三十三 マリアンヌ・サンダー
マリアンヌ・サンダーは領主代理人の孫に当たる。そして所謂ニールの幼馴染のような存在だった。
とは言っても、ニールが領地から離れた年に彼女はまだ四歳であり、お互いに一緒に遊んだような記憶があるわけではない。
しかし、領主代理人の孫でもあり、ニールが領地に戻ると、マリアンヌが彼の補佐について領地経営を手伝った。
彼女は男性のようにズボンを身につけ、髪をひとつに結び、男勝りの女性だった。
年齢は二十六歳とすでに、結婚を諦めている年齢で、本人にもその意志はなかった。
本来ならば、マティス家当主が領地を離れて長く、戻ってくる気配がなかったため、マリーが祖父の後を継ぎ代理人を引き続く予定だったのだ。
それがニールが戻ることになり、マリアンヌが補佐に推挙された。
頭を使うことが苦手なニールにとって、マリアンヌの存在は有難かった。二人で領地視察をすることも多く、すぐに領内で噂が広まった。同時に、王宮から離れているにも関わらずニールとタエの話も流れきて、噂話が好きな領民達にニールとマリアンヌはいいネタを提供してしまうことになった。
「マリー。悪いな。だが、お前の補佐がなかったらどうもうまくできないんだ」
「気にしないでください。ニール様。私は気にしていません。それよりもあの話は本当なのですか?」
ニールが領地に戻ってきて半年後、マリーは二人のほか誰もいない領主の執務室で尋ねた。
彼は一瞬迷ったが、自ら真相を話したほうがよいと口を開く。
「本当かといえば、どうかな。俺は確かに王妃様を愛していた。だからこそ、王宮を離れ、この地にきた。お前にとっては職を奪う形で申し訳ない」
「いえいえ、そんなことは。こうして補佐として雇っていただいているので不満はありません。もともと上に立つことは性に合っているとは思わなかったからです。それよりも、ニール様はそれでいいのですか?」
「当たり前だ。後悔はしていない」
彼女の質問にニールは即答した。
己の決断を後悔したことはなかった。苦しんで出した結論で、カリダまで泣かせてしまったことを少しだけ反省しているくらいだ。
「悔しいくらい、さっぱりしてますね」
「どういう意味だ。これでも色々悩んだんぞ」
複雑な表情でそう返され、ニールは憮然として答える。
「それなら、もう誰か好きになることはないんですか?」
「さあな。二回失恋しているから、正直懲り懲りだ。マティス家のためには跡取りが必要なんだろうがなあ」
ニールは豪快に笑ったが、真顔のマリアンヌを見て笑いを収めた。
「ニール様。もう一度私に恋をしてみませんか?いえ、恋を体験させてください。正直、子供を残すつもりはなかったのですが、ニール様は特別なんです。あなたの子供を生みたい」
「なんて事を言うんだ。お前は!そんなのお断りだ」
「ニール様!」
「女性からそんな風に誘うのはよくないぞ。大体だいたい恋をしようとして、するものでもないしな。この話はおしまいだ。恋人がほしいなら、王宮のやつを紹介しようか?」
「必要ありません。私はニール様がいいんです。だったら勝手に恋をしますからね。覚悟していてください」
「は?なんだ?どういう意味だ」
「大丈夫です。私は仕事と私用は分けれますから。さて、この書類にとっとと署名してください」
こうして、マリアンヌの恋ごっこは始まり、ニールは頭を抱えることになった。
マリアンヌは言葉通り、仕事の際は今までと同じように補佐として仕えた。けれども昼食を作ってきたり、夕飯に誘ったりと業務に差支えがないように、ニールに迫る。
領主の権力を使って、首にするぞと脅せば、自分がいなくなって書類の処理はどうするのだと言われれば、ぐうも出なくなり、ニールは意外に美味しいマリアンヌの料理を堪能することになった。
子供が生みたいとは言ったが、マリアンヌは体を使って誘いをかけたりすることはなく、食事への誘い、馬で草原をかけるデートなど健全なものばかりだった。
領民からするとそんなマリアンヌの努力は可愛らしく思えるらしく、応援するものが出てきた。
そうなると、ニールの周りは敵だらけになり、何かと二人きりにされることも増えてきた。屋敷の者をすべてマリアンヌの味方らしく、ニールはほとほと困ってしまった。
「マリー。俺の意志はかわらない。だから、諦めないか?」
「誰か婚約者がいらっしゃるのですか?」
「い、いるわけないだろう」
「それであれば、私を婚約者にしてください」
「だから、それはできない」
「どうしてですか?そのうち結婚しなければならないでしょう?私であれば、領地を把握してますし、屋敷内も女主人としてまとめる自信があります」
「わかってる。そんなこと。だから、嫌なんだ。俺は、お前につらい思いをさせたくない」
ニールが領地に戻ってきて一年。マリアンヌの人となりも理解していた。結婚相手として彼女は最適だ。けれども、彼は躊躇していた。
タエへの想いが完全に昇華されたとは思えていなかったからだ。六年も彼女を想い続けた。王妃となって、別の男の妻になっても、その想いは変わらなかった。
この想いのため、マリアンヌを不幸にさせてしまうかもしれない。
それを思うと、ニールは彼女を結婚する気になれなかった。
「王妃様のことで迷っていられるのですね。大丈夫です。私はすべてわかっていますから。あくまでも私はあなたの子が生みたいのです」
マリアンヌはからりと笑う。
「馬鹿なことを言うな。そんな誘いは」
「わかってますよ。私が誘うのはあなただけです」
ニールは妖艶にも思える彼女の笑みにふとぐらつくが、後々のことを考え、正気に戻る。
「ニール様。スープが冷めてしまいますよ。早く食べましょう」
「ああ」
さっきまでとは全然異なる口調で言われ、ニールは納得がいかないと思いつつ、スプーンを手に取った。




