッと背筋が寒くなる。この義兄は、キレると笑うことがあるのだ。
「えぇ〜、な、何のことー?」
「それでごまかせるはずがあるか。聞け日香、それに日香二号」
「あの、日香二号って……この子、初代様由来のすごい神器なんだけど……」
「そなたの成分が多くなりすぎた。二号で十分だ。――いくら人払いをしているとはいえ、そのたるみ切った様は何だ。最初から鬼の教育を受け直すか?」
(ひえー!!)
「ごめんなさーい!」
『グ、グギャッギャー!』
平身低頭した日香に倣い、始まりの神器も一緒に頭を下げる。
「ちょっとだけ息抜きしてたら気が緩んじゃったの、これから気を付ける!」
『ギャンギャオ、グギャ!』
腕組みして一人と一匹を睥睨していた秀峰だが、不意に肩の力を抜いた。場を圧倒していた天威がかき消える。
「分かれば良い。……まあ、胸の内を晒せる相手がいるのは良いことだ。一人で抱え込むよりよほど良い。だが、羽目を外すのは自身の宮の中だけにせよ」
先ほどまでとは違う温かな苦笑で告げ、神器を見る。
「菓子を食べたのだろう。飛んで運動して来なさい。ただし、天威師の区画からは決して出ないように」
『ギャーグギャ!』
ちーっす了解っす、とばかりに神器が羽を広げた。そのままそそくさと、一目散に飛んでいく。神器がいた椅子に腰掛け、秀峰は自ら茶を淹れた。
「あ、私やるのに」
「良い」
身を乗り出しかけた日香を手の一振りで止め、淡々と言う。
「宗基家の当主と息女の処罰が決まった。そなたも巻き込まれたからな、それを伝えに来たのだ」
日香は一瞬息を止めた。天威師を詐称した花梨。そうするよう唆した宗基家の当主。両名には重い罰が下される予定になっていた。
「……花梨さん、どうなるの?」
「皇帝方が首尾よく自白と反省を引き出して下さった。それも含めて神々及び国王たちと検討し、最果ての地にある神殿にて生涯奉仕させることになった」
最果ての地とは、重罪を犯した者が流される場所だ。原則は死ぬまで出られない。そこに建てられた神殿で、重労働と厳しい戒律の中に身を置き、命を終える瞬間まで己の犯した行為と向き合っていく。
「そう……予想してた最悪の五指は免れたって感じだね」
ほろ苦い顔をしている秀峰に、日香も後味の悪い思いで目線を下げた。
「五指?」
「うん。一番上から順に、悪神の生き餌として引き渡す、神罰牢行き、魔族や悪鬼邪霊が住む地下世界行き、人間用の無限地獄に永久投獄、天外の地への追放。上二つの悪神の生き餌と神罰牢は同程度で、最悪中の最悪かな」
「なるほど」
最後に挙げた天外の地は、極めて重大な罪を犯した者が送られる孤島だ。この世界にごく少数だけ存在する、皇国にも帝国にも属さない離れ小島の一つ。
神に関わる重犯罪を犯した者が送られる離島には、天威師も聖威師も出動しない。皇国及び帝国の属国ではないため、護るべき場所ではないと認識されるからだ。ゆえに、その場所に限っては、神々が容赦なく怒りを振り下ろす。どれだけ激しい神怒を受けて泣き叫ぼうとも、助けの手は来ない。
強制転移で送られたが最後、強力な結界で囲われた島からは出ることが叶わない。それが天外の地であり、そこに送られるくらいならば、いっそ死罪になった方が遥かにマシとも言われる。
「最果ての地行きは六番目。最悪の五指に入ってないだけ良かったって考えなきゃ……」
「そうだな。宗基家の父娘は現在、牢の中で日がな泣き暮らしているようだ。当人たちにとっては十分辛い処分であろうが、天威師を――至高神を詐称した罰と考えれば、破格の軽さだ」
(きっと、お義母様と義兄様が神々を上手く取りなして下さったんだね)
花梨は17歳。本来その先には無限の未来が広がっていたことを思うと、小さく胸が痛んだ。それでも、犯した行為は消せない。今後は心から自省し償っていくしかないのだ。
「宗基家は長女の恵奈が継ぐ」
「あー、そうなるだろうね。大変だろうけど……恵奈さんは優秀な聖威師だから。きちんとやっていけると思う」
答えながら、日香は一口茶を飲んだ。秀峰も典雅な所作で茶器を傾ける。
それにより、自然と宗基家の話題は終了となった。
ありがとうございました。




