三十六 前日
「タエ。大丈夫か?」
「もちろんです」
いつものように寝室に戻ってきたライベルは、珍しくベッドの上で座って待っていた彼女に問う。
明日はいよいよニールとマリアンヌが王宮を訪れる日だった。
すでに王宮近くのマティス家の屋敷には二人は到着しているはずで、家族で談笑でもしていることだろう
「本日もお疲れ様でした。私はこれで」
「タエ」
腰を上げた彼女をライベルは呼び止めた。けれども言葉が続かない。
「ご心配ありません。陛下。私はお二人の結婚を祝福しております」
「本当か?」
「もちろんです」
王妃の仮面を被ったタエの笑顔。
彼女は王妃とたらんとして、常に笑顔を浮かべ、周りのものを安心させようとする。鋭い目付きで相手を竦ませるライベルとはまったく逆だ。
「無理はするなよ」
「大丈夫です」
タエはもう一度頭を下げると今度こそ秘密の通路に消えていった。
ライベルは大きく息を吐くと、ベッドに身を投げる。
先ほどまでタエが座っていた部分に彼女の温もりが残っていた。
☆
部屋に戻り、彼女は周りを気にしながらバルコニーに出る。
ひやりと冷たい風が拭き、タエは少しだけ身震いした。
視線を落とし、彼女はいない影を探している自身に気がつき笑う。
(未練がましい。とても醜い)
彼はすでに結婚した身、自身も王妃でありアヤーテに身をささげた存在だ。
このような感情自体を持つのがおかしいのだと、笑い声を上げたくなった。
空を仰ぐと、月がそんな彼女を見下ろしていた。
「今日は満月なのね。そう。アヤーテは二週間に一度ですものね。だからこんなに明るい」
タエは満月が嫌いだった。
なので、すぐに部屋に戻り、カーテンを閉め切った。
そうして、ベッドの上にうずくまる。
「タエ。あなたは王妃なのよ。しっかりしなさい。明日は二人をちゃんと祝福するの。決しておかしなことをしてはだめよ」
この一ヶ月、暗示をかけるように言い続けてきた。
いよいよ、明日二人がやってくる。
二―ルの姿を見るのは二年ぶりだ。
じわじわと妙な感情が沸き起こってくるが、彼女は首を左右に振り打ち消す。
「王妃。私は王妃。静ちゃん、力を貸して。私は二―ル様の幸せを壊したくないの。それは本当の気持ち。私自身はどうなってもいいの。だから、私の気持ちを殺して」
静子が生きていれば絶対にそんなことは望まないはずだった。また生きていれば、タエがこのような苦しみを受けることもなかった。
静子が死んだのは、殺されたのは、タエ自身の甘さ。
ただ見送ってしまった自身の罪。
「見ていて。私頑張るから」
寝不足だと気づかれると余計な心配をかけてしまうと、彼女は体をベッドに横たえた。幸運なことに眠りが彼女に訪れ、それ以上苦しむことは無かった。
☆
「眠れないのですか?」
「久々に戻ってきたからな」
クリスナとレジーナとの晩餐を終え、二人は部屋に戻ってきていた。
王宮近くのマティス家に到着したのは昼過ぎだった。
到着してすぐに王宮に上がることはないと、二人は一晩ゆっくり休んだ後、翌朝王と王妃に謁見する予定だ。
(嘘ばっかり)
そう口に出しそうになって、マリアンヌは変わりに微笑む。
「それでは、私と一戦交えますか?ゆっくり眠れると思いますけど」
「……あけすけだな。マリー。気分が萎えるぞ」
「私は早く子がほしいのです。お分かりですか?」
「お前が三十歳で亡くなるなんてわかるわけないだろう。大体こんなにピンピンしているお前が……ありえん」
「二―ル様は私が死ぬかもしれないから結婚してくださったんでしょ。死ななかったら困るんではありませんか?」
「馬鹿なことを言うな」
怒気が篭った声で返され、マリアンヌは口を噤む。
(馬鹿な私ね。わかっていることを尋ねるなんて。私は自分の命を糧に結婚を迫った。それは変わらない事実なのに。私は彼の子がほしい。彼に似た男の子が。自分を愛してくれるはずの)
「ニール様」
マリアンヌはニールに近づくと唇を重ねた。
最初は戸惑っていた彼だったが口付けが深くなり、そのままベッドに傾れこんだ。




