八 ライベルの心境の変化
目を覚まし、体を動かそうと思って、タエは違和感を覚えた。腕の中でカリダが猫のように体を丸くして、寝ていた。小さな指でタエのドレスを必死に掴んでおり、無理に体を起こすと、彼を起こす可能性があった。
(黒髪に柔らかい白い肌。静ちゃんの髪、鼻も静ちゃんかな。肌の色、輪郭はあの王様ね)
しかたないので、体を起こすのを諦めて、タエは横になったまま腕の中のカリダを眺める。
こうやって眺めていると、心が落ち着いていた。
触れている部分が暖かく、絶望的な気持ちを和らげてくれるようだった。
だが、そんな安らぎの時間は終わりを告げる。
気遣うように扉が叩かれた。
その音を聞いてタエはとっさに目を閉じてしまった。
誰が入ってくるかわからないが、何を話していいかわからなかったからだ。
扉が開いて、閉じる音がした。
その後何も音が聞こえなかった。なので、タエは部屋に誰もいないと思い、ゆっくりと目を開ける。
「やはり起きてましたか」
すました顔で傍に立っていたのはパルで、驚いたタエは体を起こしてしまった。すると、しがみつくように寝ていたカリダが目を開く。
「はーう!」
傍からいなくなると思ったのか、カリダはタエに抱きついた。
「はーう、はーう!!」
そして泣き出してしまい、タエはパルの視線が気になったが、カリダを抱きしめ、その背中を優しく撫でた。するとまだ眠りが足らないらしく、また目を閉じてしまった。そのうちすうっと寝息が聞こえ深い眠りに落ちたようだった。
「タエ様。それでは食事もできませんね」
無表情だったパルが少し困ったような顔をして、タエは幻かと目を瞬かせてしまった。すると彼女の自身の表情の変化に気づいたらしく、すぐに元の無表情にもどった。
「お水は飲まれますか?」
いらないと答えようとして、タエは喉がカラカラなことに気がつく。しかし、自分が罪人だという意識に苛まれて、首を横に振る。
「あなたが病気になったら、カリダ様がまた大泣きしてしまいます。あなたのためではなく、カリダ様のために水を飲まれてください。あとお食事も」
(カリダのため。そうかしら。どうせ、私は処罰される身。今いなくなっても、後でいなくなってもかわらない)
「タエ様!」
パルが大声で怒鳴り、カリダが目を開く。
とたんにまたまた泣き出してしまった。
「はーう、はーう!!」
同時にぎゅっとドレスを捕まれ、逃がさないぞとばかり、抱きつかれる。
「大丈夫。大丈夫だから」
大声を出したらカリダを起こすのは当然で、パルが何を考えているのかわからず、タエは戸惑いながら、カリダを再度あやす。すると、再び彼が眠りに入り、ほっと胸を撫で下ろした。
「さあ、タエ様。食事をしますから」
それを見計らって、パルは有無を言わせない迫力で宣言する。そうして部屋を出て行ってしまった。
(お、脅しってことなの?)
食事をしなければ再びカリダを起こすという意味にも取れる行動で、タエは複雑な心境でカリダを抱えながらパルが戻るのを待つしかなかった。
☆
静子の消えた空間を見つめ、その余韻に浸っていると、扉が叩かれニールとクリスナが慌ただしく入ってきた。
それは静子の残した温もりを消し去るようなもので、ライベルは顔をしかめて二人を迎えた。
「元気そうだな」
ニールは機嫌が悪そうなライベルと接するのはいつものことなので、安堵したように顔をほころばす。それを見てライベルはますます苛立ち、顔を背けた。
「水を」
そんな二人から少し離れて、クリスナは使用人に水を持っていくルように言いつけた
すぐに使用人が水の入ったコップを持ってきて、ライベルはそれを飲み干すと二人に挑むような視線を向けた。
三年前、父のように慕っていた叔父に裏切られた。叔父は結局隣国の王子とともに自害。
ライベル自身の心も傷つき、王きっての側近が裏切ったことで、国が混乱した。ライベルを一番に支えたのは静子であったが、彼の王として足りない部分を補い、国政を補佐したのはこの二人であり、ライベルは誰よりも二人を信用している。
だが、ライベルに唯一意見を申すのもこの二人で、うるさく感じているのも事実だった。
なので、単に見舞いで済むはずがなく、彼は小言か何か気分が悪くなることを言われると身構えた。
「陛下。ご相談があります」
最初に口火を切ったのはクリスナであり、その相談も予想でき、ライベルは耳を塞ぎたくなる。だが、そんな彼に構わずクリスナは言葉を続けた。
「タエ様をカリダ様の傍に仕えさせることを許可していただけないでしょうか?」
クリスナの言葉は予想通りであったが、ライベルは思ったよりも気分を害していない自分に驚く。
最悪タエを静子の代わりに王妃にすることも予想していたためか、カリダの傍に 置くくらいならいいのではないかと妥協しようとする自身に気がつく。
それはおそらく先ほど静子の幻影がタエをかばったことも影響している。
静子の死には直接タエは関わっていない。
むしろ、巻きまれてこの世界にきている。
そんな風に冷静に考えるようになってきたのだ。
ライベルはそんな自身に驚きながらも、タエをそう簡単に受け入れる自分が許せなかった。
「俺は許可しない。タエは元の世界に戻す」
じわじわと変化した自身の気持ちに逆らい、ライベルはそう答える。
「陛下。カリダ様のためにもタエ様に残っていただくことをご考慮いただけないでしょうか?」
「俺の母上は、俺が生まれた時に亡くなった。これは、運命なのだろう」
「ライベル!なにが運命だ。お前はカリダにお前と同じ苦しみを味わわせるつもりか?」
ニールはかっとして、ライベルに噛み付くように反応した。
それを薄笑うように彼は返す。
「ニール。タエはシズコではない。それともお前はもう既にシズコのことを忘れたのか?」
皮肉とも取れる言葉、笑みを向けられ、ニールの怒りは頂点に達する。だが、クリスナが背後から彼を羽交い締めにして言い聞かせる。
彼は腐っても近衛兵団長だ。怒りを必死に抑え、ただライベルを射るように睨むだけにとどめた。
「ニール。カリダ様の傍についていろ」
それはタエの傍のついていろという意味でもあった。
ニールは歯がゆい気分を覚えながらもこれ以上ライベルの傍にいたら自身が何をするかわからないと、父の命令に従った。
ニールが退出し、クリスナは咳払いをすると、ライベルのベッドに近づく。
お互いが触れる距離まで近づき、ライベルはベッドで半身だけ起こして、彼を見上げた。自分を省みることがなかった父とよく似た容貌の叔父のクリスナ。
威圧感を覚えつつ、ライベルは彼の言葉を待った。