三 近衛兵団団長 ニール・マティス
「ここだ」
牢獄はタエが思ったほど酷い場所ではなかった。
窓はネズミが通るくらいの小さなものであったが、一応存在し、寝床も用意されていた。
ベッドと呼ばれるものだとはこの時点で知らなかったが、先ほど体を休めていたものを同じつくりなので、それが寝床だということは理解できた。
青色の制服を身に着けた男は、クリスナを若くした感じだったが、柔和な雰囲気はない。けれども、ライベルのように険しい表情でもなく、ただ淡々とタエを牢獄に案内した。
彼女を牢に入れ、そのまま去ると思っていたが、彼は青い瞳を静かにタエに向けた。
「タニヤマタエ。お前はシズコ様の従姉妹だろ」
部屋にいなかった男が知るはずもない事実。
それなのに、そう問われタエは驚いて顔を上げる。
男は牢に入り、扉を閉め、両腕を組むと彼女を見下ろした。
「俺はニール・マティス。陛下の従兄弟に当たる」
「ニール……」
その名は聞き覚えがあった。
静子の息子のカリダが懐いている男で、確か近衛兵団団長であると彼女から聞かされたことがあった。
「俺はお前のことを聞いたことがある。シズコ様がよくお前の話をしていた。なのに、どうして、父上はお前を牢獄に入れようとするんだ?」
ニールの青い瞳には影を落ち、悲しみが見えた。
(ああ、この人も静ちゃんのことが好きだったんだ)
タエは彼の反応から、そう判断する。
そうして、また罪の意識が騒ぎ出す。
「私が、私が、静ちゃんの死に加担しているからです」
「死、嘘だ。シズコ様が死ぬわけがない!」
鉄の扉を叩かれ、タエは驚いて体を振るわせる。さらにニールが一歩踏み出し、威圧感を覚え、逃げ出したくなった。
(情けない。覚悟は決めた筈なのに。こんなにも静ちゃんはたくさんの人に好かれていた。私は、静ちゃんの話を信じなかった。ううん。信じた。最後の最後で。でも、あの時私は彼女を行かせるべきじゃなかった)
「どうやって死んだ?殺されたのか?」
「む、村から追い出されて、森で、野犬に殺されました」
震える手を重ね合わせ、タエは必死に顔を上げて、そう口にする。
「村、野犬……。どうしてだ?なぜ?」
「村の人が、静ちゃんを恐れたから。不思議な話、この国の話をみんなに話して、それで、誰も信じなくて」
「それだけでか?誰も彼女を救おうとしなかったのか!」
「ごめんなさい!私が、私がもっとしっかりしていたら。止められたはずなのに。だから、罪は私にあります。私は、私は罪を償うつもりです。だから、どうか、罰をお与えください」
激昂したニールに、タエは地面に這い蹲り訴える。
「……顔を上げろ。お前のせいじゃない。その村のやつらと野犬のせいだろ。お前が詫びる必要はないはずだ。シズコ様も絶対にそういうことは望んでないはずだ。あいつはお前のことが大好きだった。姉のように、優しく聡明だと」
「違います!私はそんな人間じゃ。静ちゃんをただ見送るしかできなかった。だから、静ちゃんは!」
「いいから黙れ!」
地面に手をつき、立ち上がろうとしない彼女の傍に、ニールはしゃがみこむ。
そしてその髪に触れた。
「同じ黒髪でも、お前のは違うな。目は一緒なのに」
間近で凝視され、タエは怯えて少し後ろへ退く。青い瞳は深い海のようで怖くなった。
「大方、お前がシズコ様を殺したとか言って、陛下を刺激したんだろ。父上は、これ以上陛下を刺激させないようにと、お前を牢獄にいれることを決めた。そんなことか」
ニールは、彼女の髪から手を離すと立ち上がる。
「今日は一晩ここにいろ。パルを傍につけてやる」
「パ、ル?」
「聞いたことがあるか?以前、シズコ様直属の使用人だった者だ。足らないものは彼女に聞けばいい」
(パル。パル。うん。聞いたことがある。確か、すごい強い女の人だって。でも、静ちゃん専属だったってことは、私には会いたくないはずだ。だって、私のせいだから)
「必要ありません。私のことは気にしないでください」
これ以上迷惑はかけられないとタエは顔を上げて、はっきりと申し出を断った。
「なんか、頑固な感じだな。シズコ様と同じだ。だが、拒否はできない。これは近衛兵団団長としての決定事項だからだ」
ニールは薄く笑うと、彼女が答えないうちに扉を開けて、外に出る。
「必要ありません!」
扉越しに層叫ぶが、彼が答えることはなかった。
☆
「シズコ……」
日中の王宮の池は太陽の光を浴びて、輝いていた。
その淵の長椅子に腰掛け、ライベルは目を閉じる。
静子が突然姿を消してから、三十二日間、ライベル達は様々な可能性を探った。
最初に考えたのはまず彼女が池に落ちた可能性だ。一緒にいた二歳にもまだならない王子が池を指差し泣いていたので、ライベルはすぐに池に入った。またほかの警備兵たちもすぐに池に入り一晩中捜索したが、何も見付からなかった。
池に落ちた可能性はないと、次に考えたのは賊が彼女を拉致したことだ。カラスの力も借り、静子の行方を追ったが、何もつかめなかった。そもそも王宮から彼女が出た形跡がまったくなく、文字通り彼女は煙のように消えてしまっていた。
そうして、八方塞がりの状態で、ライベルは彼女の消え方が、突然現れた時と同じ状況であることに思い至った。
また静子が最初に話していたこと。
「ただ水が飲みたかっただけなのに」という言葉を思い出した。
それらを考えライベルは静子が水を介してどこかに転移してしまったと結論を出した。
そのような奇怪な話をライベルは通常は信じない。けれども状況が彼にそのことを信じさせた。そうして現れた日と消えた日の共通点を探り、三つのことを発見した。
一つ、満月の夜であること
二つ、王宮の池であること
三つ、池に血が流れたこと
静子が現れた時、族に切られた警備兵の血が池に流れ込んでいた。
消えた時は、王子カリダの血だった。水音と泣き言がして駆けつけると、カリダが池を指して泣き叫んでおり、その指先が傷つき、血が滴っていた。小さな傷であったが、池の淵にも少しだけ血がついていて、池にも血が垂れたと考えてもおかしくなかった。
この三つを吟味して、ライベルは次の満月の夜に消えた時と同じ状況を作り出した。しかし血だけは、周囲からの反対もあり、現れた際に名もわからぬ一介の兵士の血であったことから、カリダの血ではなく、志願したニールの血を使った。
満月の日に実行したが、結局何も起きることがなかった。
ライベルを始め一同は落胆した。けれどもあきらめきれず、次の満月の夜、周囲の反対を押し切ってライベルはカリダの指を少しだけ傷つけ、その血を使った。
すると現れたのがタエだった。
光と共に黒髪の女が池に現れた時、儀式に望んだ者たち――クリスナ、ニール、パルから歓声があがった。カリダは母親だと泣き叫んだ。
期待の中、その顔を確認して、歓喜は落胆に変わった。ライベルは激情に任せタエを池にそのまま沈めよと、冷たく命令したくらいだ。カリダだけは状況がわからず、「母親」を求めて泣き続けた。
カリダはニールが部屋に連れて行き、タエはパルによって保護された。
「俺は絶対に信じない。嘘つきめが!」
現れたタエが握り締めていた金色のブローチ。それをライベルは握り、立ち上がる。
怒りのまま池にそれを捨てようとして、思いとどまる。
金色のブローチはライベルの母の形見。アヤーテ王国の逆賊である伯父エセルの遺品だ。
「……エセル。これはお前の復讐の続きか?頼む。お願いだ。シズコを、シズコを返してくれ。俺には何も残っていない。シズコを返してくれたらもう何もいらない。俺の命も、何も。彼女がいない世界など俺は生きていたくない」
ライベルは声を震わし、金色のブローチを両手で握り、祈るように掲げる。けれども太陽が彼を照らしつけるだけで、彼の願いに答えるものは誰もいなかった。