六 タエとカリダ
「くそったれ!」
ライベルと別れ、ニールは苛立ちを隠さず王宮の森を抜ける。その不機嫌さは、すれ違った警備兵が体を竦ませるぐらいであった。
ライベルに言われた言葉は、先ほどニールが父親に吐いた台詞と同じであった。クリスナの冷ややかさに憤り、怒りをぶつけた。しかし、自身も結局同じであり、自らの冷徹さに気分が悪くなる。王族としては立派で、誇れるものであろう。けれども、静子を失った悲しみをそのまま表し、嘆き悲しんでいるライベルを羨ましく思う。同時に苛立ちもするが。
ライベルは王として相応しくない。王は常に国と国民のことを考えなければならない。明らかにライベルは王失格であったが、クリスナはライベルを王として仰いでいる。そしてニールもだ。彼の人間的なところが、ニールは好きで、そのような王であることを望んだ。
「あいつも、腐っても王だ。だから、大丈夫だ」
激情に任せて「死んでしまえ」と言ったが、ニールはライベルをあきらめていなかった。
「まあ、勝手にやらせてもらう。処罰は後からだ」
ニールはカリダとの約束を果たすために、タエがいる牢獄へ足を向けた。
☆
響き渡る靴音。
先ほど出て行ったパルとは異なる靴音で、タエは誰が来たのだろうかと身を竦めた。
「開いてる?誰だよ。鍵を掛けなかった奴は。まったく」
聞き覚えのある声が扉の外から聞こえ、彼女は少しだけ緊張を解す。
「入るぞ」
そう言って入ってきた人物は、やはり予測通りニールで、タエは処罰が決まったのかと顔を上げた。
「悲壮感たっぷりだな。パルはどうしたんだ?あ、パルが扉に鍵を掛けなかったのか。あいつは」
二―ルは顔を強張らせているタエに構わず話し続け、躊躇いもなく彼女の前まできて、腰を下ろした。
「なんか。お前、シズコ様とはまったく違うな。なんていうか、鼠みたいだ」
「ね、鼠……」
静子と違うのは当然で、タエは彼女の大胆さや溌剌さに憧れていた。鼠だと表現されて、静子とは異なり、臆病者であることを意図されたのだと理解する。
「もうちょっと、なんか。こう緊張を取れないか?別にとって食おうと思っているわけじゃない」
「……わかっています。けれどもこれが私ですので、仕方ありません。静ちゃんとは違いますから」
自分でも思っていなかったが、すらすらと言葉が出てきて、タエは驚く。
「おお。やっとまともに話したな。パルと話して落ち着いたか?」
微笑まれ、タエはどうしていいかわからず俯いてしまった。
「なんだ。照れてるのか?変な奴だな」
ニールは肩を竦め、彼女から離れるとベッドに腰掛けた。
「パルと何を話した?彼女はシズコ様と仲が良かったからな」
彼はタエに質問というよりも独り言のように呟く。
――仲が良かったという言葉は、彼女の胸に重くのしかかる。静子からパルのことも良く聞かされており、普段は無表情だが、照れると可愛いと笑いながら話していたのを思い出す。
タエが見たパルは冷静で、何を考えているかわからなかった。きっと彼女がタエに可愛い表情など見せることはないだろうと、少しだけさびしくなる。
そして、寂しいと感じたことにタエは驚き、同時に怖くなった。
(私は、裁きを受ける。だから当然のこと。静ちゃんが好きだった人と仲良くなんてできるわけがない。仲良くなんてしちゃいけない)
彼女は自分自身にそう言い聞かせて、ニールを窺う。
こんなことを話すためにきたわけではないはずだった。何の目的かと、様子を見守る。
「タニヤマタエ、だったな。お前、償いたいんだろ?」
ニールの青い瞳は暗い牢の中でも、かすかな光を反射して、タエを捉えた。抗えない何かを感じて、彼女はただ視線を返す。
「死ぬだけが償いじゃない。むしろ死は償いにならない。カリダ……。陛下とシズコ様のお子様だ。カリダが母親に会いたいと泣いて大変なんだ。お前のことをシズコ様と混同しててな。お前は気を失っていたから知らないだろうけど、池に現れたお前を見て、カリダは異常なくらい泣き叫んだ。母親だと思ってな」
ニールの言葉に、タエは黙って聞き入る。
そうして、同時に静子が語ったカリダのことを思い起こす。ライベルに似た緑色の瞳。髪は静子似の癖のある黒髪だと言ってた。何をしても笑う子供で、笑顔を絶やさない子だと。
――私の代わりにライベルとカリダを守って。私にはもうできないから。お願い
静子の魂が紡いだ言葉がタエの脳裏を駆け抜ける。
(だめ。静ちゃん。私はそんなことできない。私が静ちゃんの代わりなんて)
「タエ?」
突然蒼白な表情に変わり、両手で耳を塞いだタエに異変を感じて、ニールはベッドから腰を上げた。
「……なんでも、なんでもありません!」
近づいた彼を見上げ、彼女はそう叫ぶ。
「なんでもって。おかしいだろう」
ニールはタエのさらに近づき、触れようとした。
「ニー!」
その瞬間、幼子の声がして、彼は動きを止めた。タエは開いた扉から現れた黒髪の男の子に釘付けになる。
「カリダ!なんでこんなところに!」
ニールは予想もしない人物が現れたことに動揺して、慌ててカリダに駆け寄る。そのそばにパルがいて、咎める視線を向けた。
「どうして、カリダをここに連れてきたんだ!」
パルを叱り飛ばしながら、ニールはカリダをこの場から連れ出そうと抱きかかえようとした。
しかし、彼はするりとそれを交わし、タエの元へ走った。
「はーう!」
一直線は駆け、カリダは床に座ったままのタエの胸に飛び込んだ。何がわからぬまま、反射的にタエは抱きとめる。カリダは彼女の首筋に擦り寄るように顔を寄せて幸せそうに微笑んだ。
その笑顔は静子が消えてから見なくなったもので、カリダを引き剥がそうとしたニールは動きを止める。
「か、カリダ?私はあなたのお母さんじゃないから」
タエは呆然とカリダの抱擁を受けていたが、我に返り、彼にそう言い聞かせる。
「はーう。はーうぅうう!」
冷静になろうとしたタエの声質が冷たいものであったためか。カリダは叱られたものだと思い、泣き出してしまう。
「ごめん。違うの。カリダ」
泣きながらもカリダはタエから離れようとせず、困りながらも彼女は彼の背中をさすり、宥めるしかなかった。
☆
結局、カリダがタエから離れようとせず、彼女ごと部屋につれて帰ることになった。お昼寝をしていなかったカリダはタエに添い寝を請い、ニールやパルもそれに同意したため、タエはカリダの傍でベッドに横になった。
しばらくして、ニールが様子を伺うと天蓋がかかったベッドの上で、二人は本当の母子のように寄り添って寝ていた。
タエと静子が似ているは目とその色彩だけで、目を閉じるとタエはまったく静子とは異なって見えた。それでもカリダはタエを静子だと信じているようで、その手はしっかりと彼女の腕をつかんでいた。
「パル、メリッサ。どういうことだ?訳を聞かせてもらおうか?」
二人を残して部屋を出るわけにもいかず、ニールは起こさない様にできるだけ声量を落として尋ねる。
二―ルの青い瞳に睨まれメリッサは慄いていたが、パルは平静であった。その琥珀色の瞳をそのまま彼に向ける。
「私は私の義務を果たしたまでです。殿下がタエ様にお会いしたいと願ったので、ご案内したまで」
「面白いこと言うな。カリダはタエに会いたいのではなく、シズコに会いたがっていた、だろ」
腕を組みニールは皮肉げに答える。
「殿下はタエ様を母上と思われている様子。もしお連れしないと大変だったでしょう。現にニール様もタエ様に会わせるとお約束したようではありませんか」
パルに淡々とそう返され、ニールは口を歪めるとメリッサを睨んだ。メリッサがパルに今朝のことを話したのは明白で、それ以上攻める言葉を失い、ニールは口を噤む。
「ニール様も、タエ様の処遇をカリダ様の母親役にと考えているのでしょう。クリスナ様もそうおっしゃってましたので、実行したまでです。殿下はタエ様と静子様を混同しております。まだ幼い殿下にはそうしたほうがよろしいと思われますが?」
「父上が本当にそう話したのか?」
「はい」
怒りのままクリスナの執務室を出て行ったが、考えていることは同じで、ニールは苦笑いを浮かべるしかなかった。同時に、ライベルが合意していなかったことを思い出す。
「父上の言葉にしたがったまでか」
「はい」
独り言のようなつぶやきにパルは律儀に返事をした。
「わかった。パル、メリッサ。ここは頼む。混乱を避けるため、タエがここにいることは内密にしろ。俺は、父上と……陛下と話す」
「畏まりました」
パルとメリッサは同時に頭を下げる。
ニールは、タエとカリダが寝るベッドに一度目を配ると、深いため息をついた後、部屋を出て行った。