第八話
天文十八年 (一五四九年) 六月 加賀国 小松 前川 第三者目線
両軍が布陣し終わり、睨み合っている状況だ。
此処で、両軍の陣形を見てみよう。
○…歩兵
◆…僧兵
☆…騎兵
本願寺軍(一万八千) 朝倉軍(一万千)
◆ ☆☆
◆◆ ☆☆
◆ ☆☆
○ ○
○ ○
○○ ○
○○ ○○
○○ ○
○○ ○
○ ☆
☆
☆
この様な陣形だ。
朝倉軍(右翼に騎兵千七百、右翼に三百)
本願寺軍(左翼に僧兵三千、右翼に騎兵五百)
天文十八年 (一五四九年) 六月 加賀国 小松 前川 朝倉宗滴
「宗滴殿!流石に左翼が手薄過ぎます!」
「河合殿、心配無用だ。戦の主導権を敵に譲る事は無い。...右翼の騎兵千ニ百を敵の僧兵に突撃させろ!」
「御意!」
次々と騎兵が僧兵を、薙ぎ倒して行く。
「...平地なだけあって、騎兵は強いですな。」
「そうだな。その上、右翼に騎兵を集中させたお陰で、より突破力が高くなっている。...よし、敵の僧兵と歩兵を分離させる事に成功したな。」
「ええ、そうですね。...敵の右翼の騎兵が、僧兵の救援に向かっています!このままでは、我等の騎兵部隊が全滅しますぞ!」
「遂に来たか!左翼の騎兵を、敵に突撃させろ!」
「宗滴殿!流石に三百騎では、敵五百騎に勝てませぬ!...えっ⁉︎...何故、あんなに沢山の騎兵が?」
「最初に右翼騎兵を突撃させた時に、五百騎ほど右翼の攻撃時の慌ただしさに乗じて、自陣の背後に移動させておいたのだ。」
「...なるほど。」
「...時は満ちた。全軍突撃!」
「「「「おーー!」」」」
朝倉軍全軍が本願寺軍と激突した。趨勢は朝倉軍が優勢だった。そして、その趨勢は覆るどころか、先に敵と決着をつけた騎兵が本願寺軍の背後を攻撃を始めた事で、さらに朝倉軍優勢となった。だが、本願寺軍も必死の抵抗をしたお陰で、直ぐには崩れる事は無かったが、次第に崩れ始める。だが、そんなタイミングで、この戦を決定づける事が起きる。最初に自陣に置いて来た三千の軍勢が、本願寺軍の背後に襲い掛かったのだ。そうして、本願寺軍と朝倉軍の戦いは、朝倉軍の勝利で幕を閉じたのだった。
この一連の戦での両軍の被害は、朝倉軍死者千七百、負傷者三千五百。本願寺死者ニ千、負傷者一万という両軍合わせて、一万七千ニ百人の死傷者が、出たのだった。
「殿、申し訳ございませぬ。多くの死傷者を出してしまいました。」
「よいよい、敵の大軍を再起不能にしたのだ。むしろ、よくやってくれた。ありがとう。」
「はっ!恐悦至極に御座います!」
「さて、俺は今回の戦で出た負傷者が回復し次第、残りの加賀一向一揆の領地を攻める。宗滴、お前は残りの九千八百を率いて越中国を攻めよ。」
「御意!」
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