五十五 思慕
小さく扉が叩かれ、ニールが姿を見せる。
部屋にはタエと子供達だけだった。
「父上!」
ロイドが勢いよく立ち上がり、ニールへ駆け寄る。するとクルートもタエから離れて走り出した。
二人の子供に抱きつかれ、ニールは幸せそうに笑う。
(なんて浅ましい私。あの笑顔を向けられたいなどと。浅ましくて気持ち悪くなる)
「ニール。会議は終わったのですね。それでは、私は部屋に戻りますね。ロイド、クルート今日は楽しかったわ」
タエは王妃の笑みを浮かべ、ソファから腰をあげる。
「王妃様、まだ読み終わってないよ。まだ帰んないんで」
ロイドが父親に抱きついたまま、こちらに顔を向ける。クルートは顔を傾げ窺っているようだ。
(本当可愛いわね。でもだめよ)
「ロイド。ごめんなさい。私はこの後用事があるのよ。あなたたちも戻らなければならないでしょ?」
「父上?」
「ロイド。王妃様はお忙しいんだ。俺たちも母上と一緒に屋敷に戻る必要がある」
ニールはロイドの頭を撫でながら言い聞かせ、タエはカリダがまだ小さい頃を思い出す。
(あの頃もこうして、ニール様はカリダに言い聞かせていた)
「王妃様?」
ぼんやりと眺めていたのを気付かれたらしい。
ニールが怪訝そうにタエを見ていた。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたわ。それでは私は部屋に戻ります」
逃げるように微笑みを浮かべ、彼女は部屋を足早に後にした。
(なんてこと。タエ。あなたは……)
廊下に出て、タエは王妃の間に急ぐ。
彼女が使用人もつけずこうして一人で歩くのは珍しかった。
「タエ?」
カリダがギャンダーとガーネイルの二人と歩いてきており、彼女の姿を見ると駆けてきた。
もう十六歳で成人しているというのに、カリダは時折子供っぽいことをする。それはいつもタエ絡みのことなのだが、彼女が気がつくことはなかった。
「どうしたの一人で。そういえばロイドたちの面倒を見ているのじゃなかったっけ?」
「先ほどまでロイドのたちの部屋にいました。ニールが戻ってきたので退室したのです」
簡潔に状況を説明したのだが、まるでニールから逃げたようにも聞こえ、自身で言いながらもタエは腑に落ちない説明だと思った。
「ふうん。ギャンダー、ガーネイル。ごめん。ちょっと先に行っていて。僕は王妃を部屋に送ってから練習場に行くから」
「殿下」
(部屋には一人で戻れるわ。こんなことで殿下の時間を無駄にしたくないのに)
タエがそう思って口に出そうとするが、カリダの友人の行動の方が早かった。
二人は彼女に礼を取り、カリダを置いて歩き出す。
「殿下。私は一人で大丈夫ですから」
「知ってるよ。だけど、僕が送りたいから送るの」
「殿下」
カリダは頑固者だった。それを知っているタエは彼の考えが変えないことを知り、息を吐く。
「それでは早々と送っていただきましょう。殿下」
送っていきたいのであれば送ってもらおう。
ただし、時間をかけさせたくない。
タエはそう思って、歩き出す。
「王妃!」
咎めるように呼ばれるが、タエは無視をして足を動かし続けた。
「殿下ありがとうございました」
「本当、タエはさあ」
息切れするくらいの早足で、王妃の間にたどり着き、タエはカリダに礼を述べる。これで、迷惑はかけていないだろうと思っているのだが、カリダは不服そうな顔をしている。
「まあ。いいよ。それがタエだもん」
タエは意味がわからないと思っているが、カリダはそれ以上何も言わずに、元来た道を戻り出した。その背中をしばらく見送ったあと、タエは部屋に戻った。
☆
「……こうして二人は幸せになりました」
最後まで読み終わり、顔を上げるとロイドもクルートもすっかり寝入っており、ニールは苦笑すると二人の額に交互に唇を押し付けた。
今日読んだ本は昼間タエが読んでいたもので、どうしても最後が知りたいと最初から読まされた本だった。
タエと比べられ、なんだか面白くない気分になりながら読んでいたが、話が進むにつれて夢中になって読んでしまっていた。
(王妃様も夢中になって読んでいたのか?)
タエと再会するのは二年ぶりだった。
すでに三十歳を過ぎているはずなのに、相変わらずタエはまだ十代のような幼い顔をしていた。
ふと見つめられていることがあって、視線を返すと慌てて目をそらされた。
(まさか……)
その可能性を考えようとして、ニールは首を横に振って忘れるにした。
彼は子供のために用意された部屋を出て、自室へ向かう。そこで幾分酒を煽り、眠りに落ちた。
☆
「それではお休みなさい」
タエはライベルが寝室に入ってくるとすぐに立ち上がった。
礼をとって部屋に戻ろうとしたライベルが声をかける。
「ニールと話をしたか?」
「はい。ロイドとクルートの部屋に来られたので」
タエはライベルの問いかけに驚いたが、何も隠すことでもないので答えた。
「タエ。お前はまだ、」
「陛下。お疲れでしょう。お休みなさってください」
今まで言葉を遮ったことはなかった。けれどもタエはその続きを聞きたくなくて首を垂れると王の寝室から逃げ出した。




