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天使と悪魔 下  作者: ガラス細工
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悪魔から天使へ

〜三大天使 改〜


〜〜病室にて


 ひとしきり笑ったシモンは、スリッパを履いて立ち上がり、監視カメラと音声を切った。


「……よし、本題に入ろう。今回発現したあなたのイルネスは、B級イルネス【液状化】――【自らの身体が液体となり、徐々に物に触れることができなくなる。冷却には弱く、一度凍ると人間の身体に戻れない】。相当危なかったね、あなた」

「…………やっぱり、コレ、【イルネス】なんだ…なんであのタイミング…………チッ、【ギフト】がよかったぁ〜」

「液状化は、周りではなく、完全に自分のみへ危害を及ぼすものだからB級だけれど……もし自分のものにできれば、情報操作もしやすいかもね。人間が通れないところも通れたりしてさ。スパイみたい!」

「は?なにいってんの?」

「イルネスだって、踏ん張ればコントロールできるんだよ。……オーウェンが、証明してくれた。ドン坊は週一くらいでこっそり《悪魔》においで。あいつ、教えてくれるって」


 感慨深そうに、オーウェンの蹴りを思い出すシモン。

 三秒に一回、カッケェ〜と悶えている。

 プルードンはそれを冷めた目で見ている。


「……でもさぁ、なおさら訳わかんない。なんでイルネス持ちのオレがセラフィ続行なわけ?」

「その事実を、発現時に近くにいた私とオーウェンしか知らないからだよ。あと……朗報です、プルードンくん」

「?」


 それは、ある意味で神に逆らう言葉。


「【イルネス】と【ギフト】に差など無い」

「…………………………あたまイカれた?」


 だがプルードンは同時に、目の前の女が大真面目であることを感じ取る。


「アジェンデにもカストロにも、《悪魔》のみんなにも話していないけれど……私は確信している」

「なんで、オレに……」

「今の君の立場上、この情報を漏洩したとしても誰からも信用されないだろうし?」

「はらたつ」

「あはは。……それに、あなたは情報の価値をよぉく知っている賢い子だから、そんなマネはしないでしょう?」


 シモンは笑っているが、プルードンはじわりと汗ばむ。


「ねぇ、きみさぁ、マジで何言っちゃってるかわかってるぅ?この世界の定義を揺らがせるってことだよぉ?」

「それがどうした……とは言えないけれど、気づいちゃったもんはしょうがないでしょう」

「……根拠は?」


 プルードンは半信半疑で問いかける。


「オーウェンの【イルネス】は、これで《天使》のみんなにも引けを取らない【ギフト】相当の力を持った。ちゃんとコントロールできるってのが大事ね。そして、カロちゃん……フィデル・カストロの【ギフト】はご存知の通り激強です。初めて会った時、カロちゃんは自分のギフトが強大すぎて、命を落としかけていた」

「!?」

「【ギフト】にも種類はあるけれど……カロちゃんの【無重力化】は特にコントロールが難しくて、苦労していた。他の一般人や《天使》から怖がられていた。投獄されてもおかしくないくらいに……私はそれをよく知っている」

「……ってことは、どちらも『強大な力ゆえに最初は煙たがられてたけど、コントロールしてからはすげぇ』ってのに変わりない…とか言いたいわけぇ?」

「そういうこと。たしかにギフトのほとんどは発現当初から制御可能な場合が多い。イルネスとは違ってね。でも実際、ギフトにもイルネスにも、長所と短所、リスクがある。それと、不思議なことに、ランク付け表を重ねてみると……」

「!!」


 シモンはどこからか取り出した【ギフト】のランク表と【イルネス】のランク表を合わせる。


「…ピタリと合っちゃうんだよ。まるで誰かが、もともと同じものを分けたみたいに……」

「…………」


『この世界には、二つの組織がある。

 年齢、性別、地位…それらは問わず。

 【特別な能力】……【ギフト】を授かった者のみが所属し、警察組織、司法、時には行政にまでも携わる、エリート集団。この世の最大権威。


 それは、《天使》と《悪魔》


 かつてこの二つは、拮抗する二大勢力であった。

 互いに競い合い、時には反発し、時には協力し合う。

 すべては、ともに社会の秩序を正すため。


 しかし、《悪魔》はある時、私欲のために【ギフト】をふるった。

 神は見ていた。その邪悪なる行為を。

 私服を肥やし、社会への貢献など眼中から外した、その愚かさを。

 神は天罰を下した。

 《悪魔》はこれより、【ギフト】を持つ者が所属してはならない。代わりに、その者を蝕む【イルネス】をその身に宿した者が集う。


 それは、この世の地獄。

 社会にうとまれ、蔑まれ、唾を吐き捨てられる集まり。


 《天使》に属する者は、《悪魔》の暴挙を止められなかった罰として、《悪魔》を監視下に置くこととなった。


 すべては、正きを貫くために――――――――』


「……この世界で信じられてる神話でも、確かに《悪魔》は、もともとギフトを持ってた……ってされてるけどぉ。神が罰のために生み出したイルネスは、本当はギフトと変わらないもので、差別意識だけ植え付けた……ってことぉ?……神が、そんなことをしたって?」

「…思いたくはないよ。でも……私欲のために力を振るわず、正きを貫く……それを守らせるために、わざと蔑まれるべき集団を作ったのなら……意味は、一応ある。奴隷身分に落とされたくないがためにちゃんと働く一般市民の心理構造と同じようなもんかな。自分より『低い』やつらがいるって、それだけで意味を持つから」


 プルードンはため息をついて、思考を巡らせる。


「【ギフト】と【イルネス】が同等、ねぇ……みんな散々、プラスとマイナスだと思ってきたから、そんなの公表したらパワーバランスとか社会構造がドンガラガッシャーン……だよねぇ」

「そこが問題なのよ」


 シモンはビシ、と指さす。


「今回の件で改めてわかった。《天使》にだって、私欲で動く奴らがいる。かつての《悪魔》のように……このままにしておいたら、天罰が下ってしまう。私はそれを止めたいとは思うが……手段がない。排除はさらなる排除を招くだけだし。全体の意識を向上させていかないとね。あーあ、どこかに情報操作が得意な子はいないかなぁ〜」

「断る。断固拒否。そんなめんどくさいこといーやーだ」

「うん。そこはこれから口説くよ。今すぐどうこうしようって話でもないし」

「本人の前で言う?つか本当、理解できなぁい」

「なにが?」

「だってきみ、当然オレのこと嫌いでしょお?」

「好きだよ」

「はっ!?すッ……??」


 真顔で即答したシモン。思わず赤面するプルードン。


「嫌いな『行動』はある。お前の煽りはマージーでムカつく。でも、たとえどれだけ癪に触ることをした人がいたとしても、その人は違う場面、違う人に対しては異なる行動をとる。ある側面を見て、その人自身を嫌うなんて、そんなことができるほど私は偉くない」

「……変なのぉ」

「変でしょう?変でいいんだよ、私は」


 シモンは窓の外の、一羽の小鳥をみつめた。


「なんといっても、お前は私のことを好きにはならなそうだ。そこがとても良い」

「…………」


 プルードンは無言でその小鳥を見つめ、鼻で笑って布団にもぐった。


〜〜面会室にて


「ちょっとそこ座って」

「は、はい」


 先程まで余裕な顔でプルードンを振り回していたサン・シモンは、今危機に瀕している。


「……オレが言いたいこと、わかるよね?」

「………………」


 目の前に立つルイ・ブランという名の男が、静かなる怒りを秘めているからである。


「シモンはさぁ、元セラフィだし、こういう緊急事態に慣れてんのかもしれないけど……でもさぁ、危険すぎるってわかるよね?一人で勝手に廃工場に来たり、冷却装置の真ん前に突っ込んだり、わざわざ危ない綱渡りしたり!!」

「あはは、まさか心配してくれちゃったり?」

「当たり前だろ!!!」

「!」


 ブランは拳を握りしめて下を向く。


「…………ほんっっと、わかってないよね」

「…………」


 彼の様子を見て、シモンは少し、視線を落とした。


「私って、何やってても平気そうに見えるみたいでさ」

「……?」

「加えて私のプライドエベレスト級だから、『シモンならどうせ平気だろ』っていう期待に応えられないのが一番嫌いで。つい、見栄張っちゃうんだけど……今回だって、本当は怖くて怖くて仕方なかった」

「!」

「だから……ブランたちが来てくれたとき、すごく安心した。ありがとうね」


 シモンは情けなそうに笑った。

 ブランは、少し驚いたような表情をして、わかればいいんだよ、とボヤく。


 不意に、ノックの音が響く。


「……あ」


 そこにいたのは。


『今回の話。オーウェンくんに聞いた』

「……そっか」

『ぶじでよかった』


 フーリエは書く間が惜しいのか、ぐちゃぐちゃのひらがなでそう書いて、シモンにメモ帳を押し付ける。


「あはは……ごめんね、心配かけちゃって」


 シモンはフーリエの背中をさすっていつものように笑う。フーリエは涙を拭うと、すぐにまた書き始める。

 そして、バッ、とシモンの眼前に突きつけた。


『オーウェンくんね。シモンさんの腕を見るとき、いつもすごくつらい顔をするのよ』

「!」

『あまり傷つかないであげて。周りの子たちのためにも』

「……うん。善処するよ、ありがとうフーリエ」


 その後は切ない雰囲気を脱ぎ捨て、ブランとフーリエを2人にするべくそそくさと病室へ戻る、歪みないシモンであった。


〜〜面会室から屋上への廊下


「……!?アジェンデ!!」


 そこにいたのは……『全身が機械』の女性であった。

 顔も、手も、足も……服で隠れている部分も、すべて銀色。

 一見するとロボットが自分で動いているようで不気味だが、シモンはとても嬉しそうに彼女に近寄る。


「またお会いできてよかったです、トローニ様」

「……生きているな」

「はい。それはもうピンピンしていますよ。ご足労感謝致します」

「…やはり違和感がある。以前のように話せ」

「おや、カロちゃんと同じこと言うんだね、デンデン」

「その呼び方はやめろ」

「却下!」

「……貴様はいつもそうだな」

「私にいつも『私』であれと申し付けたのは、トローニ様ですが?」

「……律儀だな」

「ははっ、光栄だよ」


 2人は長椅子に座る。


「貴様はどんな役職であろうと、結局役に立つ」

「わぁ、珍しい。デンデンが私を褒めるなんて」

「事実だ。今回の一件は、私の考えでは至らなかった。やはり感情論は解らん」

「……お疲れ様」

「なにがだ」

「どうせ、カロちゃんが動いてる間、3人分の仕事押し付けられたんでしょう?」

「ああ」

「さすがだね。デンデンじゃなきゃできないよ、そんなの。私だったら三時間でギブアップ」

「軟弱者め」

「はは」


 伝説の世代。その背骨を担い、今もなお浮世離れした力で《天使》を支えるアジェンデ・ゴッセン。

 シモンとアジェンデは、久しぶりに会った親戚のように会話をして、別れの言葉もなくお互い去っていった。

 彼女たちの間に言葉などいらない。役割を果たすのみと誓ったあの日から。


〜〜待合室にて


「お前も来てたのか。キヅカナカッタナー。フーリエさんは一緒じゃないんだな。フラれたか?」

「やっぱりフーリエさんを呼んだのオーウェンかよ……開口一番なんなのお前……」


 もはや恒例のようにイジるオーウェンと、呆れ返るブラン。


「ロバート・オーウェン。ルイ・ブラン」

「「!」」


 呼ばれた2人は、勢いよく振り返る。

 初めて彼らの『名前』を呼び、彼らを引き止めたのは……フィデル・カストロだった。


「…どうしたんですか、急に。俺たちの名前を呼ぶなんて」

「あなたたちの協力は、害ではありませんでしたので。そして、報酬はキッチリと支払う主義です」

「……どうも」


 オーウェンとブランは、カストロから渡された封筒を受け取る。ブランはこそこそ中身を開け、額の大きさに驚愕する。


「あの、一ついいですか」

「?」


 オーウェンはさっさと去ろうとするカストロを引き止める。ブランも追従する。

 二人はフーと深呼吸して……


「なぁにが『《天使》は、あなたがたが思うよりずっと、残酷な世界に生きています』ですか!?」

「シモンのやつ、結局誰も殺してないじゃないですか!無駄にビビらせないでくれます!?」


 ブランの無駄に上手い声真似は置いておいて、二人とも見事にキレている。


「……そもそも、シモンは爆弾解除なんてできません。それに、あの爆発音。一つの部屋のみにしては、大きすぎたでしょう。彼女は、敵地では真実と嘘を2:1で話す主義ですので。ああいう場合は安易に信じない方がいいですよ」

「「先に言ってくださいよ!!」」

「……フッ」

「鼻で笑うな!!」

「あ、おいオーウェン、敬語外れてる」


 実は密かにオーウェンとブランの反応を楽しんでいたカストロ。彼女も例のごとく、なかなか性格が悪い。無表情を崩さぬまま、人を小馬鹿にすることに長けている。


「《天使》が……特に上層部が残酷であること。それは事実です。現に僕は反逆者どもなど、死んで仕舞えばいいと思っていましたよ。実際、処刑対象でしたし。ですが、シモンは例外です」

「「……」」

「彼女はこの世界で誰よりも甘い。こちらに吐き気がするほどに」


 吐き気という言葉を使っていたが、カストロは気分を悪くする素振りは見せなかった。


「この事件の秘匿と、反逆者全員の安全を確保するよう訴えたのは、一番の被害者であるはずの彼女です。甘いにも程がある。僕には理解できませんが……それでいいと思っています。彼女が己の甘さ故に危機に陥った時、敵を一匹残らず殲滅するのが僕の役目ですから」


 2人はカストロの言葉を理解しながらも、本当にこの人容赦ないな、と一周回って呆れる。

 カストロはもう一度だけ2人の目をみて言った。


「シモンの期待を裏切るような真似をしたら、僕が直々に処刑しにいきますので、お覚悟を」

「「……はっ!」」


 2人は姿勢を正し、カストロを見送った。


〜〜自動販売機前


「おい」

「…………」


 ブランと別れたオーウェンが声をかけたのは、今しがたやっと自動販売機をみつけたバクーニンであった。


「シモンの腹に一発。その後は何をしやがった」

「…それを聞き出してどうする」

「3倍にして俺が蹴り返す」

「……彼女には何もしていない。逆に振り回されただけだ」

「……」


 オーウェンは、そんなわけあるかよ、と言いかけたが、シモンの場合ありそうな話なので言葉につまる。


「俺はこれから《悪魔》に身を置くと聞いた」

「!?……」


 バクーニンの言葉に、さらに衝撃を受けるオーウェン。

 あいつか、と静かにシモンに対し呆れる。ポケットに手を突っ込み宙を仰いだ。


「プルードン様は、《天使》に残られると。……俺は」

「?」

「俺はこれから、プルードン様なしでどう生きればいい」


 バクーニンは、今しがた買ったペットボトルを握り潰しそうになり、ハッと気づいて潰さないように慌てて力を弱める。

 オーウェンは深刻なバクーニンの隣で、平然とコーヒーを買い、手に取る。


「知るか。くたばれ……と、言いたいところだが……」


 彼の脳裏に、どこまでも甘い彼女の姿がチラついた。


「誰かに依存して生きるのが悪いとは言わねぇ。しかもあのガキを崇拝するなんて頭おかしいんじゃねぇの?とも言わ……ないでおいてやる。けどな」


 同時に、自分はなぜ、あの面倒で甘い彼女を恩人と認めてしまったのか、と後悔する。


「アンタはイルネスを持ってねぇが、俺ら《悪魔》のメンバーなんだろ?気丈に生きてもらわなきゃ困る」


 後悔する、フリをした。


「……!」

「あと、あのシモンが管轄係だからな。こき使われるのは覚悟しとけよ」

「……ああ」


 オーウェンは飲み干したコーヒーの空き缶を蹴ってゴミ箱に入れると、その後は何も言わずに去っていった。


〜〜病室にて


「……」

「…………」

「……」

「………………」


 現在、部屋にはベッドに座る金髪の少年とその向かいの椅子に座る機械の女が相対している。


「貴様は《天使》への反逆を試みた。理由を述べよ」

「……」

「答えなければ、拷問でもするか」

「は、ちょっと冗談やめてよぉ。オレ一応病人……」

「知らん」

「わ、わかったよ、言うって」


 あのプルードンが、冷や汗を流していた。

 それは、人の感情の機微を読み取り、おちょくり扇動することが得意な彼にとって、目の前の女性が最も苦手であるから。

 なぜならば、彼女には表情筋どころか肌も無い。汗もかかなければ眼もレンズのため、視線を読み取ることもできない。趣味も趣向もなく、完全なる『仕事が命』の女。声も常に平坦で感情が読み取れない。

 プルードンはしぶしぶ口を開く。


「……オレにはギフトがなかった。でも、オレは凡人と同じ扱いなんて死んでもイヤ。《天使》は特権階級みたいなもんだし、妬ましかった。だから……きみたちを潰して、オレも特別に、なってやりたかった」

「特別になりたい、か。やはり私にはわからん」

「……あっそ」


 アジェンデはすぐに席を立ち、病室を出ていった。

 どこまでも機械的に、不必要だと思えば切り捨てる。無駄だと判断した質問はしないし、時間も浪費しない。

 それが彼女のやり方だった。


「……主観はあるんだろうけど……あのフィデル・カストロより合理的って、マジヤバイよぉ。ホントに機械人形みたいで、つまらないどころか気味が悪いなぁ」


 プルードンはベッドへダイブする。


「……はぁ〜。変人ばっかりに囲まれて、メイワクしちゃうなぁ〜」


 そして、特大ブーメランな言葉を吐いたのだった。


〜〜屋上にて


「あ」

「お」


 アジェンデと別れたシモンと、バクーニンと別れたオーウェンが出くわす。


「……歩いて平気なのか?」

「まぁね。包帯巻いてるから大袈裟に見えるけど、大したことないよ」

「……」


 オーウェンは、顰め面でシモンに近づき、並んでフェンスから外の景色を見渡す。


「…なぁ、アンタのギフトって、なんだ?」

「……」

「今度は、はぐらかすなよ。大量に入ってきたアリと関係あるんだろ」

「あぁー、あれね。頼んだだけ」

「は?」

「窓辺にいた蟻のお嬢さんに、仲間たちと一緒にここへ行って、こういう風に動いてくれませんか〜?ってさ。大変だったんだよ?説得するのに三時間かかったし」

「……まるで蟻が人間みたいな口ぶりだな」

「……【意思疎通】っていうの。私のギフト」

「!」

「簡単に言うと、『ちょっと話をする気にさせる』ってところかな。さすがに植物は難しいけれど……動物や虫ならギリギリ話せる。あと、『どのような場合でも』ってのが大事」

「例えば?」

「何年も引きこもってて人と会話なんか普通ならしてくれない男の子。死刑宣告を受けて震えている錯乱状態の女の子。完全に私のことが嫌いな反逆者100人。《天使》を憎む《悪魔》150人。あとは……意識を手放して暴走する狂人くんとか」

「!……やっぱり、あの時」

「でも、強制的に意識を引っ張り出すんじゃなくて、あくまで本人の精神力あっての【意思疎通】だから。誇っていいよ、オーウェン」

「……じゃあ、ああいう事態に陥った時、いつもお前は相手頼みの博打で事を進めてるってのか?」

「……オーウェン?」

「今回だってそうだ!!一歩間違えりゃ、アンタ死んでただろ!!」


 オーウェンの大声にビクッと肩を震わせるシモン。

 しかし、ふふっと笑ってオーウェンの背中をポンポンと叩く。


「年下のくせに、すぐそういうことを……」

「はいはい。でもいいんだ、今回の件は。結果オーライだよ」

「なにも良くなんて…」

「もし、プルードンが《悪魔》を訪問した時、まだ私が《悪魔管轄係》になっていなかったら。オーウェンたちはきっと、プルードンの味方をしていたと思う」

「!!」

「……そうしたら、私はオーウェンやブランたちと敵対していた。まぁ私が蹴り飛ばされて終わりかなぁ。もしかしたら、カロちゃんが大岩でオーウェンを潰したり、アジェンデが《悪魔》全員に銃火器ぶっ放してたかも。あの2人、容赦ないからさ。三大天使時代も、いつも私が止めてたのよ?褒めて褒めて?」

「…………」

「冷めた目はやめようね。……とにかく、結果オーライなんだよ、本当に。なんと言っても、オーウェンが【狂人化】を制御するところも見られたしさ。格好良かったね……大変だったろうに」

「……」


 シモンはオーウェンに向き直り、笑う。


「本当にありがとう。私の無茶振りに応えてくれる人なんて、早々いないよ」

「……そうかよ」


『お前さ、散々オレのこと揶揄ったけど……お前もたいがい、シモンに惚れてるよな』


「……うるせぇよ、引きこもり野郎」

「ん?なんか言った?」

「別に」


 ―――そんなこと、とっくに自分で気付いてんだよ。


〜三大天使 伝〜


〜〜《悪魔》訓練室にて


「だからァ……いい加減俺の言うこと聞けって!!」


 響き渡るオーウェンの怒りの叫び。


「いやぁだね」

「……」


 両手を頭の後ろで組み、口笛を吹くプルードン。

 その隣で呆れ返るブラン。


「お前ホントにオーウェンに教わる気あるわけ?」

「ないよぉ。だってここへはぁ、管轄係様に強制されて仕方なぁく来てあげただけだしぃ、いたぁ!?」


 オーウェンがプルードンの頭に鉄拳を食らわせる。さすがに【狂人化】は使っていない。だがしかし痛い。

 ブランは、いいぞーもっとやれー、と応援。


「はぁ!?なぁんで殴るわけぇ!?オレ【セラフィ】様なんですけどぉ!」

「うるせぇ。ここは《悪魔》だ。シモンから伝言。『あなたがこの地下で何をしても、何をされても、私の管轄下ってことで揉み消すから!オーウェン好きにやっちゃって☆』……以上」


 オーウェンは真顔でプルードンを脅す。


「……あの女ァ…!」

「ぐっふ……ふふっ」


 プルードンは怒りに震え、ブランはオーウェンのモノマネにツボる。地味に高い声を出していたため、低いのか高いのかわからない絶妙なクオリティ。


「おいブラン。お前も参加してるからには俺に従え。さっさと【磁石化】コントロールしろ」

「はいはい、わかってるって、センセー……ぶふっ」

「笑ってんじゃねぇ」


 オーウェンは激しく後悔し、照れ隠しにブランの足を蹴る。ブランはうがっ、と声を上げてその場に平伏す。


「ていうかさぁ、制御方法教えてくれるっていうから来たんだけどぉ」


 プルードンはオーウェンの前に出て文句を垂れる。

 オーウェンは、お前が聞かないからだろ、とそれはそれは深いため息をついた後、腕を組んで問うた。


「お前、嫌いな奴、いるか?」

「………………は?」

「いるかって聞いてんだよ」

「……そりゃあ、オレはたぁくさんいるよぉ。例えば目の前で偉そうにしてるオニーチャンとかぁ」

「じゃあ俺でもいい。だが、今お前、俺のことを見てても【液状化】してねーだろ。んじゃ憎しみが足りねぇな」

「そういうことなのぉ?嫌いな奴を見たり思い浮かべたりすると発動するってわけ?」

「ああ。俺だけじゃなく、C 級の何人かで試してもらったが、見事に発動したな。イルネス持ちってのはだいたい、過去に苦い思い出があるもんだ」

「んじゃ信憑性はあるわけねぇ。じゃあ逆に、制御する時はどうするのぉ?」

「大事な奴のことを思い浮かべろ」

「……あー、そういう」


 プルードンはため息をついた。


「じゃあさぁ、きみは発動条件が誰で、制御条件が誰だったわけぇ?」

「俺の場合、両方シモンだ」

「…………はぁ?」

「俺が初めて【狂人化】したのは、あいつの声を、話を聞いて、《天使》だと確信したからだ。実際に姿を見て、憎悪が膨れ上がった瞬間、完全に俺のコントロール下から抜け出した。だが、そのあとあいつのおかげで制御できたからな。そういうことだ」

「……ふーん。にしてもさ。憎んだ相手と大事な人が同一って、相当拗らせてるよねぇ」

「言ってろ」


 そこで、話を聞いていたブランが手を挙げる。


「オーウェン。その相手が思いつかないんだけど」

「じゃあ、知ってる奴を順番に思い浮かべてみろ。暴発したらそいつが憎んでる奴で、そのイルネスが収まったらそいつが大事な奴だ」

「か、簡単に言ってくれるじゃん!」

「俺はその方法でやったからな」

「ぼ、暴発って……試すだけなのに、どんだけ命あっても足りなくない!?よくそんな方法でやったよね!?」

「命かけることなんて、俺にとっちゃ最低条件だ。命の恩人に応えるって決めちまったからな」


 オーウェンは清々しい顔で笑った。

 プルードンは、気色わる、と呟きもう一発殴られる。

 ブランは、それをとてもきれいな笑顔だと思ったが、同時に恐ろしくイカれていると思った。ある意味、【狂人】にふさわしい、と。


 チリリリリリリ。

 その時、部屋の電話が鳴る。


「はい、こちら《悪魔》……ってお前かよ」


 オーウェンの反応から、某管轄係の彼女だろうと予測される。


「……今すぐあの部屋に来い、だとよ」

「「……」」


〜〜《悪魔》 黒の部屋にて


 ここは黒の部屋と呼ばれる、防音・防弾・防炎の特別な部屋である。主に機密情報の取引に使用される。

 現在は改造され、バーのような形式になっていた。


 その場には、よく見知った面々、また見知らぬ面々が並んでいた。


 《悪魔》3名

 壁に寄りかかるロバート・オーウェン。

 アジェンデを見てロボットかと思いギョッとするルイ・ブラン。

 プルードンの方をちらちらと見ているバクーニン。


 《天使》7名

 不満げにカストロを睨む【セラフィ】――プルードン。

 睨み返す【ケルビィ】――フィデル・カストロ。

 整然と立つ【トローニ】――アジェンデ・ゴッセン。

 カストロの側に控える四大幹部【プリンチパーティ】――ダヴィド。

 その両脇に立つ部下【アルカンジェリ】2名――ドラクロワ。ゴヤ。


「今回の一件について、重要な報告があるので集まっていただきました」


 そして、【悪魔管轄係】――サン・シモン。


 ご存じの通り、今回のクーデター鎮圧に関与した面々である。シモンは皆の前に立ち、面々を一人ずつ視界におさめる。


「……と、いうのは、嘘です」

「…………??」


 しかし、シモンは真剣な雰囲気を脱ぎ捨て、キリッと言い放つ。


「今宵はみんなでParty Night!!」

「「………………………………」」


 なんかこいつ一人で騒ぎ始めたぞ、的な冷ややかな視線を浴びてもものともしない。さすがはシモンである。


「まぁた始まったよぉ、わけわかんなぁい。わかりたくもなぁい」

「なんの冗談ですか、シモン」

「私は帰る」


 文句を垂れるプルードン。睨みつけるカストロ。帰ろうとするアジェンデ。他も同様。


「ステイ、皆様。確かに私は、アジェンデの誕生日を祝いたかったわけでもないし、バクちゃんがドン坊と別れるの辛そうだったからせめてお別れの場を用意したわけでもないし、オーウェンとブランが最近こん詰めすぎてるからたまには休めば?って意味でもないです」


 無論、嘘である。その通りなのである。

 バクーニンとプルードンは互いに顔を見合わせ、決まり悪そうに視線を逸らし、オーウェンとブランはキョトンとして瞬きをする。カストロとアジェンデは、『誕生日』という言葉に反応して一瞬立ち止まる。しかしアジェンデは誕生会など不要だと判断し、すぐに歩き始める。


「待って、アジェンデ」


 シモンはそんな彼女を呼び止め、一つの小瓶を取り出す。


「あなたが欲しいと言っていたこの精油は、《天使》本部から片道四時間のお店にしか売っていません。そして、このパーティーは二時間です」

「……そういうことか」

「ね」

「貴様には敵わん」

「わぁい」


 アジェンデは踵を返し、用意されたカウンター席に座る。カストロは、尊敬するアジェンデの誕生日を祝いたいと思う反面、残っている仕事の量を計算し始める。そしてシモンに耳打ちをする。


「……シモン。あなた、この話を持ち出したということは、内密に僕達の仕事を手伝うつもりですか」

「正解。さすがカロちゃん」

「では、僕とアジェンデの半日分の仕事をあなたに押し付けます」

「はぁ!?」


 つい大声を出してしまったシモンは慌てて口を押さえ、皆に背を向ける。カストロはしゃがんでシモンと目線を合わせ、再びひそひそと会話を再開する。


「なにか問題でも?」

「ちょっ、カストロさぁん。パーティーは二時間って言ったでしょう??さすがにそれは横暴といいますか、なんといいますか……」

「サン・シモンに二言は?」

「ないですよわかったよしょうがないなぁやってやろうじゃないの!?」

「交渉成立ですね」


 こそこそ話を終えたカストロは平然とアジェンデの隣のカウンター席に座る。


「全く……管轄係の仕事もあるのに、三大天使二人分の仕事ぶっこみますか。カロちゃんの容赦のなさはいつ見ても爽快だな」


 そう言って笑うシモン……の眼前に立ちはだかる一人の男。


「それ以上の戯れ言、許さぬ」


 年齢四十代前半。バクーニンほどではないにしろたくましいガタイの彼は、ゴゴゴゴという効果音がつきそうな表情でシモンを見下ろしていた。

 シモンはその喋り方と声に反応して、くす、と笑う。


「おや、カストロ信者のダヴィド様ではありませんか。ご機嫌麗しゅう」

「だ、黙りたまえ愚図虫の分際で!!」


 男性……四大幹部【プリンチパーティ】――ダヴィドは、シモンに人差し指を突きつける。

 《天使》のほとんどは、プルードンの情報操作により、シモンが無様なミスを犯して地位を剥奪されたと思い込み、激しく嫌悪を抱いている。彼はその最たる例であった。

 愚図虫という罵倒語彙がシモンに向けて放たれ、カストロは思わず席から立ち上がる。しかしシモンは彼女を制し、小声で話す。


「カストロ、いいのよ」

「しかし……」

「嫌われる覚悟はとうに背負った。プルードンの評価を落とすことはしないと……彼にセラフィを続けさせると決意したのは私だ。カストロ、あなたにはまた苦難を強いる。この程度、気苦労は無用」

「…………」


 シモンは悲しげに笑い、カストロは何も言うことができない。

 ダヴィドはシモンがカストロとタメ口で話しているのを見て、さらに険しい顔になる。


「調子に乗るなよ、この恥晒しが……!なんの権限があって、三大天使様をこのような穢らわしい地下に招いた!!」

「申し訳ありません。ですがきちんと皆様の許可を得て……」

「そなたはかつて失敗したのだ!許されざる失敗を!!セラフィの名に恥辱を塗り、皆の期待を裏切り、にも関わらずか、か、カストロ様と、いや、《天使》の上層部と気安く親しくするなど!!!」

「……」


 シモンは一歩下がって、改めてお辞儀をする。


「ダヴィド様。『確かに私は、失敗を犯しました』」


 その言葉が空間に響き、カストロはその悲痛な嘘に無表情を歪め、プルードンは呆れてため息を吐く。オーウェンは拳を握りしめ、ブランは視線を伏せた。


 だが、顔を上げたシモンはニヤリと笑う。

 カストロ、およびオーウェン、ブラン、プルードンは、そのよぉく見覚えのある笑い方を確認して気づく。彼女は一言も、『反撃をしない』とは言っていないことに。


「しかし、私はあなた様に言わなくてはならないことがあるのですよ、ダヴィド様」


 シモンは、皆に聞こえる大音量で話し始めた。


「ダヴィド様は、『愛しのカストロ様』のお役に立ちたいと日々健気な努力をしていらっしゃる。あれはもはや病気でございます。しかも末期でございます。変態ストーカーと化しております。カストロ様、くれぐれも返り討ちにする際、ギフトを使って病院送りにせぬようお気をつけください」

「なっ、そなた何を…」


 ダヴィドが口を挟もうとするが、シモンの流暢な喋りはそんなものを挟む余地など与えない。


「せっかく【プリンチパーティ】に昇進し、『カストロ様の右腕となり、頼っていただけるよう邁進しなくては!』と意気込み、そんなところに今回の一件が転がり込み、『なに!?カストロ様が私を直々にご指名に!ようやく信用を勝ち取れたのだな!あぁ、カストロ様。必ずやご期待に沿う働きをいたします!』と決意を固め、腹心であるゴヤとドラクロワを従え、意気揚々と任務に励もうとした……なのに管轄係の私が予定を狂わせてしまったせいで活躍の場を失い、自暴自棄になっておられるのです。ああ、とても胸が痛みます……なんとお可哀想な【プリンチパーティ】様でしょうか」


 ほとんど息継ぎもせず、つらつらと言葉を並べて役者のようにダイナミックに語るシモン。

 皆が呆れ、もしくは笑いを堪えている。

 ダヴィドはワナワナと震え、怒涛の言葉責めに対応しきれないでいる。ちなみに、シモンの言葉は事実である。ダヴィドは正義感の強い誠実な男ではあるが、カストロの容姿および仕事ぶりに感銘を受けたその日から信者となっている。


「そこまでにしなさい」


 しかし、シモンに言葉をきり返す女性がいた。横に控えていた、ダヴィドの腹心の部下の一人、ドラクロワである。年は三十代前半。若葉色の髪をハーフアップにし、美しい金色の瞳を持つ彼女は、にっこりと上品に笑いながらも、ビキビキと青筋を立てていた。


「あなたは人を貶すのが好きですね、サン・シモン。虫唾が走ります。さっさと失せなさいこの世から」


 ドラクロワの言葉を受け、シモンは一瞬だけ影を落とし、しかしすぐに顔を上げて美しく笑う。


「そういえばドラクロワ様も、ダヴィド様と同様、カストロ様のことをお慕いしていらっしゃいますよね。無理な敬語口調はそのリスペクトの表れでしょうか。それと……元ヤンのあなたには言われたくありませんよ、ドラクロワ様」

「黙れクソザルガァア!!!誰に向かって口きいてんだよああああああ!?」

「あはは、相変わらずやかましくていらっしゃる。化けの皮剥がれるのが早すぎるんですよね、あなたは」


 敬語を捨て、恐ろしい剣幕で中指を突き立て、シモンに頭突きをくらわそうとするドラクロワ。美しい容姿も台無しである。

 しかしシモンは洗練された動作でお辞儀をし、華麗に回避、社交ダンスのようなステップを踏むと、ドラクロワの後ろに立っていた男性に声をかける。


「ゴヤ様。お元気でしたか?」

「あっはい!わ、わぁ……シモン様の敬語なんて新鮮!いえ恐れ多いですはいぃ…」


 年齢三十代後半であるが童顔。身長もオーウェンと同じくらい。彼……ゴヤは、若い頃勢いで染めた茶髪と、スーツの上から派手なパーカーを着るという謎のファッションセンスを持っている。彼はシモンに対してビシッと敬礼し、他二人とは打って変わって人懐っこい笑みを浮かべる。その様子を見て、ドラクロワはゴヤの胸ぐらを掴みぐらぐらと揺らす。


「ゴヤ!なに『下っ端』に敬語使ってんですか!小指切り落とすぞゴラァ!」

「ひゃぃぇええごめんなさいですはい!!でもぼくにはシモン様にタメ口なんて無理無理の無理ちゃんですはい!!」

「様づけしてんじゃねぇですよこんな没落女にィィ!!」

「うわぁぁぁ」


 ゴヤは、字面では恐れ慄いているが、余裕の笑顔。どことなく嬉しそうに、怒ってる顔もかわいいですはい、と言った後、ドラクロワからの拳を顔面に受ける。ダヴィドが慌てて止めに入った。

 ブラン、オーウェン、バクーニンは呆然とその様子を見ていた。


「……《天使》って、みんなキャラ濃いわけ?変人?そういう規定があるわけ?」

「クソ真面目ストーカー仁王像と、元ヤンブチギレ女と、忠犬気取りのチャラいヘラヘラ男……三大天使と四大幹部だけかと思ったら、他もなかなかだな」

「プルードン様は変人ではない。取り消せ」

「「ここにも信者がいた」」


 ブランは困惑し、オーウェンは冷めた目で彼らを見つめ、バクーニンは平常運転。


 終始微笑んでいたシモンは、ダヴィド、ドラクロワ、ゴヤの3人の前に立ち、胸に手を当てて告げる。


「思うところはあるでしょうが、私はあなた方にまた会うことができて、とても嬉しい。私が惚れ込み、スリーマンセルを組ませた日が昨日のことのようです。たとえあなた方がどれだけ私を嫌っていようと、私はあなた方のことが、ずっと変わらず愛おしい」


 彼女は心から笑っていた。天使のように。

 オーウェンは、かつての彼女の言葉を思い返す。

『だって、《天使》には、私の大好きな人たちがいるもの。偽の情報つかまされて、殆どの人は私のことを嫌っているけれど……簡単には捨てられないさ』


「な、なにを………」

「きしょくわりぃんだよ!」


 ダヴィドとドラクロワは、シモンの笑顔を見て激しく動揺する。そんな中、ゴヤは元気よく挙手。


「シモン様!ぼくは嫌ってないですはい!」

「ゴヤてめぇぇぇ」

「ひゃぁぁぁぁあドラクロワさんが怖さマックスデラックスですはい!ダヴィドさんお助け〜」

「あー、そなたたちは落ち着きというものをだな!」


 動物園よりもうるさい彼らのことを、シモンは親のような瞳で見守り、微笑んだ。カストロとアジェンデは、そんなシモンにため息をつく。いっそ切り捨てて仕舞えば良いものを、と。


『ダヴィくん、ロワちゃん、ゴヤっち。3人を【アルカンジェリ】に推薦します。誰が最初に四大幹部に昇進するかな。楽しみだよ』

『『はい!』』


 あの日、シモンに救われ、シモンを慕い、笑顔で返事をした彼らを思い出す。


「……さてと」


 シモンはそそくさと奥へ引っ込み、ワゴンを引いてやってくる。その上には、1メートル程の高さのバースデーケーキ。そして彼女は、とてもいい笑顔でこう言った。


「201歳おめでとう!アジェンデ!」

「「………………は???」」


 シモン、カストロ、プルードン以外の全員がハモる。


「「………………は?」」

「おめでとうございます、アジェンデさん」

「「…………………………は?」」

「やっぱりそういう反応になるよねぇ、うける〜」


 困惑。困惑。困惑。

 カストロはパチパチと拍手をし、プルードンは大きなバースデーケーキを観察しながら皆の反応を嘲る。


「えっ、ちょ、にひゃ?」

「な……」

「【トローニ】様、が?」

「じょーだんきついですよはい……」


 滑稽な彼らを見かねたカストロが口を開く。


「【機械化】ですよ」

「それは、その……身体を機械にできる、というのは知ってましたけど……」


 カクカクと手を動かすダヴィド。カストロに話しかけられた嬉しさを上回る困惑。

 シモンは笑いながら説明を加える。


「アジェンデはとても珍しい体質らしくてね。常時【機械化】することで寿命が延びてるんだって。脳は機械化していないらしいけれど。すごいよねぇ、それであの処理能力だよ?40歳で【トローニ】に就任してから、ずぅっと《天使》を支えてくれているレジェンドさんです!」

「ほぉんと、気味悪いよねぇ。ババアのくせにぃ」


 プルードンの発言に反応し、眼光をギラリと向けたのはシモンとカストロ。


「「もう一度言ってみろ」」

「はいはい、さーせんでしたぁ」


 その後、シモンがバースデーソングを歌いながら紅茶を淹れ、アジェンデが扇風の機能で201本の蝋燭を一瞬で吹き消し、カストロが寸分の狂いもなく均等にケーキを切り分ける。

 オーウェン、ブラン、バクーニン、ダヴィド、ドラクロワ、ゴヤは終始困惑しながらケーキを食し、プルードンは手伝いなど一切せずに皆の様子を観察して笑っていた。


〜酔いどれナイト〜


〜テーブル席にて


「やぁやぁ、こちらの3人は《悪魔》って聞いたけど、本当?」


 オーウェン、ブラン、バクーニンの3人が座る円テーブルへ向かってきたのは、ゴヤ。


「そうですが、何か?」

「今回の一件で【ケルビィ】様と共に行動し、貢献したからといって……《悪魔》に対する認識が変わるなんて思うなよ、と忠告をしに。はい」

「「…………」」


 ゴヤは笑っていた。だが、目は笑っていなかった。

 3人の飲み物に、無言で角砂糖を入れていく。ちゃぷん、ちゃぷん、ちゃぷん。

 ブランはカチンコチンに固まりながら口を開く。


「き、期待してすらいませんよ。今回は、自分達の上司の奪還のため、随行しただけです」

「ふぅーん。へぇー。でもさ、ぼくたち《天使》が、どれだけの業績を積めばこういう重要任務を任せてもらえるか知ってる?ダヴィドさんやドラクロワさんの苦労とか、さ。知らないよね、はい。それを、君らは危険人物のくせに勢いだけで来て、ちゃっかり活躍しちゃうんだもんなー。カストロ様から、直接謝礼をもらっちゃうんだもんなー」


 人懐っこい笑みの裏の、ドス黒いなにか。

 ブランとバクーニンは冷や汗を流す。

 先程までの会話の様子を見て、ダヴィドやドラクロワよりはマシかと思っていた認識を改める。

 ブランは、もしかして、一番ヤバいタイプかも……と危惧する。


「罪人である君らがのうのうと生きていられるなんて……ましてやぼくたちと同じ空気を吸うなんて……随分と愉快な夢っすねぇ、はい」


 そして、ゴヤはカップから溢れんばかりの角砂糖をボールペンでグジュグジュと混ぜ、ついでにインクを直接流し込む。紅い色が、黒く侵食されていく。


「……それ、シモンが淹れた紅茶、なんですが」


 オーウェンはギリギリ殺気を隠して、しかし冷たい声で言う。


「おおっと、こりゃ悪いことをした、はい。あのひとも落ちぶれましたねぇ、まさかドブネコにこんな高級茶葉を使うほど頭がイカれてしまうだなんて……そうは思わないっすか?思うよな、はい」


 バクーニンはゴヤの様子を見つめ、警戒。

 オーウェンは俯いたまま席を立つ。

 ブランは嫌な予感を察知。スススス、と座ったままバクーニンの近くに移動。


「ゴヤだかゴーヤチャンプルーだか知りませんが、俺たちの上司をバカにするのはやめていただけますか」

「ちょっオーウェン!?」


 ブランは、またコイツは……!とビビり、バクーニンはワンテンポ遅れて吹き出す。

 ゴヤはぱちくりと瞬きした後、俯いて震える。


「………………ぷっ、ふふっははははは!ヒィーーー!それゴヤとゴーヤをかけてる?アッヒィーーー!!」

「ええ??」


 てっきり怒らせたと思っていたブランは芸人顔負けにズッコケる。


「君さいこうっすね!いやぁ、若者はそうこなくっちゃ!あのシモン様が直々に指導してるだけありますなぁはい!先輩として察しちゃったっすはい!」

「先輩……?」

「ぼく……っていうか、ぼくとダヴィドさんとドラクロワさん、3人ともシモン様の元部下なんすわ」

「え」


 ゴヤは笑いすぎて涙が出ている。


「えーっと、シモン様が確か16歳くらいで、四大幹部【ドミナツォーニ】だった時……ぼくら3人とも、あのひとのもとで訓練されたんですはい。そんで、シモン様の推薦で、3人ともヒラ天使から【アルカンジェリ】に昇進!ちなみにこの時期にカストロ様に初めて会って、ダヴィドさんとドラクロワさんは心酔しちゃったんですはい!そんでその後ダヴィドさんは、四大幹部【プリンチパーティ】になったんですはい!」

「シモンのやつ、16で四大幹部って……」

「あいつらしいな。相場は30歳以上のはずだ」

「そ、そうなのか」


 もはや恒例のように呆れる二人と、まだついていけないバクーニン。


「あのひとの仕事量はそりゃあもうハンパねーなカムパネルラって感じで!とても16歳とは思えなかったっすはい!」


 興奮した様子のゴヤは、ひとつ呼吸を置く。


「……ホントは、ダヴィドさんもドラクロワさんも、シモン様のこと嫌ってるはずなんかないんです、はい。でも、尊敬していた分、あのひとが失敗したってのを受け入れられなくて。あんな態度になっちゃってるんすよ、はい。かくいう俺も、あの時は失望したっす、はい」

「「…………」」


 あいつは失敗なんてしてねェよ。

 そう言いたそうなオーウェンを、ブランは横目で見つめる。バクーニンは、自分たちのせいでシモンが不当な評価を受けていると、改めて認識し、言葉が出ない。

 ゴヤは辛気臭い空気を察知し、ぴょこんと気を取り直す。


「あっはは!せっかくの宴なんだから酒でも飲みますか、はい!あっ、ぼくたちが《天使》に入った事情なんすけど、これがなかなかドラマチックでぇ〜ドラクロワさんなんか傑作…」

「ゴヤぁぁぁぁぁあ!!なに《悪魔》と口聞いてんだノーミソ腐ってんのか!!」

「うっひゃえい!ドラクロワさんに見つかったっすやばいっす三枚おろしっすはい!あっ、ゴーヤチャンプルーのほうがいいですねはい!」


 ゴヤはワイングラスを運びながらドラクロワから逃げ、オーウェンの方を見てウィンクをした。


「……あ、はい。ソウデスネ、ゴヤ様」

「あのネタ使いまわされるんじゃない?」

「……」


 3人はゴヤとドラクロワの攻防戦を尻目に、さっさと悪魔のような色の紅茶を廃棄した。


〜カウンター席にて


 アジェンデ、カストロ、シモンは3人並んでカウンター席に座る。

 シモンは嬉々として隣のカストロに話しかけた。


「3人で話すのも久しぶりだね」

「……そうですね」

「あら、カロちゃんご機嫌斜め?」

「原因はわかっているでしょう」

「まぁね」


 カストロは自分の握力でヒビ割れたグラスを傾ける。


「…………あなたが侮辱されている光景は、やはりこたえます」

「……そっか」

「あなたは僕の唯一なんですから」

「……はぁ〜〜……その言葉を使って何人落とせるだろうねぇ。カロちゃん、なんで恋人作らないの?」

「想い人ならいますよ」

「ウェ!?だっ、だれだれ!?」

「サン・シモンです」

「……ひとを揶揄うのはよくないぜ、カストロさん」

「…………」


 カストロは不機嫌極まりないと言わんばかりに眉を吊り上げ、アルコール度数の強い酒をグイと流し込む。


「……シモン」

「はい?」


 そして、ダンッッとグラスをカウンターにおろす。また新たなヒビが入った。


「あなたがいなくなったせいで僕たちがどれだけ害を被ったかわかりますか?《天使》の人事はあなたが一手に担っていたではないですか!僕やアジェンデさんに、人の感情がわかると思いますか!?最適な人事異動ができるとお思いですか!?僕はあなたのように、わざわざ他人の事情を推しはかろうとも思わない人間です!反感を買わずに動くことなどできないんです!!」

「そういうところも好きだよ」

「どうもありがとうございます!加えて本来そのあたりを担ってもらうはずだった【セラフィ】が、あの悪だくみしかしないガキです!!」

「ふふっ」

「何を笑っているんです!?あのようなガキさえいなければ、今頃、僕はあなたと、あなたと一緒の職場に……!!」

「……そうね。でもさ、ドン坊も変わると思うよ」

「何を根拠に……!」

「わかるさ。多分、そう遠くないうちに」

「またあなたの頼りにならない勘ですか。もう聞き飽きました」

「ふふっ、カロちゃん顔真っ赤じゃん。可愛いなぁ」

「息をするように口説かないでください……」


 カストロはそのままカウンターに額をつく。

 シモンはカストロの手を取り、そっと手のひらにキスをする。カストロは無言でその手を振り払う。


「……よし、デンデン!カロちゃんがべろんべろんになるまでお酒飲ませようよ!」

「一人でやれ」

「えー、ノリ悪いなぁもう。あっ、ドン坊と仲良くなるべく、3人で旅行とか行くんだよ?ちゃんと親睦深めるんだよ?デンデンからみたら赤ちゃんみたいなもんでしょう?あの子も素直じゃないとこあるけど、かわいいから。ちゃんと向き合ってあげてよね」

「それは命令か?」

「まさか。管轄係が三大天使様に命令なんて以ての外。ただの友人としての頼み事だよ」

「……まだ、友人だと思っているのだな」

「うん。ずっと思っているよ」

「…そうか。お前はブレない。そこは気に入っている」

「あれぇ、おっかしいなぁ。デンデンもお酒入ってるの?私にやさしいなんて」

「私は酒など飲めん。この身体では」

「知ってるよ。オリーブオイルでも持って来ればよかったかしらね、はは。うーん、じゃあ雰囲気で酔ってるってこと?まぁいいや。ありがとう、アジェンデ」

「……」


 目の前の少女は、古びた化石のような自分に、不気味な自分に、さも自然と礼を言う。歳の差も立場も気にせず、話しかけてくる。初対面の時から、ずっと。


「シモン。今日、このメンバーを集めた本当の目的はなんだ」

「……私の願望と、少しの予感かな」

「……」

「一番は、私自身がみんなに会って楽しみたかったからだけれど……ダヴィドたちとオーウェンたちが出会ったら、どんな化学反応が起こるのか、気になってさ」

「…そうか。やはり私には解らん」

「それでいいんだよ。デンデンはずっと格好いいよ。私には無いものを持っている」

「そのまま返す」


 シモンは笑ったまま、椅子から降りてある人物を探す。


「あっ、ぼっちのドン坊!こっちおいで」

「えぇ?ちょっ、なに引っ張んないで!つかぼっちじゃないしぃ!」


 隅で人間観察に勤しむプルードンを、シモンは引っ張っていく。姉弟のようだ、と思ったアジェンデは、改めてシモンの力を恐ろしいと思った。同時に、使い方を間違えずにここまできたことに、感謝した。


「……カストロ」

「…………」

「酔い潰れたか」


 アジェンデは自分の上着をカストロに羽織らせる。

 カストロもまた、畏怖され遠ざけられていた自分を真っ直ぐに尊敬し、ついてきてくれた大切な部下だ。

 家族も、友人も、かつて恋心を抱いた相手も、はるか昔に死んでいる。その後何十年も死なない身体を、《天使》のためだけに使うと決め、彼女は年を重ねるにつれ人間らしいものをほとんど捨てた。


 サン・シモンとフィデル・カストロ。

 アジェンデが見てきた中でも群を抜く優秀さと、それだけでは終わらない何かを秘めた特別な存在。《天使》にとっても、アジェンデ自身にとっても。だからこそ彼女は、2人のことを孫のように大切にしてきた。機械的であるが故に、そのヤサシサは周囲からは分からないが、シモンとカストロはきちんと認識している。

 伝説の世代は、そのようにして形作られていた。そして、今も。


「……アジェンデさん」

「なんだ、起きたか」

「すみません……いつも」

「気負うことは許さん」

「……そうですね」


 2人は改めてグラスを交わし、今ひとときだけは肩の力を抜いた。自分達を変えたかつての【セラフィ】に、想いを馳せながら。


〜部屋の隅にて


「ちょっと、なんなのさ!」

「おーい、バクちゃん」

「!」


 シモンはプルードンの手を引っ張りながら、オーウェン、ブラン、バクーニンが座るテーブルへ手を振り、バクーニンを呼び出す。


「は、はい。なんで、しょうか」

「ははっ、やっぱりドン坊がいると緊張しちゃうんだね。はい、2人で話しておいで」

「「え」」


 プルードンとバクーニンは、パーテーションの裏へ押し込まれる。

 

「……ほぉんと、あいつお節介だよねぇ」

「シモン、ですか」

「そ。オレとお前に変なあだ名つけるし。あとさぁ、あそこの四大幹部のオッサンとその部下2人にさえ、俺たちが黒幕だってこと隠し通すんだって。お節介以外の何者でもないじゃん」

「……俺は、プルードン様の処刑現場なんて、死んでも見たくなかったから。そこは、サン・シモンに感謝します」

「……言っとくけど、オレはお前に特別な思い入れなんて無いから。お前バカだし要領悪いけど、腕っ節だけは強かったし。裏切りなんてできるほど器用じゃないし、便利だなって思っただけで」

「知ってます」


 真顔で食い気味に即答するバクーニン。プルードンは、そういうとこだよ、とため息をつく。


「それでも、誰にも必要とされなかった俺にとっては、その……嬉しかったんです」

「……」

「これからも……ど、どうにかして、お役に立てるよう、えっと、がんばります」


 謎の達成感と共に姿勢を正すバクーニン。プルードンは、小学生男子の感想か、と心の中でツッコむ。

 《天使》のNo.1と、《悪魔》の新入り。随分と離れたものだと、ある種の乾いた笑いを浮かべる。


「……ほんと、月並みな表現しか使えないよね、お前はさ。いい大人のくせに」

「す、すいません!」

「…まぁ、そんなだからラクだったんだけどね、お前とつるむの。打算する必要すらないから」

「……」


 プルードンは、オレンジジュースの入ったグラスを差し出す。バクーニンは慌ててテーブルの上のワインを持ち、両手で差し出す。そのぎこちなさに、慣れてなさすぎ、と笑ったプルードンは、キーン、と綺麗な音を響かせ、グラスを交わした。


「…オレがいなくても、ちゃんとやんなよ、バク」

「は、はい!」


〜酔いどれナイト おまけ〜


〜再びテーブル席にて


「オーウェンくん〜、元《天使》ってマジすかぁ?……あぁ〜もしかして二年前とかに話題になってたイケメンエリートくんっすか?ちょっとぼくと一緒にイイコトしませぇん?しますよねぇ、はい」

「うわ何この人気持ち悪……」


 ゴヤがオーウェンの右手を掴み、壁に押し付けている。いわゆる、壁ドンである。なぜこのような体勢になっているのか。なぜオーウェンが排泄物を見るような目をしているのか。


「オーウェン!オブラートに包もうよ!!その人泥酔してるけど【アルカンジェリ】だよ!?」

「俺も元【アルカンジェリ】だっつの」


 そしてなぜブランが大慌てなのか。それはべろんべろんに酔っているゴヤが調子に乗っているからである。近距離で二十歳の男の子の顔面を観察し、ヘラヘラと笑って歯の浮くような美辞麗句を並べている。酒によって生み出されたカオス。


「いいっすよぉ、無礼講っすよぉ、はぁい。いやぁ、オーウェンくんキレーな顔してますわぁ、絶対モテるっしょ。ぼくだったら絶対ナンパしますわ〜、はい」

「無礼講?んじゃ遠慮なく」


 氷河よりも冷めた視線のオーウェンが、ゴヤに腹パンをくらわせようとしたその時。


「イダッッ!?」

「ゴヤ様は酔うと誰彼構わず口説くの、変わらないですね。うちのオーウェンは渡しませんから」

「いっててて、誰彼構わずじゃないっすよ〜ちゃんと選んでますよ〜、はい」

「オーウェンを口説くあたり、見る目はありますがね」


 ゴヤの背中を思いっきりはたいたのは、シモンである。


「じゃあブランくん、一緒に遊びませぇん?」

「ヒッ」

「だぁから、私の部下に手を出さないでくださいよ」


 シモンは、ブランとゴヤの間の壁にガンッッと片足をついて牽制。


「くぅ〜シモン様相変わらずカッコいいっす〜。今だけでいいんで前みたいに喋ってくださぁい蔑んでくださぁい!ついでに付き合ってくださぁい!」

「言い方がちょっとアレだけど……遠慮なく喋っていいのね?ゴヤっち」

「その呼び方懐かしいですはい!」

「ところで、他の2人は?」

「あっちで酔ってますよぉ、はい。きっと明日の朝になりゃ記憶ないんで」

「ははっ、お前もだろ調子乗んな、ウザ絡みの権化」

「きゃー、痺れる〜」

「わざとらしいな、マイナス100点」

「手厳しいですねぇ、はぁい」


 男子高校生のようなノリで話す2人。


「……ねぇシモン、ゴヤ様とどんな感じで知り合ったの?」

「えっとね」

「それはぼくが説明しまっす〜はい」


 ブランの問いに答えようとしたシモンを遮り、ゴヤは元気に挙手。ちなみにオーウェンは興味なさそうにしながらも一応聞いている。


「あー、ぼくはまぁ、途中まで平凡だったんだけど……恋愛関係で昼ドラ顔負けのゴタゴタがあって、その時ちょうど両親も離婚して祖父母が死去して愛犬も死去して家が火事になって……人生おじゃんだと思ってた時期に道端でシモン様と出会って」

「道端……」

「そう、それで……口説いたんですわ、はい」

「恋愛関係でゴタゴタがあったって言ってませんでした!?」


 思わずブランがツッコむと、シモンは膝を叩いて笑う。


「あっはは!懲りないよねぇ、まぁ実際、空元気だったんだと思うけど……んで私と一緒にいたカストロに蹴り倒されて、それでも起き上がってきたもんだから根性あるなぁと思って。そしたらギフト持ちっぽかったからそのまま《天使》に連行した」

「どんな出会いだよ……」


 オーウェンは二杯目のワインを飲みながら呟く。

 シモンは懐かしみながらウンウンと頷き、ピシッと挙手。


「その時のカストロのマネ、いきます」

「どうぞシモン様!」

「『こんな軽薄ナンパ野郎のドM変態を《天使》に入れると…?正気ですか?』」

「うわぁ、シモン様めっちゃ似てるじゃないですかぁ、はい!」


 なんだかんだで盛り上がっているシモンとゴヤ。

 その時、カウンター席に近い方のテーブル席から、なにやらうめき声が聞こえた。


「うわぁぁぁあ……カストロ様ぁ、かっこよすぎて死にそうですぅ〜私一生ついていきますぅ〜」

「カストロ様は今日も麗しい……」

「なんであんなに美しいんですか?有能すぎませんか?指示に無駄がなさすぎなんですよ。は?わかりません」

「やめたまえ、考えることすら愚行だぞドラクロワ……」

「それもそうですねダヴィドさん…同じ空気を吸っている奇跡に感謝します」

「賢明だ」


 すっかり出来上がった様子のドラクロワとダヴィドである。

 オーウェンはブランの隣でワインをちびちび飲みながら、率直な感想を述べる。


「ああいう変態どもに絡まれて、カストロも諸共に死ねばいいのにな」

「お前なんで【ケルビィ】様に当たりキツイわけ?珍しく爽やかな笑顔で毒吐くのやめなよ。お酒コワ。敵が増えて俺まで危険になるよ……ってかお前も酔ってるでしょ」

「酔ってねぇ」

「酔ってる人の常套句。ねぇシモン。オーウェンのご機嫌とってやってよ、コイツ拗ねてるから」

「違ぇし……」


 シモンは面白そうな気配を察知しグルンと振り返る。

 そこには、珍しくボソボソ喋るオーウェンと、反撃のチャンスだと言わんばかりにからかうブランが。


「なんですってオーウェンが酔ってる!?これはイジらなくては……!」

「それは義務なの?」

「イケメンが酔ったらあんなことやこんなことをして写真におさめて翌朝見せつけてからかうのは国民の義務だろ!!」

「何を熱弁しちゃってんの?」

「私はカロちゃんの赤面やダヴィくんandロワちゃんの弱みやゴヤっちの押せ押せモードやドン坊のデレや緊張してるバクちゃんやオーウェンの無防備な姿やブランの酔っ払った様子を動画におさめるために生きているんだよ!!」

「生きがい軽くない?」

「ちなみにさっき助けに入る前にちゃんと写真に撮ったから」

「何を??」

「え?ゴヤっちがオーウェンを壁にドーンしちゃってるとこだけど?そしてブランがゴヤっちに絡まれて困惑してる姿だけど?」

「さも当然のような顔をしおって……」

「よし、次はブランの番だよ。酔っ払ってね」

「その流れで大人しく酒を飲むと思うの??」

「わかったよ。諦めるよ。あ、こっちが水です」

「引っかかんないよそんな典型的な誘導には!」


 ブランはシモンが差し出した方のグラスをはねのけ、もう一方のグラスを飲み干す。


「……ってこっちがお酒かい!!」

「騙されてやーんの!ちなみにどっちも酒です!よっ、ナイスノリツッコミ!!ちょっと前まで引きこもりだなんて誰も思わないゾ〜!!」

「バカにしてんの!?ああああうるっさ!しかもこのお酒キッツ!お前いつも思ってたけどうるっさいよね!!」

「なーるほど、ブランくんは酔うと大声になるタイプですかぁ。ごめんねぇ、今日ほんとはフーリエも呼ぼうと思ってたんだけど、さすがに自分を処刑しようとしてた人たちと一緒にお酒飲むとかアレだよねって思って。ブランがフーリエに床ドンする写真はまた今度にするね」

「撮らせないよ!!てか撮れないよそんな写真!!」

「まっかせなさいな!私がいいタイミングでブランの背中を突き飛ばせば済む話さ!!」

「済まないよいろいろなことが!!」


 オーウェンは2人の大声に頭痛がしてきたため、そろそろ口を出す。


「お前らいい加減黙れ」

「あらぁ、オーウェンも混ざりたいならそう言えばいいのに」

「いやそんなことは一言もいってな……ああああ!シモンやめろ!!」


 シモンは神速でオーウェンに猫耳カチューシャをつけると、シュバッと写真を撮る。


「ほほう、遅めの思春期かな。可愛いよ〜オーウェンくん。いつも可愛いけどね」

「やっめろって言ってんだよザケんな!消せ!今すぐ消せ!!」

「オーウェン似合ってたぞ〜」

「ブランテメェ表出ろ!!」


 夜は更けていく。

 普段は仕事を速やかにこなし、部下から憧れの視線を集める者たちの醜態をさらして……


〜三大天使 展〜


〜〜2ヶ月後


「あのぉ、オレたちどこに向かってるわけぇ?」

「任務地の下見だ。気を抜くな」


 気怠そうに歩く少年と、糸でつられているように歩く女性。


「……はぁ〜い」


 少年……プルードンは、ため息混じりに返事をする。

 女性……アジェンデは、視線すら与えずに歩く。

 プルードンは、やはりこの女は苦手だと感じていた。彼の性分からして、何かしらの反応を楽しむことができない相手は、彼に究極の退屈を与えていた。


「……言っとくけぇどぉ、オレ《天使》のこと嫌いだよぉ?」

「そうか」


 切り崩そうとするが崩れない。


「……そうか、って…きみはさぁ、オレとは違って、《天使》によっぽど思い入れがあるんでしょお?そんな身体になって、何十年も大変な仕事こなして、趣味悪いってか理解不能だよねぇ」

「……」

「…ムカついたりしないわけぇ?ホントに意思あんのぉ?オレのことどう思ってんのぉ?」

「【セラフィ】」

「…そうじゃなくてさぁ、無駄口を叩くうるさいやつだなぁとか、さすがに思うでしょ」

「貴様は有能であり、然るべき仕事をしている。人の機微を読む能力は、私やカストロには無いものであり必要。クーデターを起こそうとしたことは許さんが、過去のことだ。貴様が何を思っていようと、《天使》の存続に支障が無ければそれで…」

「……?」


 アジェンデは途中で言葉をきった。

 彼女は言葉を言い終えるまで滞ることなど無い。故に、プルードンは不審がって彼女の方を向く……


「!」

「え」


 突如鳴り響く銃声。

 アジェンデはプルードンの腕を引き、自らの右腕で庇う。銃弾はアジェンデの腕に弾かれ、近くの道路標識を貫いた。


「……銃弾は2方向から」

「え……?」

「貴様は路地に入り、本部まで行け」

「えっ、ちょっと」


 アジェンデはプルードンの背中を押して路地に入れると、グッと足に力を込め、跳んだ。膝の関節部分がキュルキュルと音を立て、眼のレンズが照準を合わせると、寸分の狂いもなく、四階建てデパートの屋上にいたスナイパーの顔面に着地する。


「……っやば……」


 アジェンデは完全にのびている犯人の首を掴み、持ち上げると、右目を点灯させ、プルードンにモールス信号を送る。

 

『本部へ向かえ』


「……はいはい、きみ、やっぱりおかしいって……」


 驚異半分、安心半分で、プルードンは笑った。

 だが、すぐに違和感に気づく。

 銃弾は、『2』方向から。


「……もしかして、誘い出された?」


 プルードンがもう一度アジェンデの方をみた瞬間、


 パキィンッッ


「…………ッッ!?」


 アジェンデの頭が、首から離れて宙を舞った。


「……エ、うそ、でしょ……」


 倒れたアジェンデの身体は、屋上にぞろぞろと現れた男たちにかつがれ、プルードンの視界から消える。アジェンデに踏み倒されたスナイパーも回収されたようだ。男たちのうち一人が、向かいのビルの屋上にいた人影に手を振った。おそらく、アジェンデを撃った二人目のスナイパーだろう。


「……っ」


 プルードンの心臓が、ヒュンと縮む。

 彼は震えながら壁に手をつき、そのまま座り込む。


 誰かが路地に入ってくる靴音。

 恐らく奴らは、自分のことも探しているのだろう。

 彼はとっさにゴミ箱の影に身を潜めた。


「……あーっ、やっぱり判断ミスった。あの時【セラフィ】断っときゃよかったんだ…あの女許さねぇ……!」

「どの女よ」

「!?」


 しかし、ゴミ箱の裏をヒョッコリのぞいていたのは……サン・シモンだった。


「こんなところでどうしたの?」

「いっ、まヤバいの!隠れてよ……!!」

「えっ」


 プルードンはシモンの袖を引っ張って座らせる。

 2秒後に、大通りの方から、数人の男がやってきた。


「おい、この辺りのハズだ」

「金髪のガキだったか?」

「ああ間違いない」


「……」


 シモンは、男たちの話と、口に手を当て息を潜めるプルードンの様子を見て、状況をのみこむ。


「……なるほど、とにかく本部へ行こう。歩いて1分もかからないでしょう」

「それができたら……っ苦労しないから」

「…おいおい【セラフィ】。この程度でビビってんじゃねぇよ」

「はっっらたつ。今すぐ死んでぇ?」

「そうそう、その調子っ!」

「うぇっ??ばっ、ばか!」


 シモンはプルードンにフードを被らせ、彼の手を引いて堂々と立ち上がる。

 そしてごく自然に、路地を調べようとしていた男たちに話しかける。


「あ、あの……すみません」


 ただし、泣きそうな裏声で。


「……誰だ」

「ひゃっ、え、えっと…私たち、迷子で……あの、この近くに、緑の屋根の……えっと、『シューティ』っていうお菓子屋さんありませんか?私たちのおばあちゃんがやっているんです……」

「……」


 サングラスの男は不審がり、プルードンに目を留める。


「あ、この子は、私の『妹』です」

「……???」


 プルードンの胸中。お察しください。


「…お姉ちゃあん、わたしお腹減ったよぉ」


 しかし彼は0.2秒でシモンに合わせる。さすがの猫かぶりと対応の速さ。あっぱれ。

 雰囲気も声も、女の子のそれに変わる。


「そ、そうだよねぇ、ごめんね、わたしお姉ちゃんなのに……地図落としちゃうなんてぇ……」

「だからおばあちゃんに迎えにきてもらえばよかったんだよぅ、お姉ちゃんが意地張って、自分たちで行ける、とか言うからぁあ〜…うわぁぁ」

「ごめん!ごめんねぇルーちゃん、泣かないで?ほら、クッキー持ってるから……」

「……」


 男たちは顔を見合わせ、さすがに拘束しなくてもいいだろうと判断し、行かせようとした。だが。


「待て。後ろのお前。フードを取れ」

「!」


 右腕に刺青のある、黒い帽子を被った男がプルードンの手を掴む。

 プルードンはマズイ、と立ち止まる。しかし。


「キャーーーーーちかん!?ちかんですか!?都会の男の人はみんな怖いって聞きましたぁ!!!うわぁぁぁあんやだよぉ勘弁してくださいわたしが代わりになりますぅぅ」

「なっ。い、いいからもう行け!」

「うゎぁぁあ怖いよ、おばあちゃぁぁあん!!」


 シモンは大声で騒ぎ立てる。

 刺青の男は、変な騒ぎになっては困ると思い、プルードンから手を離すと、急いで2人を行かせた。


〜〜


 無事に《天使》本部に入り扉を閉めると、プルードンは吐き気をもよおす。


「………………オエーーーー、二度とあんな演技付き合わないからねぇ!?」


 シモンは震えながら笑いを堪える。


「かわいいなぁお前……ノリノリだったじゃん……おもしろー、マジで……くっふっふふ」

「博打すぎでしょ!!問答無用で拘束されたらどうしてたのさ!!」

「いいや、それは無いよ」

「なんでぇ!?」

「【意思疎通】使ったから、ある程度の問答はできるさ。不意打ちでない限りは」

「へ……」

「あなたも、まだまだ青いな、【セラフィ】くん」

「………………はッッッッら立つ」

「あははは!正義のヒーローサイドも楽じゃないってことよ。これからの成長が楽しみだね」


 シモンはプルードンの頭を撫で、プルードンはその手を払い除ける。もはや恒例と化したが、プルードンは深呼吸をして安堵した。


「……って違う。アジェンデ・ゴッセンが!」

「アジェンデさんがどうかしたのですか?」

「「!」」


 二人に声をかけたのは、会議終わりのカストロだった。その後からも、人が歩いてくる。

 シモンはすぐにモードを切り替え、プルードンから離れて胸に手を当て頭を下げる。


「……アジェンデが銃で撃たれた。コレ、相当マズイでしょ。早くアイツらの根城探し出して叩かないと」

「あの、【トローニ】様が……?」


 プルードンは、2人にだけ聞こえる小声で話した。

 シモンは驚愕し、言葉が途切れる。


「いいえ、おかしいです」

「へ?」


 しかし、カストロは冷静だった。


「アジェンデさんはわざと捕まったと考えられるでしょう」

「は?く、首飛んでたけど!?」

「演技です。どうせわざと連結部分を外しただけです。撃たれたと見せかけるために、弾速、距離、弾道くらい、予測できますよ、あの御人は」

「コワ……じゃあわざと捕まったフリして中から叩く、ってことぉ?」

「ええ。30分後には敵を壊滅させ、執務室に戻っているでしょう」

「オレの心配を返せ……」


 プルードンはうなだれ、気力を失う。

 カストロは執務に戻ろうとするが、考え込んでいるシモンに気づく。


「どうしたのですか」

「……今回ばかりは、マズイかもしれません」

「……どういうことです」

「私は4人しか目撃していませんが……そのうちの1人が『獅子』の紋章を帽子につけていまして」

「それは……アジェンデが30年前に潰した団体の、残党、ということですか」

「可能性は、あります」


 2人は真剣な眼差しで沈黙する。


「……ああ〜、あの刺青いれてた人かぁ。って、なにそれヤバい話ぃ?」


 プルードンは首を傾げて腕を組む。


「歴代でも上位に入る厄介な案件だったようです。あのアジェンデさんが、数人の逃亡を許したくらいですから」

「その数人が、30年もかけて仲間を集めて復讐しに来た、ってことぉ?ご苦労なことだねぇ」


 カストロはエントランスの電話をかける。


「…【プリンチパーティ】ですか。ええ、早急に調べてほしい案件が…情報を掴み次第、私に連絡を」


 電話の奥で、ダヴィドが歓喜し『全身全霊で調べます!』と返事をしたのを聞いて、カストロは電話を切る。

 シモンは、2人に一礼をした。


「【セラフィ】様、【ケルビィ】様。どうかお気をつけて。いってらっしゃいませ」

「「…………」」


 自分は同行できないと、わかっていたから。


「……ご苦労。下がりなさい」


 カストロはシモンに背を向け、プルードンと共に去った。


〜〜某所にて


 シモンの予想は的中していた。

 30年前、アジェンデが壊滅に追い込んだ悪質商法の団体は、今や、悪質な宗教団体とヤクザが合併した一大組織となっていた。《天使》本部から50キロ離れた高山の斜面に、地上五階、地下二階の建物を建設し、《天使》を乗っ取ってやろうと画策する者たちが集まっていた。


「ははっ、あの【トローニ】が俺のスナイプで首吹っ飛ばしてやんの!」

「オレが囮になってやったからだろうが!」

「まぁまぁ喧嘩すんなよ」

「ギャハハ!」


 アジェンデの身体は担架に乗せられ、頭はその隣を歩くスナイパーがクルクルと弄んでいた。

 担架を持つ2人、スナイパー2人はカードキーを使って施設の5階に入る。


「ほぉんと、うまくいったぜ!」

「私を捕らえたのは愚策だがな」

「「!?」」


 カストロの予想は的中していた。

 アジェンデはカシャンと起き上がり、自分の頭で遊んでいたスナイパーの手を容赦なく折り、床に落ちる前に自分の頭を掴み、首と連結させる。


「「!!」」


 そこからは3秒も要らなかった。

 担架を持っていた2人を蹴り飛ばして壁にめり込ませ、スナイパー2人の顔面を掴んで床にめり込ませる。

 4人は声すら出なかった。

 アジェンデは、4人がそれぞれ身につけていた獅子の紋章を目にする。


「……この件は、私の過去の不始末が原因であるようだ。早急にカタをつけねば」


 アジェンデは腕をガチャンと鳴らし、左腕の内側から小型銃を取り出す。


 新たに入ってきたのは、ヤクザ50名。


 それを目にしたアジェンデは小型銃を放り投げ、腰からワイヤーを飛ばし、部屋の天井に突き刺す。

 そして軽やかに跳び上がると、両腕をそれぞれ90センチ弱の長銃に変化させ、上から人々の手足を次々に攻撃する。あっという間に床は真っ赤に染まった。肩も機械だからこそできる芸当だ。

 ワイヤーを仕舞い、血の上に降り立つ。

 まだ辛うじて意識のある男が、震える手でピストルを構えた。


「…………」


 アジェンデは両腕を互いにぶつけて壊し、中に仕込んでいたナイフを露わにする。

 そして、右手のナイフを発射して、男のピストルを手から弾き飛ばす。左手のナイフを男の顔に向けると、男は恐怖のあまり気絶した。アジェンデはナイフを仕舞う。


 彼女は窓から中庭を見下ろし、施設が不思議な形をしていることに気づく。

 外から見るとただのビルのようだが、中心に中庭があり、一階から空まで吹き抜けになっている。夜に中庭へ行けば、正方形の星空が見えるだろう。


「会いたかったぜアジェンデ・ゴッセンさまァ!!」

「!」


 響く男の声。

 どこからだ、とアジェンデが辺りを見渡すと、アジェンデの足元の大理石が動き、ガラス窓を破って彼女を施設の中心に放り出す。

 その瞬間、中庭が5メートル四方の巨大水槽に切り替わる。

 アジェンデは4階の壁にワイヤーを伸ばそうとするが、壁が開き現れたのは、これまた巨大なクレーン。

 操作主の顔は見えなかったが、クレーンはアジェンデの身体を下へ叩きつけた。アジェンデは水槽に落とされる。


「……!」


 【機械化】の弱点は、純水。

 世のほとんどの水はなんからの不純物やイオンが混じっているため、警戒の必要はない。

 だが、この水槽には不純物がほとんど含まれていなかった。加えて、地上4階からのぞくクレーンは、純水を大量に流してきた。


 アジェンデは動きづらい中でもクレーンの連結部分を正確に射撃し、車体を崩す。


「っ」


 しかし、それでも1トン程の水がアジェンデの上に降り注いだ。

 水圧に押され、深層に沈んだアジェンデ。圧力と身体の強張りにより、身動きを取ることができない。


「【トローニ】様!!」


 カストロの命令を受け、一足先に視察と捜索へ来ていたダヴィドが、2階にて、巨大水槽の中にアジェンデを見つけた。


 2階にも、30名程の男が銃火器を持って現れ、ダヴィドの前にいた部下10名が、瞬く間に命を落とす。


 アジェンデは、自分が迎撃できれば、という考えを振り捨て、『今』に集中した。


『貴様は逃亡しろ』


 なんとか右目を点滅させ、ダヴィドに信号を送る。


「しかしっ!」

『命令だ』

「っ」


 ダヴィドは部下の血だまりを見て顔を歪め、それでも銃弾が飛び交う中、走り出した。


 アジェンデは身体の機能を停止させ、意識を手放した。


〜〜《悪魔》にて


「シモン、どうした」

「……」


 書類を前に、シモンはいつものように仕事が進まないようだった。ブランは気まずそうに話しかける。


「……【トローニ】様が捕まったんだって?」

「アジェンデの強さはよく知っている。でも、今回は、ちょっとマズそうなんだよ」


 シモンはペンを握りしめ、唇を噛む。

 オーウェンはシモンの机の前に歩み寄り、ポケットに手を入れたまま、平然と言った。


「答えろ。行きたいのか、行きたくないのか」

「……は?」

「願望でいい。立場も何も気にしないとしたら、どうなんだ」


 オーウェンがあまりにも普通のトーンで問うから、シモンは何も言い返せなかった。


「……行きたいよ」


 そして、本音が漏れ出す。


「行きたいに、決まっているでしょう。私の、大切な人が危ないっていうのに、直接助けに行けないなんて………!!」


 シモンの答えを聞いたオーウェンは、黙って、右手を差し出す。


「連れて行ってやる」

「……そ、れは」

「俺は《悪魔》だ。規則?立場?知らねェよ。お前は『たまたま』俺と一緒にいただけの下っ端天使だ」

「………………」


 シモンは絶句して視線を泳がす。


「行ってきなよ、シモン。オレたち、前回【ケルビィ】の待機命令に逆らったけど、生きてるし」

「……ブランまで」

「留守番は任せて」


 ブランはグッと親指を立てた。


「そこは、オレもいく、とかだろ」

「嫌だね。二度とあんな危ないマネしないよ。心臓に悪い」


 オーウェンはブランをジト目で見るが、ブランはそっぽを向いた。


「……オーウェン」

「あ?」


 シモンは立ち上がり、オーウェンの手を取る。


「ありがとう」

「……礼なんか言うな。言い出したのは俺だろ」


 オーウェンはくるりと踵を返し、部屋の扉を開ける。

 シモンは、オーウェンの照れ隠しの仕方が少しわかってきたようで、思わず笑ってしまう。


「そうだね!いざってときは全責任をなすりつけるとするよ!」

「それはやめろ」

「ははっ」


 シモンは、ブランに手を振って、《悪魔》のみんなによろしく、と告げると、オーウェンとともに入口から外へ飛び出す。


「ん」

「え?」

「早く乗れ」

「えっと、おんぶ?私重くない?」

「さっさとしろ。それともお姫様抱っこの方がお好みか?」

「いえ、結構です」


 オーウェンはシモンをおぶると、【狂人化】を発動させた。シモンの視界を、景色がすり抜けていく。


「はぁ〜、改めてすごいねぇ、その黒い狼みたいな足。はっや!車要らなくない?」

「完全に制御できんのが、まだ足だけなんだよ。使ってる方は、一苦労どころじゃないんだがな。この色、濁ってて嫌いだ」


 瞬きをしたシモンは、オーウェンの後ろ髪を指でなぞり、言う。


「そう?私は好きだよ、黒って。他のどんな色にも負けないのに、白を混ぜたときだけ灰色になっちゃうところが」

「……その場合、俺にとっての白はお前だな」

「え?なんか言った?」

「お前の考え、訳わかんねェって言ったんだよ」

「あっそう。まぁいいけど」


 シモンはプルードンに仕掛けた盗聴器に耳を澄ませ、場所を特定してオーウェンに耳打ちする。


「任せろ」

「うん!」


〜〜某所 入口にて


「ダヴィドの情報からして、ここで間違いないでしょう」

「……」

「…なんですか、先程から黙って。いつも喧しいあなたらしくないですね。そのままでいてくれるとありがたいんですが」


 プルードンはふと歩みを止めた。


「……ねぇ、ホントは来たかったんじゃないのぉ?シモンのやつ」

「…重要な案件に、ただの【アンジェリ】は関与できません。あなたもわかっているでしょう」


 カストロは感情を捨て、淡々と答える。


「…つまんなぁいね」

「は?」

「つまらないっていってんの。《天使》のそういう、規則に縛られてる感じ。アジェンデ・ゴッセンも、きみも、つまんなぁい」

「チッ、どうとでも言いなさい。それにしても、あなたがシモンのことを気にかけるなんて、どういう風の吹き回しです?」

「別にぃ。お可哀想だなぁ、ザマァ、って思ってただけぇ」

「……」


 2人は絶えずバチバチと電気を走らせ、睨み合いながら奥へと進んだ。


〜三大天使 破〜


〜〜某所にて


 入り口に降り立ったシモンとオーウェン。


「送ってくれてありがとう。オーウェンは、戻って」

「は?俺も…」

「ダメだよ。前回は少数だったからあやふやにできたけど、今回は大人数が動員される。偏見はまだ根強いんだ。《悪魔》だと知れたら、どんな目に遭わされるか知れない。私に、オーウェンが傷つく姿を見せないで」

「……じゃあ、お前も絶対、傷つくなよ」


 オーウェンは、シモンの右手を掴み、腕をまくる。あらわになる、【狂人化】の傷跡。


「…俺が言えたセリフじゃねェけど……信じるからな」

「…………うん」


 シモンは笑って手を振り、階段を上がっていった。


「……なんてな」


 オーウェンは、しれっと、当然のようにシモンの後を追いかけた。先程までの会話はなんだったのか、と言いたくなる裏切り様である。


「俺がお前を残して引き下がる訳ねェだろーが、バーカ」


 こうしてオーウェンは、シモンにも、他の《天使》及び敵団体にもバレずにシモンを守るという最難関のミッションに取り組んだのであった。シモンがのぼっていった階段に足をかけ……


「きぃええええええい」

「っは……?」


 その矢先、誰かが奇声を上げながら飛び蹴りをしてきた。

 オーウェンは、流石の反射神経でそれを避け、人影はクルンと一回転して壁を蹴ると、床に着地。


「……誰かと思ったら…」

「やぁやぁ、オーウェンくんじゃないですか、はい。なぁにしてたんですかこんなところで」

「蹴りかかってきて言うことですか」

「だって、フツー敵だと思いますわ、はい」


 そう、ゴヤである。

 オーウェンは嘔吐直後のような顔をして警戒する。

 厄介な人物に見つかってしまった。

 オーウェンはさっさと逃げようとするが。


「あー、退がってたほうが身のためですわ、はい」

「はっ?」


 オーウェンが踏み出した数センチ先が、パキパキと氷に覆われていく。


「……これは」

「ドラクロワさんの【冷結】っすよ、はい。だいぶお怒りのようで、こんなところまで床凍らせちゃってますね、はい」


 なかなかだだっ広いエントランスの反対側にいたドラクロワは、大人数の男に囲まれていた。その金色の眼光で標的を定めると、氷で敵の退路を断ち、距離を詰めて仕留める。一発の蹴りから氷が連鎖し、一気に10人程が氷漬けにされる。


「……すっげ」


 素直に感嘆するオーウェン。


『ドラクロワさんは、見た目が変とか言われて幼い頃からイジメの対象になってて、その反発でグレて、ヤンキーだか暴走族まがいのことしてたらマフィアやらの抗争に巻き込まれちゃって。ナントカ組の幹部的な役職になってたんだけど、ちょうどその組を潰す任務についたアジェンデ様が、補佐役にシモン様を指名して、その時シモン様に助け出してもらったらしいですわ、はい』


 酔っ払ったゴヤから聞き出した話を思い返す。


 ひとしきり敵を殴ったドラクロワは、ゴヤの方へ歩いてくる。


「なんですかその男。確か《悪魔》でしょう。なぜここに。邪魔です」

「でもさぁ、ドラクロワさん。彼にかまってるヒマないじゃないですか、はい」


 ドラクロワはオーウェンににじり寄り、ジロジロと睨みつける。


「ほらほら、ダヴィドさんは時間にうるさいんで。ちゃっちゃと片付けて合流しないとですよ、はい」

「無論です。ゴヤもさっさと【ギフト】使ってブチ殺しなさい」

「はいはい。っていや、殺すのはマズイっしょ。半殺し……いや、9割殺しくらい許されますかね、はい」


 ゴヤは右手の人差し指で小さな輪を描き、こちらに向かってくる3人を見据えた。


「_______バァン」


 すると、男3人の腹に円い火が灯り、瞬く間に全身へ広がり丸焼きとなって倒れる。


「まぁ、火は嫌いなんですけど……使うたびに、人生のドン底思い出さにゃならんので、はい」


 彼の脳裏には炎がある。

 あの日、家族を亡くした後、家を焼き尽くした炎が。


「……カッケェな。【発火】ですか。変態のくせに」

「心外ですよオーウェンくん、はい。まぁ遠距離型なんで、ぼく接近戦ゲキヨワなんですけどね、はい」


 その時、ゴヤの背後にハンマーを振りかざす人影が。


「!」


 だが、その男は、『空気』に殴られたように勝手に倒れた。


「あ、ダヴィドさん」


 ゴヤは笑顔で手を振る。


「遅い」


 どこからともなく現れたのは、ダヴィドであった。

 彼はすぐにオーウェンを見つける。


「……!そなた、なぜここにいる!!」

「……」


 オーウェンの瞳は、かつてないほどの動揺を宿し、直後強い憎しみが宿る。


「……やはり、覚えていないんですか」

「なに?」


 彼は胸に手を当て、《天使》の様式で礼をした。


「ロバート・オーウェン。元【アルカンジェリ】。あんたの推薦で、四大幹部【ポデスターディ】になるハズだったんですけど……!」

「「!?」」


 ドラクロワとゴヤは耳を疑う。


「本当、ですか」

「あ、ああ〜、そういえば2年前、今度紹介したい後輩がいるって、言ってました、ね……はい」


 ダヴィドは難しい顔をした後、オーウェンに向き直る。


「……そなたのことなど、忘れてやった。私が【ヴィルトゥーディ】になるはずだった機会を奪ったのも、そなたのイルネス発現ではないか!」

「知りませんよそんなこと!!」


 オーウェンの【狂人化】は、未曾有の事態だった。

 すでにギフトを持ち、《天使》の一員となっていたにもかかわらず、SS級イルネスを発現したオーウェン。

 当時ダヴィドは彼を気に入り、直属の部下としていた。

 故に、【狂人化】発覚の際、一ヶ月の謹慎と昇進停止をくらったのもダヴィドであった。


「先のクーデターの一件でも……カストロ様に取り入って、手柄を立てたつもりか。私への当てつけだったのだな!!」

「だからそんなこと考えてねぇって言ってんだろ!!つかこの前の宴会から思ってたけどカストロカストロウルセェんだよアンタら!!!シモンを侮辱しやがったくせに!!!」

「《悪魔》の分際で…!口を慎みなさい!!!」


 ついにオーウェンは敬語を捨てて噛み付く様に怒鳴る。ドラクロワはその言葉に反応して青筋を立て、オーウェンの襟を掴んで殴りかかる。接近戦が得意な3人の乱闘が始まってしまった。


「あーあ、完全に3人ともブチギレちゃってますね、はい」


 ゴヤはやれやれと言ったふうに肩をすくめた。


〜〜某所 3階にて


 カストロとプルードンは、爆弾やナイフを持った男たちに囲まれていた。


「クッソ、いいなぁシモンのやつ!こんな大変なとこ来なくてさぁ!!」

「無駄口を叩くのは後にしなさい!」


 カストロは黒手袋をはめ、【無重力化】で次々に敵を吹っ飛ばしていく。

 プルードンはスタンガンと小型ナイフで応戦するが、敵が多すぎるため圧される。


 人の壁によりカストロと分断され、飛んできたナイフがプルードンの右腕に深々と突き刺さる。


「ぐっ」

「プルードン!!」


 しかし、ナイフは腕をすり抜けて、落ちた。


「……??」


 カストロは目を疑うが、すぐに戦闘へ戻る。


「…なるほど」


 対してプルードンは、静かにほくそ笑んでいた。


「オレが初めて【液状化】したのは、サン・シモンを憎んだ時。バクを殺されたと思ったから。そして……」


 ギュルンと、腕が液体となる。


「無意識に制御できたのは、バクのことを考えてたから、だったんだ。へぇ、なんか腹立つ」


 プルードンのイルネス制御訓練は、【液状化】がB級ランクであることに加え、彼自身のセンスが高かったことにより、一瞬で終わった。


 ________【液状化】


 プルードンは両腕や顔や腹を液状化させ、すべての攻撃をすり抜ける。

 その隙にカストロが大半を気絶させ、残るは1人となった。


「ま、待った!君さ、俺たちと一緒に《天使》乗っ取ろうよ!」

「……《天使》を?」


 男はプルードンを見つめ、引き攣った笑みで提案する。最後の悪あがきだが、プルードンは、『ワルイ顔』をしてニタリと笑う。


「その方が楽しそうだねぇ」

「なっ……」


 プルードンは一歩ずつ、彼に近づいた。

 カストロは、彼の前科と数々の発言を思い返して、まさか、と危惧する。


「…………でもオレ、自分が、初めて、ちゃんと『負けた』相手には……とりあえず従ってやることにしたんだよ」

「へ?それって、どういう……」

「確かに、《天使》なんか大ッッッッ嫌いだ……でも、オレがそこの【ケルビィ】を見捨ててきみらに味方することは、あり得ないんだよ」


 そして彼は初めて、カストロの前で、素直に笑った。


「オレは、【セラフィ】なんだからさ」

「!!!」


『ドン坊も変わると思うよ』

『何を根拠に……!』

『わかるさ。多分、そう遠くないうちに』


「……あなたの勘は、当たる時は当たるんですね」


 カストロは、その男の首を掴み放り投げると、プルードンへ近づいた。


「ところで、ソレはなんですか」

「オレさぁ、ギフト無いと思ってたんだけど、この前発現したんだぁ。これで文句ないっしょ」

「そうですか。文句は他の部分について山ほど、いえ山よりもはるかにありますが、まぁよしとします。僕の足手まといにならぬよう、使ってください」

「はいはぁい。わぁかってるってのぉ」


 プルードンは、【液状化】は【ギフト】だと嘘をついた。《天使》の大半はイルネスの種類など知りもしないため、それで欺けるのだ。


「……きみの言う通り、ギフトとイルネスに差はないのかもしれないね、シモン。あー、腹立つ」


 そして、誰よりも憎たらしい相手が発動条件であることに、笑顔で苛ついた。


〜〜《悪魔》にて


 シモンとオーウェンを見送ったブランは、一人でもそもそとあんぱんを齧りながら、モニター室の椅子に座っていた。

 その時、コンコンとノックがして扉が開く。


「フーリエさん!?あれ、今日出勤日でしたっけ?」

『違うんだけど、シモンさんにちょっと用があって……』

「あー……」


 ブランは思わず視線を逸らす。


「シモンからVIPだと聞いていたので、お通ししました」

「あ、そう……」


 逸らした先のバクーニンは、ピッと姿勢を正して一礼する。

 ブランはそそくさとあんぱんを仕舞い、念入りに手を洗うと、引き出しから手のひらサイズの箱を取り出す。


「あ、あの……フーリエさん」

『?』

「これ……どう、ぞ」


 カクカクと歩み寄り、ブランが差し出したのは、美しい水色の笛だった。


「な、なにかあった時、メモ帳を落としちゃった時とか、笛があったほうが便利かなって……いや、安物なんですけど……吹いてくれたら、どこへでも行きます!オレ……とか、シモンとかオーウェンが……」


 そこで素直に、オレが行く、と言えないブラン。

 フーリエは、笛の色を見つめて、自分の瞳の色と似ていることに微笑む。筆をとり、さらさらとメモ帳に書き記していく。


『ブランくん、ありが』


 その時、《悪魔》の入口が壊される音が鳴り響く。

 慌ててモニターを振り返るブラン。

 入ってきたのは、5人の男たち。


「誰だ」


 バクーニンは部屋を飛び出し、男たちの前に立つ。

 フーリエはモニター室から出ようとして、ブランに引き止められる。


「いやぁ、ちょいと探している人がおりまして……」

「確か白髪の女だろ?」

「おう」


 長身の3人はバクーニンを取り囲み、背後の1人が拳を打ち込む。

 だが、その拳が届く前に、バクーニンは後ろを見ることもなく右手を握りしめ、背後の1人の顔面に打ち込む。


「ぐぁっ」


 思わずよろけた男。バクーニンの前にいた2人が一瞬そちらに気を取られた隙に、バクーニンは1人の鳩尾を殴り、もう1人に回し蹴りをくらわせる。

 あっという間に3人は気を失った。


「ひぇ〜、強くない?あのひと」

「ああ。だが……」


 一歩退いて見ていた2人は、同時に助走して廊下の両脇の壁を蹴り、二手からバクーニンに殴りかかる。


「っ」


 バクーニンは2人の拳を両手でそれぞれ受け止めたが、赤髪の男の死角からの蹴りが後頭部に入った。

 茶髪の男は、よろめくバクーニンの頭を掴み、床に叩きつけて後頭部を踏みつける。


「!」


 フーリエは思わず、バクーニンに駆け寄ろうと部屋から出る。


「お前がサン・シモンか」

「!?」


 赤髪の男はフーリエの姿を見つけると、一瞬でフーリエの背後へまわり、手を捻り上げて拘束しようとする。

 彼女は声が出ないため、咄嗟に否定できない。


「ちょ、ちょっと待ったーーー!!!」


 しかし、ブランはアドレナリン全開で今までに出したことない大声を出す。


「あんたら誰!?ってその前に、あのシモンがフーリエさんみたいに可憐で美人なわけないでしょ!!人違いにも程があるんだけど!!シモンはね、ひとを馬鹿にしたり煽ったりしてニヤニヤする性格の悪い女なの!!お前らが捕まえようとしてるフーリエさんは、気遣いができてやさしい女神のようなおひとだよ!?似ても似つかないっつーの!!!」


 ブランは息切れをしながら、やってしまった……と後悔する。フーリエはハテナマークを浮かべ固まる。


「……誰だお前は」

「あ、《悪魔》のルイ・ブランです。その人は一般人で、俺たちとも《天使》とも関係ない。早く離してください……!」


 ブランは、オレだって手繋いだことないのに……!と怒る。「違う、そうじゃない」。シモンがいればそうツッコんだだろう。


「ではお前が代わりに捕まるか。人質にでもなってもらおう」

「ああ上等だよ!!……って、アレ?」

「!!」


 フーリエは首を大きく振って否定するが、彼女は解放され、代わりにブランが手首を縄で縛られる。


「ああ〜〜もう、またこんなだよオレのバカ……!バクーニン!フーリエさんを連れて奥の部屋に!!警戒レベル5ね!!」

「わ、わかった!!」


 フーリエはブランに手を伸ばすが、バクーニンは彼女の手を引いて奥へ走った。


「…………っっ」


 _______ブランくん……!


〜〜某所 4階にて


「……っアジェンデ……!?」


 シモンはやはり強運らしく、誰よりも早くアジェンデを発見した。壊れた窓から下を覗くと、銀色の影が見える。

 しかし、誰かがドアを開けて入ってきたため物陰に隠れる。そして、手首を縛られ、完全に気力を失った顔をしている男を目にする。


「ブラン……!?留守番してるんじゃ……」


 シモンは咄嗟に思考を巡らせる。

 そして、背後の階段を上がって、ブランたちから2メートル程上の簡易通路に身を隠す。


「……」


 タイミングを見計らい、シモンは、赤髪の男の脳天目掛けて6センチ四方ほどの石を落とす。


「ぎゃっ!?」


 しかし石は茶髪の男の後頭部に命中。彼は倒れ、赤髪の男は驚いて通路を見上げる。


「ブラン!!」

「!?」


 突如名前を呼ばれたブランは、無我夢中で逃げ出し、声の方へ走る。


「待てガキ!!」


 赤髪の男はブランのフードを掴もうと手を伸ばし。


「お眠りくださぁい!!!」

「がっ!?」


 曲がり角で待ち伏せていたシモンは、赤髪の男の股間に鉄パイプをスイングした。ブランは思わず、oh……と溢す。


「はっ、はははは!見たかオーウェン!私だってやればできるんだよ!カロちゃん直伝、必殺股間蹴りの改良版!!」

「いいぞシモン!!って違うよ!!よかった会えてありがとうオレまだ死んでない……!!」

「う、うん。よかったな!そしてごめん。すぐに頼んでもいいかな」

「な、なにを?」

「あそこにいるアジェンデを、こっちに引き寄せたいんだ」

「は?」


 シモンはブランの手を引いて、窓から下を指さす。


「アジェンデの身体は、『金属』だよ」

「!…お、オレまだ【磁石化】制御できないよ…!?」

「オーウェンからコツ教わったんでしょう!?どうしてもできない!?」


 彼女は焦っていた。アジェンデが静止するところを、初めて目にした衝撃が抜けきらないらしい。

 ブランは、それはそうだよな、と思う。

 大切な人が機能停止してるんだもんな、と。


「…わかっ、たよシモン。やってみる。お前の役に立ちたいって思ってるのは、オーウェンだけじゃないし」

「!」


 ブランは深呼吸をし、オーウェンの言葉を思い出す。


『じゃあ、知ってる奴を順番に思い浮かべてみろ。暴発したらそいつが憎んでる奴で…』


 自分は誰を恨んでいたのだろう。

 《天使》という組織を漠然と恨んできた。みすみす自分を見捨てた家族を、恨んできた。だが、焦点の絞られるただ一人は、思い浮かばなかった。


「……ブラン?」

「はは、なぁんだ。こんなに近くにいたんだ」


 だが、今ならわかる。


「2階あたりにいるあのひとを、4階まで引っ張り出す。よし」


 ブランは上着を脱ぎ捨て、袖をまくって手を前に出す。

 彼はひとつ、小さく呼吸をして、笑った。


「オレが一番憎い相手は______オレだ」


 ギュンッッッ


「!!」


 アジェンデの身体が、勢いよく上がってくる。水から上がると、そのスピードはさらに増し、わずか2秒で4階まで上がった。そして、ブランの方へ引き寄せられる。

 加減ができないため、ブランは受け止めようとして失敗し、2人もろとも、シモンの横をすり抜けて奥の壁に叩きつけられる。


「だっ、大丈夫!?ブラン!!」

「……っ」


 アジェンデの鋼鉄の身体と、硬い壁に挟まれたブランは、意識を失いかけた。

 そして……イルネスが暴走し始める。


「……!」


 シモンは咄嗟に、武器まみれのアジェンデの身体を、ブランから引き剥がして床に押さえる。ブランの身を守ろうと必死だった。

 しかし、衝撃で周りに散らばっていた金属片が、ブランめがけて一直線に引き寄せられていく。


「ブラン!!!」


 その時だった。


 ヒュールルルルルルル


「!」


 透き通った水晶の笛の音。

 ブランはそれを、意識の狭間で確かに聞いた。


「……っ」


 それは、ブランが初めて誰かのために選んだ、『贈り物(ギフト)』。


 _______フーリエさん。


 ブランの視界を埋め尽くした金属片は、あと3センチのところで……………動きを、止めた。


「…………はっ、はぁ、はぁ、かヒュッ、ゴホッッ」

 

 周りの金属片が床に落ちるのと同時に、ブランも床に倒れ込む。

 シモンとアジェンデも、彼女の姿にそれぞれ驚いていた。


「……フー、リエ……さん……」

『だいじょうぶ!?』

「…なんで……ここに……」


 扉の前に立っていたのは、フーリエとバクーニンだった。

 フーリエはブランに駆け寄る。


「……」


 彼は認めたくなかった。だらしのない、人並みの生活なんて諦めていた自分には、不釣り合いだとわかっていたから。


『…そのイルネスが収まったらそいつが大事な奴だ』


 だが、認めてしまった。


「……フーリエさん。ありがとうございます。好きです」

『………………えっ?』


 ブランは初めて、深く物事を考えず言葉を発し、そのまま眠りに落ちた。

 置いてけぼりのフーリエは、躊躇いながら筆を走らせる。


『ねぇ、バクーニンさん』

「は、はい」

『私、お礼に混じってすごいこと、言われた?もしかして』

「……そう、だな」


 フーリエは呆気にとられ、ついにクスクスと笑い始める。


『ごめんねブランくん。けっこう前から気づいてたよ。君、わかりやすいから』

「…………」


 バクーニンは、若人の恋路の重要地点に出くわしてしまい、若干気まずそうに赤くなって視線を逸らす。


『あと、実は私も』


 フーリエはそこまでペンを走らせ、首を振ってそのメモを細かくちぎる。


「(ちゃんと、目が覚めてから伝えなきゃ)」


 フーリエは音のしないコエを出した。口パクにしか見えないその行為は、美しい絵画が動いているようだった。


「…………」


 シモンはアジェンデの上から退くと、床に手をついて座り、天井を見た。


「アジェンデ……無事?」

「…………ああ。なんとか、な」


 アジェンデは、再起動したばかりの目を……レンズを疑った。

 シャルロッテ・フーリエの一件で、《悪魔》をお荷物と判断した自分に対し、初めて激昂したサン・シモン。

 貴様はお人好しすぎる、理想論は捨てろ……そう、何度も言ってきた。

 それがどうだ。ルイ・ブランの【磁石化】はS級のイルネス。それを使って三大天使を助けたという事実。そしてシャルロッテ・フーリエがその制御を促したという事実。


「サン・シモン……やはり貴様には敵わん」

「…え?」

「私は判断を間違えた」

「……そう。まぁ、アジェンデは機械じゃないんだから、たまにはいいと思うよ。私も博打だったから、偉いことは言えませんし」

「…」


 アジェンデは、『機械じゃない』という言葉に反応し、少し俯いた。

 シモンはフーリエとブランを交互に見て、にっこりと微笑んだ。


「……で、だよ」


 そしてむくりと立ち上がり。


「フーリエ!!バクちゃん!!なんで《天使》でもない2人がこの建物の中にいるわけ!?」


 一般人2人を本気で怒った。

 年上2人はビクッと肩を震わせ、無意識に正座。


『ごめんなさい。ブランくんが私の代わりに連れていかれちゃって、どうしてもじっとしていられなくて……』

「す、すまない。俺も止めたんだが、とてつもない剣幕で……」

『バクーニンさんは、私のことが心配だからってついてきてくれただけ!』


 フーリエは怒涛のスピードで筆を走らせる。

 シモンはフーッと息を吐く。


「……違うな。まずは助かったよ。フーリエがいなかったら、私はブランに重傷を負わせ……いや、死なせてしまっていたかもしれない。私が、傷つけさせないと約束して部屋から連れ出して、私が、イルネスを使うように焚きつけたのに……ひどいことを、してしまうところだった……言って足りるものではないけれど、本当に、ありがとう。ブランにも、きちんと謝らなければ……あと、多分普通に重傷かも。思いっきり壁に追突してたし…………どうしよう」


 シモンは片膝をついてフーリエと視線を合わせ、こうべを垂れた。

 フーリエは、元気出して、とシモンの肩に手を置く。

 そして、メモ帳をシモンに見せた。


『うれしい』

「……え?」

『私が、誰かのイルネスを制御するお手伝いができたなんて、夢みたい』

「……!!」


 フーリエは、自分の喉に触れて、一筋の涙をこぼした。

 シモンも目が滲む。しかし首を横に振って堪え、バクーニンの方を向く。


「バクちゃんも、フーリエのこと、ここまで守ってくれたんだよね。ありがとう」

「い、いや、俺はただ、その……」


 しどろもどろになるバクーニンを見つめ、シモンはぷっ、と吹き出す。

 そして、ポケットからひとつのUSBメモリを取り出した。


「2人に頼みたいことがある。このUSBメモリを、《悪魔》のコンピュータ室で解析して欲しいんだ。ブランも連れて行って、叩き起こして。頼める?」

『うん!』

「承知した」


 フーリエはコクンと頷き、ブランを担いだバクーニンと共に部屋を出て行った。

 アジェンデはシモンに近寄り、問う。


「……メモリの解析など、今回の一件には何の役にも立たないが」

「…あの目。相当な覚悟をしてここに来てくれたみたいだった。きっと、帰って、と言っても簡単に帰ってはくれないだろうと思って。3人を逃がす口実として、ちょっとした嘘をつかせてもらっただけだよ」

「あのメモリには何が入っていた」

「この間の酔いどれパーティーの記録の一部」

「……」


 アジェンデは言葉も出ない。


「一般人を巻き込むべからず。デンデンが私に教えてくれた、《天使》としての大原則。だよね?」

「……ああ」


 2人は一息ついて立ち上がり、すぐに情報交換を行った後、クレーンを操作した人物の捜索へ走り出した。


〜三大天使 革〜


〜〜某所 3階にて


 アジェンデとシモンが階段を降りると、そこには恒例のように言い争うカストロとプルードンの姿。


「アジェンデさん!ご無事でしたか!?」

「痛っ!?カストロテメェ許さないからぁ……って、ちょっとぉアジェンデ!!きみもさぁちゃんと説明してからさらわれてくんなぁい!?」


 カストロはアジェンデの姿を見ると、プルードンの頭を掴んで引き剥がし、アジェンデに駆け寄る。プルードンは笑顔で怒りながら叫ぶ。

 しかし両者とも、アジェンデの隣にいる白髪の女を見た途端、反応を変える。


「シモン!?なぜここに」

「あっははぁ!来ちゃったんだぁ、おもろぉ〜」


 カストロは安堵から驚嘆へ、プルードンは苛立ちから愉悦へ。


「何をやっているんですシモン!誰かに見つかったらまたあなたの立場が……!」


 そしてその時、下から轟音、破壊音、罵声が近づいてくる。


「?」


 シモンは視線を移し、プルードンは首を傾げ、アジェンデとカストロは臨戦態勢に入る。


「いい加減退いてもらえませんッかッッ!!」

「そなたが去れこの化け物めが!!」

「もう我慢なりません。殺します……!!」

「ちょっ、ドラクロワさんそれはまずいっす、はい!!」


 ドラクロワがオーウェンの横腹に蹴り込み、それをガードしたオーウェンの両腕に氷が冴え渡る。その隙にダヴィドが背後へ回り、オーウェンの後頭部へ殴りかかる。


「……は?」


 シモンはその光景を目にし、反射的に叫んだ。


「何をしている!!!!」

「「!!」」


 そして、ダヴィド、ドラクロワ、オーウェン、ついでにゴヤも、反射的に跪いてこうべを垂れる。


「……あっ」


 シモンは慌てて口を塞ぎ、後退りするが、カストロにぶつかる。ビクッと肩を震わせ、ギギギ、と恐る恐る振り向くと、修羅のようなカストロが。


「……【悪魔管轄係】」

「は、はい」

「なんですか、その口の利き方は」

「申し訳ありません」


 そして、シモンはカストロに殴られることを覚悟した。

しかし。


「…あなたとロバート・オーウェンへの処罰は、明日の朝言い渡します。それよりも、【プリンチパーティ】ダヴィド、【アルカンジェリ】ドラクロワ、ゴヤ」

「「はっ!!」」


 3人は揃って返事をする。カストロの滲み出る怒気に震えながら。


「あなたがたは、そのような無駄な争いをして、到着が遅れたのですか」

「しかし、《悪魔》が任務に随行するなど…」

「《悪魔》ひとりを即刻捕らえることすらできないとは思いませんでした」

「!……」


 ダヴィドとドラクロワは項垂れ、声も出ない。

 ゴヤは、ぼくトバッチリ…?と震え、オーウェンはカストロに助けられたことに不服を隠しきれないでいる。

 そんな中、【セラフィ】であるプルードンが前に出て、ダヴィドとドラクロワに話しかける。


「ねぇねぇ、きみら今どんな気持ち?」

「……と、申しますと…?」

「イルネス持ちたった1人に時間を取られて、この前散々貶してた『下っ端のサン・シモン』に無意識に跪いちゃったりして、あげく憧れのカストロサマに失望されちゃった気持ちだよぉ、サイコーでしょお?」

「「…………」」


 プルードンはニンマリと笑って反応を楽しむ。

 オーウェンは、こいつ歪みねぇな、と呆れる。


「……【アルカンジェリ】ゴヤ。こちらの状況は?」


 カストロに話しかけられたゴヤは、これでもかと姿勢を正して答える。


「四大幹部は負傷なし。しかし【アルカンジェリ】10名のうち、2名が犠牲となりました。すぐに【プリンチパーティ】様以外の四大幹部、我々以外の【アルカンジェリ】6名が合流予定です」

「了解しました」


 カストロの言葉の直後、四大幹部とアルカンジェリたちが部屋に入ってくる。

 ダヴィドは咄嗟に、シモンとオーウェンの腕を掴んで引き寄せ、【ギフト】を発動させた。


「!……感謝します、ダヴィド様」

「……」


 シモンは礼を述べ、オーウェンは不満げに視線を逸らす。

 ダヴィドの【ギフト】……【透明化】は、自分自身及び半径1メートル以内のものを周囲から見えなくする能力である。範囲は自分で変えることが可能。

 他の《天使》メンバーから【悪魔管轄係】と《悪魔》1名の姿を隠したダヴィドは、2人を連れて物陰へ隠れる。


「……ところでオーウェン。あなたなんで来てるの?あの感動的な別れはどこへ行ったの?」

「ノーコメント」

「そなたたち静かにしろ。音声は聞こえるのだぞ」


 シモンはオーウェンをジトリと睨み、オーウェンは素知らぬ顔でやり過ごす。ダヴィドは2人を注意した。


「あと、先程オーウェンに攻撃をしていましたが……憎むのは私だけにしておいてください、ダヴィド様」

「!」

「イルネス発覚は、完全にどうしようもない事態です。彼に責任などありません。かつてあなた様がご自分で、彼を優秀だと認めたのでしょう?あなたの見る目は正しいですよ。今や私の自慢の部下です」

「…………」


 シモンは静かにダヴィドを諌める。ダヴィドとオーウェンは、互いになんとも言えない顔をして俯いた。


「おや、どうしてアジェンデサマが水槽から出ているのかな?」

「「!」」


 1人の男の声と、反対側の扉から入ってくる武装した男たち。約100名。

 三大天使、四大幹部、アルカンジェリたちはすぐさま警戒。圧倒的な人数の差に加え、《天使》を取り囲む人々は全員完全武装していた。


「俺の名前はピノチェト。アジェンデサマにとっっても世話になったものです」

「…………」


 ピノチェトと名乗った40〜50代に見える男は、階段を上がって《天使》を見下ろす。


「彼奴は…」


 アジェンデは、自分を水槽に落とした時の声と一致することを確認。


「ピノチェトとは、42年前、私と【トローニ】の席を争った男の名前だが」

「ええ、名前を継いだんです。父がお世話になりました。父を徹底的に負かしてくださったアジェンデサマのおかげで、俺の家族は破綻した。苦労したよ、父とともに金と人を集めて組織を創り……30年前、あなたに壊滅されかけても生き延び、こうして復讐しに来た。喜んでくれないかい?」


 ピノチェトは自分の服をまくり、銀色に光る腕を見せつける。


「見てくれ。俺にも【機械化】が発現したんだ。父が死んだ日にね。皮肉だよな。憎んで憎んで憎んだアジェンデ・ゴッセンサマと同じギフトだなんてさァ!!」


 《天使》全員の身体がこわばる。アジェンデの【機械化】の威力を痛感している彼らだからこそ、無意識に警戒心と畏怖を強める。


「へったくそ」

「「……?」」


 しかし、ただ1人、プルードンだけはつまらなそうにポケットに両手を突っ込み、唐突に口を開いた。


「ついに壊れましたか」

「ついにって言い方にカチンとくるけど、まぁいいやぁ」


 彼はカストロを一瞥した後、ピノチェトの方を見上げて言った。


「きみ、嘘つくならもっと上手くやんなよぉ。ハッタリは他の奴に見抜かれないことで、初めてハッタリになるんだからさぁ」

「……なにを言っているんだい?【セラフィ】の坊や」

「それさぁ、ただ自分の身体を改造しただけでしょお?一般人の悪あがきオツカレサマでぇす。【ギフト】だー、なんて嘘ついちゃダメダメだよぉ。要するにきみら、人数と武器と金しかない烏合の衆でしょお。……この前のクーデター組織の方が、カリスマ性ある分マシだったけどさぁ。結局瓦解するんだよねぇ、一瞬で」


 プルードンは瞳から光を消して、シモンやカストロ、オーウェンにしかわからない自虐を混ぜた。


「…若い子は礼儀がなっていないようだ」

「きみに礼儀を尽くすバカはもう十分いるでしょお。いすぎるくらいじゃなぁい?そんな顔しちゃってさぁ……アジェンデを機能停止にしてぇ、人数と武器で圧倒する手はずだったのにぃ、アジェンデが脱走してて《天使》の上層部が集結しちゃってぇ、けっこぉ焦ってんだよねぇ、ウッケルわ〜」


 プルードンは悪人面でケタケタと笑い、ピノチェトは真顔になって固まる。

 カストロはプルードンに問いかける。


「彼が嘘をついているという根拠は?」

「ヒトを観察することがだぁいすきで、ヒトの切羽詰まった顔や虚勢張ってる顔がもっとだぁいすきなオレだから一目瞭然でぇす、って感じかなぁ〜」

「……あなたはつくづく悪役が似合いますね」


 カストロは本日n回目のため息を吐く。


「人の機微を読むことに関して、プルードンが誰よりも長けているのは事実。信用する」


 しかしアジェンデは即決し、眼を光らせた。


「各員、臨戦体勢」

「「はっ!!」」


 アジェンデの号令により、苛烈な戦いが始まった。



「キリがねェ。腹立ちますね」

「まぁまぁドラクロワさん、楽しんでいきましょうよ、はい」


 ドラクロワは大勢に囲まれ、舌打ちをする。

 ゴヤは相変わらずヘラヘラしており、それがドラクロワをさらに腹立たせる。


「ゴヤ!踏まれなさい!」

「ウェッ、マァジすかァ、ハイ!!」


 ドラクロワはゴヤの方へダッシュし、ゴヤはバレーボールのレシーブの体勢で彼女を待ち構える。


「いってらっしゃァァァァい!!」


 ドラクロワは、ゴヤの手を踏み台にして大きく上へ跳躍する。ちなみにゴヤの顔と掛け声が鬱陶しかったのか、ご丁寧にも彼の顔面に蹴りを入れてから飛び上がった。ゴヤは鼻血を出して仰向けに倒れるが、すぐに復活。


「シねェェェェェェェェ!!!」


 ドラクロワは誰よりも物騒な掛け声で、銃を構える集団にかかと落としをお見舞いした。彼女が蹴り下ろした地点から半径4メートルに渡って、円を描くように氷つく。

 かろうじて避けた者たちが飛び道具やナイフを振りかざすが、彼らはゴヤの【発火】により一瞬で丸焦げになる。


「ドラクロワさん大丈夫ですか、はい」

「要らぬ助けを……」

「いやいや、仲のいい女の子を殴ろうとしてる男は、無条件で丸焼きの刑っすわ、はい」

「テメェと仲良くなった覚えはないです」

「ひどいなぁ、はい」


 ドラクロワはゴヤの言葉を最後まで聞かずに、また人の海へ特攻していく。ゴヤはやれやれと首を振りながら、オーケストラの指揮者のように、彼女の背後を狙う輩を全員焼いていった。



「【ケルビィ】」

「ハイ」

「三大天使の制約を取り払う」

「……ということは、手加減をしなくてもよろしいので?部下を盾にした場合は?」

「諸共抹殺して構わん」

「……」


 カストロはアジェンデの返事を聞くと、俯いて床を見る。


「どうした、【ケルビィ】」

「……いえ。正直、今の僕は随分と頭に血が昇っていますので…そうですか……」


 カストロはゆっくりと顔を上げる。

 脳裏には、視察時に惨殺された部下の姿と血溜まり、ずぶ濡れのアジェンデの姿がフラッシュバックする。


「敵である彼らが可哀想でなりません。とてもカナシイです」


 彼女は敵を確とみつめ、『戦闘狂』の顔をして、口角を上げていた。


「行きましょう」

「ああ」



 戦闘が開始され、辺りは騒音と硝煙に包まれる。


「みぃっけた♡」

「「!?」」


 【透明化】で隠れていた3人の背後に降り立ったのは、手に斧を持った男性。

 彼は、迷わずにダヴィドとシモンの間に斧を振り下ろす。ダヴィドは思わずシモンの手を離した。

 【透明化】から外れたシモンの姿が現れ、男はシモンの首を掴んで吊し上げる。


「くっ」

「あはは、みぃっけた。おまえでしょ、きーぱーそん」


 ダヴィドとオーウェンは男から距離を取る。


「バカな……!」

「【透明化】、発動してましたよね!?」

「えへ、ただのカンだよ。気配バレバレっつーか♡」


 男はにこりと笑ってシモンを壁に叩きつけ、首から手を離す。どさりと落ちるシモンの体躯。


「ゴホッ」

「しもんだよね、おまえね。しってるよ。あじぇんでやかすとろとなかよしで、もとせらふぃのすごいひと♡」

「そりゃどうも……ケホッ」

「でもおまえ、いちばんよわいよね」

「……」

「だから、てっとりばやくおまえをあやつれば、みんなだまってくれるって、ピノちゃんがいってた〜。さらってくるつもりだったけど……じぶんからきてくれたんね、えらいんね」


 男はシモンの顎を掴み、視線を合わせる。


「おれのめ、きれーでしょ」

「……」


 シモンは男と目が合った瞬間、脱力する。男は彼女を床に寝かせる。


「おいシモン!!どうしたんだよ!!」

「あはは、しもんのあたま、ぐっちゃぐちゃにしたから。【せんのー】したから。もうおまえのことおぼえてねーよ、ざんねん」

「ハァ!?」


 オーウェンは【狂人化】を発動させる。


「待てオーウェン!!早まるな!!」

「しかし!」

「シモン様はあの程度ではやられん筈だ!」


 ダヴィドは無意識にオーウェンの名を呼び、シモンをシモン様と呼んだ。


「けへへ、おっさんさ、しもんのギフト、しらんでしょ」

「!」

「おしえたげる。【いしそつー】だって。つまり、ふぃじかるじゃなくて、めんたるのぎふとなの。そーゆーやつってね、おれの【せんのー】に、ちょーよえーの、うける」


 男はケタケタと笑った。

 シモンはピクリとも動かない。


「よいしょっと。つぎ、おまえね。あ、うごいたらしもんをころすから。よろしく」

「!」


 オーウェンは唇を噛み締め、動かない。


「……っ、動けオーウェン!2人で応戦すれば勝てる!!」

「ダメです、シモンだけは、見捨てられない……!」

「冷静になれ!!」

「冷静ですよ……!その上で俺には無理なんです。アンタもシモンに恩があるんだろ。分かってくださいよ……!」

「っ」


 オーウェンの首筋に斧の刃先が当たり、ツゥ、と血が流れる。


「じゃあ、ばいばい、おーうぇん」

「っ!」


 その時。


「ぐぇ!?」


 男は股を押さえて座り込む。

 ダヴィドはその隙に男の手を捻り、斧を奪った。


「………効かないよ」

「シモン!!」


 男の股間を蹴り上げたのは、シモンだった。

 頭を押さえ、フラフラと立っている。


「私の蹴りじゃ倒せない。ダヴィド様、お願いします」

「あ、ああ……!!」


 ダヴィドは男の顔に膝蹴りを食らわせ、すかさず背負い投げをした。オーウェンは、相変わらずの威力だ、と驚く。


「シモン、平気、なのか?」

「……まぁ、なんとかね。【意思疎通】って、川みたいなもんだから。いくら鋭利な刃物(せんのう)でも、水に傷はつけられない、でしょう?」

「よく、分かんねェけど……無事なら、よかった」

「あと、あの野郎、私のことを一番弱いと言いやがった……私、足手まといとか弱いとか言われるの大ッッッッッ嫌いだからさ。その分の怒りのパワーでこう、洗脳された脳みそも気合いで取り戻した的な?」


 その時、バクーニンはなぜか悪寒がしたという。


「いや分かんねェよ。精神系のギフト持ちは洗脳に弱い、とか言ってたけどな」

「ああ、そりゃ他のギフトはそうなんじゃない?私のギフトは、相手を押さえつけるものではないからね。そのセオリーからは抜け出たのかしら」


 シモンは他のメンツへ視線を向ける。

 カストロが【無重力化】で隠し倉庫に仕舞われていたクレーン車を持ち上げ、ピノチェトに向かって叩きつける。加えてアジェンデが絨毯爆撃。部下たちがピノチェトを庇うが、それを容赦なく撃ち殺していく。

 ドラクロワとゴヤも、粗方の有象無象を戦闘不能にしていた。他の幹部やアルカンジェリたちも、各々敵をのしていく。


「うわぁ、デンデンもカロちゃんもえげつねぇ……」

「ゴヤ、あいつフツーに戦えんだな。ただのチャラいやつかと……」

「そなたたち、揃いも揃って不敬に値するぞ……!」


 好き勝手にコメントする2人に対し、男を拘束し終えたダヴィドが睨みを効かせる。


「そういえばダヴィド様。さっきシモンのこと、シモン様って呼んでましたよね」

「な、なに?」

「オーウェンのことも、ちゃんと名前で呼んでたねぇ」

「そんな、ことは……」


 しかし、オーウェンとシモンは2人してニヤニヤとダヴィドに詰め寄る。


「……っ」


 ダヴィドは思い当たる節が見つかったのか、カァァと赤くなる。


「……私は、私はそなたたちのことを認めてなどいない!まだ戦闘中なのだ!気を抜くなよ卑しい管轄係め!!《悪魔》め!!あ、あと他の《天使》に見つかるでないぞ!私はもう手を貸さんからな!!」


 走り去ったダヴィドは【透明化】で自分の姿を隠し、敵を薙ぎ倒しながらドラクロワ、ゴヤと合流して、戦闘を再開したようだ。


「……なんだあの小物感溢れる捨て台詞……」

「こら、かつての上司は敬いなさい」


 シモンはオーウェンの頭を軽く小突く。


「いや、あんだけ嫌われて貶されたらムカつくだろ。2年前だって……」

「まぁそうだけど。ダヴィくんは、真面目で頑張り屋な分、意地っ張りで頑固だからね。なかなか態度を変えられないのよ、きっと。そもそも【透明化】使って私たちのこと助けてくれちゃったし」


 オーウェンは沈黙し、感情の整理は後に回した。


「……よし、プルードンの護衛でもしてきてやるか。あいつ、こんな中じゃトバッチリで死んじまいそうだ」

「あら、いつのまにドン坊と仲良く?」

「なってねェわ」


 2人はプルードンの姿を探すが、どこにも見当たらない。


「……逃げたか?」

「あり得るね。あの子、私よりは立ち回れるけど、戦闘力は高くないし。賢明かな」


 そう言った直後、逃げ出そうとしてカストロたちに背を向けたピノチェトの目の前の床から、『手が生えた』。


「「…………え??」」


 シモンとオーウェンはもちろん、ピノチェトは彼ら以上に仰天して腰を抜かす。

 その手は形状を変え、水たまりになると、そこから見慣れた金髪の少年の姿に変わる。


「チェックメイトぉ」


 彼……プルードンは、天使のような笑顔でピノチェトにスタンガンを押し付けた。恐ろしい威力の電流を直にくらった彼は、パタリと倒れる。

 攻撃をやめたアジェンデとカストロがプルードンの元へ歩み寄り、シモンとオーウェンも堪えきれずに走り出す。もちろん、ほかの《天使》に見つからぬように。


「うお〜!!かっこいいよドン坊!!!」

「ぐぇっ、相変わらず気色悪いねぇ」

「憎まれ口も許しちゃうわ!」


 シモンは一番にプルードンに抱きつく。


「私が射撃を続けても平気だと言っていたが……なるほど、貴様の能力はそういうものなのだな」

「きみらの化け物じみたギフトを受けても、オレならノーダメージだしねぇ。人混みの中でも動けるしさぁ。これケッコー便利かもぉ」


 アジェンデは、ほう、と頷き、プルードンは、オレ天才だからぁ、と自慢を続ける。

 興奮するシモンを、カストロがプルードンから引き剥がす。オーウェンはこそこそとプルードンに近づき、耳打ちした。


「【液状化】制御できてんじゃねェか」

「まぁねぇ。ドラクロワの【冷結】めっちゃ怖かったけどぉ」

「……で、発動条件と制御条件、誰だったんだ?」

「教えるわけないじゃあん」

「チッ」


 その時、ピノチェトの指がピク、と動く。


「……好き勝手、してくれやがって…道連れにしてやるよォ!!!」


 ピノチェトは執念で最後の力を振り絞って銃を構えようとするが、カストロが一瞬で顔を蹴り飛ばした。


「ゴェッ」

「手を汚すのは嫌いなんです。さっさとくたばりなさい、逆恨みのドブザルが」


 オーウェンは、カストロの見事な蹴りとピノチェトの惨めな足掻きを目にし、ため息をついて、何となく、中庭(水槽)の方を見た。

 そして……水槽を挟んで反対側に、人影を見つける。


「…なぁ、シモン。あれって……」


 オーウェンがシモンに声をかけようとした、その時。


 パァンッッ


「______えっ?」


〜三大天使 乱〜

パァンッッ


「______えっ?」


 鳴り響く銃声。と、もう一つの音――弓が弾けた音。


 シモンの眼前には、アジェンデが咄嗟にワイヤーで伸ばした腕。そして、その腕にめり込む銃弾。

 カストロの眼前には、彼女を庇うようにして手を広げたアジェンデの姿。


「アジェンデ!!!」「「カストロ様!!」」「シモン様!」「シモン!!」「アジェンデ!!」


 混ざる声。悲鳴。驚嘆。困惑。

 ただ、カストロは最も大きな戦慄の中にいた。


「アジェンデ、さん……」


 鋭利な矢が、アジェンデの心臓に深々と刺さっていたから。


「……道連れとは、そういうことか」


 アジェンデは膝から崩れ落ちるように倒れた。


〜〜懐古 アジェンデ・ゴッセン


 鮮明に覚えている。


「本日から【セラフィ】として勤めを果たすこととなりました。サン・シモンと申します」

「同じく、【ケルビィ】として共に働かせて頂きます。フィデル・カストロです。以後お見知り置きを」


 初めて会ったあの日。


「じゃあ……デンデンってのはどうですかね」

「………は??シモン、あなた何を言って…」

「好きにしろ」

「いいんですか!?」


 シモンが私をあだ名で呼ぶようになったあの日。


「情けは無用。以上です」

「…貴様は、私に少し似ているな」

「……!本当ですか!」


 カストロが私の言葉を受け歓喜を宿したあの日。


「二人とも、仕事ばかりじゃ身体がカッチコッチになっちゃうよ?」

「私は元から金属だがな」

「ナイスジョーク!」

「真実ですよ、シモン」


 他愛ないことが飛び交ったあの日。そして。


「サン・シモン。貴様、【セラフィ】としての仕事に無関係なことを実行し、本来の業務に支障を来さぬようくれぐれも……」

「わかっているよ、デンデン。しかし一つ訂正。私が《天使》のみんなとお喋りしているのは、ただの趣味というわけでもないから」

「どういうことだ」

「組織は畢竟、人でできている。いざという時、ひとりの人間としての事情や感情は、鍵になるはずだと考えていますので」

「……随分と熱心なことだ」

「そりゃあ、私は《天使》のことが大好きだから」

「!」


 『俺、《天使》が大好きなんだ!』


 あの男の言葉と重なった。


「……私も若い頃は、足掻いていた」

「?……もしかして、デンデンの若い頃について、やっと教えてくれる気になった?」

「私のことも把握したいのだろう。せいぜい貴様の持論に生かせ」

「あら、ありがとう」


 私は少し考えてから話し始めた。


「私は人間というものにうんざりしていた。人間の醜いところばかり見せられていたから。【機械化】は優れたギフトであり、私は《天使》内でも優秀とされていたが……何のためにその力を振るえば良いのか、わからなくなっていた。だが、32の頃、四大幹部【ポデスターディ】に昇進し、そこで、ある男に出会った」

「……男?」

「彼奴は、【ヴィルトゥーディ】にしては不器用で、鈍感で、仕事ができない奴だったが……とても情に厚く、私に人間の美しいところを教えてくれた。私は恋心を抱いていた」

「ふぅ〜ん」


 シモンは頬杖をつき、ニヤニヤしながら話を聞いた。

 同じ部屋で本棚の整理をしていたカストロも、聞き耳を立てる。


「だが、その男も、《天使》内の権力争いの末、自殺した。私が、三大天使【トローニ】に選ばれた日だった」

「……!」

「絶望した。そして絶望するたびに、私の【機械化】は進行した。それまでは両腕両脚だけを適宜機械化させていたが…私の意思に関係なく、心臓へ向かって不定期に変化するようになった。そしてとうとう、脳と心臓以外、すべて金属に化けた。戻そうと思えば戻せたのだろうが、その気すら起きなかった」

「…」

「身体に不自由は感じなかった。むしろ、油をさすだけで四十肩も『直』る便利な機械からだだ」

「…ギフトが制御できなくなるくらいの絶望、か。…どうして長生きしようと思えたか、聞いてもいい?」

「……あの男は、死ぬ直前まで《天使》を愛していた」

「…………そう。じゃあアジェンデは、想い人が愛した《天使》を、守ろうと思えたわけだ。納得だよ」


 シモンはあえて、その男の名前を聞き出そうとはしなかった。その男の存在は、私だけに独占させたいと思ったからだという。

 カストロは、素直に驚いていた。現在誰よりも合理的なアジェンデ・ゴッセンの過去が、恋愛という、ある種何よりも非合理的なものを軸としていたからだ。

 私は二人の反応をレンズに写し、話を進める。


「問題は心臓だが、半分、機械だ」

「半分?」

「元々、他に比べて進行が極端に遅かったが……貴様とフィデル・カストロに会った日。何故か突如、完全に進行が止まった」

「……へぇ〜。不可解そうだね。デンデンが人間であることの、何よりの証明だ」

「…私が、もし完全なる機械になっていたら。貴様は私をどう思っていた」


 我ながら、無駄な質問をしたものだ。だが、シモンはすぐに答えた。


「そうね。無機物とも【意思疎通】できるようになるよ。気合いで!」

「……」


 その答えを聞き、私は思わず思考を止めた。


「フッ、シモンは相変わらずですね。ご安心ください、アジェンデさん。僕とシモンが、あなたの心臓を守ります。脳と同様、急所になり得るのでしょう?」


 カストロは珍しく、小さく笑っていた。


「アジェンデ。【機械化】を止めずに、長生きしてくれてありがとう。そのおかげで私はあなたに出会えた」

「……」


 シモンはトパーズの瞳で私のひとみを見つめた。黄金と夕陽が混じり合うような、色。

 確かあの男も、このような色の瞳をしていた、と思い出す。


「と、いうわけで。折角だから、私が勝手に、アジェンデを人間らしいイベントに誘うね!」

「は……」


 しかし、私の物思いは、シモンの満面の笑みにより消し飛ばされる。


「シモン、あなた何を企む気ですか」 

「ふふーん。文句は言わせない、よっ!」


 カストロの問いに対し、シモンは勢いよく、書類の山を机の上に乗せる。


「……これは」

「二日分の、アジェンデとカストロの仕事!ちょっと夜更かしして頑張った!軽く死にかけたけど!あ、もちろん自分の分も終わらせてるから!」

「なぜ」

「3人で外出したくてね。目的地はこれから決めよう!」

「……シモン。なぜ、よりによって、この3人で?」

「私が2人のことを愛しているからだよ。好きな人と好きな場所に行きたいのは、全人類共通の欲求でしょう。どこまでも合理的で、『仕事が恋人!』の2人も好きだけど、他の一面も見たいの」

「「………………」」


 私が初めて、己の過去を吐露し、ついでに初めて旅行の計画をたてたあの日のことも。


 鮮明に覚えている。


〜〜


「……ンデ、アジェンデ!!」

「アジェンデさん!!!」


 アジェンデは、シモンとカストロの声で、辛うじて再起動した。2人はアジェンデの顔を覗き込み、今までに無いほど泣きそうな顔をしていた。他の面々も、一歩ひいた場所で立ち尽くしている。


 建物の反対にいたスナイパーは、オーウェンにより蹴り飛ばされ、ゴヤにより焼かれていた。

 階段の上にいた鉄弓使いは、ダヴィドにより顔が床にめり込み、ドラクロワにより氷漬けにされていた。


「……」


 アジェンデは朧げに、自分を覗き込むシモンとカストロの姿をひとみに映す。そして迷わずに言葉を残した。

 【トローニ】としてではなく、アジェンデ・ゴッセンとして。


「……礼を言わせろ……サン・シモン。フィデル・カストロ。貴様らの存在は……『私』にとって、有難いものだった」

「「!!?」」


 二人はこれ以上ないほどに驚愕する。

 アジェンデが誰かに礼を言うことなど、有り得なかった。感謝というものに、意義など無いと、彼女は断定していたから。


「……」


 そして直後、アジェンデのレンズから光が完全に消え去る。半分残った心臓も、動きを止めた。

 矢が刺さった部分から、少量の血がトクトクと流れ出す。それは、シモンとカストロが初めて目にした、彼女の『肉体』の一部だった。

 床についたシモンとカストロの手のひらに、血が染み渡る。


 _______頼んだぞ。

 そう、言い残された気がした。


「……ずるいですよ、僕たちの方が、余程……!」

「……………………」


 カストロは歪んだ顔で涙を流す。嗚咽し、アジェンデさん、と名前を呼び続ける。普段の冷静沈着で鉄仮面の彼女とはかけ離れた姿。

 シモンは抜け殻のようにぐったりとして、動かない。涙は流れていなかった。ただ、化かされたように呆然と、目の前の現実を映している。普段の陽気な彼女とはかけ離れた姿。


「「…………」」


 プルードンは信じられないといった様子で立ち尽くし、オーウェンは震えながら拳を握りしめる。ダヴィドは大粒の涙を流し、ドラクロワは舌打ちをして近くの壁を殴る。ゴヤは上を向いて、涙を堪えていた。


 その場の誰も、シモンとカストロに声をかけることはできなかった。


〜〜1週間後 教会にて


「…おはよう」

「おはようございます」


 アジェンデが眠る白い十字架の前で膝をついたシモンは、背後で花束を片手に呆然と立ち尽くすカストロへ、話しかける。


「………【トローニ】の後釜、決まった?」

「いいえ。彼女ほどの仕事量をこなせる人材はそれこそ皆無です……そもそも、プルードンを残留させたばかりで、なかなか安定しません」

「……」


 カストロは花束を置き、跪いてシモンとともに十字架を向く。


「しつこいと思われようとも、もう一度言いましょう」


 彼女たちの頬をかすめた、軽くやわらかい風には、似合わない言葉だった。


「シモン。三大天使として、あなたの力を振るってくれませんか」

「………………」

「あなたは『優秀』で、天使に『必要』です」

「……」

「それに」


 最後の一押し。


「あなたが居なくとも、もう、《悪魔》の運営に問題はありません。あの方たちは、既に自分の足で歩いてゆける」


 シモンの心臓が大きく脈打つ。


「…………………うん。そうだね。どこかで気づいては、いたけどね」


 シモンは立ち上がって、手を握りしめる。

 シモンの尽力により、《悪魔》は組織としての機能を取り戻した。《悪魔》に対する、ある程度の嫌がらせは残るかもしれないが、それを振り払う強さを手に入れた。極端に不当な扱いを受けることは、なくなるだろう。

 対して《天使》はどうだろうか。最も重要な核である三大天使が、この短期間で入れ替わり、加えて百年以上《天使》を支えてきた柱を失った。その危険性を、シモンは痛いほど理解している。


 彼女はひとつ、深呼吸をして口を開く。


「……わかった。…………もど…」


 だが、言葉の途中で力が入らなくなる。目の前が二重の曇り硝子に妨げられるようにふらつく。

 彼女は足に意識を集中させ、なんとか立ち続けた。


「………ごめん。三日後に、返事するから」

「逃げるんですか。あなたらしくないですね」

「…そんなこと、言わないでよ」


 カストロは、弱々しく俯くシモンのことを気にかけてしまう。自分の言葉が、シモンに追い打ちをかけているとわかっている。


「僕は」


 それでも、もう迷わなかった。


「もう、あなたを逃すつもりは、毛頭ないですよ」

「……………………………」


 シモンは結局、一度もカストロと目を合わせずに、立ち去った。


〜〜


 二人の話を、陰で聞いていた男がいた。


「何言ってんだよシモン……!」


 そう。ルイ・ブランである。


「【ケルビィ】のやつ、あえてあいつが否定しにくいところ突いてるでしょ。清々しく性格悪いよね。冷静に考えてもみてよ。今回の件で混乱してんのは、なにも《天使》だけじゃない。《悪魔》と《天使》の橋渡し係できんのも、あいつだけなんだけど!《天使》の方がまだジョーシキジンが多いっしょ。こっちには問題児が揃ってんだよ。そもそもそっちは層が厚いんだから贅沢言ってないでテキトーなやつ出世させりゃいーじゃん!……とか言いたい〜〜」


 ブツブツと小声で喚いた後、彼は虚しく猫背になる。


『ブランくん』

「ふぇっ、フーリエさん!」


 ブランの肩をそっと叩いたのは、シャルロッテ・フーリエ。


『どうしたの?』

「あ、いや〜その、あれです。相対性理論とフィルマーの最終定理について考えてました!!」

『??』


 フーリエはハテナマークを書き連ねる。しかし、ブランに元気がないことを感じ取ると、ニヤッと笑って筆をとる。


『そういえば、この間の映像ってさ……』

「!!」


 あの日、バクーニンに運ばれたブランは《悪魔》で目を覚ました。重要なUSBメモリだと思い込み必死に解析した結果現れたのは、自分の醜態。酔いどれパーティーで結局ベロンベロンに酔わされたブランの映像は、フーリエに無意識に告白してしまった羞恥心に追い討ちをかけた。しかもそれをド真面目な空気の中、フーリエとバクーニンに見られたのである。ブランはシモンに仕返しをしてやると密かに誓ったのであった。


「え、映像?なんですかそれ美味しいんですか!?うわぁぁぁあ空が青いですねいい天気ですねー!!」

『ふふっ』


 ブランは立ち上がり、わぁわぁと叫きながら目的地もなく歩き出す。フーリエは彼の後ろをついていく。

 彼女の胸元で、空と同じ色の笛が、かろん、と揺れた。


〜〜2日後


「オーウェン。ちょっと話があるんだけど」

「…」


 シモンは、《悪魔》の執務室に入り、書類整理中のオーウェンに話しかけた。


「……その前に、いいか」

「?うん」

「お前、最近どうしたんだよ」

「…え?」

「なんつーか、見てらんねェ」

「………そっ、か。ごめん」


 シモンは頭を抱えて座り込む。

 オーウェンが色々と話してくれていたが、シモンの耳には届かない。


「〜〜【トローニ】様のことで沈んでいるのはわかるが、それを差し引いても何か抱え込んでるような……〜〜《悪魔》の奴らも心配して〜〜。〜〜」


 しかし、最後の言葉だけは、しっかりと聞こえた。


「最悪、アンタが居なくてもどーにかできんだしさ」


 聞こえてしまった。


『あなたが居なくとも、《悪魔》の運営に問題はありません』


「…………………………………………………………」

「?…おい」

「…っ」

「シモン?」


 シモンはオーウェンから逃げるように走り出した。

 実際、逃げたのだ。

 彼女がオーウェンにしようとしていた話が、まさにそのことだったのだから。


 シモンは、部屋に入ろうとしてきたブランにぶつかるが、謝りもせず……実際は、謝る余裕がなく、走り去った。ブランは嫌な予感を胸に秘めながら、部屋にいるオーウェンの方を見る。


「……なに、修羅場?」

「ちげェよ。ただ……」


 オーウェンは、先程シモンに伝えた言葉をブランにも説明する。


「いつものあいつらしくねぇっつーか、変だと思わねーか?」

「は?」


 ブランは頭を抱え、壁にぶつける。


「お、おい」

「ええ…うそでしょ、それ本気で言ってんの?」

「……なにが」

「なにがじゃねぇよ!」


 ブランの珍しい大声に、オーウェンは思わずたじろぐ。


「なんだよお前さぁ!いっつもあいつの理解者ヅラしてるくせに…お前がトドメ刺してどーすんだよ!!」

「は?俺はただ、一人で気負うなって意味で…言って…」


 ブランは、オーウェンが一概に悪いわけではないと分かっていたが、それでも彼を責めた。


「………おととい……」


 そして、ブランは2日前のことをオーウェンに話した。


「……あいつが、セラフィに戻る?じゃあ、管轄係は誰がやんだよ」

「さぁ?誰かテキトーな埋め合わせすんじゃない?」

「っそんなの……」

「わかる?お前さぁ。あの【ケルビィ】のこと散々敵視してるけど…さっきお前が言ったこと。あのひととまるっきりおんなじだよ」

「……」

「シモンに、お前はもう用済みだって言ってるようなもんじゃんか!なんで気づかないかなぁこの鈍感!」

「……っ」


 オーウェンは弾かれたように走り出した。


〜〜


 《悪魔》近くの公園のベンチで、シモンは項垂れていた。そこに、ひょこっと顔を出して現れたのは、もはや精霊のように神出鬼没なフーリエである。


「フーリエ……」

『おはよう、シモンさん』


 彼女は堂々とシモンの隣に座り、心中を話せ……という静かな圧をかける。シモンは早々と降参し、敵わないなぁ、と話し始めた。


「……私が【セラフィ】になった時、家族が危険にさらされたことがあってね。家族を誘拐して、私から金を巻き上げようとしたらしいんだけど……それ以外にも、いろいろと悪質な輩に狙われるようになっちゃってさ。私が一見頼りないってのが、主な理由かなぁ」

『なにそれ、酷いわ』


 フーリエは筆が折れそうなほどに握りしめ、わなわなと震える。


「……それ以来、私は家族と会えていない。盗聴されるかもしれないから、電話すらできない。私は家族が大好きだったから、結構参っていて……だから、アジェンデは私にとって、身近にいてくれるお母さん……っていうか、おばあちゃん?ひいおばあちゃんかな……勝手にそんな存在だと思っていた。カロちゃんのご両親はもう他界していて、カロちゃん自身もひとりだからさ……アジェンデも、家族はとっくに亡くなっているし……3人で、本当に、家族みたいだったんだよ」


 シモンは懐かしそうに空を見上げる。


「……アジェンデに会いたいとか、家族に会いたいとか……不可能な願望が次々に溢れ出てくる。私……弱くなったもんだなぁ。無様で惨めで自分勝手。最悪だ」


 乾いた笑顔を浮かべて、今度は俯いた。

 フーリエはムッと眉を寄せて筆をとる。


『シモンさん、たまには弱音を吐いてもいいんだよ。自虐なんてしないで』

「……」


 フーリエは首から下げた笛を手に取り、シモンに見せる。


『私は、自分が失った声を、ブランくんがこうして形にしてくれたような気がして、とても嬉しかった』

「……」

『あとね。そのことをブランくんに伝えたら、その笛の音より、フーリエさんの声はずっと綺麗に決まってますって言ってくれたの。ああいうところ、格好いいよね』

「……あいつ、ちゃんと言えるじゃん……ははっ、よかった……」


 シモンは驚いて目を見張り、破顔する。

 フーリエも笑って、また筆をとる。


『ブランくんと出逢わせてくれたのは、あなたでしょう。あなたが私を生かして、あなたがブランくんを部屋から連れ出してくれたおかげ』

「……」

『シモンさんがどんな選択をしても、私みたいに、あなたのことを変わらず好きでいるひとは、あなたが思うよりもたくさんいるのよ。たまには落ち込んでもいいけれど、私はやっぱり、元気なシモンさんの方が好き』

「……そっか」


 シモンは自分の瞳にうつる透明の膜がこぼれないように、上を向こうとした。が、フーリエが自分の背中をさすると、無意識に下を向いてしまった。


「……………………そっか……」


〜三大天使〜


〜〜《天使》最上階 執務室にて


「ねぇねぇ【ケルビィ】」

「なんですかクソガキ」

「クソガキはひどくなぁい?」


 プルードンは机に突っ伏し頬杖をつきながら、手のひらサイズの犬の置物をころころと動かす。


「きみさぁ、シモンのことホント好きだよねぇ」

「ええ、好いていますよ。彼女はあなたと違い分別があって人間性も欠けず、《天使》に必要不可欠な存在です」

「あは、オレへの悪口混ぜるのうまい〜。ついでにひとの弱みをついてドン底に落とすのもうまい〜」

「……………今すぐ黙れ」

「わぁ、敬語ハズレてる〜」


 メキッという音の後、カストロが握っていたペンが折れる。


「ひぇ、こわわ〜」

「お前の頭をこうしてやってもいいんですがね」

「そしたら後釜二人探さないといけなくなるねぇ」

「………ハァ」


 カストロは、自分がなぜここにいるのかについて思いを馳せる。


 アジェンデの無欠さに憧れ。

 シモンの異常さに焦がれ。

 この二人と並んでいられるならば、と意気込んでいた。

 しかし彼女は、撃たれそうになったシモンを助けることができなかった。守ると約束したアジェンデの心臓を守るどころか、逆に庇われてしまった。


 あの瞬間の、言いようもない虚無感。


「…………」


 カストロは、【ケルビィ】に加え、【トローニ】の分の《天使》の事務処理をこなすことで気を紛らわせていた。


「失礼します」


 その時、扉が開く。


「……シモン」

「あ、シモンじゃあん」


 カストロは目を伏せ、プルードンは退屈な雰囲気がマシになると思いピョコンと起き上がる。

 シモンは無言で、2人の前に歩み出る。


「……プルードン。あなたは【セラフィ】と【トローニ】、どちらがいい?」

「!……【トローニ】に決まってんじゃん」

「あら、意外。他の《天使》からは、私やカロちゃんより下の存在だと思われたりするかもしれないけれど、それでもいいの?」

「オレは正義感溢れる人たちの上に立って、いい子ヅラしてるより、裏から色々操る方が好きだからさぁ。あときみなんかより事務処理たぶん速いよぉ。あと、きみらの大好きなアジェンデ・ゴッセンの後釜が、よりにもよってオレってのが興だよねぇ」

「……そう」


 カストロは目を見張り、思わず口を挟む。


「ちょ、っと、待ってください。シモン、あなた……」


 シモンはカストロをみて、ふ、と桜のように笑う。


「一度ミスを犯した人間がNo.1なんて、みんな嫌だろう。ちゃんと引っ張っていけるかもわからない……カロちゃんは、その危険性を背負ってでも私を必要としてくれている。それがすごく……嬉しいんだよ」

「…………」

「私は怖がっていただけだ。あの日、《天使》のみんなから嫌われたトラウマと、《悪魔》にとって用済みな私が、重なってしまっただけ。本当は全く別の事態。動揺してごめんなさい、カストロ。アジェンデがいたら、私情を持ち込むなって言われるだろうな」

「……やめてください、シモン。僕は、あなたと同じ立場にいたいという私情を通すために、あえてあなたのトラウマを抉ったんです」

「私情と公の最適解が一致した時、それは私情とは言わないのだよ、カロちゃん」

「!……」


 シモンは一歩下がり、礼をする。


「しかし、三大天使への勧誘は、他2人の同席のもと、と決まっておりますので」


 プルードンはそれを聞いてむすぅっと顔を歪ませる。


「なぁにそれぇ。はッッッらたつ。きみを勧誘しなきゃなんないわけぇ?」

「いいじゃない。それくらい言ってちょうだいよ。私をセラフィから引き摺り下ろした子と一緒に、三大天使やんなきゃいけないんだから」

「……はいはい」


 プルードンは、シモンの押しと、隣のカストロからの異様な圧に耐えきれず、テキトーに口を開いた。


「管轄係シモンサマァ、オレらと一緒にバカども操って楽しもうぜぇ、はい以上〜」

「どんな勧誘の仕方じゃい」

「このガキ一回シメますか」


 シモンは爆笑し、カストロは憤怒の炎を燃やす。

 だが、シモンはカストロの肩を叩き、自分の方に振り向かせた。


「【ケルビィ】様。何度も勧誘してくださったにもかかわらず、遅れてしまい申し訳ありませんでした。【セラフィ】の座、謹んでお受けします」

「っ、……」


 カストロは一瞬涙腺が緩むが、悟られる前に無表情へ戻り、できるだけ素気なく、遅いんですよ、と返す。


「えぇ〜、シモンらしくなぁい、もう一回!」

「分かったよ。ゴホン。遅れてごめんね、カロちゃん。やってやろうじゃないか!私と、カロちゃんと、ドン坊で」

「ええ〜、オレはそういう暑苦しいのイヤなんだけどぉ。ウッザ」

「どっちだよ!!」


 プルードンはシモンに文句をつけ続け、シモンはプルードンに振り回される。


「では、1時からの集会で発表しましょう」

「1時……って十分後じゃん!?」


 シモンは大急ぎで身支度を整え、2階の講堂へ向かった。


〜〜


「〜〜。報告は以上です。そして、私【ケルビィ】と【セラフィ】の話し合いの末、【セラフィ】プルードンが【トローニ】へ異動することが決定しました」

「「!!」」


 一同はざわつく。では【セラフィ】は誰が、と。


「【セラフィ】は、私とプルードンが正式に勧誘しました。この方しかいないと、思っています。……サン・シモン!」


 シモンは名前を呼ばれると、扉を開いて皆の間を歩き、壇上に上がる。


「異議のある者は、前へ!!」


 カストロは覚悟を決めて叫ぶ。


「「異議ありません!!」」

「…………え??」


 シモンもまた、大反対されるだろうと覚悟していた。しかし…………《天使》一同は揃って跪く。

 シモンとカストロは驚愕し、状況を飲み込むことができない。


 プルードンはひとり、シモンとカストロの後ろから歩み出る。笑いを堪えていたが、やがて耐えきれずに爆笑する。


「ふふっ。あっははははは!!やっぱりサプライズはこうでなきゃねぇ!!」

「「…………は??」」


 シモンとカストロは、2人してプルードンの方を振り返る。


「くくっ。シモン。『きみのミスは、捏造されたものである』。そう、みんなに吹き込んだんだよ」

「プルードン、あなた……」

「一週間前から既に動いてたからぁ。誰かさんがバカみたいに落ち込んで、誰かさんがバカみたいに仕事してた時にさぁ。情報操作が得意なプルードンくんが、何もしてないとでも思ってたぁ?」


 シモンは顎が外れるほど驚き、カストロも固まったまま絶句。


「じゃあ……」

「きみがセラフィから堕とされたのは『不当』だって、全員が思ってるよ。異議なんて出るはずないじゃあん」

「……!」


 シモンは駆られるように《天使》メンバーの方を振り向く。皆は、シモンが【セラフィ】だった頃の眼差しで、彼女を尊敬し、見つめていた。


「あ、ちなみに犯人はピノチェトってことになってるからぁ」

「自分の罪をなすりつけたんですか」

「いいじゃあん。これくらい憂さ晴らししたって」


 カストロは、シモンに対する認識の変化に喜ぶ気持ちと、プルードンのニヤケ面への腹立ちの間で揺れていた。


「……私、嫌われていても頑張るって覚悟で、ここに、来たのに…………」


 シモンは顔を手で覆って後ずさる。気を抜くと泣いてしまう、と思った。

 プルードンは、そんな彼女をみて、くすっ、と笑う。


「……フツーさぁ、集団の感情をマイナスからプラスにするのって、プラスからマイナスにするより遥かに難しいしメンドイんだよぉ。でも……今回、きみに対する評価をマイナスからプラスにするの、すげーカンタンだった」

「それって……」

「きみが、《天使》全員に、心の底でバカみたいに好かれてるってこと」

「…………っ」

「あ、オレがきみのこと、いけ好かないって思ってるのは変わりないからねぇ」


 プルードンは手をぶらぶらと振って口笛を吹く。


「……うん、ありがとう。私が折れそうになったら、また容赦なく引き摺り下ろしてくれ」

「はいはぁい」

「待ちなさい。させませんよ、そんなこと。そもそもあなたが原因なんですから、当然です。恨みは忘れません。図に載るな潰しますよ」

「イダダダダ」


 カストロはプルードンの耳を千切れんばかりに引っ張る。ギブギブ、と溢すプルードンを尻目に、シモンは《天使》メンバーの方を見つめた。


「……なるほどなぁ。じゃあ、私、みんなに遠慮せず喋っていいんだね」


 そして、ふふふ、と魔女のように笑いながら壇上から降りていく。


「シモン様!やはりあなたは素晴らしいお方だったのですね!」

「あなたがミスを犯すなど、おかしいと思っていたのです!」


 歓声の中、にこりと笑って口を開いた。


「…『痴れ者』、『恥知らず』、『無能』、『役立たず』、『足手まとい』、『どうせコネで【セラフィ】になった』、『業績も大したことない』、『《天使》には必要ない』、『ガキのくせに生意気』、『不細工』、『アバズレ』、『脳味噌が空洞』、『三大天使の面汚し』、『歴代最悪』……」


 シモンは、コツ、コツ、と歩いて、《天使》のメンバーひとりひとりの前で立ち止まり、視線を合わせ、セリフを言っていく。

 その言葉は、シモンが見つめた者が、かつて【管轄係】となったシモンに対して吐いた罵詈雑言であった。

 シモンはそれを、すべて余すことなく覚えていたのである。


「「………………」」


 歓声はすぐに止み、代わりにそれぞれがカタカタと震えていく。冷や汗ダラダラである。


「……まぁ、実力至上主義の《天使》だから、『ミスを犯した人間』に対して、そういう態度をとるのは何も悪くないよ」


 シモンはさすがに全員分言うのはやめておこうと思い、30人ほどでストップした。


「でも私、実際……ミス、してませんからァァ!!みぃんな、ほっとんど騙されちゃってさぁ……!!」


「「申し訳ありません!!!」」


 全員は土下座する勢いでこうべを垂れる。


「……と、個人的な愚痴はこれくらいにしておこう」


 シモンは、ふぅ、と理性を帰還させ、また壇上へ上がっていく。


「アジェンデが愛したこの組織を。不甲斐ないものには決してするものか。皆、私たちについてきてくれるかしら?」

「「はっ!!」」


 その日の総会は、過去最高に声が揃っていたという。


〜〜


「なぁに逃げてんの?ダヴィくん。ロワちゃん?」

「「!!」」


 総会後、抜足差足でそろりそろりと逃げようとしていた2人は、ビクッと肩を震わせ、カタカタと壊れたおもちゃのようになる。


「あ、あの……シモン、様……」

「…………」


 シモンは2人に駆け寄り、飛びつくと、両腕で2人とも抱き締めた。


「……ただいま」

「「…………ッッ」」


 2人はぐちゃくぢゃの感情のまま、耐えきれずに泣き出した。


「そしてごめんなさい。私があなたたちに不甲斐ない姿を見せてしまったのは、事実だから」

「そ、そんなことは……」

「……ッ、うぅ、シモン様……」


 シモンは2人から手を離し、ごそごそと紙を取り出す。


「はい、ダヴィくん」

「……こ、これは」

「【ドミナツォーニ】への推薦状。昇進おめでとう。あなたの実力は、どんな立場にいてもちゃんと見ていたよ」

「……!!」


 ダヴィドはボロボロと泣きながら頭を下げる。


「す、すごいじゃないですか!ダヴィドさん!」


 ドラクロワは興奮して思わず泣き止む。


「ロワちゃんとゴヤっちは、実力は申し分ない。あとは事務処理のスピードと任務数がもう少し必要ね」

「は、はい……精進します……」

「いやぁ、私に向けてクソザルとはよく言ったもんだなぁ?」

「も、申し訳ありません!!!」

「あはは、冗談冗談。何の処罰もないから安心して。相変わらず美人さんね」

「…………」


 ドラクロワは美人と言われると無言で俯く。


「はぁ〜い、しんみり雰囲気ぶち壊し大得意なゴヤくん登場でぇ〜す」


 そこへ、エレベーターから降りてきたゴヤがジャジャーンと登場する。本人は格好つけているつもりだが、周りからの視線は氷である。

 シモンは彼に歩み寄る。


「なに他人事みたいに言ってるの?ゴヤっち」

「へ?」

「知ってるんだよ。あなたが《悪魔》のみんなをそれはそれはご丁寧に侮辱してくれたこと」

「ヒェ」

「オーウェンから聞いてるからさぁ」


 シモンはニタァ……と笑う。


「イヤァァァァァァァ」


 後には彼の断末魔が残ったのだった……


〜〜《悪魔》にて


「シモン!!?」

「よ、オーウェン」


 シモンは、さも当然かのように執務室にいた。

 オーウェンはシモンに駆け寄り肩を掴んだ。


「おまっ、どこ探してもいなかっ、ここかよ!?【セラフィ】に戻るって、マジか!!?」

「おお、落ち着きなって」

「落ち着いていられるかよ!!」


 オーウェンをどうどう、となだめると、シモンはいつものように笑った。


「本当だよ。私は【セラフィ】に戻る。さっき総会で正式に決定した」

「………………」


 オーウェンは俯き、力無い声で言う。


「やめてくれ……」

「え?」

「なんで、だよ……悪い、あのことは謝る……あんなつもりで言ったんじゃないんだ。アンタは《悪魔》に必要だよ、ただ、俺たちを頼ってくれって意味で、言ったんだ……」

「…………随分と悩ませたみたいで、ごめん。私こそ謝らせて。自分勝手に解釈しちゃったのは、私なんだから」

「本当に、本部に戻っちまうのか……」

「……」


 シモンは、オーウェンの腕を引き、思い切り抱きしめた。


「……ありがとう。大好きよ、オーウェン」

「聞きたくねェよ、そんなの……」


 オーウェンは声を殺して泣いた。シモンは目を伏せ、黙って背中をさする。


「……ひとつだけ、伝えてもいいかな」

「…………っ、なん、だよ……」

「ロバート・オーウェン。あなたを《天使》に復帰させ、【悪魔管轄係】を任じます」

「え、」


 途端に、オーウェンの涙は引っ込んだ。


「えええええええええええっっっ!?」

「みんなも、オーウェンが管轄係なら安心だろうと思ってさ」

「え、いや、おまっ、それって」

「あら、天使(あなた)が悪魔に堕とされたのなら、悪魔(あなた)が天使に戻ったっていいじゃない。大丈夫、反対意見は無いよ。あなたがイルネスをコントロールできる証拠は、いくらでも揃っていたからね」

「…………」


 オーウェンは未だに言葉が出ない。


「それに、私はオーウェンに任せたいと思った。あなたが私の無理を可能にしてくれたから。……みんなのこと、頼んだよ」


 だが、シモンの真剣な瞳をみて、彼は何もかもどうでも良くなった気がした。


「ちなみに、あなたがよく知っているひとの部下ってことになったから」

「……まさか……」

「うん!お察しの通り、ダヴィくんのチームに入れたから!ゴヤっちやロワちゃんとも仲良くね!」

「ハァァァァ!?お前それ嫌がらせの域だぞオイ!!」

「うん!愛のある嫌がらせだよ!!【ドミナツォーニ】の保護下なら、あなたに手を出すような輩もそうそういないでしょう」

「フッざけんな!?」


 オーウェンがシモンに抗議しようとした、その時。


「はいはい、痴話喧嘩終わった?」

「なにが痴話喧嘩だ!!」

「あら、はかったようなタイミングじゃない、ブラン」


 ため息をついて入ってきたのは、ルイ・ブラン。そして、ニコニコしているシャルロッテ・フーリエと、そろりと覗くバクーニン。


「ブラン。遅れたけれど、【磁石化】コントロールおめでとう。あと、フーリエと早く結婚しなさい」

「け、っこん……って……」

『シモンさん、私たち付き合ってるよ』


 フーリエのメモにより、茶化したつもりのシモンの目が皿になる。


「はぁ!?マジで!?いつ!?どこで!?なんて言って!?くっそ、《天使》の最上階になんかいるんじゃなかった!!!」

「おい落ち着け」


 今度はシモンが暴走し、オーウェンがなだめる。


「あ、バクちゃん」

「シモン。プルードン様のこと、頼む」

「ええ、任せておいて。私とカロちゃんで責任を持ってこき使います」

「ああ……って、え?」

「ふふ、ジョーダンジョーダン。バクちゃんも、しっかりね」

「……はい」


 バクーニンが頭を下げると、ブランはシモンとオーウェンの手を引いて、《悪魔》のメンバー全員が集まる部屋に連れて行く。

 そして、シモンの背中を押し、『挨拶頼むよ、ボス』と呟く。シモンは、うん、と返事をする。


「みんな、本当にありがとう。《悪魔》のことが大好きな人間が【セラフィ】に戻っちゃうんだから、あなたたちの立場は改善される。してみせるよ、絶対に」


『あなたたちの立場が改善されるよう、取り計らうと誓おう』


 かつて彼女は、初対面の皆にそう言った。


「嬢ちゃん。ありがとよ、本当に……」

「シモン様が来てから、自分はちゃんと人間なんだって、思えるようになったわ」

「本当に、ありがとうございます」

「行っちゃやだぁァァァ」

「こらアンナ!泣かないの!」


 シモンが分けた5部隊の隊長が、それぞれコメントを残す。皆、泣くか喚くか感極まっていた。


「……みぃんないとしい、私のたからもの」

「…ん?」


 シモンの独り言に、オーウェンは聞き返す。


「そんなみんなと巡り会って笑い合う。私は一番の多幸もの」


 シモンはオーウェンを見つめ返し、幸せを象徴するように笑った。


〜悪魔から天使へ〜


 コツ、コツ、コツ。

 銀色のブーツが規則正しい音を立てる。


「………」


 肩まで伸びた白髪、トパーズの瞳。

 ごく普通の女子高校生に見える容姿は、周囲から畏敬の視線を引く。


「…いつにも増して忙しそうだな、みんな」


 彼女は淡々と階段を降りる。

 踏むたびに、空気を澄ませるような音が響く。雪のような手すりは、天井の灯りを綺麗に反射していた。


「相変わらず掃除が行き届いてるなぁ……」


 彼女は担当者の苦労を慮り、嘆息する。曲がり角を曲がると、『新人訓練室』へ入る。


「こんにちは」

「!」


 扉から一番近いところに立っていた、腰まである黒髪を持つ三十代程の女性は、警戒しながら彼女を見つめる。


「だ、誰よあんた!」

「ほほう、これはまた随分と警戒されてしまっているようで」

「……っ」


 女性の眼圧にも物怖じせず、むしろ微笑みを浮かべて返答するシモン。


「あなた、噂の問題児さん?」

「……だったら何かしら」

「あら。自己紹介が遅れて申し訳ない」


 彼女は姿勢を正し、右手を胸に添えて一礼する。

 その洗練された動作は、緊迫した雰囲気を緩めるように流麗であった。


「私はSimon (シモン)。【セラフィ】の役職を任されている、《天使》です」


 彼女は、期待と冷徹を二重に宿した眼で、いつの間にやら彼女の周りに集まっていた人混みを、一瞥した。

 そして、不敵に笑う。


「以後、お見知り置きを。新入りの皆さん」


〜〜


白と黒

正義と悪

ヒーローとヴィラン

ハッピーエンドとバッドエンド


ハズレ者と、そのまたハズレ者


_________憎しみと、愛。


 その先にあるものは、きっと。


 『天使と悪魔』_______fin.

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