女の子が死にすぎる
女の子は残酷だ。
悲恋のラブストーリーに出てくる女の子は、決まって先に死んでしまう。貴方に一生分の幸せを貰った、とか、ずっと幸せだった、とかそんな言葉を最後に残して。そして決まってこんな事を言う。「幸せになってね」って。
無理に決まってるだろう、と思う。男の方は、人生をかけて愛していたというのに。君なしでの幸せなんて、あるわけないだろう。なのに、どうして……。
だけど私は作品を作る側なので、もう一歩進んで考えなければならない。
どうして女の子が死ぬラブストーリーは支持されるのか。
そして私はちょっとひねくれて、こう考えてみる。
女の子のそういう死に方は、女の子にとって理想的なのではないだろうか。
女の子は死の淵で、男に心からの献身を示す。この「一途さ」と「健気さ」に、読者は心打たれる。そしてもう一つ。――こうして死ぬ女の子は、男を人生にかけて独占できる。だから悲恋は、支持を集めるのではないだろうか。つまり女性にとって、「愛する人を愛したまま死ぬこと」と「愛した人の心に自分の存在を焼き付けること」は、ある種の理想なのではないか。
女の子が死ぬ物語の物語的な構造について、男視点での分析は、どうやらされているらしい。講談社から『女の子を殺さないために』という、まさにこの問題を取り扱った本が出ている。なぜ女の子は死ぬのか、しかも、セックスしたあとに死ぬのか、などを、有名な小説などを分解して解説している。
さて、短く言うと私は、女性読者に聞いてみたい。「どうして悲恋が良いんですか」と。私も、悲恋の良さが全くわからないわけでは無いと思っている。しかし女の子が死ぬ話は、どうにも、可哀そうで読んでいられない。死んでしまう女の子も可哀そうだし、後に残される男のその後の事を考えても、いたたまれない。
これが心中なら、ロミオとジュリエットのような作品なら納得できる。女の子が死んだとき、片方が残るくらいだったら、両方死んだほうがいいと、私の心はいつも叫んでいる。つまり私は、女の子だけが死ぬ悲恋モノを楽しめない。何とかしてほしい。女性の読者の皆様、教えて下さい。
なぜ、女の子が死ぬラブストーリーがいいのですか。