二十五 二人の苦しみ
「カリダは怒っていたか」
夜、王の寝室で待つのはタエの一日最後の役目であった。
いつものことなのに今日も緊張して待っていると、ライベルが開口一番に心配そうに聞いてきた。
王妃として以外は笑ってはいけない、これは六年たった今でもタエは思っていることで口元をすこしだけ緩めるだけで、どう答えようとかと彼を仰いだ。
「やはりな。よい。俺はわかっている。気にするな」
タエは何も答えなかったのに、すでに顔にでも答えが出ていたのか、ライベルは大きなため息をついた。
「陛下。あの、殿下は陛下のことをお父上として尊敬されております。ただニール様を兄として慕っているので寂しいだけでございます」
「タエ。気を使わなくもいいのだ。本当に俺は気にしていない。いや、気にしているが、当然だと思っているからな」
ライベルは苦笑し、手を振った。
それは部屋に戻っていいぞという意味であったが、タエはこのままではよくないと何か言わなければと部屋に残る。
そんな彼女をライベルは見下ろし、柔らかく微笑む。彼のこんな笑みを見たことがなく、タエは驚きでいっぱいになった。
「ニールとお前には感謝しているのだ。俺とカリダ、アヤーテのために、お前はその身を犠牲にしてくれた」
「陛下……」
「シズコのことは今では理解しておる。あの時は本当にすまなかった。俺は彼女を失った痛みに堪えられなかったのだ。時間がたった今、俺はやっと受け入れることができた。だが、その痛みがなくなることはない。俺は、シズコを愛している。これからもそれは変わらない」
タエは最後に見た静子の微笑を思い出し、胸の痛みに堪える。
彼女も一生この痛みを忘れることはない。
「本当なら、俺はお前を解放すべきだ。お前はまだニールが好きなのであろう?」
「陛下……」
ライベルに気づかれているとは思わず、タエは口元を押さえ、窺うように彼を見上げた。
「俺は責めるつもりはない。お前はこの六年、その思いをずっと押し殺してきた。見ていればわかる。カリダが王位を継げるまで、あと恐らく少なくても四年かかる。それまで、お前の時間を俺にくれないか。ニールのやつにも話してもいい」
「それは、」
「ニールもお前のことを思っておるぞ。時折恐ろしい目をしているからな。奴は」
タエが驚きで固まっている前で、ライベルはおかしそうに笑う。
「面談のことは悪かった。おかしな気を回しすぎて、クリスナに止められてしまったな。確かにクリスナの意見は正しいのだ。王妃でいる間は、今までのように自制してもらう必要ある。カリダには安定した国を治めてもらいたいのだ」
ライベルは憑き物がとれたような表情であった。逆に、タエのほうが、彼の変わり様についていけず、困惑するしかなかった。
☆
王室の、ライベルの寝室と王妃の間は奥でつながっている。なので、誰にも会わずに彼女は自室に戻ることができた。
侍女の影もなく、薄暗い部屋の中で彼女はベッドに潜り込む。
意識ははっきりしていて混乱している。
(陛下がいつもと違ったけど、私何か失礼なことしなかったかしら)
尊大な態度はいつものことだが、感謝しているなど、とんでもないことを言われたことを思い出し、彼女は顔を手で覆う。
(私、何も答えていない。もう陛下は怒っていないのに)
ずっと抱えていたライベルへの罪悪感、それから開放されたはずなのに、タエの気持ちは冴えなかった。
(ニール様のこと、気づかれていたから?浅はかな想いを抱いていた自分……。静ちゃんは苦しみの中で亡くなったのに、私は浮かれていたから?)
タエは混乱していて、考えがまとまらなかった。
(ニール様が私を好き?そんなことが……。タエ、何を考えているの?私の役目は王妃として陛下を支えること、そして殿下を見守ることよ。陛下はああおっしゃっていたけど、四年後殿下はまだ十二歳。王位を譲渡するにはまだ早すぎるわ)
興奮していた心が徐々に収まり、タエはむなしくなる自身の気持ちを自嘲する。
(馬鹿な私。自分の役目を忘れるなんて)
ライベルも、カリダもすでにすでにタエを「許していた」。けれども彼女自身は負い目を感じ続けており、首を振り続ける。
ニールであれば、それを正しく指摘するかもしれないが、彼は彼女の側にいない。いてはいけない立場の人間だ。
タエは、自分で自分を雁字搦めにしていた。
☆
「ニール、それ以上はやめておけ」
ニールは、警備兵団長のナイデラを呼び出していた。すでに彼は身を固め、二人の子宝に恵まれてる。
けれども旧友の呼び出しに答え、こうして街の酒場で焼け酒に付き合っていた。
「何があったんだ?」
ナイデラの問いに、ニールは答えずただ麦酒を呷る。
「本当君は救われない奴だな」
彼はニールの思い人を知っており、その苦しみも想像できた。
だが、すでに六年目だ。
今更荒れることでもないのにと首をひねる。
そしてある可能性を考えた。
「まさか、君、とうとう結婚するのか?」
「うるさい」
ニールはひと睨みして、今度はワインボトルを手に取る。
「明日も仕事だろう」
「これくらいでは酔わない」
ボトルを押さえたナイデラは、ニールの意外にしっかりした口調に手を放した。すると彼はワインボトルの栓を抜いて口の中に流し込む。
「明日はしっかり仕事しろよ」
「わかってる」
深くは聞かない。
ただナイデラは飲み続ける彼の隣で、飲み過ぎないか見守るだけであった。




