六十四 カリダの苦しみ、タエの絶望
タエが目を覚ますと、パルと目があった。
「私……?」
「気が付かれたのですね。よかった。すぐに知らせてきます」
パルは目を瞬かせているタエにそう言うとすぐに部屋を出て行った。
タエは己が王妃の間の寝室にいることを確認して、それから記憶を探る。
(そうだ。私、誰かに襲われて)
背後から襲われ、みぞおちを殴られてから彼女の記憶はない。
「タエ、目覚めたか」
目の下に隈をつくり、幾分やせたようにも見えるライベルがパルに伴われ部屋に入ってきた。
「陛下。何があったのですか?陛下もお疲れの様子なのですが?」
「……ああ。色々あってな。戦いの後処理もあるし。タエ、お前は毒の塗られた刃物で傷つけられたのだ。しばらくは養生するがいい」
ライベルが力なく微笑みを浮かべ、タエは自身が倒れている間に起きたことが気になった。
「私を襲ったものはどうなりましたか?」
「……自害した」
「それではどうやって解毒を」
「それは医師にしてもらった」
ライベルは感情を乗せない声で答え、タエは疑問を持つ。
「俺は執務に戻る。何があればパルを使え。ゆっくり休め」
先を急ぐように早口でそう伝え、ライベルはすぐに部屋を出ていった。タエは釈然としない思いを抱える。十一年も王妃として彼の隣にいるのだ。何か隠していることがあることは明白で、タエはパルに問い詰めた。
「なんてこと……!」
最初パルは頑として口を割らなかったが、何度も請い、彼女はやっとタエが寝ている間に起きたことを話してくれた。
「ニールが!」
戦いから戻ってきた、疲れた様子であったが五体満足で無事な彼の姿をタエは覚えている。視線をそらしてしまったが、彼はいつも通りだった。
(それなのに、私と同じ毒で)
「タエ様。どうかお静まりください」
パルは事のすべてをタエに話したわけではなかった。
解毒剤が一つしか残っておらず、ニールがそれをタエに使うように願ったことなど、彼女は決して口にしなかった。
けれども、タエはニールの死という事実だけで、動揺していた。
(ニール。どうして。私は助かったのに。なぜ、彼が……。どうして!)
蘇ってくるのは彼との思い出ばかりだった。
(私は彼が無事であることを願った。なのに結局彼は死んでしまった。どうして)
泣き叫びたい気持ちを押し殺し。それでも気持ちを持て余し、彼女は枕を掴むとそれで顔を覆った。そして泣く。声が漏れないように。
「タエ様……」
「パル。一人にして。お願いだから」
彼女の同情を帯びた視線すら煩わしく、タエは請う。
「畏まりました。何かあればお知らせください」
パルは部屋を出ていき、タエはベッドから立ち上がった。ふらふらとバルコニーに出て、あの夜、彼がいた場所を探す。
「王妃なんてならなければよかった。もし私が彼との道を選んでいれば」
そんなことを口に出したのは初めてだった。
けれどもすぐに否定し、そう考えた自身を嘲笑う。
「そもそも、私が襲われたせい。非力な私が。守られることしかできない非力な私が……」
叫びだしたいのをこらえ、彼女は部屋に戻る。
けれども体にこもる熱には抗えず彼女は枕を手に取って、引き裂こうとした。質がいいのか、彼女の力が弱いのは枕が傷つくこともなくて、彼女は悔しさのあまり枕を壁にぶつけた。
「なぜ、私がまだ生きてるの?カリダも私のことなんて放っておいてくれれば、ニールが代わりに死ぬことなんてなかったのに。どうして……」
唇を噛むと血が滲み、口の中に鉄の味が広がる。
「どうしてって、僕があなたのことを大切に思っているからだよ。だから僕はドニの罠にはまってしまった」
「か、殿下……」
誰もいなかった部屋にカリダが突如現れる。
「タエが目を覚ましたって聞いて、いてもたってもいられないで通路を使ったんだ」
ニールが亡くなったというのにカリダは茶目っ気のある表情でそう答えた。
王室、王妃の間、王太子の間には秘密の通路がある。
王室と王妃の間は毎晩タエが利用するため使っていたが、こうして王太子の間から彼がこの部屋に入ってくるのは初めてだった。
タエは動揺しながらも自分が髪を振り乱し、とても人に会えるような恰好をしていないことに気が付いた。
「殿下。お話はあとで伺います。どうか、お部屋にお戻りください」
冷静さを総動員して、タエはカリダに願う。
「話がしたい。タエ、一緒に来て。いや、あなたは来ないといけない。僕はあなたを選んだんだ。ニールではなく」
「殿下……?」
タエはカリダの言っている意味が分からなかった。
けれども、彼の緑色の瞳は暗く病んでいて、彼が深く傷ついているのがわかった。
――僕はあなたを選んだんだ。ニールではなく
その言葉も気になり、気が付けば彼女はカリダの手を取っていた。
暗い通路をしばらく歩くと扉に辿り着く。開くとそこは王太子の間――カリダの部屋だった。
「座って」
白い椅子を指さされ、彼女は言われた通りに椅子に座る。
「ニールが死んだことは知ってるよね。僕を庇って毒を受けて」
カリダは座らず、タエに背中を向けたままだった。
「ええ」
なので、彼女は小さく返事をする。
「……ニールは僕を庇って、僕は最後の最後であなたを選んで彼を見殺しにした」
「で、殿下?」
(見殺し?どういう意味なの?パルはただ傷が深くて治療が間に合わなかったと……。毒……。私を選んだ。まさか)
タエの心臓が痛いくらい鼓動を早める。
吐き気もしてきて、嫌な予感が彼女をむしばんでいく。
「やっぱり事実は知らされていないんだね。そう思った。あなたを守るために。そうだろうね。でもそれは卑怯だよ。なんで僕だけこんなに苦しまないといけない?僕はニールを殺してない。救いたいって思ったんだ。それは本当だ。だけど、薬は一つしかなくて」
カリダは背を向けたまま、血を吐くように気持ちを吐露する。一旦言葉を止めた後、彼は振りむき、彼女の肩を掴んだ。
「解毒剤は一つしかなかったんだ。タエ。僕は選べなかった。だからニールはあなたのために使ってと……。いや、きっと僕は選んでいた。あなたを。ニールを見殺してもいいと思っていたんだ」
カリダの緑色の瞳が彼女を捉える。
責められているような、許しを請うような複雑な色が見えた。
タエの心は空っぽになった。
(解毒剤は一つしかなくて、それをニールではなく、私に与えた。だからニールが死んだ。……私が彼の命を奪ったようなもの。私が)
タエはなぜかおかしくなって笑い出す。
「タエ……?」
気がふれたように笑いだした彼女にカリダは戸惑った。
「ねえ。どうして、私を選んだの?どうして?私は生きていたくなかった。王妃として頑張ったでしょう?私は何も望まなかった。ああ、一つだけ望んだ。ニールの無事を。それだけだったのに」
タエは笑いを止めると涙を流し始めた。
「タエ、タエ。ごめんなさい。僕はそんなつもりじゃあ。ただ一人で抱えるのが辛くて」
「殿下。ええ、一人でこの罪を背負うのはきついでしょう。話してくださってありがとうございます」
タエは笑顔を浮かべ、頷く。
「どうしたの、タエ?なんでそんな笑顔を……」
「私は、私の愛する人をまた殺してしまった。静ちゃんも私のせい。そしてニールも。どうして、私はまだ生きているのですか。殿下、私を殺してくれませんか?あなたの母上も私のせいで死んだのですよ。なぜ、私はまだ生きてるのですか?」
「タエ……。ごめんなさい。ああ。僕はあなたに頼るべきじゃなかった。子供だった。本当にごめんなさい」
「いいのよ。カリダ」
タエはカリダが子供の時に戻ったように、腰をかがめた彼の頭を抱きかかえる。
「……カリダ。あなたはいい子だわ。本当に」
そして壊れたように彼女は彼の頭を何度も撫でた。




