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12 ファンタジーに両足を突っ込む

目の前にあるのは、艶やかな、黒い石。赤みがおびているこれはカイジュールの瞳によく似ていた。

あのあと。カイジュールらしい石を拾った誠一を少女は呆然と見るばかりだった。

石は冷たくて艶々としている。

ああ、カイジュールだ、とストンと確信した。


カイジュールは石になった。自らの意志で動力になることをやめた。聖女を異世界へ連れていくことを諦めた。


彼は、元の世界を見限ったのだろう。自分を虐げた国を。そして、自分の役目を放棄したのだ。聖女を連れ帰るという「神殿長への御恩」を。


自分が、聖女を連れ帰る動力としかみられていないと気がついたから。

聖女の未来にも気が付いたのだろう。

エラント大国では蔑まれる容姿の聖女が、向こうの世界でしあわせに暮らせるなんて思えない。カイジュールはそれに気が付いた。


誠一は石を拾った。ほの温かいそれを握りしめて、声を掛けてきた聖女を無視して、家へ帰ってきた。


そして、そのまま作業台の前に座って動けずにいる。


わかっている。これが一番綺麗な幕引きだということは。


カイジュールは他人にほとんど認知されていない。居なくなったとしても問題のない存在だ。菅原には少しごまかしが必要だが、大変なのはそれくらいだ。


彼がいなくなっても、悲しむのは砥草さんくらいで他の人は、「元々家出か何かをした少年がいなくなっただけだろう?」の認識だろう。


カイジュールだけが向こうの世界に戻る。これが最適解だった。

一番良い形に収まった。それだけのことだ。


でも、と誠一は最初のとっかかりを探すために目を閉じる。

目の前には、魔法陣を描くための紙。そして、愛用のペン。


もう、カイジュールに絆されている。情なんかうつりまくっている。

肋骨が浮く骨張った、まさに骨と皮だけの体を。その体に刻み付けられた傷をみて。

無表情にガツガツと食べ物をむさぼるその姿に。

ローブに包まり、床で寝る寝顔に。

かわいそうだと思って何が悪い。


だんだんと肉が付いてふっくらとしていく頬に喜びを感じて、砥草さんや誠一に時折見せる表情にほっこりとして、なんとかしてあげたいと思うのは仕方がないじゃないか。


カイジュールは元の世界に戻ることを望まれていない。彼の国が彼に望むのはあくまで「道具」として生きることだ。


神殿長の御恩とことあるごとに口にしていたが、最低限「生かしている」としか思えなかった。


聖女召喚などすぐには行えないのだろう。

空に浮かんだ魔法陣はとても緻密で、繊細なものだった。一つの間違いが全てを壊してしまうであろうことは想像に難くない。あれを短期間で描き上げるのは難しい。

魔獣被害も昨日今日の話ではないはずだ。


きっと聖女召喚は何年も何年も前から計画されていた。

カイジュールが生かされたのは、彼が持つ魔力が膨大だったから。魔法陣を起動させるのにはかなりの力がいる。


誠一は、魔法陣の緒を見つけた。脳裏に浮かぶ線を紙に移していく。細やかで密で、しかし、確かに力を感じさせる線。


カイジュールを取り戻したい。


誠一はそう願いを込めて白い紙に線を重ねていく。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



翌朝、体が痛くて目が覚めた。力尽きて机に突っ伏して寝てしまっていた。腕の下には描きかけの魔法陣がある。よだれのあとが付いていないかと少し焦ってざっと目を通すが、よだれの後も線がよれたところも、潰れたところもない。


体を伸ばすと、節々がギシギシとなった。肩が重くて頭がガンガン痛い。

カイジュールの石はそこにある。


(少しだけ、腹ごしらえしてまた取り掛かるか。)


心の中でひとりごちる。


しばらく庇護するべき存在がいたおかげで休日も規則正しい生活になっていた。時間通りに起きて、食事をして。無口な彼は初めは部屋に篭ることも多かったが、そのうち、誠一の側に居ることが多くなった。時折、こちらを窺いながら、わからない字の読み方や、言葉の意味などを、そっと聞いてくるのが、誠一にはとても嬉しかった。


冷蔵庫には、よく食べるカイジュールのためにたくさんの食糧が詰め込まれている。つい数か月前までは水くらいしか入っていなかった冷蔵庫が仕事をしている。適当にパンを摘んで水を飲むと、誠一はまた魔法陣制作に向かう。


早く早く、カイジュールを元に戻してあげなければ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


集中力が続く限り、魔法陣にのめり込む。脳裏の線はとても緻密で息を詰めてその線を追う。描いても描いても描いても、完成には程遠い。


時間の感覚などとうになかった。

食べたいという欲求も、眠りたいという欲求も全てを魔法陣に叩き込む。

膨大な数の小さな歯車を一つ一つ削るように。

繊細なレースを、細い糸で編むように。

細い針に、糸を通すように。

目の前にある線を掴んで紙に描き上げていく。心に浮かぶのは焦燥ばかりだ。

早く、早く、早く。


時折、暗く深い水の中から浮かぶように現実に戻っては、義務のように水だけ飲んだ。

水を飲んだら、また深淵へと沈む。


もう少し、もう少し。

一つ目の門はもう開いた。

二つ目の門も開いた。

三つ目の門も、もう開く。


あと、いくつ門が残っている?いくつ門を開ければ、カイジュールまでたどり着けるだろう。早く、早く、早く。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


多分、これが最後の門になる。

誠一は確信して、その門の鍵を回す。慎重に、慎重に。ここで間違えれば、これまでの時間が全て無になる。


失敗できない。

失敗しない。

門が薄く開く。中にいる、膝を抱えたカイジュールに手を伸ばす。

手を伸ばして、伸ばして、伸ばして。

そこで意識が途絶えた。


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