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4 家政婦さんと秘密のファンタジー

次の日。急遽、有給休暇を取得してカイジュールを家政婦の砥草さんに引き合わせた。

砥草さんは、もう5年以上も誠一の家の家政婦として働いてくれている人だ。ふくよかで柔らかい印象の気の良い人。


昨日のうちに砥草さんにはSNSで簡単にカイジュールのことを説明していた。


家のまえで行き倒れていた。

今、重篤な怪我や病はなさそうだが、酷い虐待の痕がある。

栄養状態も酷く悪いようだ。

できればこのまま保護したい。

家に迷惑がかかりそうだから騒ぎにはしたくない。

弁護士には相談している。


と虚偽と事実を織り交ぜて伝えてある。


いつもの時間に出勤してきた砥草さんにカイジュールを紹介する。


しぶしぶという言葉を可視化できそうなほど、心底嫌そうに砥草さんの前に立つカイジュールからは敵意にも似た緊張が漂ってきて、誠一もそれに釣られて緊張してしまった。


ガチガチに緊張している誠一とカイジュールの前で年季の差だろうか、砥草さんはにっこりと、気負いなく微笑んだ。

砥草さんが笑うと雰囲気がふっと綻ぶ。誠一の肩の力も抜けて軽くなった。


しかし、カイジュールは無表情の中にさらに警戒をにじませた。誠一と会ったとき以上の警戒の仕方だ。その態度に疑問が浮かぶも、砥草さんはあまり気にしていないようだ。小さな子でもあやすように目を細めてカイジュールに笑いかける。


「カイくんですね。私は砥草景子といいます。この家の家事全般をさせていただいているのよ」


柔らかな声にカイジュールの敵意が増大したような気がして、あれれ?と誠一は首を傾げる。少しだけ、砥草さんと会えばなんとなく彼の雰囲気も柔らかくなるだろうと予想していたのに、完全に予想外だ。


何も言わないカイジュールの背中を指でツン、と突くと、彼は大袈裟に反応して、それを繕うように、カイです、と低く言った。


カイジュールと昨日話し合い、この世界では「カイ」と名乗ろう、と打ち合わせた。彼は異世界だなんだのと言わなければ日本人だと言っても違和感のない容姿をしている。


砥草さんには、名前しかわからない。苗字は本人もわからないようだと、もしかしたら戸籍のない、いないことになっている子どもかもしれない、ということを事前に話してある。

嘘は言っていない。

異世界から来たから戸籍はないし、向こうの世界では特権階級以外に「姓」というものはない。

こちらの世界ではカイジュールは存在しない存在だ。


昨日のSNSのやり取りでは、砥草さんは詳しい事情を聞くことなく、わかりました、とだけ返信が来た。


その子と会ってから対応を決めます、との一文に誠一は緊張していた。


砥草さんはこちらの事情をよく汲み取りでしゃばることも阿ることもなく淡々と業務を請け負ってくれる得難い人だった。大方の人間は誠一のバックグラウンドを知ると態度を変える。しかし、砥草さんは誠一のことを詳しく聞いてもなにも問わず、なにも聞かずにそれまで通り仕事を遂行してくれた。

誠一にとって、得難い人材だった。


もし、カイジュールのことに砥草さんが難色を示したら。

誠一はそれが不安だった。


仕方がないが、カイジュールがいるうちは、砥草さんには休んでもらうほかはない。

でも、それは嫌だった。

誠一は簡単な料理はできるが、そのほかの家事はやったことがない。やろうと思えばできるとは思うが不安しかない。洗濯機の使い方も掃除機の使い方もおぼつかない男二人の共同生活はきっとあっという間に荒んでしまうだろうことは想像に難くなかった。

かと言って、ほかの家政婦さんを探すのも骨が折れる。

この快適な暮らしを手放すのは嫌だ。だがしかし、カイジュールのことを優先したかった。

そんな風に思うほど誠一はカイジュールに情を移していた。


砥草さんは、誠一の不安をよそにいつもと同じようにニコニコと笑うだけ。

「慣れるまではお互い気を使うでしょうけれど、よろしくね」

そんな言葉をカイジュールにかけると、砥草さんは、仕事を始めますね、とキッチンに出勤していった。

業務外なのに、今日は特別に昼食を用意してくれるらしい。

砥草さんがこのまま通ってくれるなら、業務内容の見直しが必要だな、とぼんやりと考える。


完全に肩の力を抜いて、カイジュールを見ると、彼は砥草さんが目の前からいなくなっても厳しい顔を崩さなかった。

誠一はそんな彼の態度が気になりながらも、昨日説明しきれなかったことを話す。

「カイくん。砥草さんは平日の10時から昼まで仕事をしてくれるんだ。掃除や洗濯、そして食事の準備をしてもらっている。これからは君のお昼ご飯もお願いしなくちゃね」


補足するように伝えると、カイジュールは、厳しい顔を緩めて誠一を振り返る。そして少し考えると、平日とは何かと聞いてきた。


まさか、平日を説明するのにあんなにも時間を要すとは考えも至らなかった。



業務を終えた砥草さんが帰り際、誠一にこっそりと耳打ちした。

「彼、自分でいくつだといっていましたか?」

17歳、と伝えると、砥草さんは少し考え込む。


「体の作りがもう少し、幼い感じがします。うちに15歳の息子がいるんですが、息子と同じくらいか、もう少し年下くらいじゃないかしら?」


栄養事情が悪かったせいではないか、というと砥草さんはまた少し考えた。


「私の見た感じですから‥そうかもしれませんね。ただ、児童相談所や警察へは早めに届けた方が無難かもしれませんよ」

「‥弁護士に言っておきます」


そういうと、納得したようなしないような曖昧な表情で砥草さんは仕事を終えて帰っていた。


もちろん、守秘は絶対に頼むと依頼することは忘れていない。申し訳ないが、砥草さんが所属している会社にもカイジュールのことは伏せてほしいと、無理なお願いをした。砥草さんは少し考えて、少しの間なら、内緒にしてあげますね、と請け負ってくれた。


カイジュールは砥草さんとの顔合わせが済むと完全に気配を消してしまった。カイジュールの部屋として宛がった客室にこもって出てこない。いつも客室も掃除してくれている砥草さんも、今日はカイジュールに気を遣ったのか客室には近づかなかった。


気配を完璧に消していたカイジュールも空腹には抗えなかったらしい。砥草さんが用意してくれた昼食を温めなおしていると、匂いにつられたのかそっと客室から出てきた。

事前に事情を話していたためか、固形物はカイジュールの胃腸に負担がかかるだろうと砥草さんは鶏雑炊を用意してくれていた。だしの良いにおいと、黄色に三つ葉の青が美しい。ほぐした鶏のささ身が散っている。


カイジュールは煮込んだ米を見て、無表情に無表情を重ねたが、誠一のどんぶりを見るとほんのわずかに片眉を上げた。

誠一はちらりとカイジュールを見る。

カイジュールは少しだけ緊張を漂わせ、目の前の食べ物を凝視する。

「カイジュール、これは鶏雑炊っていうんだ。米って食べたことある?この国では主食なんだけど」

「はじめてみる食べ物だ」

「そっか。これは米を柔らかく煮て味をつけたものだよ。もしかしたら使われている調味料も君にはなじみがないかもしれないね。でも、消化にいいし、鶏肉も入っているから腹もちもいい。

できれば、米は主食だし、俺も米好きだから米食に慣れてほしいな。君のためだけにパンを用意してもらうのも砥草さんに負担がかかるから」

「・・・なんでも、食べる」

「良かった。でも無理だったら言って。砥草さんに相談するから。じゃ、食べようか。いただきます」


カイジュールは誠一を窺っていたが、誠一が雑炊を口に運んで飲み込むのを確認してから自分も匙にすくう。おそるおそる口をつけて、すぐに口を放した。熱かったらしい。


「熱いから気を付けて。口の中やけどするからすくって少し冷まして食べるんだよ」

言うのが遅いか、と笑うとカイジュールは少し不機嫌そうに匙にすくった米をじっとみる。

湯気が立ち上る。


食べ方のコツをつかむとカイジュールはあっという間に雑炊を平らげた。暑くなったのだろう、頬が赤くなっている。

「暑いならローブを脱げば?」

「・・これは」

「あ、そうだ、着替えどうしよう。君の着ていた服は洗濯したらきっと穴が空くって砥草さんが言ってたから、新しいのを用意しないと。とりあえず、今、ローブの下は?」

「・・・昨日借りた服を着てる」

「それって、ローブの下は下着とTシャツだけ‥!…俺の服を出しておくからそれを着てください」

カイジュールの着替えを初日に風呂に入れた後あまりに汚くて洗濯機に放り込んでいたことを忘れていた。ローブを着ていたので気が付かなかった。忘れていたことが申し訳なく思わず敬語になってしまう。

「下着にそのローブじゃ寒かっただろ?そういうことは早めに言ってよ。そういうことに気が付くほど、俺は細やかな人間じゃないからね。言われなきゃわからない」

「寒くはない‥家の中に居られるだけ、ありがたい」

聞えるか聞こえないくらいの小さな声で落とされたつぶやきに誠一は言葉に詰まる。

「‥ここはね、君がいた世界ではないから。困ったことや何か欲しいと感じたらすぐに伝えてほしい。君が約束を守ってくれるなら、衣食住の面倒はちゃんと見るから。と、いうわけで、服を用意しないとね」

カイジュールは何も言わずに視線をテーブルの上に落したままだった。


とりあえず、昨日ボロボロになった魔法陣は夕方までに書き終わる。それを発送しに行くついでに着替えを用意しよう。サイズを計らなきゃな。

誠一はこの後の段取りを考える。


昼食を終えるとカイジュールは緊張が解けて疲れが出たのだろう、また自室にこもった。少し時間をおいて覗きに行くと、部屋の隅の、入り口からは見えづらい床の上に布団をかぶって丸まって寝ていた。まだ、ベッドで寝るのはいけないらしいが、布団を被っているだけいいだろう。合格だ。


誠一は、ボロボロになってしまった魔法陣を描き直す。昨日、作業がだいぶ捗っていたのでそんなに時間をかけずに完成した。

魔法陣の発送ついでに、服屋に寄ってこようとカイジュールに声をかけたが、カイジュールは家から出ようとはしなかった。


家に帰るまでなんとなく不安で、用事を済ませて大急ぎで帰る。家に帰るとカイジュールは出かける前と同じように自室で丸まって眠っていた。


砥草さんの用意してくれた夕食を温め始めるとカイジュールは部屋から出てきた。朝に比べて顔色は一段と良くなっていることに安心する。


夕食は、きちんとした固形物が用意されていた。カイジュールは初めて食べる「日本のきちんとした食事」を少しぼうっと見つめた後、すごい勢いで完食した。夕食では毒を警戒する様子が見られなくて、誠一は少しだけ安心した。


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