十九 カリダ八歳
「殿下。また抜け出してきたのですね」
「だって、タエ。つまんないだもん」
タエが王妃となり、三年ほどが経過した。
カリダは八歳となり、タエは二十五歳。
王妃になり、職務が増えた。
なので、以前のように四六時中カリダの傍にいるわけでもなく、彼は隙を見て講義や稽古を抜け出し、タエに会いに来ていた。
王妃でありながらも、カリダの予定をしっかり把握しているタエは、この時間帯はご学友とのお茶会であったと頭を廻らせる。
――つまんない。
正直、カリダの気持ちをタエはわからないこともない。
以前彼の学友のお茶会に参加したことがあったが、機嫌伺いのような話が多く、内容が薄く、学ぶようなことは何もなかった。
「ですが、抜け出すのはよくありません」
しかしタエは、彼の王太子という立場を考え、小言を述べる。
カリダは腕を組み、口を尖らして不満そうだ。
その姿はまだ可愛らしいが、背の高さはすでに彼女の肩を少し超えたところにあった。
日本人であるタエはアヤーテ人より小柄であり、その成長の早さに驚かされる。
カリダはまだまだ子供ぽいが、当時十一歳であった弟の背の高さを思い出すと、タエはアヤーテ人と日本人の違いを改めて感じた。
(あれから六年も経つのね。信夫も十六歳。今どうしているかしら)
心に余裕ができたのかわからないが、タエはふとしたことで最近日本のことを思い出すことが多くなっていた。
「近衛兵団長ニール・マティスです。殿下はこちらにいらっしゃいますか」
「げ!ニールだ。確か今日はいないはずだったのに!」
あれだけニール、ニールと慕っていたカリダなのだが、最近はこうしてニールのこと邪険にすることが増えてきた。
「いらっしゃいますよ。どうぞ」
「タエ!なんで入れちゃうんだよ!」
部屋には他の使用人もいたが、こうしてカリダが部屋に入り込み、それを追ってニールがたずねて来る事も日常茶飯事のため、微笑ましく見守っている状態であった。
「入ります」
使用人が扉を開け、ニールが眉間に皺を寄せて入室してくる。
「殿下。よりにもよって「お前らは馬鹿だ!」などと捨て台詞を吐き、王妃様の部屋に逃げ込むというどういうことなのでしょうか?」
「え?」
ニールの言葉に反応したのはタエだ。
何があったのかとカリダを見つめる。
「だって、あいつら貴族だから、何でも許されるって思ってるんだ。砂糖を入れ間違ったくらいで使用人を首にしたいなんて、どうかしてるよ!」
「どういうことですか?」
今回はいつもと違う様子なので、タエはニールに説明を求めた。
溜息をつきながら、彼はカリダに言い聞かせるように説明し始める。
どうやら、給仕していた使用人が誤ってお茶に砂糖をいれすぎたらしい。それに怒って、貴族の子息が首にしてくれとカリダに願い出た。そのような話だった。
「砂糖が多ければ、入れなおせばいい。僕が代わりに飲んでもいいくらいだ」
「それでも、貴族の子息相手に「お前らは馬鹿だ」はありません。この俺ですら、そんなことを言ったことがないのに」
ニールは半分呆れたように、後半は砕けた様子になる。
「ニール。なんであいつらはあんな風に偉そうなの?本なんてまともに読んでないし、計算などめちゃくちゃだよ」
よっぽど不満がたまっていたのか、タエをそっちのけで、カリダは愚痴を言い始める。
「殿下のことを考え、少し年上の十歳くらいの子息にしたが、だめだったか」
「あいつらと話すくらいなら、こうしてタエと一緒にいたほうが為になるよ」
「殿下」
さすがにそれは言いすぎだろうと、タエは口を挟んだ。
「でもそれは言えてるな」
しかしニールは苦笑しながら同意して、はっと気がついて顔を引き締める。
「殿下。私も暇ではありません。とりあえず小広間に戻っていただけますか?」
「仕方ないか。だけど、あいつらとはもうお茶などしたくない。それは父上、クリスナに伝えてくれるよね?」
「わかっています」
タエの存在はなんだったか、二人はそう言いながら部屋を出て行こうとしている。
「タエ。夕食は一緒に食べようね」
「殿下。いい加減、王妃様と呼んでください」
「別にいいでしょ。公式の場ではちゃんと王妃って呼んでるし。ニールも僕たちだけのときは、タエって呼べばいいのに」
注意したニールにカリダがそう返し、彼は少しだけ困ったような顔をした。
それを見たタエは見なかった振りをするように、顔をそらす。
三年経っても、ニールはやはり優しかった。けれども、距離を置こうとしているのは感じており、終始彼はタエを王妃と呼ぶことに徹していた。
タエもそれはわかっていたが、時折さびしい気持ちになるのは隠せない。
三年前に自覚した気持ちは小さなもので、気づかない振りをしていれば消えるものだと思っていた。けれどもその気持ちはずっと胸の奥にあり、タエを時折苦しめた。
「それでは失礼いたします。王妃様」
「はい。お気をつけて」
扉が閉まる前にニールに言われ、タエは考え事に没頭していたことに気づかされる。慌ててそう返したが、すでに扉が閉まった後だった。




