18.天威師の務め
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愕然とした面差しで聞いていた花梨が、裏返った声で反論した。
「で、でも、天威師は全ての神々に敬愛される存在でしょう。その身を盾にしたなら、神はすぐに我に返って怒りを消し去るはずだわ! なのに……あの雷はあなたたちを躊躇いなく傷付けていたじゃない!」
「あの程度、神の基準では傷の内に入らない」
嘆息したラウが一刀両断した。
「あの程度って……全員血まみれでぼろ雑巾になっていたではないの! か、体中に穴が開いて全身に大やけどを負って……手足が吹き飛んで内臓は飛び出していたわよ!」
「不死であり致命傷も刹那に癒える神にとっては、それしき何ほどのこともない。我らは神性を抑えているため、神に比べれば治りは遅いが……それでも大抵の傷は数瞬で癒える。人の価値観や基準に置き換えるならば、今回の損傷など転んでほんの少し擦りむいた程度でしかないのだ。神の認識が人間と同じだと思うな」
だからこそ荒ぶる神々は、慕わしい天威師が相手でも怒りのままに神威を落とす。今回の件も雷神にしてみれば、鬱憤晴らしに天威師と軽く戯れていたら僅かな擦過傷を付けてしまった、程度の認識でしかないだろう。
――だが、ラウはある情報を伝えていない。天威師たちが神にすら秘しているある事柄を。
ティルが肩を竦め、面倒くさそうに髪の先を弄りながら補足する。
「言っておくけど、今日は全然ましだったよぉ。天威師が大勢いたから少しずつ分担して受けられたし、最後は父上が大半を引き受けて下さった。雷霆の神だってまだ威嚇の段階だったから、あの稲妻もそこまで強い神威ではなかったしね。直撃すれば大きな街が幾つか吹き飛んでいたくらいかな」
人の枠を超えた天威師がその身で受け止めたからこそ、個人的な損傷に留めることができた。本来の標的である花梨に落ちていれば、彼女一人の体で受け切れるはずもなく、都と周辺地域までがまとめて更地になっていただろう。
「単独公務での神鎮めでは、もっと強烈な神罰を一人で全部受けないといけない。側に人間がいたら、ただ愚直に神怒を受けているだけじゃ駄目だよね。適切な判断や命令、采配や場の切り回し、事後処理とかも並行して全部やらないといけない」
前には怒れる神、後ろには守るべき国と人間。双方に挟まれて押し潰されようとも、決して退くことはできない。脳髄が破裂しようが目玉が落ちようが、手足がもげようが内蔵が飛び出そうが関係ない。常に天威師として相応しく在らねばならないのだ。
夜空と同じ色をした碧眼が冷ややかな光を放つ。
「今回程度の神鎮めなら聖威師でもやるし、もっと難度が低くて怪我が軽く済むものなら霊威師だって出ることがある。それが神官の務めだから。霊威を持って生まれた者は、その幸運の上でふんぞり返っているわけじゃない。体と魂を張って神と対峙しているんだよ」
続けて、白珠が言い聞かせるような眼差しで唇を開いた。
「神官だけではありません。国防を担う武官たちも、神罰や荒神が及ぼす二次被害を防ぐために命がけで戦っているのです」
蜜月の仲にある皇国と帝国が統治するこの世界では、属国同士の小競り合いを除けば大規模な戦が勃発することはない。にも関わらず武力や戦闘技術が衰退しないのは、怒れる神へ対応しなければならないからだ。
神そのものへは歯向かえずとも、二次的・副次的な脅威には対処することができる。
例えば荒神の攻撃を受けた大地が爆ぜ、四散した礫が無数の弾丸と化して街に飛来するならば、それを防御する。
例えば逆巻く神威に怯えた獣たちが暴動を起こし、山から人里に襲来したならば、それを迎え撃たねばならない。
身命を賭した攻防を繰り広げる者は神官だけではない。
「神格を持つ者は、彼らの希望であり寄る辺となる存在でなければなりません。宗基花梨、そなたにはその覚悟がありますか」
身を縮めて蹲った花梨は、大きな目を潤ませて声を絞り出した。
「……違う」
その声だけでなく体もかたかたと震えている。
「聞いていない、そんなこと聞いていないわ。天威師になったら崇め奉られて天上の暮らしができるって……数多の随従に美酒佳肴、錦の衣と玉の御殿の生活ができるって、そう言われたのよ」
ティルがははっと渇いた笑声を上げた。
「見事なまでに表面の綺麗な部分しか見ていない意見だねぇ。誰だよそんな浅慮なことを言ったのは」
体の損傷と共に修復した外套をなびかせ、一足を踏み出す。カツンと靴音が鳴った。
「お、お父様が……」
「お父様? ああ、宗基家の当主か。本当に馬鹿だなぁあいつ。それを無邪気に信じるお前もお前だけど。そもそも、天威師は人間の随従を付けない。いても邪魔だし」
ゆっくりと花梨に向けて歩みを進めるティルは、精緻な麗容に嗤笑を刷いた。深い青色の瞳が仄暗い輝きを放つ。
「まどろっこしいのはもう飽きたなぁ。俺がこの場で引導を渡してあげるよ」
大きく肩を震わせた花梨がざっと身を引く。
「やめよ、止まれ」
「待って、ティ……紺月太子様!」
秀峰が言葉を発し、日香もほぼ同時に制止する。ティルがぴたりと立ち止まり、蕩けるような笑みを浮かべて振り向いた。
「うん、いいよ。帝家は皇家が大好きだからね、皇家の言うことなら何だって聞いちゃうよ」
「――では私の願いも聞いてくれますか?」
涼やかな声が場に響く。碧い蛍火がきらきらと宙を舞い、その光の中から細身の影がふわりと躍り出た。
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