十三 ニールの求婚
タエはほぼ毎日ニールとは会っている。
それはカリダが毎朝、ニールから稽古をつけてもらっているからだ。今朝も訓練が終わり、ニールと顔を合わせることになった。
「タエ。今日の昼食一緒に食べないか?」
「申し訳ありません。殿下は本日昼食時にマナーの教師が来られるので、空いておりません」
タエと言われたとわかっていたが、彼女は反射的にそう答えていた。
ニールは口を半開きで、唖然としていて、タエは混乱する。
そんな二人の間に挟まれたカリダがニールに助け舟を出した。
「タエ。ニールはタエって言ったよ。僕じゃないよ」
「え、そんな」
食事に誘われたのは初めてで、タエは戸惑うしかなかったし、そんなことはよくないと断ろうとする。
けれども、カリダから強く言われ、ニールと昼食を共に取ることになった。
昼食の場所は中庭。
そこは彼女の読書の場所で、テーブルと椅子が用意され、二人分の食事が置かれていた。
給仕もついていたので、タエは慌てて断る。給仕役の使用人はそんな彼女に戸惑い、ニールに意見を求めた。
彼女の好きなようにと答えられ、使用人はタエに給仕を任せ、その場を離れるしかなかった。
「ニール様。どうぞ」
お茶を入れ、タエはその前に座る。
本当は立っていたかったのだが、今日は昼食に誘われたのだ。一緒に食べないことはおかしなことなので、彼女はぎこちなく彼を窺う。
「なんか、変な気分だな」
「はい」
ニールと二人っきりで食事なんて初めてで、タエも頷く。
しばらくの沈黙の後、彼は再び口を開いた。
「俺の妻にならないか」
(どういう意味。意味がわかるのだけど。どういうことか意味がわからない)
タエは混乱した頭で、必死に考える。
(もしかして、誰かとの練習なのかしら。ニール様もいいお年だし。好きな方がいるかもしれない。予行練習かもしれない)
「あの、お相手はどういう方なのでしょうか?」
「は?」
切り返されたニールは、質問の内容が掴めない様で、目を丸くした。
「これは予行練習なのですよね。お食事に誘った上で結婚を申し込まれるのですか?それであれば、突然ではなくもう少しお話されたほうがいいと思います」
タエには恋愛経験などまったくない。
しかし、突然「俺の妻にならないか」と言われて、驚くのは皆同じだと考えた。
なのでそう助言したのだが、ニールは笑い出す。
「予行練習。そう思ったのか。違う。俺は、お前、タニヤマタエに言っているんだ。俺はお前を妻にしたい。結婚してくれ」
笑いを収めたニールは真っ直ぐタエを見つめており、嘘ではないことがわかる。
しかし、タエはその視線から逃げた。
(どうして、突然。こんなこと。何かあったのかもしれない。でもそれでも私はだめ。私は殿下の成長を見守るためにここにいる。だから見届けたら……)
「ニール様。勿体無いお言葉ありがとうございます。けれども私のようなものがあなたの妻になれるわけがないのです。それに私は殿下の成長を見守るためだけにここにいます。それが私の償いですから」
「それは違う。お前に償いなど必要ない」
「いいえ。必要です。それでなければ私が生きる意味などありません」
「タエ!」
ニールは立ち上がると体を前に乗り出す。そして彼女の両肩を掴んだ。
息がかかるほどの距離まで、顔を近づける。
「俺を見ろ。タエ。償いなど必要ない。生きている意味なんて誰にもわからないんだ。ただ俺は、お前が俺の妻になって共に生きていってくれると嬉しい」
青い瞳の中に、困惑したタエの顔が映っていた。
きっと、タエの黒い瞳にもニールの顔が映っているはずだった。
「申し訳ありません」
タエは必死に顔を背けたが、ニールは彼女を解放しなかった。
「タエ」
(胸が苦しい。どうして。なんでこんなに)
彼女は自分の感情が理解できなかった。
胸が苦しくて、ただこの場から逃げたかった。
「は、離してください」
目から涙があふれてきて、タエの声が掠れ、ニールはやっと肩から手を離した。
「悪かった」
「いいえ。申し訳ありません」
逃げるところがないタエは、そのまま力なく椅子に座り込む。
ニールの顔を見ることはできなかった。
自分を苦しめている感情が何か、タエは理解できず、それでも食事を無駄にすることを許さない彼女は俯いたまま、食事を進める。
「今日はありがとうございました」
特別に用意されたと思われる食事で、タエは申し訳なさでいっぱいだった。
(こんな豪華な食事、私には必要ないのに)
「タエ。驚かせて、泣かせてすまなかった。ゆっくりでいいから、俺の申し出考えてくれ」
食事の終わりにニールはそう言い、呼びにきた近衛兵と共にその場を後にした。
彼が去って、タエはやっと顔を上げる。
すると止まった筈の涙が再び流れてきて、頬を濡らした。涙は滞りなく流れ、片づけをするために戻ってきた使用人が心配するほどだった。
おかしな噂にならないため、タエは必死に言い訳をして、部屋に戻った。