ある日
ある日、母上に呼ばれ書斎へ向かう。
「花琳,徳妃からこの前会えなかったから今度宮廷へお誘いをいただいているのだけどどうかしら。」
そういえば母上の姉である徳妃に会わなかった。
体調でも悪いのだろうか。
「お加減がよろしくないのですか。」
母上は徳妃と仲が良く度々文を交わし会いに行っている。
「先日まで体調を崩していてね。大事を取って祝賀会はお休みしたの。」
徳妃は元々体が弱く、体調を崩しがちだ。
以前妊娠したときも体が持たないかもしれないと言われながら出産した。
後宮に住んでいることもあり簡単に会える相手ではないので機会があるうちに会っておいた方がいいかもしれない。
いずれ誰かと結婚した時のためにある程度の交友関係は築いておきたいと近頃思うようになった。
頼れる相手や味方を作っておいた方が有利に動くこともあると母上から学んだ。
花琳は徳妃に一度しか会ったことがない。昔、姚家に帰ってきたときに母上に連れられて会いに行った。
幼い頃は屋敷で父上といることが多く宮廷へ行くことがなかったため、会ったのはその一度きりだ。
代わりに二つ下の妹がよく母上と徳妃の元を訪ねている。
「一度しかお会いしたことがないのでぜひ行きたいです。」
「ええ、それが良いわ。」
さっそく、お土産は何がいいかと考え始める。
すぐに思い浮かばないが、街へ行けば何か思いつくかもしれない。
「母上、お土産を探しに街へ行ってきます。」
日が沈む前に帰るように言われて街へ行く。
何がいいかと店を見て回りあれこれと悩む。
「雨桐、宮廷へはいつ行くのかしら。刺繍の手巾はどう?」
母上がいっぱい持って行くだろうし無難なものでいいだろう。
正直、刺繍はさほど得意ではない。練習したため人並み以上にできる自信はあるが好きではない。
だが、買った物よりは何か作って持って行くほうが良い気がする。
となると、刺繍の手巾辺りが普段使いできていいかもしれない。
「まだ決まっていませんね。刺繍をするのでしたら奥様は待っててくださいますよ。」
名案だと雨桐は頷く。
刺繍糸と生地を買いに裁縫のお店へ向かう。
店に入るとどこかで見たことあるような人がいた。
「君は徐家の花の子だよね。」
そうだ。
先日の祝賀会の時に曹家の若君が一緒にいた皇子のうちの一人だ。
「殿下に拝謁いたします。」
花琳が礼を取ると、お忍びだからそのようなことはしなくていいと言われる。
「殿下は刺繍をなさるのですか。」
男性が裁縫の店を訪れることはあまりないと思うが、意外と男性も刺繍をしたりするのだろうか。
「いや、妹が刺繍が好きでね。時々買ってきてくれと頼まれるのだ。そなたは?」
皇子の妹ということは公主だ。
「私は今度後宮へ行くので刺繍をした手巾を持って行こうと思っています。」
「徳妃に会いに行くのか?」
「左様にございます。」
「そうか。私もたまに徳妃に会っているよ。陽若とな。」
知っている名前が出てきて驚く。
陽若は花琳の二つ下の妹だ。
ということは、この人が妹と故意にしている皇子なのだろう。
親しみやすくなかなか良い人だ。
「妹がいつもお世話になっております。改めまして、陽若の姉の花琳でございます。どうぞお見知りおきを。」
「そういえばこうして会うのは初めてだね。私は四番目の皇子の浩然だ。よろしくね。」
陽若が徳妃に会いに行くのは分かるが、皇子はなぜ徳妃に会いに行くのだろうか。徳妃の子どもは娘一人だけで皇子を養子に取ったりはしていないはずだ。
「皇子は徳妃と仲がよろしいのですか?」
「そうだね。私の母上は斉氏であまり身分は高くない。故に徳妃には私が幼い頃からひいきにしてもらっているのだ。刺繍糸を頼む妹は徳妃の娘だよ。」
身分が物をいう後宮ではよくある話だ。
身分が低ければ周りから蔑まれる。身分の高い妃と仲良くして後ろ盾を得ることで己を守っている。
斉家は中級貴族だが、代々続く名家である。
だが名家であろうと中級貴族だと何かと不便があるのかもしれない。
それから刺繍の図柄を決め、手巾と糸を購入し裁縫の店を後にする。
皇子はとても話しやすい雰囲気だった。
皇子といえば傲慢そうな印象を思い浮かべてしまうが、案外そんなことはないと花琳は思った。
日暮れまでまだ少し時間がある。
「雨桐、楊商会へ行くわ。」
せっかく街へ来たなら楊宣に会いたい。
「お嬢様、お言葉ですが楊商会を訪ねるのは控えた方がよろしいかと。お嬢様は徐家の娘。楊家は商人です。訪ねるだけでもあらぬ誤解を招きます。」
主を正しい方へ導くのが侍女の務めである。
一度噂が流れてしまった以上ほとぼりが冷めるまで控えるしかない。人の目はどこにでもある。
仕方なく花琳は諦めた。
好きな人に会いに行くのも手紙を出すのもいいじゃないかと思うが身分というものはどうしようもない。
何をするにも身分がついてくる。鬱陶しい。
残念だが今回はおとなしく屋敷に帰ることにする。
また、街へ来よう。
きっと次はばったりどこかで会えるかもしれない。
それで再び楊宣に会うことがあれば運命であるし、この先一切会うことがなければこれもまた天命であろう。
好きな人と一緒にいたいという思いと徐家に相応しい振る舞いをしなくてはならないという思いが交差する。
婚姻に自分の気持ちはあまり考慮されない。大事なのは家同士の関係。
花琳が徐家の娘として正しくあるためには楊宣を諦めなければならない。
だが、一緒にいたい。
いつかこの気持ちに終止符を打てる時が来るのだろうか。




