六十 野営地にて
野営地である平地に、数十の天幕が張られている。一番大きなものはライベルのものだ。
ライベル達一行は馬を走らせ日が暮れるころ野営目的地にたどり着いた。一晩ここで明かし、早朝逆賊を迎えうつつもりだった。領地から集まった兵士達は主である領主を中心に天幕を張り、ライベル達の到着を待っていた。
ジスラン達の逃亡を避けるため、一部の兵を別の場所に集め、ジスランが姿を現した後挟み撃ちにする算段だ。
陣頭指揮はライベル、補佐はニール、ナイデラは近衛兵と警備兵、追随する貴族はそれぞれが領地や屋敷から連れてきた兵士達をまとめる。
顔合わせを終え、開始時間を確認した後、ライベルは天幕に戻った。まもなくして、ニールが訪れる。
「一杯やらないか?」
彼はワインボトルと木彫りのカップを持っており、ライベルは懐かしさで目を細める。
十七年前、エセルを追うために国境を目指した際も、こうしてニールはライベルの天幕にやってきた。
「ああ」
あの時は二人には信頼関係などほとんどなく、無下に断ったライベルにニールが無理やり飲ませ、彼の緊張を解いてくれた。
今とあの時では過ごした年月も異なり、二人には信頼関係ができていた。
ライベルはニールが注いだワインを受け取り煽る。
「今日王妃様と話した」
ニールが唐突にもらした言葉にライベルは耳を疑った。
「彼女は、幸せになるべきだ。だから俺を忘れるように伝えた」
それは正しいことかもしれない。
けれどもライベルはその時のタエの心情を思って胸を痛める。彼女はニールへの想いを誰にも語ったことはないだろう。これからも語ることもないだろう。だが、今日その本人から否定されたのだ。
今頃彼女はどうしているか、戦い前なのに気になってしまう。
「陛下。いや、ライベル。お前はどうなのだ?結婚して十一年だ。お前にとってタエはどういう存在なのだ?」
「俺にとってタエは国政を共に担う相棒のようなものだ。盟友という言葉が一番しっくりくる」
「盟友……か」
ニールは口を歪めるとワインの入ったカップを煽る。
「お前は……」
ライベルはそう言いかけて首を横に振る。
彼の最愛の妻がまだなくなって二年。傷口を広げるようなことを言えるはずがなかった。
「……タエを、王妃様を幸せにしたかった。それは本当の気持ちだ。だけど俺はマリアンヌを裏切れない。わかってくれ」
「ああ」
眉を寄せ苦し気に語るニールの肩をライベルは叩く。
彼女はニールに想いを寄せている。
それは変わらない事実だ。
その思いを忘れさせるべきだろう。彼女の幸せのために。
(シズコ……)
ライベルの脳裏に浮かぶのは、癖のある黒髪を頭のてっぺんで結んで、屈託なく笑う静子の笑顔だ。
「明日は早い。邪魔をしたな。おかしな疑いを持たれたくなかったから報告をしたかった。カリダが絡んでいるから大丈夫だと思うがな」
「カリダが?」
敷き物の上から腰を上げたニールをライベルが仰ぐ。
「あいつもなかなか難しい奴だな。だが、もしかしてあいつがタエを、王妃様を幸せにしてくれるかもしれない」
二―ルの言葉にライベルは答えなかった。
「それでは陛下、ごゆっくりお休みください」
砕けた口調を改め、ニールは一礼すると天幕を出ていく。
ライベルは自身の考えが掴めず、置いて行かれたワインボトルを煽った。
☆
「なんてことだ……」
「これでは」
ジスラン側の野営地では悲観的な声を上がっていた。
兵を思ったように集められなかった上、王宮周辺の領土へ侵入する前にライベル軍とまみえることになってしまった。
数の上でも負けており、指揮をとるのが隣国で暮らしていたジスランだ。近衛兵以外は実践を経験したことがない兵士も多く、脱走兵が出てもおかしくない状況にあった。
「皆の者よ。よく聞け。異世界の娘などと魔物に取りつかれたライベルにこの国は任せておけない。あの娘がこちらにきて我ら貴族がどれほどの被害を被ったか。我がジスラン王は、汚れを払う清き王である。このまま進軍を続け、魔物とそれに憑かれた者をアヤーテから追い払おうぞ」
「そうだ。我は真なる王ジスラン・アヤーテである。明日は正義の鉄槌を下す時である!」
ブリュノの演説に、ジスランが加わり、集まった貴族を鼓舞する。
この場に集まった貴族には進むしか道はない。今更抜けたところで、処罰は免れないのだ。
甘言をそのまま呑んだ者、進むしかないと悟った者、心中は様々であったが、ジスラン軍でも明日への戦いへの機運は高まった。
ただ一人、ブリュノの息子ドニだけは青白い顔をして違うことを考えていた。父の意識がいつの間にか変わってことに気が付き、彼はこの戦いに負けることを確信した。そうして、どうしたらこの戦で生き残るか、または彼の妄執が叶えられるか、それを考えていた。




