1.私、すっぽん娘でした
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統一暦2992年12の月、下旬。
(あぁ~疲れたぁ。 お腹減ったよー!)
目に染みるような青空に舞う薄桃色の花びら。穏やかなそよ風が吹く皇宮の庭園を、笑顔を貼り付けた日香はしずしずと歩いていた。
(大きなあくびしたーい。堅苦しいの苦手なんだよねー私。何か楽しいこと考えよう。お菓子とかご飯とか)
自身の紅の衣を彩る美麗な鳳凰を見て、内心手を打つ。
(そうだ! 今度の夕食、赤い羽で飾った『七面鳥の姿焼き〜鳳凰風〜』とか作ってもらえないかな)
なお、鳳凰は至高の神の化身とされる尊い神獣である。料理のネタにするものではない、決して。
(鳳凰に見立ててるだけだったら大丈夫だよね〜。えへへ、今度頼んでみようかな。鳳凰っぽい料理が食べたいって!)
料理担当が聞けば卒倒しそうなことを考えていると、思考を遮るように声がかけられた。
「紅日皇女様、ご覧くださいませ。桜の花の綺麗なこと」
後ろを歩く女官の言葉に、桜の木の前で立ち止まると、列をなして追随していた付き人たちの歩みもぴたりと止まる。一糸乱れぬ動きを背に感じた日香は内心で頭を抱えた。
「……まあ、見事に咲いているわ。とても綺麗ね。けれど、まだ12の月よ。桜が咲くには早いはずなのに……」
すると、別の女官が誇らしげに胸を張った。
「それはもう皇女様のお力とご威徳の賜物でございましょう。皇女様は至高の神たる日神様のお力をお持ちなのですから」
(あ、しまった)
淑やかに見えるよう扇でゆっくりと顔を隠しながら、日香は口元を引きつらせた。女官は抑えきれない笑みを浮かべて言い募る。
「三千年振りなのですよ! 日神の神格を有する女性天威師のご誕生は! この神千国においては初代皇帝様以来でございます」
全身がむず痒い。
(だ、誰か止めて〜! ていうかあなたたち、ついこの間まで私のことすっぽん皇女って呼んでたよね!? すんごい掌返しだよ、自覚ある!?)
表向きには、日香が力に目覚めたのはつい最近のことだとされている。それまでは優秀な双子の姉、月香と比較され無能呼ばわりされていた。
制止してくれる者はいないかと背後の気配をうかがってみるが、感じるのは賛同と尊崇の意思ばかり。
「そうですとも。まして紅日皇女様は、藍闇太子様のご正室でもあらせられるのです」
皆が我がことのように頷いている。笑顔の下でじっとりと汗をかいていると、慣れ親しんだ気配が近付いて来るのを感じた。
(……あっ)
数拍後、女官の一人が先方を示した。
「まあ、あちらに藍闇太子様が」
日香は桜の木から前方に視線を移す。宙を舞う花弁の中、長身の青年が優雅に歩いて来た。無造作に一つにくくっている長い黒髪が風に揺れる。涼やかさを感じさせる端麗な容貌が、日香と目が合うとふわりと和んだ。
「高嶺様……いえ、藍闇太子様」
挨拶しようと身動ぎしかけた日香だが、相手の方が早かった。
この皇国の次期皇帝であり、日香の再従兄であり、夫でもあるその人物は、足早に歩を進めるとさっとこちらの手を取る。その口元が緩み、優し気な微笑を浮かべた。
光すら呑み込んでしまいそうな黒瞳が、じんわりと柔らかな熱を帯びる。玉を振るような声が紡がれた。
「おはよう、紅日皇女。そなたは今日も美しい。世界に目覚めをもたらす朝日そのものだ。私の愛しい妻――太陽の女神たる紅の天姫」
心を鷲掴みにされそうな澄んだ声と、一部の隙も無い流れるような動作。ほぅと女官たちからため息が漏れた。
「お二人とも何とお美しい」
「ええ、本当にお似合いですわ」
(ひょえぇぇ)
扇の陰で、日香はぎゅっと目を瞑って悲鳴を押し殺した。
(へ、平常心平常心平常心! 覚悟して来たことじゃない。高嶺様の隣に立つぞって。……ああ、でもやっぱり恥ずかしい! 私、私……ついこの前までただの無能皇女だったのに!)
ありがとうございました。
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