6 ファンタジー初めてのおそと
砥草さんと業務内容の見直しをした。
もちろん、その前に砥草さんの会社の社長へ連絡をしている。
一時的に扶養するものが増えたので、というと、砥草さんの夫でもある家事代行サービスの社長は「本当は妻をあまり働かせたくはない。剣崎さんは特別だから妻を向かわせていますが、あまり長い拘束時間は勘弁してもらいたい」と本当にしぶしぶ就業時間の延長に同意してくれた。
時間を午後3時までに変更し、今までサービスしてもらっていた昼食とおやつの用意も業務内容に加えた。給料もUPさせてもらった。
時が過ぎたある日。
SNSメッセージに、砥草さんから「カイくんとスーパーに行ってきます」と届いた。
カイジュールはこっちの世界でまだ外に出たことがない。
大丈夫かな。
砥草さんがついているし、大丈夫だよな。
こんなことなら、休みの日に少し散歩にでも連れて行けばよかった。
本当に大丈夫か?
カイジュールの世界とは全然違うんじゃないのか?
つうか、こっちの世界の常識とかあまり教えてないぞ。
交通ルールも何もかも!!
心配で心配で居ても立ってもいられなくなって結局、急遽休みを取って早退した。
家へ帰ると、疲れ切った砥草さんとカイジュールがぼんやりとお茶を飲んでいた。
急いで帰った誠一に砥草さんは何か言いたげな顔をする。カイジュールは心底疲れたのか、いつも以上に顔色が悪い。
「えっと、お疲れ様?買い物はどうだった?」
声をかけると、砥草さんがゆっくりと顔を上げる。その目は据わっていた。
「…剣崎さん、お話があります。カイくん、疲れたでしょう?お部屋で寝た方がいいわ。色々あったし」
カイジュールも、頷くとリビングを出ていった。
それからは砥草さんの怒涛の現状報告だった。
車を知らないってどういうことですか!車道に普通に飛び出していきましたよ!
自転車が向かってきたら、避けないで受け止めようとするんですよ!?思わずなんで!?と叫んでしまいましたよ!
人とすれ違うだけで体を硬くして、気がつけば隠れていなくなってるし、探せばとんでもないところから出てくるし、カラスを素手で取ろうとするし、壁に登ろうとするし!!!
「…スーパーには辿り着けませんでした。剣崎さん、ネギと生姜を買ってきてください」
「すみませんでした。休みの日に散歩でもして外に慣れさせます」
「そうしてください…。わたしも、確認しないで外に連れ出したのが失敗でしたから。カイくんも渋っていたのに、なんだか変に張り切ってしまって…。でも、一体どんな環境で育ったんでしょうね…」
スーパーに行って、砥草さんが言い付けられた物と、ついでに弁当や惣菜、パンとおやつなどすぐに食べられるものも購入する。砥草さんが疲れ切っていたので、今日は早く上がってもらおう。
家に帰って、ご飯を作ると言い張る砥草さんに謝り倒してタクシーに乗せた。
カイジュールの部屋を覗くと彼はベッドで寝ていた。
ようやくベッドで寝てくれるようになったと安堵する。
これから、外にだって出なければいけない。
これまでカイジュールがこちらに慣れるのを優先してたから、すっかり忘れていた。
外のことを教えないと怪我だけじゃすまない事態にもなるだろう。
カイジュールは、家の中だけならこちらの世界に慣れたといってもいい。
栄養が足りずカサカサだった肌も、髪も、砥草さんの栄養バランスが考えられた適量の食事でツヤツヤとなり、げっそりと削げ落ちていた頬も顎にも肉がついた。体つきもしっかりとしてきて、まだ細過ぎるが、だんだんと健康的な成長期の体を取り戻している。
制限をかけられていた食事もだんだんと量が増えた。カイジュールが食べる量も多くなったが、前のように食べれるだけ食べる、という様子は無くなっていた。自分の適正量がわかるようになったようだ。
落ち窪んでいた目や頬に肉がつくとカイジュールはびっくりするくらいの美人さんになった。
カサカサでシワシワでガリガリだった頃は、その人相の悲惨さに気が付かなかったが、彼はとても整った顔立ちをしている。
艶が出てきた髪は漆黒、それが映える白皙。顔の造形は整っていて、赤みがかった瞳がハッと目を引く。体のバランスも良く、もう少し体重が増え厚みが出れば理想的な体型になるだろう。誠一より低い身長だってまだまだ伸びるはずだ。
カイジュールの内面にも慣れが感じられるようになった。
まだ表情は少ないが、ふとした瞬間に少しだけ緩む。それが、彼の、ピン、と張っていた気持ちが少しだけでも緩んでいることを教えてくれる。
そんな表情が増えた。
誠一の家を安心できる場所だと認識したのだろう。
隠れることも無くなった。
食べ物に混ざる毒の心配もしなくなった。
必要以上に警戒することも無くなった。
誠一にはそれが嬉しく感じた。
成し遂げられたのは、砥草さんの作るご飯の功績が大きい。やはり、餌付けは最強の懐柔方法だ。
夕方、ぼんやりとしたカイジュールが起きてきた。
「おはよ。さんざんだったみたいだね。てか、よく外に出る気になったね」
声をかけるとカイジュールは少し不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「…女性のトクササンが一人でも外を歩けるくらい安全なら大丈夫だと思ったんだ」
「君のいた世界では、女性の一人歩きは危険なのかい?」
「家から一人で出たら、女子供は攫われたり…下手すれば、その場で襲われて殺される」
誠一は絶句する。カイジュールの世界は結構なバイオレンスらしい。
「そっか…そういう危険は少ないけど、こっちの世界もルールを知らなければ危ないよ。俺の休みの日にでもすこし、勉強しに外に行こう。すごいスピードで走る車…鉄の塊とか、ぶつかったら洒落にならないからね。交通ルールを覚えよう」
「…教えてくれればありがたい。おれは聖女を探しに行かなくてはいけないから」
カイジュールは目的を見失ってはいなかった。
「そっか、聖女さんの捜索ね…」
誠一は聖女のことをすっかり忘れていた。結構強いワードなのに忘れていたことに驚いた。
聖女を探す、か。
誠一は夕食を終えて一人リビングで魔法陣の図案を考える体でカイジュールのことを考えていた。
夕食時。
カイジュールは砥草さんの味ではないお惣菜と弁当に少しだけ眉をひそめた。完全に舌が肥えていらっしゃる。
砥草さんの料理に慣れるとスーパーの惣菜とかコンビニの弁当とか買う気にならなくなるから少し困りものだ。
それでも、出されたものは残さず綺麗に完食した。お代わりはなかった。
食べた後は砥草さんからもらったというひらがな多めの児童書を持って自室に引き上げていった。この頃は、誠一が魔法陣を描く横で児童書を読みつつ、読めない漢字や言葉の意味を聞いたりしていたので、少し寂しい。
今日はカイジュールも疲れたのだろう。
誠一はディスプレイをぼんやり見る。
誠一に慣れて、砥草さんに慣れて、家に慣れて、外に慣れて。
この世界に順応して、それからカイジュールはどうするのだろう。
異世界に聖女を連れ帰る、とカイジュールは言う。神殿長様からの御恩に報いるために、と。
聖女を連れ帰ることがカイジュールの成すことだと本気で考えている。
彼はきっと成し遂げるだろう。
でも、それは正しい答えなのだろうか。
異世界云々は誠一の感覚から言えばファンタジー、物語だ。そういう年頃の頃は、召喚されたり、転生したり、転移したりして異世界へと旅立った主人公たちに感情移入し、ワクワクしながら読んだ。
現実から離れることができた彼らを少し羨ましくも感じた。
でも、カイジュールがこれから行うことは物語ではない。現実だ。
現実で聖女と見られる人物を、異世界に連れて帰ればどうなる?
物語であれば連れ帰った異世界では、カイジュールは英雄になるだろう。世界を救う鍵を連れ帰るのだ。
でも、現実にはどうなる?
殺してもいい人間がそんなに簡単に英雄に祭り上げられるだろうか。
すぐに否定の答えが頭に浮かんだ。
では、こっちの世界ではどうだ?
これはファンタジーではなく現実。
この世界で、人間がある日突然消えてしまったら、まず初めに犯罪を疑われる。
いくら聖女本人が「異世界素敵!連れていって!」と言ったとしても忽然と姿が消えれば、周りは犯罪に巻き込まれたと思うだろう。
残されたものたちは連れ去ったものを恨む。
それが聖女本人の希望によるものだとしても。
それまで存在していた人間が消える。忽然と、予兆もなく。
残されたものは悲観するだろう。
なぜ、突然いなくなったのか。
なぜ、見つからないのか。
事件に巻き込まれ、命がないかもしれない。
どこをどうしているのかわからずに不安と心配ばかりが募る。
事件に巻き込まれた彼らは好奇の目に晒されることもあるかもしれない。
突然いなくなったことに対する憶測。その憶測に尾鰭がついて、さらに悪意ある噂が付き纏い、事実ではない人物像が出来上がることだって想像に難くない。
聖女を異世界に連れて行くには大きな問題がたくさんあるのだ。
でも、カイジュールがこちらの世界に居着くのには多少の問題があるが犯罪ではないし、だれも困らない。
厳密に言えばボーダーかもしれないが、異世界云々など誰が信じるか。信じる方の頭を疑う。
幸いなことにカイジュールの容姿は日本人と言っても差し支えない。
戸籍の問題も弁護士に相談すればいいだろう。就籍に関しては確か証明できるものがなくても家庭裁判所で手続きが行えるはず。未成年であればさらにたいした手間もない。
父や兄に相談し剣崎の名を使えれば、さらに話は簡単になる。父と兄も否とはいうまい。建前的には虐待を受けていた子どもを誠一が保護するのだ。
しかし、カイジュールが戸籍を取得した後に消えられるのは困る。剣崎の名前を使うのであればなおさら。カイジュールが消えた時、そこに剣崎の名が残れば大きな波紋となる。
それが例え、家を出た出来損ないの次男の仕業であっても。
誠一は、カイジュールを元の世界に帰したくなかった。
生きているだけで子どもが命を脅かされるような世界に帰る必要がない。
しかも、カイジュールは戻る方法もわからないようだ。戻る方法もわからず、よしんば戻る方法があるとしても安心して暮らせる世界ではない。命を脅かされるそんな世界に帰る意味はどこにある?
カイジュールはこちらの世界にいればいい。聖女なんて探さずに、誠一の庇護下で、こちらの世界で生きればいい。そのための手助けならいくらでもしよう。
でも、これは誠一が一人で決めることではない。
まずは、カイジュールの意志を確認しなければならない。
いまだに聖女を探し、連れ帰ろうとしているなら説得が必要だ。
そんなことをつらつら考えながら、日常を暮らす。
休みの日、カイジュールと近所に散歩に出かけた。砥草さんと出かけた日以降、カイジュールにはこの世界の常識を教えていたから砥草さんと出かけた時のような惨事にはならなかった。しかし、やはり人とすれ違うたびに体を硬直させていた。
でも、壁を飛び越えようとしたり、カラスを食料としてみることはなくなったし、交通ルールもしっかりと把握し、自転車が近づいてきたらちゃんと避けられるようになった。砥草さんからの任務は遂行できたと言っても良いだろう。
まだまだ一人で外に出すのは危なっかしいが、砥草さんと買い物デート位はできそうだ。
日常に変化が訪れたのは、それからしばらくたってからだった。
誠一は納期の近い魔法陣を仕上げていた。差し迫った誠一の雰囲気に何かを感じ取ったのだろう、カイジュールは自室に引き上げていった。近頃、サボってばかりで本当に納期がやばい。
今回の依頼は「コミュニケーションUP」だそうだ。
そんな効果はないっつうの、と悪態を吐きながら、それでも円滑なコミュニケーションを図れるように祈りながら図案を起こす。
HPの最初に赤太字で「当方で販売している魔法陣はただのイラストであり、祈願成就等の効果はありません」と明記し、受注確認メールにも同じ文言を記しているが、この手の依頼は後を絶たない。
描き始めると周りの音は聞こえなくなる。集中よりもっと深い場所に落ちて行って、紙の上に見える黒い道を辿っている感覚になる。
体の奥底からあふれ出る温かな気持ちを載せて線を引く。何も考えない。何も感じない。
楽しい。
「…チ、セイイチ、」
普段なら聞えないはずの音に邪魔されて、誠一は集中の沼から這い出ると、カイジュールが誠一の肩に手を置いていた。カイジュールが自分から誠一に話しかけるのがとても珍しい。
「セイイチ」
「ん?なに?カイジュール」
微笑みかけると、カイジュールはホッとしたように表情を緩めた。
時計を見るとまだ寝るのには早い時間帯だ。
寝る前にお腹が空いたのかな、と思い立つ。カイジュールは成長期だ。変な時間にお腹が減ることがあるだろう。決して誠一の小腹が減ったからではない。
カイジュールが自分のお腹の適正量を把握したことを察した砥草さんからは、好きなものを食べて良し、と許可は下りてる。
何かめぼしい食べ物はあっただろうか。酒のつまみくらいしかなかった気がする。
栄養事情が改善されたカイジュールの体つきはしっかりとしてきたし、なんなら身長も少し伸びたようだった。それが微笑ましくて嬉しく思う。
キッチンを漁ろうかと立ち上がりかけた誠一を止めて、カイジュールは描きかけの魔法陣に視線を落とした。
「魔力を感じて来た」
そういったカイジュールは誠一が座る作業台の近くに座った。珍しいね、と思いつつカイジュールに体ごと向き合う。
こうして見ると本当に美人になったな、と誠一はぼんやりとカイジュールを見つめた。
同じシャンプーを使っているはずなのに、カイジュールの髪には誠一にはない艶とこしがある。誠一は年齢のせいか若干細くなりつつある自分の頭髪に想いを馳せ、切ない思いに囚われる。
カイジュールの髪はツヤツヤでフサフサだ。どちらの擬態語も誠一が年齢と共にどこかに置き忘れてしまったものだ。
「何?」
不躾な視線に気が付いたカイジュールがむくれたような視線を寄越す。
「いやー、カイジュールが健康的になったな、と思ってさ」
「‥セイイチとトクササンのおかげだ。感謝、している」
(あらまあ!!)
不意打ちの感謝の言葉に誠一は内心、顔を手で押さえてのたうち回った。隠してはいるがカイジュールの表情にはほんのりテレが滲んでいる。可愛らしい。
「うん。おれは君が健康的になってこの世界に順応してくれると嬉しい。
おれは君のこと、年の離れた弟みたいに感じているんだよね」
実際に、カイジュール程年の離れた弟が現われたら、「何やってんですか、お父さん!」と父親ににじり寄り責める様子しか思い浮かばないが。
年齢的にはカイジュールは弟というよりも誠一の息子に近い。
「それは、親和の魔法陣?」
カイジュールは話を誤魔化すように描きかけの魔法陣に目をやった。
「うん。コミュニケーションUPの魔法陣って依頼。人間関係が円滑に行くようにだから親和で合っているね。
っていうか、そんな効果はないって言っているのにそういう注文が来るんだよ。
まあ、効果はないとわかっていても、こんなのにすがりたい気持ちもわかるからさ、心の中で願いながらは描いてるけど、気休めだよね」
「いや、ちゃんと親和の魔力を感じる。‥淡い朱色の‥優しくて温かな魔力だ」
誠一の魔法陣からは魔力が感じられるらしい。
「ヘエ、ソウナンダ」
片言になるのは仕方がないと思う。
カイジュールは、彼の言葉を信じない誠一の目を見た。
「魔力はこの世界にもある。魔力がなければセイイチの魔法陣は起動しなかったし、おれも魔法を使えない」
カイジュールは手のひらを上に向け、その手のひらに炎を発現させた。
「!?!」
「セイイチ、魔法を放てるようになった。こっちの魔力にようやく適合できた」
「!!何それ!もっかい!もっかいみせて!!」
何回か炎を出してもらったり、花火みたいな魔法を見せてもらう。子どものようにはしゃいで、はっと気が付いて気まずくなる。
「‥ごめん、初めて見たから」
「いや、セイイチが喜んでくれて嬉しい。トクササンに見せても喜ぶだろうか」
「いや、ダメ。砥草さんに魔法を見せるのはダメ。砥草さんに魔法とか魔力とか聖女とか異世界とか言ったらだめだからね?!変に思われるから!前にも話した通り、こっちの世界に魔法はないから、大人はそういう話はしません」
「そうか、」
とカイジュールがシュンと肩を落とした。
「でも魔法がこちらでも使えるとは思わなかった。で、どうしたの?」
「聖女を探しに出たい」
ついに来た、と思った。
カイジュールが聖女を探し始める日が。
「…探し始める前に、おれと話をしよう」
誠一はカイジュールの目を見据えた。
「カイジュール、おれはね、君が聖女を探さずに、この世界で生きていくという選択肢があるということを知ってほしいんだ。そのための用意もある」
誠一の言葉に、カイジュールは驚き目を見張った。
「だから、その前に、君の世界の話を聞かせてくれるかい?そして、これからのことを一緒に考えよう」




