三十五 ニールの決断
「タエ。ニールが結婚したんだって。タエは知ってるの?」
翌日、お茶に訪れたカリダが突然そう言い出したので、タエは目をしばたかせてしまった。
けれども、昨晩彼女は想いをすべて封印することにしたので、驚きから返ると微笑む。
「知っています。陛下から聞きましたから」
「タエがそうやって微笑む時は、好きじゃない。僕はまだ十歳だけど、ギャンダーなんかよりもずっとよくわかってるよ」
ギャンダーというのは彼の学友で、確か、カリダより二歳年上の十二歳。使用人にも平等に接するやさしい子供だった。
(わかってるって、何のことを言っているんだろう?)
カリダは年の割によくわからない発言をしてタエを困らせることが多かった。
「タエのことは僕が守るから。絶対に」
「殿下。そのような台詞は私ではなく、好きな女性におっしゃってくださいね。まあ、まだお早い話なのですけど」
「タエ。僕わかってるよ。僕はタエが好きだから言ってるんだよ。父上じゃ頼りないし、第一お母様一番だから」
「殿下」
カリダの傍にあまりにもいたせいか、悪影響を与えてしまったようだとタエは思わず溜息をついてしまった。
「あ、ごめん。困らせちゃったね。タエ。ごめん」
「殿下。そう思われるのでしたら、おかしな発言はお控えください」
「はーい。わかったよ。ほら、タエ。このお菓子、食べてよ。ガーネイルが教えてくれたお店のお菓子なんだ。食べて」
ガーネイルというのも、彼の学友の一人で同じ年だ。
カリダはその学友の薦めたお菓子を掴むと、止める間もなくタエの口に押し付ける。
「ははは。口の周りがクリームでべっとりだ」
「殿下!」
「僕の手もクリームでべっとりだよ」
いつも少し破天荒なカリダなのだが、今日はいつもよりはしゃいでいて、タエは汚れた口を拭きながらも彼の優しさを感じる。
わかっているとはこういう意味なのだろうか。
子供にも悟られるようではおかしな噂をまた立てられてしまうと、タエはますます気を張るようになってしまった。
☆
「ニール様、後悔してますか?」
「していない」
「嘘ですね」
純白の衣装を身につけ、マリアンヌは笑う。
「これは、私が望んだこと。あなたはそれを叶えてくれた。あなたは所謂私の犠牲者なのです」
「そんなことを言うな。俺が選んだんだ」
「ふふふ。私は卑怯な手を使いました。二十六歳の誕生日を迎え、あと四年だと思って、耐えられなかったのです」
「そんなのわからないだろう」
「ええ。もし当たらなければ、私はずっとあなたの傍にいれる。あなたはそれでもいいのですか?」
「ああ。俺が決めたことだから」
断言したニールの顔は、彼らしくない表情だった。
晴れやかとも言えない。けれども、不機嫌でもない。わかりやすい表情の彼にしては珍しく、マリアンヌはそっと小さく息を吐く。
けれども、結婚を望んだのは彼女。
自分の限られた命という糧を使って、彼を脅してもぎ取った結婚。
彼女の母親の家系はなぜか短命が多い。しかも女性だけ。彼女の母も祖母も30歳前後で急な病に倒れている。
原因不明で、マリアンヌは小さい時から、自分が三十歳で死ぬと思っていた。母が亡くなった時の悲しみを思い、自身は子を持たないと決めていたのに、ニールに出会って変わってしまった。
そして母の想いを知ってしまった。母も父に出会い、死ぬまでに子を持ちたいと願ったのだろうと。
――私は多分三十歳で死ぬでしょう。母や祖母がそうであったように、その前にあなたの子供を生みたいのです。私の願いを聞いてもらえますか?
三ヶ月前の誕生日に、彼女は思わずニールに願ってしまった。
冗談だと言葉を回収しようとしたら、口付けをされ、結婚の申し込みをされた。差し出されたのは、即席で作った花の茎の指輪。
数日ともなく本物の指輪を嵌めてもらい、ニールは彼女の祖父と父に挨拶をした。その後、領地に滞在中のレジーナに会い、報告。
マリアンヌにとっては夢のような出来事だった。
式の準備を行いながら、ニールの父である宰相のクリスナの話が出る。彼の領地への一時帰還の話……不可解なことに気がつく。それは彼女を王宮に行かせない為のような。
直ぐに王妃タエのことと結びつき、彼女はタエに会いたくなった。
ニールが愛したタエ、おそらくまだ愛しているだろうタエに。
そのことを話すとニールは言葉を詰まらせ、レジーナに呼び出された。
――覚悟があるの?結婚はやめたほうがいいわ。
そのようにレジーナに諭され、彼女は自身の気持ちを話した。
死ぬ前にニールの子を持ちたい、だから結婚を迫った。タエと会いたいのは、ニールが愛した人をこの目で見たいからということ。
レジーナは少し考えた後に同意して、もし辛くなったら離縁しなさいと助言をした。
「ニール様。あなたはきっと私を忘れられない。私はひどい女。だけど、あなたの子がほしいの」
結婚式の直前、彼女は物思いに囚われ、目の前のニールに思いの丈をぶつけてしまう。
「マリー」
その言葉で二―ルの顔色が曇った。
(そんな顔させたくないのに。ごめんなさい。ニール様)
マリアンヌは自身の暗い感情を奥にやり微笑む。
「ふふ。私らしくないですね。さあ、行きましょう。お父様がやきもきして待っているわ。ニール様もしゃきっとしてくださいね」
彼女は横柄な態度でニールに手を差し出し、彼は苦笑しながらもその手をとった。
そうして二人は式が行われる広間にゆっくりと踏み出した。




