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3 ファンタジーは臭かった

トイレ、浴室、寝室を一通り説明して、誠一はカイジュールとリビングに戻ってきた。すでに時計は深夜を回り、いい加減眠くなってきた。カイジュールも疲労の色が濃い。


それにしても、と誠一は笑いを噛み殺す。

トイレの説明に目を丸くし、風呂に至ってはまるで「言っている意味がわからない」というように無表情だった。


カイジュールによると、彼の国では風呂は王族かそれに準じたものしか入れない貴重なもので、それ以外の人は井戸や川で身を清めるか、濡れ布で身体を拭くくらいしかしないらしい。

そのためかカイジュールからはほのかに汗の匂いがする。髪もベタついて、不潔な印象だ。さらにローブはそうでもないが、中に着ている服は垢じみて、生地が酷く痛んでいた。


寝る前に風呂かなと考えて、ふと空腹に気がつく。小腹が減る時間帯だな、と思い至ると尚更に腹が減った。この時間に食べると腹肉にダイレクトだよなと思いつつ、食べなければ食べないで、空腹で眠れないだろう。


つまみは少し残っている。魚肉ソーセージが残り一本とナッツが少し。ちらりとカイジュールをみる。17歳は成長期だから彼だって食べるだろう。

何かなかったかな、と冷蔵庫を開けると目の前にはウインナーがあった。昨日、実家から届いたちょっといいやつだ。


これなら10代男子も喜ぶのではないか、と30代のおっさんはお湯を沸かし始める。

5本セットを二つ、合計10本を全部茹でてリビングに持っていくと、カイジュールの目線はウインナーに釘付けだった。

なんとなくおかしくて笑ってしまう。


「なんか緊張が解けたら小腹が減った。食べない?」

とフォークを目の前におくと、カイジュールはゴクリと喉を震わす。


そして恐る恐る、というようにフォークに手を伸ばした。

「茹でたてだからね、熱いよ」

誠一がそう促すと、彼はほんの一口、口に含んだ。

パリっと良い音がして。


「ものすごくいい食べっぷりだねぇ」

カイジュールは、誠一が一本食べきらないうちに茹でたてあつあつのウインナーを全て平らげてしまった。

誠一の声にハッとしてカイジュールは決まりが悪そうに視線を落とす。食欲には抗えなかったらしい。

「ぎょにソーもあるけど食べるかい?」

「‥ぎょ?」

「魚のソーセージ」

赤い包装をむいてやるとカイジュールは一瞬考えたが、ガブリと食いついた。

いい食べっぷりだ。


誠一は二口で魚肉ソーセージを食べ切ったカイジュールをそっと観察した、

こけた頬とかさついた唇、落ちくぼんだ眼元。手足は細い。顔色も白いままだ。

十分な食事をしている体ではない。


(あまり良い食糧事情ではない、って感じかな)


もう少し何か食べたそうなカイジュールに何か食べさせてあげたいが、残念ながらもうめぼしいものはない。時間が時間だし、胃に負担もかかるだろう。

とりあえず、明日はなにかがっつり食べられるものを買ってこよう。


そのあと。

風呂を嫌がる犬のようなカイジュールを無理やり湯船に突っ込み、いつも突然来る兄弟が使う客室に叩きこんだ。

客室は家政婦の砥草さんのおかげでいつも清潔、ベッドはフカフカだ。


餌付けって警戒心をとるのに最適な方法だよな、と自分のベッドの中で誠一はうつらうつらと考える。

身体能力に劣る誠一がカイジュールを風呂に叩き込め、さらに抗う彼に洗髪、洗身ができたのは、彼の警戒心がほんの少しでも緩んでいたからに他ならない。


しっかし、汚かったと誠一は遠い目をする。

遠い昔、小学生の頃に兄弟と拾ってきた野良犬を洗った時のようだった。お湯をかけた瞬間にむわーと湧き上がる体臭やホコリやいろんなものが混ざったあの匂い‥。

シャワーに怯え、石鹸の泡に警戒したカイジュールに「大丈夫だよ〜怖くないよ〜」と言いつつ、にじりよる誠一は少し変態じみて見えたかもしれない。別な意味で怖かっただろう。

でも、あれはダメだ。汚すぎる。シャンプーが泡立たないほど汚れた頭でベッドを使って欲しくない。


汚れを落として、無理やり湯船に浸けた。

暖かなお湯に気持ち悪そうに歪んでいた顔が、段々と安心したように緩むのを確認して、「よく温まってから上がるんだよ」と言い置いて浴室をでてから、ようやく誠一は顔を歪めることができた。

衣服を脱いだカイジュールの体は、みすぼらしいという一言に尽きた。あばら骨が浮き上がり、全てのパーツに骨が浮いていた。そして、所々に残る傷跡。目を見張るほど広範囲な火傷のあと。決して浅くはない切り傷のあと。変色した、打撲のあと。


卑屈な言動と攻撃的な視線。

盲目的な「聖女を連れ帰る」という目的。

時折こぼす「神殿長さま」への「御恩」。


(なんだか胸糞が悪い)


憐れみの表情が出てしまいそうになって、何度も誠一は必死に表情を取り繕った。カイジュールに憐れんでいることを悟らせたくなかった。

湯船に浸かったカイジュールの、始めは気持ち悪そうだった顔がほわりと緩むのに胸が痛んだ。

汚れ切った体に、身体中に残る傷跡に、痩せこけた肢体に。

憐憫と憤りが誠一の胸に降り積もる。


(まずは食べさせて、肉を付けさせよう。話はそれからだ)

もはや、捨て犬を拾ってしまった心境になっていた。


異世界云々は自分の許容範囲を超えているので考えないように。

しかし、いずれは考えなけれないけないことだけど。


そのまま、誠一は眠りの世界に吸い込まれる。


翌朝、目が覚めるともう陽がだいぶ高くなっていた。


カイジュールは落ち着いただろうか。

誠一は昨夜のことを思い出す。


何時だろうか、激しく揺さぶられて目が覚めた。

暗い部屋には、瞳を怒らせて青い顔をしたカイジュールが誠一の首元を掴んでいた。

「ん?カイジュ」

「お前、毒を盛ったな!」

「へ、毒?」

「解毒剤はどこ」

言い切らないうちに、カイジュールは焦って部屋を出ていく。


行き先はトイレらしい。


(あー、栄養事情の良くない体で、さらに空腹のお腹じゃウインナーで消化不良を起こすよね‥)


「えーと、カイジュールくん?毒ではないから安心して」

トイレ近くの壁にもたれて、トイレの住人へと囁く。

苦しそうな呻きが聞こえる。

「多分、それ、消化不良を起こしてるんだと思うよ。明日はもっと消化の良いもの、食べようねぇ」


放っておいてくれ、というカイジュールの懇願に、水分だけは取ってね、と言いおいて自室に戻った。突然のファンタジーに疲れて、酔いも手伝ってそのまま寝てしまっていた。カイジュールは無事だろうか。


(どうみてもしばらく肉類は食べてないって体に、ウインナーは凶悪だよね。失敗した)

誠一がリビングにいくと、ソファの影の死角になるところでカイジュールが蹲っていた。

驚いて出そうになった声を寸手で抑える。

カイジュールは深く眠っているようだ。目の下には隈が浮き、顔色はひどく悪く、唇がかさついている。

(水分補給しないで寝たな‥。まあ、胃が弱っている時に冷蔵庫の水は凶器にしかならないけど)


昨日、寝る前にトイレの使い方を教えておいて本当によかった。


消化の良いもの、と考えてまずおかゆが目に浮かぶが彼の国での主食はなんなのだろう。パンの方が食べやすいのだろうか。買い置いてあるパンを細かく割いて牛乳で煮てみよう。


スマートフォンでレシピを検索しつつパンがゆを作る。


牛乳は胃に負担がかかるというので、コンソメスープで煮てみた。コンソメの良い匂いに腹が鳴る。


「‥何をしている」

カイジュールが起きてきた。まだふらふらとしていて、雰囲気的には昨日の半分くらいの厚みになってしまっていた。


「あ、起きたか。おはよ。何か食べれるかい?」

「‥何もいらない」

「そう?でも水分だけでも取らないと、死ぬよ」

といって、冷蔵庫から出して常温に戻しておいたペットボトルを渡す。


栄養事情が悪そうな体に、昨日の出来事はひどい損傷を与えているはずだ。顔色は昨日よりも一層悪いし、体の芯が揺らいでいる。水分の補給は絶対に必要だ。


「食べられそうなら、これを食べよう。俺も一緒に食べるから毒の心配もいらないし、それでも心配なら自分でよそうといい。昨日のウインナーよりも消化にいいから、胃に負担はかからないと思うよ。食べられそうになかったら、水分補給だけでもしてくれる?家で死なれたら困るんだ」


カイジュールの鼻がひくついている。誠一は彼から見えないように笑った。食べられそうだな、と二つのスープ皿にパンがゆを盛り付ける。


「ほら、座って好きな方食べる」


カイジュールは渋々というように食卓についた。誠一の近くにあった皿を引き寄せて、誠一が座るのをじっと待つ。

カイジュールが食べ始めないので、誠一はいただきます、と言って自分の分の粥を口に運んだ。初めて作った割に美味いじゃん、と自画自賛する。


誠一がパンがゆを飲み込んだのを確認したのだろう、カイジュールは少し躊躇しながらスプーンを口に運んだ。


カイジュールの喉が粥を飲み込むのを気づかれないように見て誠一はホッと息をつく。食べられるなら、大丈夫だな。


初めはゆっくりと、しかし、すぐにがっつくようにカイジュールは粥を平げて、まだ物足りなそうな顔をする。

誠一は苦笑して、これでやめときな、と食事を止めた。


「いっぱい食べな、といいたいところだけどね。でも、急に食べて昨日みたいになったら困るから、少しずつ、回数を多く食べよう。食べたら少し休んで。お腹が空いたらすぐ何か食べられるようにしておくから」

渋々とスプーンを置いたカイジュールの顔色が戻っている。まだ青白いが、先ほどの土気色に比べたら人間らしい顔色を取り戻していた。

「昨日はあまり眠れてないんだろう?昨日の部屋で寝ておいで」

「‥お前はどうするんだ」


(おや?)

誠一はカイジュールを見る。無表情なのに、眉が下がってるように見える。

「おれはここで作業するよ」

「‥作業?」

「うん。趣味だけどさ。昨日描いた魔法陣、君がボロボロにしちゃったから新しく描かないといけないんだよね。一応、売り物だから」


誠一は、パソコンを起動させる。昨日描いた魔法陣はスキャナで取り込んでいたので、同じものが再現できる。

カイジュールは興味深そうにパソコンを覗いた。ふと、昨日動画サイトを見せたときの反応を思い出して、微笑ましくなる。

カイジュールは興味を引かれた様子だったが、微かに首を振るとあてがった部屋へと消えていった。


少し時間をおいて、部屋を覗くと部屋の隅でローブに包まって寝ているカイジュールの姿が見えた。ベッドで眠るのはいけないらしい。

ローブ一枚では寒かろうと、布団を引っ張り彼の上にバフリと掛ける。彼は小さくみじろぎしたが、起きることはなく、掛けてやった布団の端を掴んで丸まった。

眉間にシワを寄せて、隠れるように膝を抱えて寝ている姿がとても小さく見えた。


起きて食べて、食べて寝て。日曜日はそんな風にして過ごした。






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