六十三 ニールの願い
カリダの元にタエが襲撃された知らせが入り、彼は王妃の間へ急いだ。しかし中庭近くになり、案内していた者が急に足を止める。
「カリダ殿下。王妃を癒す解毒剤が手に入ると聞いたらどうしますか?」
「どういう意味だ?」
「私の仲間が王妃を襲ったのですよ。解毒剤は別の仲間が持っております。一緒に来てくださればお渡しします」
使用人のドレスを纏い、茶色の髪の女は笑う。
一瞬だけ考え、カリダは頷いた。
王宮の森近くの小屋、入り口の近衛兵達は姿を消し、彼らは誰に咎められることもなく中に入る。
「ようこそ。カリダ」
「ドニ」
そこにいたのは牢にいるはずのドニであった。
「どうして君がここに」
「ああ。牢にいるのは身代わりでね。そのままどこかに逃げようと思ったんだけど、私は君が許せなくてね。これが欲しいんだろう?」
ドニは小さなガラスの瓶をカリダに見せる。
「この解毒剤がなければ王妃は明日死ぬことになるだろう。あの毒は特殊でね」
「何が望みだ。解毒剤を渡せ」
「物分かりがよくていいね。さすが殿下。私はあなたの命が欲しい。死んでもらえますか?私の目の前で」
ドニはそう言ってナイフを床に投げる。
「それで胸を突いて死んでください」
「そんな馬鹿なことが」
「それではこの薬を捨てさせてもらいます」
ドニはガラス瓶を持ったまま、手を振り上げる。
カリダはナイフに目を落とす。刃先が紫で毒が塗っているようだった。
「どうしますか?」
「わかった。だが僕が死んだ後、誰が王妃の元へ薬を届ける?」
「私がいたします」
先ほどの案内した女が声をあげたが、カリダは首を横に振る。
「信用おけない。僕の信用のおける者に頼みたい。そこにいるのはハイバンだろう?」
「……知っていたか」
「なんとなくね」
ハイバンは屋根裏から軽い動作で降りてきて、ドニと女を眺める。
「僕が死んだから、このハイバンに薬を渡してくれ。頼む」
「わかったよ」
ドニは疑わしい目でハイバンを睨みながらも頷く。
カリダはゆっくりとナイフを拾う。
そうして両手で柄の部分を握り、胸に当てた。
その瞬間ハイバンが動き、まずは薬を奪おうとした。だが女が邪魔をしてもみ合う形になった。
「往生際が悪いね。薬は捨ててしまおう」
「待て」
「待たない」
「殿下!」
ハイバンは女を早く片付けようとするが、彼女はしぶとく彼の邪魔をする。カリダは目を閉じると再び柄を強く握りしめた。
「カリダ!」
小屋の扉が大きく開かれ、ニールが現れる。驚いたカリダはナイフから手を放した。
「またしても邪魔が!」
ドニは苛立ちながらナイフを拾いカリダに襲いかかる。ガラス瓶が床で砕ける音がして、彼は腕を引かれニールの懐に庇われた。鈍い衝撃がして、顔をあげると彼が苦悶の表情を浮かべ倒れたところだった。
「ニール!」
「くそっ、また邪魔が!」
彼の背中にはナイフが深々と刺さっており、ニールに黒々とした血を吐き出す。
抱き起こそうとしたカリダを必死に見上げ、彼は首を横に振った。
「俺に触るな。毒にやられる」
「ニール!」
「解毒剤を出せ。一つではないだろう」
やっと女を片付けたハイバンがドニに懐を探りもう一瓶の薬を見つける。
それをお受け取りカリダは瓶の蓋を開けた。
「ニール、薬を飲んで」
「ははは。それは最後の一瓶だ。そいつが飲めば王妃は助からないぞ」
「嘘をつくな!」
カリダは瓶をニールの口元に持って行き、怒鳴り返す。
「そう思うなら、試してみれば?」
ドニはさも可笑しいとばかり高笑いした。
「くっつ」
カリダは熱に浮かされたように、ニールと瓶の間で視線を彷徨わせる。
ニールに今すぐ薬をあたえるべきだという声と、タエをどうするのだという声が頭の中でこだましていた。
「カリダ……。俺の…傷は…深い。薬を飲んでも……どうせ…助からない。だから……それを王妃に、タエに…使ってくれ」
そんな彼にニールが答えを授けた。
「ニール!」
(彼を犠牲になどできない!)
抱き起こそうとするカリダを、ニールは血に濡れた手で来るなとばかり拒絶の意を示した
しかし、それは彼の最後の力で、すぐに手は力なくだらりと垂れる。
虚ろな目でニールはカリダを見上げていた。
「カリダ。悲し…むことはない。俺はいま……とても満たされているから」
苦しげに言葉を紡ぐニール。
カリダの瞳から涙が溢れる。
「カリダ……。タエに、あの時は、すま…なかった、と。ロイド…と……クルートに…も約束を……守れず、すまない……と伝えて…くれ。頼むな、カリ……ダ。ああ、これで、やっと……マリ…アンヌ……に、会え……るんだ……」
ニールは一度大きく痙攣すると動かなくなった。けれどもその顔は安らぎに満ち溢れていた。
「ははは。王族をまた殺してやった!ざまーみろ!」
静まり返った小屋で狂気に満ちたドニの声が響いた。
カリダは瓶を握りしめ、ニールの腰の剣を抜く。
「はっつ、カリダ?」
驚きと恐怖でドニの顔が歪む。
カリダは迷うことなく剣を振り上げた。




