十六 タエの決意
カリダの世話役には、タエの他にパルとメリッサがいた。
実際二人はカリダだけではなく、タエの使用人として遣わされていたのだが、彼女自身がそれを望まず、身の回りのことは自身でこなした。
朝食を済ませると、メリッサが緊張した面持ちで、カリダの部屋に姿を見せた。本日は彼と共に部屋で待機するように伝えられ、メリッサ自身も部屋に残る。
何かあったのかと聞いても彼女が答えることはなかった。
パルのことを尋ねると、険しい表情を見せたので、タエの不安はますます高まる。
けれども彼女が不安そうだと、カリダにも伝わるので、彼女はできるかぎり平静を装い、本を幾つか取り出し、彼に読み聞かせた。
この世界に来てから、カリダの世話の合間にタエは必死に文字を学び、かなり難しい本でも読めるくらいになっていた。絵本などは当然で、なるべく感情を乗せながら読み上げる。
そうして何冊か読み終わったらところで、扉が叩かれた。
メリッサが応対して、彼女の顔が一瞬顔をしかめた。それから安堵したように息をつく。
(何かが起きたんだわ)
喉に何かがつっかえた気持ちになり、状況を教えてもらえないかとメリッサの隣に立つ。彼女と話していた男に見覚えはなかった。けれども近衛兵の制服を着ており、メリッサとは親しげだ。
「初めまして。私は谷山タエです。何かあったのですか?」
男はタエに話しかけられ、メリッサと目を合わせる。
二人は頷きあい、男が口を開いた。
「失礼いたしました。俺はアマンです。陛下とニール様が無事お戻りになったのでご報告に参りました」
「無事?何かあったのですか?」
タエがそう聞き返すとしまったという表情をアマンがする。
「メリッサさん。殿下をお願いします。あの……アマンさん?私をお二人の傍へ連れて行ってもらえますか?」
それは普段の彼女らしからぬ行動であり、タエ自身も驚いていた。
けれども、二人の無事を自身の目を確かめたい、その欲求が大きく彼女を動かす。
「畏まりました」
タエの勢いにのまれ、アマンが頷いた。
連れて行かれたのは、王室であった。
「どうしてこんなに人が」
王室の周りに人が集まっていた。
皆身分が高そうな服を着ており、貴族たちだとわかる。
黒髪に、黒い瞳、そして小柄な彼女の存在は目立つ。
「異世界の娘」だとわかり、一瞬話し声がやむ。
「タエ様。お部屋にお戻りになりましょう」
「いいえ」
本来の彼女の気性ならアマンの言葉に従っただろう。
だが二人のことが心配な彼女は、臆病なそぶりを見せず、王室へ群がる人々に毅然とした態度で望んでいた。
集まった人々から、悪意を感じている。
心配して集まっているのではなく、何か別の意図があるようだった。
「それでは行きましょう」
彼女の覚悟を知り、アマンは人々をかき分け、王室の扉へたどり着く。
「タエ様が面会をもとめております」
彼の声は嫌に響き、人々の声が再び止む。扉がゆっくりと開き、タエだけが招き入れられた。
「タエ!」
彼女の姿に最初に反応したのは、ニールだった。
「どうしてここに?」
「ニール様。ご無事でよかった。陛下も、ご無事ですか?」
「ああ」
ニールはタエの問いに少しだけふてくされたように答える。
「その女を俺に近づけるな」
追い討ちをかけるように、ライベルが王室の奥の部屋から、冷たく言い放った。
「今日は特別だ。これ以上はお前に近づけない。いいだろう?」
王室にいるのが、心置けないものばかりなので、ニールは砕けた口調でライベルに言い返す。
「タエは、大丈夫か?」
対してニールは少し顔色の悪いタエには心配げに問いかけた。
「はい。大丈夫です」
ライベルの冷たい声を久々に聞いたが、やはり恐ろしい気持ちになる。だけど、元気そうで安心したのも事実だった。
この世界に来てすぐに、静子の幻が現れた。カリダだけではなく、ライベルのことも頼まれた。タエ自身は何もできないと知っているが、何かが起きている時にただじっと待っていることはできなかった。
無事ということは、何かあったのは確かだった。しかも王室の前に集まっている貴族たちは友好的ではない。
「何があったのですか?どうしてあんなに人が集まっているのですか?」
「ああ、あれな」
「陛下を襲ったものが、キシュン家の関係者であることがわかり、騒いでいるのだ」
言葉を濁したニールの代わりに答えたのは、姿は見えないがクリスナだった。彼はライベルの側にいるらしく王室の奥から声が聞こえた。
「キシュン家……」
タエは、内乱にも近い騒動を知っていた。隣国との戦いにまで繋がった騒動。それはライベルの伯父、エセル・キシュンが起こしたものだった。
「実行犯はすべて捕らえた。キシュン家の使用人だった男は死んでいる。それなのに、わざわざ広めたものがいる」
クリスナが奥の部屋から姿を現わす。険しい表情をしておりタエは自然と緊張する。
「奴らは王として陛下がふさわしくないと騒いでいるのだ」
「父上!」
「ニール、止めなくてもいいぞ。俺はふさわしくない。この際、あいつらの前で王位をお前に譲ることを宣言してもいいくらいだ」
感情が高まったのかライベルの声が大きくなる。彼もクリスナを追い奥の部屋から出てきた。
「異世界の娘タエを王妃にして、ニールが王位を継げ。俺はもう疲れた。だいたい、俺は生まれてくるのが間違っていたんだ。あの男の言う通りだ」
タエがこんな近くでライベルを見るのは三年ぶりだった。
あの時とても大きく尊大に見えたが、今日の彼は違った。どこか、危なげで儚く、見ていると心配で胸が締め付けられそうになる。
――私の代わりにライベルとカリダを守って。私にはもうできないから。お願い。
静子のあの時の言葉が、タエの脳裏に蘇る。
(静ちゃん。あなたは陛下を守りたかったの?こんな風に消えてしまいそうになる、陛下が。でも、静ちゃん。あなたが守りたかったこの人は、自分の存在を消したがっている。だけど、それは、あなたの想いを消すこと。あなたは最後まで、この人のことを考えていたはずなのに)
そこまで考えて、タエはライベルに対して激しく苛立ちを覚える。そうして気がつけば、彼女はその怒りを彼にぶつけていた。
「あなたは王様でしょう?そんな風に投げやりでどうするのです。大体あなたが生まれてこなかったら、静ちゃんはどうなるのです!静ちゃんは、あなたに出会えて幸せそうでした。何度も何度もあなたの話をしてました。そして、あの日もあなたと、カリダ様に会えるのだとうれしそうに。生まれてくるのが間違ったなんて言わないでください!」
タエがこのアヤーテでこんな風に感情的になったのは初めてかも知れなかった。
「静ちゃんは、あなたのことをずっと思ってました。だから、そんな風に諦めないでください!」
彼の抱える闇は想像ができる。
彼の出生についても、この三年で知り得た。
タエには彼の苦しみは想像しかできない。
けれども、静子は彼がすべてを投げ出すことを望んでいるとは思えなかった。
「お前に、お前に何がわかる!俺の、シズコの!」
「わかりません。あなたことなんて。だけど静ちゃんのことはあなたよりわかっているつもりです!」
そんなのハッタリだった。
だけど、彼を思いとどまらせるため、タエは叫び続ける。
「だったら、なぜ、シズコはいなくてなってしまったんだ。あいつがいればちゃんと生きていけた。でももうシズコはもういない!」
ライベルの緑色の瞳は濡れ、タエは彼が泣くのではないかと思った。
「それは私の罪です」
「タエ、それは違う」
それまで黙っていたニールが口を挟むが、タエは首を横に振る。
「私は今こそ罪を償いたい。どうしたら、償えますか」
ライベルは顔を逸らし、ニールは悔しそうに口を噤んだ。
「タエ。王妃となって、陛下をささえてくれないか。異世界の娘として、皆の前で宣言してくれないか。あの時のシズコ様のように」
「父上!」
「クリスナ!」
たえは、静子の代わりに王妃になることなど、身の程を知らない行為だと自覚していた。けれども、ライベルを支えることが、静子の願いでもあり、己の罪を償う手段だとも思った。
ニールが彼女にその青い瞳を向けている。諦めたような表情の中で、瞳だけが追いすがるように彼女を見ていた。
(ニール様……。ニール様。ごめんなさい。でもあなたは私がそばにいなくて大丈夫。強いから。だけど、陛下は。ええ、陛下には私は必要ない。むしろ邪魔になる存在。けれども私がいることで、彼の盾になることはできるはず)
ーー静ちゃん。ごめんなさい。だけど、これがきっとあなたの願いを叶えることなの。
心の中で祈りを捧げ、彼女は顔を上げる。
「私、谷山タエは、前王妃シズコ様の代わりに王妃になりましょう」
ライベルは、放心したような顔をしていた。
「陛下。私を恨んでください。そして、生きてください。静ちゃんと殿下のために」
彼は呆然としながらもゆっくりと足を進め、タエの目の前に立つ。
金色の髪、緑色の瞳、美しい顔。
鬼のようにこの世のものとは思えない美しい王様。
「それはシズコのためか、本当にシズコのためなのか?」
「はい。少なくても静ちゃんはあなたが諦めることを望んでいないはずです。殿下のこともあります。私を恨んでくださって結構ですから、どうか」
「わかった。俺は、王であり続けよう。シズコのために」
「殿下のためにも、です」
「ああ」