六十八 満月の夜
「タエ……。すまない。本当に」
ベッドの上で横になるのはライベルだった。
タエは彼の手を握り、溢れる涙を拭こうともしなかった。
「泣くな。頼む。シズコに怒られる」
「静ちゃんは怒りませんから」
「いや……。絶対に怒る。本当に、俺のせいで…」
出産後、タエは王宮に戻り王妃の務めを果たした。
貴族の数は半分になったが、領地の統合、善良な領地統治を残った貴族が行ったため、各領地は安定。アヤーテ王国は平安を取り戻した。
クリスナは引退して、マティス領地で孫の教育と領地経営に精を出している。
国防大臣であったシーズも同時期に引退し、現在の国防大臣はナイデラ・アサムだ。
貴族戦争から三年後、ライベル三十五歳の年に彼は風邪を引いた。その風邪は回復することはなく、彼は高熱にうなされ、食事をとることもできなくなっていた。
前王のオレガの時と症状が似ており、医師は激高するクリスナ、カリダの前でも首を横に振ることしかできなかった。
「私より先に逝くなどあってはなりません」
息子のニールを亡くし、その上ライベルまで、彼は沈痛な面持ちで病床のライベルを見守る。
「……悲しむではない。クリスナ。本当にありがとう。お前のおかげでアヤーテは救われた。あの時、お前がいなければ、エセルの願い通りにアヤーテは滅んでいたかもしれない」
熱は依然として高いまま、それでもしっかりとした口調でライベルは彼に語り掛けた。
「カリダ。タエのことを頼む。そして……」
「承知しております。ご安心ください」
カリダはタエの隣でしっかりと頷く。
その夜、ライベルはタエが見守る中、永遠の眠りについた。
一か月後、カリダはアヤーテ王国第十代王に即位し、タエはカリダに請われ、王太后として王宮に留まった。
「もういいわよね。静ちゃん」
タエは王宮の池の畔に立っていた。
今宵は満月で、池には月の影がくっきりと映っている。
日本に戻る方法をタエは前から知っていた。けれども、戻ったところで迫害され待っているのは死であるため、踏み切れなかった。それに静子との約束もあり、彼女は日本へ戻ることを考えたことはなかった。
ライベルが亡くなり、彼女は迫害の果てに殺されるかもしれないが、故郷の川安村に戻ることにした。
アヤーテに来て十六年。タエのことを知っている者はまだ存命のはずだ。もしかしたら両親と弟に会える可能性もあった。
「静ちゃん。私の最後の願い。死んでもいいの。でも両親と弟に会いたい。それだけ」
彼女に答えるものは誰もいない。
いるはずもない。
この日のため、彼女は様々な理由をつけて、人払いをしている。
「……ごめんなさい。カリダ。でもあなたならいい王になるわ。陛下と同じくらい」
「同じくらいなんて、僕もまだまだだね」
「で、陛下!」
カリダはこの晩、泊りがけの視察で王宮にいないはずだった。
そう仕向けたのはタエだ。
彼女は慌てて持っているナイフで指を切り、血を池に垂らした。そして飛び込もうとしたが、すぐにカリダに羽交い絞めにされた。
「タエ。だめだ。僕は絶対にあなたを元の世界に戻さない。母上のように殺されてしまうかもしれない。それよりも、あなたが僕の傍から離れるのに耐えられない」
「陛下!離してください!」
池には二つの月の姿が見える。
(今飛び込めば日本へ戻れる)
「タエ。あなたが元の世界に戻ったら僕は死ぬ。それでは約束を守ったことにはならないよね」
「陛下。なんてことを!」
「タエ。お願い。僕のためにこの世界に残って。今度は僕のことを支えて」
「陛下。お願いです。もう私を開放してください。あなたはまだ若い。これからあなたを支える方は沢山現れるはずです。私のことは捨て置いてください」
「そんな者はいらない。僕が必要なのはタエだけだ。お願い」
池の表面から一つの月が消え、光を失う。
彼女は抵抗をやめ、うなだれた。
その後も何度も彼女はカリダを出し抜いて、満月の夜に王宮の池に向かった。けれども出し抜かれたのはタエのほうで、池でカリダは優雅に彼女のことを待っていた。
それから五年後、タエは病魔に侵された。
立ち上がれなくなり、カリダは時間があると王太后の間に行き、彼女の世話をした。それこそ使用人がするようなこともして、タエは耐えられなくて、何度も断った。けれども彼はそれを許さず、彼女の食事を手伝ったり、体を拭いたりと献身的な看護を続けた。
病魔に侵され、一か月後、意識がほとんどなくなり、カリダはタエにつきっきりになった。
彼の学友だったガーネイルはその才覚を現し、彼の補佐となり、カリダが政務から離れる間が政務を代行した。
天井をぼんやりと眺めているタエに、彼は一生伝えるつもりはなかった言葉を語る。
「タエ。僕はあなたを愛している。あなたが僕を息子としか思っていないことはわかっている。その気持ちに付け込んで、僕はあなたの人生を奪ってしまった」
――タエったら、素直になればいいのに。
――まったくシズコに似て強情な奴だ。
――タエ様!殿下、いえ陛下にお心をお伝えください。
――タエ、カリダが泣くぞ。
タエは静子、ライベル、マリアンヌ、そしてニールに囲まれている夢を見ていた。現実のカリダが傍にいるのだから、夢ではないかもしれない。
もう体のどこにも力は入らず、言葉すら紡げなくなっていた。
こんな風になる前に、彼に伝えておけばと彼女は後悔していた。
王宮の池で引き止められてから、何度も日本への逃亡を繰り返し、その度にカリダに阻止された。最初はただ悲しいだけであったが、それが徐々に変わっていった。
カリダはタエ以外には王として毅然に振る舞い、ライベルと同じ緑色の瞳で相手を威嚇した。
それだけに自分だけに向けられる優しい笑みに、心が解かされていくのは時間の問題だった。
けれども彼女は王太后であり、己の気持ちの変化にもついていけず、立場を崩さなかった。
「……へ、カリダ……」
必死に口を動かして出てきたのは、彼の名前。
それでもカリダは嬉しそうに微笑んだ。
(私も、あなたを愛している)
そう口に出そうとしたけれども、もう力が出なかった。
だから彼女はただ微笑んだ。
――愛している。
その気持ちが伝わればいいなと思って……。
満月の夜。
異世界の娘であり、王太后でもあるタエはその四十年の人生に幕を下ろした。
第十代目カリダ王は、ニールの長子ロイドを後継に指名し、彼を王宮に招いて教育を施した。カリダは一生独身を貫きその生涯を閉じたという。
川安村の普通の娘たちは異世界で伝説となり、アヤーテ王国の歴史に刻まれた。
彼女たちが幸せであったか、それは彼女たちのみが知る。
(完)
この話にて、「金色の鬼と異世界の娘たち」のシリーズは完結しました。
読了いただきありがとうございました。
時系列的には、「金色の鬼は異世界の娘を求める。」、「身代わりの王妃は許しを請う。」
「係長は王妃になって、後継ぎを産まないといけないらしい。」になります。
書いた順番は、係長、静子編、タエ編ですね。
「係長~」を書いていた時に、静子とタエの話も読みたいと感想をいただき、それなら書いてみようかと書き始めました。
静子編はよかったのですが、タエ編はとても辛かったです。
「係長~」ですでに彼女の人生は語られているので、もう誰得?と自分に問いながら書きました。
書き始めたら、最後までをモットーにしているので、なんとか書き上げることができよかったです。
静子、タエが幸せだったのか、それは読んでくださった方々の感想にお任せします。
けれども、異世界転移というのは、その前の人生を捨てさせることになるので、幸せなことばかりではない、というのが私の持論です。
2017年から書いてきたシリーズを書き終わることができてほっとしてます。
皆さま、読んでくださって本当にありがとうございました。
2020年1月15日
ありま氷炎 拝




