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第一話

播磨転生記を執筆させて頂いていました。

幼稚や文章ですが読んで頂けると幸いです!

天文九年 (一五四〇年) 二月 越前国 一乗谷 朝倉氏館


「若様〜どこにいらっしゃるのです?怒りませんから出てきて下され。」


傅役である朝倉景紀(爺と呼んでいる)が、手習から抜け出している俺を呼んでいる。爺は怒らないと言っているが、あれは罠だ。

以前、手習から抜け出した時、あの言葉を信じて出て行ったら、こっ酷く説教をされた。

爺よ、残念だったなぁ、俺は学習するのだ!


「若様、そこに居られましたか!」


 背後から嫌な声が聞こえた。恐る恐る、振り返ると、そこには爺が居た。


「爺、奇遇だな。」


「そうで御座いますね。では、手習に戻る前に、その根性を叩き直そうでは御座いませんか!」


「爺、そう怒るでない老けるぞ。」


「余計なお世話でございます!そもそも、若様は名門朝倉家の嫡男としての自覚が足りませぬ!」


 そこから、一刻の間爺に怒られた。俺はまだ、八歳の幼な子なのだぞ!


 さて、気分を変えて自分の状況を確認するか。

 まず俺の名前は朝倉長夜叉、後の朝倉義景だ。前世では、日下部と言う、変わった名字をしていた。仕事は、関西で公務員をしていて、趣味で日本中を旅したり、歴史の歴史シュミレーションゲームをしていた。

 ある日、福井県の一乗谷にある、一乗谷朝倉氏遺跡に訪れていたら、突然意識を失って、気がついたら赤子になっていた。

 今、考えても何故、朝倉義景に転生したのか、分からない。まぁ、いずれ分かるだろう。

 それで俺は今、朝倉義景として生きている訳だが、史実の朝倉義景は、織田信長のニ度の上洛命令を無視した為、攻め込まれた。だが、その時浅井家が織田家を裏切り、織田信長を窮地に追いやった。しかし、残念な事に明智光秀、羽柴秀吉(豊臣秀吉)、池田勝正が殿として、朝倉、浅井連合軍を足止めした為、織田家は有能な将を大して失うことは無かった。その為、その数ヶ月後に姉川の戦いが起こりそこで朝倉、浅井連合軍は大敗を喫した。そして、その三年後に朝倉家は滅亡した。これだけ聞くと、朝倉義景は無能に思えるが、貿易面では島酒を通して琉球王国と交易し、日本海航路、東シナ海航路を使ってヨーロッパ諸国と交易しようとしていた事が分かっている。外交面でも、多くの大名家と書面で関係を持っていた。戦争面では、自ら戦を指揮する事は少なかった物の、新しい戦術を簡単に受け入れたりしていて、決して古い考えに固執する人物では無かったと思われる。

 こうして見ると、理知的で慎重な人物であった事が分かる。だが、その為に滅びたのだと思う。

 

 朝倉家の滅ぶきっかけとなった、足利家を将軍として擁立しながら上洛したのは織田信長だけではない。

 すでに中国の大守護大名、大内義興が一五八〇年に足利義尹を擁して上洛していた。しかし、当時京都には将軍足利義澄が細川澄元に補佐(ほぼ傀儡だが)されて存在していたので、義興は細川高国と手を組み、足利義澄と細川政元を追い払う事に成功しする。

 ところが、ここからは泥沼になった。細川澄元は三好之長と共に、何度も京都を脅かし、本拠地の周防では新興勢力である出雲の尼子経久が勢力を伸ばし義興を悩ませた。

 そして、極め付きには当然というか、細川高国や足利義植と不仲になり、一五一八年に義興は十年間滞在した京都を後にした。このように信長上洛の半世紀前に、将軍を擁して上洛するのは悪手である事が分かっていた。

 この事を知っていたのならば、信長と組んで足利義昭を擁立しようとは、思わないだろう。実際、信長と義昭は対立し、信長は足利家を滅ぼしているからあながち間違えではない。義景の誤算は、信長に驚異的な忍耐力と類い稀なる勝負強さ、そして運を持っていた事だ。理知的な性格が仇になるとは、笑える話だ。まぁ、その人物に転生してしまった訳だがな。


 俺はこの際、信長と共に天下を取るのではなく、自分だけで天下を取ろうと思う。だって信長の怒りに触れて死にたく無いし、どうせなら、戦国に生きる武士として、天下を取りたかね。とは言え、俺はまだ八歳だ。俺が家督を継ぐのは十六歳だから家督を継ぐまで、後八年ある。その間に、天下を統一するには、一端の武将に成らねばいけない。

面倒だが明日からちゃんと手習を受けるとするか。


今回こそは完結させる!


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― 新着の感想 ―
[気になる点] すでに中国の大守護大名、大内義興が一五八〇年に足利義尹を擁して上洛していた 信長が亡くなる本能寺(1582年)のに2年前に 大内義興が足利義伊を擁して上洛ですか?
[気になる点] 「余計なお世話でございます!そもそも、若様は名門朝倉家を嫡男としての自覚が足りませぬ!」 「余計なお世話でございます!そもそも、若様は名門朝倉家(の)嫡男としての自覚が足りませぬ!」
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