三十 打診
「何を言っているのだ?お前は?」
翌日、クリスナが持ちかけた話にライベルは彼の正気を疑った。
長らく、兵士として生活し、近衛兵団長でもあるニールを領地に返すというのだから。
「我がマティス家の領地の代理人が老いてしまい、引退したいと申しますので、私の代わりにニールに領地を治めさせようと考えております。次期近衛兵団長には現警備兵団長のナイデラ・アサムを考えており、警備兵団長には国境警備兵団長、そして空いた国境警備兵団長には副団長を昇格させ、当たるつもりです」
「随分、大掛かりだな」
ライベルは、これが単にニールを新しい領主にする話ではないことに気がついていた。
なので、このことが、クリスナの独断なのか確認するために、声を上げる。
「クリスナ。ニールと話がしたい。ここに連れて来てくれ」
王の要求に彼は少し戸惑った顔をみせる。
「クリスナ。不都合でもあるのか?俺はニールと話がしたい。連れてこい」
「……畏まりました」
少しの間の後に彼は承諾し、礼をとると王室を出る。
人払いをしていた王室には、近衛兵も侍女もおらず、外に出て伝令を伝える必要があった。
クリスナはすぐに王室に戻り、それから予想していたのか、待たされることもなくニールが扉の前に立った。
「近衛兵団長ニール・マティスです」
「入れ」
ライベルの声に反応し、近衛兵の一人が扉を開ける。
ニールは一礼すると、ライベルの座る玉座に近づいた。
「礼はよい」
頭を再度下げようとした、ニールを止め、ライベルは隣に立つクリスナを仰ぐ。
「クリスナ。ニールに質問したいことがある。お前を含む、人払いを頼む」
「私もですか?」
「ああ、頼む」
しっかり頷かれたが、クリスナは顔色を変えることなく、扉の側で控えていた近衛兵に声をかけ、退出を促す。
そうして王室にはライベルとニールだけが残った。
「クリスナから、お前が近衛兵団長を辞して、領地にもどることを相談された。それはお前の意志か?」
「はい」
ニールが迷うことなく答え、ライベルは身を乗り出し彼に問う。
「タエをどうするのだ?」
「どういう意味でしょうか?」
「ふん。愚かな質問だな。お前の気持ちは知っている。タエの気持ちもだ。俺は俺の都合で、お前たちを引き裂いた。だが、カリダが王位を継いだ暁には、俺はタエを解放しようと思っているのだ」
予想もしていなかったライベルの言葉に、ニールは息を呑む。
せっかくの決断も揺るぐ。
「タエにも話してあるのだ。お前にも早く話すべきだったな」
――タエにも話している。
だが、この言葉で、ニールの迷いは消えた。
タエは知っている上で、ごめんなさいと言っている。
彼女は、王妃の役目を全うしようとしているのだ。
カリダはまだ八歳。
そしてライベルはまだ二十五歳だ。
王位譲渡を急ぐ必要はないし、若い王は国を不安定にする要素を持つ。
なので、カリダの王位譲渡まで、あと十数年と見たほうがいい。むしろそう考えるべきだった。
「陛下はそのように考えておられても、私の意志は変わりません。私は領地に戻り、のんびり過ごしたいのです」
「ふん。嘘ばかりだな。領地に戻って結婚でもするつもりか?お前はタエのことを忘れられるのか?」
「陛下には隠し事はできませんね。私は、結婚するつもりです。領地の静かな環境で、妻を迎えたいのです。おわかりですか?」
ニールはあえて、そういう物言いにした。
ライベルは、彼の意図することがわかり口をつぐむ。
少し言いすぎたかと思ったが、彼は言葉を続けた。
「陛下、王妃、殿下には健やかに過ごしていただいたいのです。おかしな噂などに惑わされませんように。私は、新しい生活を楽しむつもりです。なので、ご安心ください」
ニールは、ライベルが彼の瞳を食い入るように、試すように見つめているのがわかった。
この決断までに、彼は迷い苦しんだ。
六年間の想いだ。
だが、今は後悔していない。
「……わかった。お前の望むようにしよう」
折れたのはライベルだった。
大きく溜息をつき、額を抑える。
「クリスナを呼べ」
「はい」
扉の外で待機しているだろう父親を呼ぶため、ニールは頭を下げるとライベルに背を向けた。




