九 タエの行く末
パルが用意してくれた食事は、タエにとっては珍しいものだった。
匙によく似た形と、包丁に似た形、先が尖った匙のような銀色のものを使って食べるように、パルに言われ、タエは恐る恐るそれらを手に取る。
「これはスプーンというものです。そしてこれがフォーク、ナイフですね」
手に取ったはいいが、それっきりのタエにパルは呆れることなく、使い方を説明していく。
スプーンは匙と同じ要領なので、タエはすぐに使い方を覚え、汁物を口にする。
鶏の出汁と思われる汁物は、油っぽくはなく、すんなりと受け入れることができた。中に入っているジャガイモや、見たこともない野菜もじっくり煮込まれいて、この世界にきてから何も食べていなかったタエにはとてもおいしく感じられた。
「夜にはもう少し固いものをお持ちしますね。今はスープだけのほうがよろしいかと思います」
「この汁物はスープというのですね」
「はい。お味は大丈夫でしたか?」
「美味しくいただきました。ありがとうございます」
「それはよかったです」
相変わらずパルは表情に乏しいが、なんとなく安堵しているように見え、タエは少し嬉しかった。けれども、そんな風に思う自分が嫌になって、すぐに俯いた。
(私は罪人。こんな風に食事を取るなんて本当は許されないのに)
「起きてるか?」
不意に扉が叩かれ、聞き覚えのある声がする。
タエは反射的に体をびくつかせたが、パルはそれに構わず扉を開けた。
「食事中だったか。カリダはまだ寝てるか」
ニールは部屋に入り、タエを、そしてベッドのカリダに視線を移した。幼子を見つめるニールは優しげで、タエは少し羨ましくなる。
(馬鹿なことを考えてるわ)
タエは再び俯き、パルが空になった食器を片付け始めた。
「タエ。気分はどうだ?」
ふとニールに問われ、タエは顔を上げる。彼の意図をはかろうとしたが、わからなかった。
「スープは飲み終わったようだな。食事を取らないつもりかと思ったぞ」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。カリダのためにも、お前には食事を取ってもらう必要がある。俺たちは、これからお前にカリダの世話役を任せたいのだからな」
「せ、世話役?私のようなものがとんでもないこと。世話役はもっと適した方がいらっしゃいます」
「そうだな。その通り。だが、シズコの代わりを務められるのはお前だけだろう?」
「そんなの無理です!」
(静ちゃんの代わりなんて、絶対に無理。私がしちゃいけない。私が静ちゃんを死に追いやったようなものなのに!)
タエが感情的に言い返し、ベッドで寝ていたカリダが目を覚ます。
「はーう、はーう!!!」
そして、体を起こして近くにタエがいないことに気がつき、泣き出す。
「タエ様、お願いします」
どうしようかと戸惑っているタエにパルが声をかけ、彼女はニールに断るように少し頭を下げると、すぐにベッドに駆け寄る。
「はーう!」
カリダはタエの姿を目に入れると、すぐに彼女に抱きついた。
それから何を思ったか、タエの背中越しにニールを睨み付ける。
「おい、おい。カリダ。俺は何もしてないぞ。まったく」
彼は苦笑しつつ、ベッドに近づき、カリダの頭を撫でた。
「カリダは、こいつに傍にいてほしいのか?」
「はーう!はーう!」
カリダは大きく頷き、離さないとばかり、タエを抱きしめる腕に力をいれた。
「カリダ」
静子の代わりで、タエ自身ではないと知っていても、カリダが今自分を必要としてくれている。
そう思うと瞼が熱くなった。
タエは目を閉じ、流れ出そうとする涙をこらえるために、カリダの首筋に顔をうずめる。
するとくすぐったいのか、カリダが笑い出し、部屋は急に明るい空気に包まれた。
☆
「陛下。シズコ様は村人に迫害され、村を追い出され野犬に殺されてました」
クリスナが口に出した静子の最後。
怒りがこみ上げてきて、ライベルは衝動的にクリスナに殴りかかりたくなった。だが、堪え何を言いたいのかと彼の表情をさぐる。
「タニヤマタエも、元の世界に戻っても同じ目に合う可能性があります」
ライベルの脳裏に静子が浮かび、血にまみれ、かすれた彼女の声がした。
――タエは何もしていないのだから。
幻なのか何なのか、静子は確かにそう言った。
無理やりタエを元の世界に送り返したところで、村人は同じことを繰り返すかもしれない。
クリスナの言葉は的を射ていて、ライベルは何も言うことができなかった。
ただ、じっと彼を仰ぐのみで言葉が出てこない。
「陛下。カリダ様には支えが必要です。そしてタニヤマタエは、元の世界に戻ったところで、歓迎されるとは限らない」
「だから、カリダの世話役に命じろということか」
「はい。タニヤマタエにとっても悪い話ではないのです。無論我々臣下にとっても、皇太子殿下が健やかに育つこと、それは喜ばしいことなのですから」
「……いいだろう。だが、俺の傍にタニヤマタエを近づけるな。わかったな」
「はっ。畏まりました」
ライベルは、結局クリスナの申し出を素直に受け入れた。
心の中では様々な感情が蠢いている。だからこそ、タエを己に近づけさせないという条件を出すことで、どうにか彼は自分の気持ちの平衡を保つことができた。
ライベルにとって后は静子のみであり、カリダの母親も彼女のみである。しかし、母を亡くした幼い息子が求めていると知れば、それを叶える必要も感じた。静子もそれを望んでいるような気がしていた。