二十六 レジーナの反対
「性格は、ちょっと厳しいわね」
翌日、タエは気持ちを切り替えて、ニールが持ってきてくれた書類と格闘していた。
身辺調査とも言える簡単な報告書に目を通し、候補者について考える。
知識は豊富だが、その性格に問題がある者が目に付き、タエは調べてくれたニールに感謝する。
今日は珍しくカリダが部屋に現れることがなく、昼食を終えた後もタエは作業を続けた。
十人目の候補者の資料に目を通していると、扉が叩かれる。
「近衛兵団長のニール・マティスです。よろしいですか?」
「はい」
声が上ずっていないことに安堵していると、侍女が開けた扉から、ニールが姿を見えた。
少し疲れている様子で、彼女は心配になる。
「ニール様。体調が悪そうなのですが、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です。昨晩少し飲みすぎまして」
「ああ、そうなのですね。お休みはとらなかったのですか?」
タエは以前にワインを飲んだことがあったが、好きになれなかった。
なので二日酔いなどの痛みはわからない。けれども、頭痛と吐き気が酷いと聞いたことはあり、同情してしまった。
「二日酔いごときで休めません。それに、私もお手伝いしたいと思いまして。よろしいでしょうか?」
彼の目が少し赤く、青い瞳が濁っているようだった。
返答しないタエにニールは困ったように笑う。
「王妃様。当日の面談には参加できないのですが、できる限り殿下の力になりたいのです。お願いできますか?」
知ってしまったのだという思いが先走り、胸が少し痛む。
彼の口元は寂しそうで、その目はタエに何かを訴えているようにも見えた。
ずっと見つめているとおかしなことを口走りそうで、タエはその瞳から逃げる。
「もちろんです」
答えながらも、極力彼を見ないようにする。
昨日のライベルとの会話が頭を過ぎるが、タエは忘れるように努力した。
「ありがとうございます」
彼は彼女が座っている前の席に座り、書類に手を伸ばす。
「こちらが選んだ候補者ですか?」
タエの気持ちとは裏腹に、ニールは冷静で、臣下としての態度は崩さず問いかけてきた。
なので、彼女も王妃の面を被る。
「はい。四人ほど選びました。ニール様が見ておかしいと思うのであればおっしゃってください」
「おかしいとか思うはずはないですよ」
「買い被らないでください」
ニールは惑わすように微笑み、彼女は少し顔を赤らめて反論する。
(どうして、ニール様。どうしてこんな風に笑うの?私は、王妃、王妃なのに)
「ニール様。お茶をどうぞ」
侍女が二人の会話に入り、ティーカップを彼の前に置いた。
それで、タエは再び落ち着きを取り戻す。
「私は残りの候補者の資料に目を通します。ニール様はこちらのご確認をお願いします」
そうして、分担を振って彼女は作業に集中しようとした。
ニールは頷き、タエが指定した書類を手に取り、読み始める。それにほっとして、彼女は再び資料読みを再開した。
☆
(見苦しい)
夕刻、王妃の間から彼は近衛兵団の訓練所にきていた。
自身の振る舞いを思い出し、それを忘れようと、剣を振る。
すでに多くの近衛兵の姿はなく、配置場所で今夜の勤務をしているか、休憩しているのかどちらかだ。
ニールは、自分を弁えているつもりだった。だが、少しでもタエに近づきたいと思う。その葛藤で、あのような態度を今日はとってしまった。
クリスナが持ってきた婚約者の資料にはまだ目を通していない。
しかし父の意向通り、彼は結婚するつもりだった。
タエの戸惑った表情、赤らめた頬、王妃でなければ、己の妻になるはずだった女性だ。
「タエ……」
久しく呼ばなくなった名を呼び、彼はその想いを噛み締める。
☆
「信じられないわ。どういうことなのです。クリスナ様」
クリスナ・マティスの妻、レジーナは激しい怒りを隠すことなく、夫にぶつけた。
夫と息子が隠れて何かを画策していることに気がついていたが、王宮にかかわることだと彼女は深く追求していなかったのだ。
けれども、本日茶会でとんでもないことを聞かされ、彼女は帰宅した夫を問い詰めた。
「ニールに縁談ですって?どうしてなのですか?」
「どうしてって。あいつは三十四歳にもなるのだぞ。妻がいないほうがおかしいだろう」
「クリスナ様。私たちの新しい娘を不幸にする気なの?」
レジーナは口調を変えて、彼に問いただした。
「夫が別の女性を思い続ける。それがどんなにつらいこと、あなたはまだわからないの?また不幸が生まれる。マティス家があなたの代で滅ぼうとも私は構いません。それよりも、ニールの妻になった女性が不幸になることがどんなに罪深いことか」
「レジーナ。このままでは、ニールと王妃タエ様に対してどんな噂が流れるのか、それは王家の批判につながるのだぞ」
妻の批判にクリスナは揺ぎ無い口調で返す。
「わかっております。けれども、私は目の前で、娘となる女性が苦しむのを見たくないのです。おわかりですか?」
「わかっている。だが、レジーナ。私たちは王家を守らなければならない」
夫の苦しみ、葛藤をレジーナは知っていた。
だが、同時に彼女は、エリーゼのことを思い出す。
溌剌とした可愛らしい女性だった。容姿が似ていたいことから、本当の妹のように思えた。
そんな妹だと思っていたエリーゼは、ある日から彼女を避け始める。
それはある噂からだった。
ライベルの父オルガ王は、思い人であるレジーナに似ていたからこそ、エリーゼを娶ったと。
噂にすぎないと彼女は気にしていなかった。
エリーゼはそれを信じ、愛しい子を残して旅立ってしまった。
告別の際に見た、やせ細った彼女の体……。
レジーナは自身が気が狂うのではないかと思った。
自身の存在が彼女を死に追いやったと、そうとしか思えなかったからだ。
「クリスナ様。私は反対です。ニールはタエ様を好いているわ。きっとあの子は変わらない。例え変わったとしても、噂はどこから流れてくるものよ。私は絶対に同意しないわ!」
伸ばされた手を振り切って、レジーナは夫に背を向ける。
クリスナは彼女の消え行く背中を見送り、大きな溜息をついた




