深淵を覗くとき
早朝、例の場所。
別に、眞賀さんに会うのが楽しみで来たわけじゃない。昨日、変な写真を撮られてしまったからだ。
昨日の放課後、眞賀さんに頼んだんだよ。その写真、削除してくださいって。敬語で。まあ、消してくれるわけないよね。こうして私はいい具合に弱みを握られてしまったってわけ。これで眞賀さんは私を脅すことができる。「これをばら撒かれたくなければ――」ってね。
で、私がそのまま引き下がると思ったわけ? 残念ながら、私はそこまで脆弱な人間じゃないよ。クラスの序列で言えば底辺に限りなく近いけれど、そんな私にも意地はあるわけで、そもそも私よりも陰キャラの眞賀さんに弱みを握られてるっていう現状に納得がいかない。
そんなこんなで、今日こそは眞賀さんよりも早く登校して、とりあえず出鼻をくじいてやろうと、無理に早起きをして、ろくに朝食もとらず、ほとんど勢いだけで私はここまでやって来た。
昨日も、そして一昨日も眞賀さんの方が先に来ていた。でも、今日は私の方が先だったようだ。まだ誰もいない。無造作に積まれた机と椅子があるだけ。
少し拍子抜けしてしまった。だって、いつもは「もしかして学校に泊まってるんじゃ?」ってくらい早く来てるんだもん。
ふぅ、と短く息を吐き、眞賀さんがいつもしているように、机の上に腰をおろす。いや、おろそうとして、私は気付いてしまった。机の上に載っているものに。
何かグレーの布がたたんで置いてある。――デジャヴ。
ハンカチかな? なんて可能性は微塵も無い。私はソレの正体を知っている。広げて確認するまでもなく、アレだ。忘れたくても忘れられない。
目の前に、眞賀さんの下着がある。
とりあえず、念のため確認しようと手を伸ばす。高鳴る胸。待って、なんで私こんなに興奮してんの? この前はこんなにドキドキしなかったじゃないか。
ああ、そうか。今回は初めからパンツってわかってるからだ。いや待て。女子の下着でテンション上がるような趣味はないはずだぞ、私には。
そうか、わかったぞ。私がソレを手に取った瞬間をまた写真におさめて、新たな脅しのネタにするつもりなんだ。もしくは、どこかからこっそり覗いていて、必死に笑いをこらえているのかもしれない。その手には乗らない。私はあたりを見渡して眞賀さんの気配を探る。いや、隠しカメラかもしれない。椅子の陰や机の中を探してみたけど、ゴミや誰かが忘れていったノートしか見つからなかった。
しばらく耳をそばだてて眞賀さんが現れるのを待っていたけれど、結局彼女は来なかった。朝のホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴りはじめ、私は慌てて教室へ戻った。もちろんアレは机の上に置いたまま。
眞賀さんは、学校には来ていた。当たり前だ。そうじゃなかったら、誰がアレを置いたんだ。
今日は一時間目から音楽。教科書とリコーダーを持って、4階まで登らなきゃいけない。特別教室棟の螺旋階段は、毎度毎度面倒だ。
今朝のアレのことが気になって、ぼんやりしていたら、皆いつの間にか教室を出て行ってしまった。私が最後か。
「マギちゃーん。最後、電気消しといてね」
「はいよー」
皆に追いつくため、足早に廊下を進む。
そういえば、前回はなんでアレをあんなところに置いてたんだっけ。確か、アレ自体が『秘密』だって言ってた。あのときの眞賀さんの台詞が蘇る。「朝一番に学校に来て、脱いでそこに置いておく。そうすれば一日中、そのことを私だけが知っているという優越感、そして誰かがソレに気付いてしまうかもしれないという緊張感を味わうことができる」。なるほど、今日もそういう遊びに興じているのか。
ちょっと待て。もしもそうだとすると、今、眞賀さんは履いてな――。
いやいやいや、まさかね。露出癖に関しては、本人が否定してたしね。家からもう一枚持ってきて、私を嵌めるために置いておいただけかもしれないし。
ただ、眞賀さんには前科があるからなあ。露出に興味がないっていうのも嘘かもしれないし。
まあ、私にとっては、どうでもいいことだけどね。そう、どうでもいい。興味もない。
クラスの皆が螺旋階段をのぼり始めたあたりで、やっと追いついた。ここからだと、斜め下から見上げて思う。女子の大半はスカートの下に体操ズボンを履いていたりするので、たとえ階段だろうとスカートの裾に気を使ったりはしないんだな。中には眞賀さんみたいに、きちんとそういうのに気を付けてる子もいるけど。
ああ、そうか。眞賀さんは体操ズボン履かない派って言ってたな。ほら、斜め上を見上げればスカートの裾から紫色のズボンが見える子がほとんどだけど、眞賀さんはそんなもの履いてない。――履いてない。
もしや、これはチャンスでは? このポジションからなら、眞賀さんが履いているのかどうか確かめられるのでは?
さりげなく。あくまでさりげなく覗き込めば。あるいは、うまい具合に捲れてくれれば、見え――いや、確認できる!
幸い眞賀さんは、クラスの集団の最後尾にいる。まあ、教室でも浮いてるしね。つまり、その後ろから階段を登る私は、絶好の位置にいることになる。しかし、
「見えない……」
角度の問題か、ギリギリ見えない。あと少し姿勢を低くすれば見えそうなのに……!
そうか! しゃがめばいいんだ。適当に教科書でも落として、それを拾うために腰を屈めて、そのときうっかり顔を上げてみれば、中身を覗き込むことができるんじゃない?
我ながら恐ろしいほど完璧は作戦だ。これなら誰にも怪しまれない。そもそも私は女子。男子ならともかく、女子である私が女の子のスカートの中身を覗こうとするなんて、誰も思うまい。
「――おおっと」
あくまで自然に教科書を階段に落とす。完璧。拾うためにしゃがんで、そしてここで上を見上げれば――、
「大丈夫? 天城さん」
眞賀さんがこっちを見下ろしていた。
いつの間に振り向いたんですか。なんで教科書でさりげなくスカート押さえてるんですか。
「……いや、ちょっと手が滑っただけ」
作戦失敗。確認できず。
まあね、そもそもそんなに興味なんて無かったしね。全然残念じゃないよ。
あの作戦の問題点は、登りのときにしか使えないということ。よって、教室への帰り道では、チャンスはない。
そんなどうでもいいことを考えながら、合唱の練習。先生の弾くピアノの周りに集まって、皆で歌う。元々私、歌はあんまり得意じゃないから、この際集中しようとしまいと、上手さはかわらない。
そのとき、私のお尻に軽い衝撃。
「!?」
「あ、ごめんマガちゃん」
なんだ。後ろの友達がぶつかっただけか。けっこう密集して立っているので、こういう事故もたまに起こる。
そうだ、思いついた。
事故を装って眞賀さんの腰のあたりに触ることができれば、スカート越しとはいえ確認ができるかもしれない。我ながら名案だと思う。
そうと決まれば早速決行。
さりげなく場所を移動。眞賀さんの背後に立つ。ここまでは問題なし。
さて、いよいよ接触します……。
チャンスは一回。そして一瞬だ。そりゃあ何回も触ってたら、さすがに怪しまれるしね。
「おっとっとと」
バランスを崩したふりをして、すかさず空いている右手で触れてみる。――駄目だ、触知できない。履いているのかそうでないのか、いまいち判断できない。
眞賀さんは、私が触ったことなど気にしていない様子で、淡々と歌っている。
そうか。それならもう一回ほど触っても大丈夫かもしれない。さっきは指先で軽く触れた程度だったけど、今度はてのひらで試してみよう。知らない間に眞賀さんのお尻に手が当たってましたゴメンナサイって顔で。
眞賀さんのそれは、触ってみると思った以上に小振りで、なんというか羨ましい。少しくらいなら撫でてもいいよね。そうしないと確認できないからね。
そっと、そーっと撫でてみる。丸みに沿って手を滑らせる。歌声はもはや耳に入ってこない。別に私が触られているわけでもないのに、顔が熱くなっていく。
まだ眞賀さんは何も言わない。なら、まだ撫でてていいよね。異常な興奮の中で、当初の目的はほとんど忘れていた。
長めのフェルマータで合唱が終わり、私は我に返った。何やってんだ私は。
慌てて右手を引こうとしたそのとき、
眞賀さんの手が、私の右手首を掴んだ。
「ひぇ、あ、その」
「何? 天城さん」
眞賀さんが振り向かずに言う。
「ご、ご、ごめん」
「別に何も気にはしてない」
その日は結局、放課後まで一言も言葉を交わさなかった。
「今日はごめんなさい。天城さん」
一瞬、聞き間違いかと思った。眞賀さんの口から出た言葉が。
放課後、帰り支度を整えて、さっさと帰宅して頭を冷やそうと思っていたら、眞賀さんに例の場所に誘われた。正確には、手招きされただけだったけど、まあそれ以外の意味は考えられないよね。
そして、まさかの謝罪。
「な、なんで謝るの?」
「今日一日、天城さんを玩具にしてしまったこと」
私が、玩具?
「秘密ってね、全く誰も知らないと案外つまらないものでね。だから天城さんを誘ってみたの。コレで」
そう言って眞賀さんは、朝からそこにある灰色のアレをつまみ上げてみせた。
「やっぱりそれ、眞賀さんの……」
「天城さんなら、絶対興味を持ってくれると思ったんだけど。――正解だったみたいだね」
そういうことだったのか。完全に利用されていたわけだ。でも、その割に種明かしをされても全く腹は立たない。
「ていうかさ、そういう言い方をされると私が変態みたいじゃない?」
「は?」
え、何その心外そうな顔は。
「あれだけ私のお尻を揉んでおいて、何を今更」
「うぅ、あ、あれは、その……」
あのときのことを思い出して、また頬が熱を持つ。
「まあ、別にあのことはどうでもいいい。減るものじゃないしね」
そうですね。お尻は減らないよね。私の世間体はゴリゴリ削れていく気がするけど。
「で、結局正解は分かったかな?」
机に腰かけたまま足を組み替えて、眞賀さんは言った。
「正解って?」
「私が履いているか、それとも履いていないか。あれだけ撫でまわされたんだから、もしかしたらバレちゃったかな」
「……分からなかった、です……」
正直なところ、撫でることに夢中になっていたと言いますか、その……、
「分らなかった? ――あ、そっか。そういうことね」
眞賀さんは何かを悟ったような顔をして、机から降りた。
「つまり、天城さんは答え合わせがしたいと」
「――答え合わせ?」
「自分の目で見て、確かめてみたいってことでしょ?」
そう言って、スカートの裾を持ち上げてみせる眞賀さん。
「ほら、天城さん。自分の手でどうぞ」
「そ、それじゃあお言葉に甘えて……」
恐る恐る、紺色のスカートの裾をつまむように受け取る。
いやいやいや、待て待て待て、私。何を他人のスカートを堂々とめくり上げようとしているんだ。
なんてことを頭では考えつつも、結局ゆっくりとスカートを持ち上げていく私。本人がいいって言ってるんだから、何も問題はないよね。
徐々に激しくなる鼓動。なんというか、今日はしょっちゅうドキドキしている。
眞賀さんの白く滑らかな太股。そして、そのさらに上には――、
「やっぱり駄目……ッ」
『秘密』の核心についに迫ろうとしたそのとき、いきなり眞賀さんの手がスカートを押さえつけた。思わず手を放してしまう。
何より意外だったのは、その声音。いつものクールな眞賀さんからは、絶対に想像できないような。
「あ、その、ごめん何か私」
反射的に謝ってしまう。
「いえ、その、天城さんは悪くない。……ただ、思った以上に……その、は、恥ずかしくて」
眞賀さんは向こう側を向いてしまった。顔は見えない。長い髪の隙間から、耳が真っ赤になっているのは分かる。肩が小さく上下していて、息も洗い。
「大丈夫?」
「と、とにかく今日はもう帰ることにする。また来週会いましょう」
早口でそう告げると、私に顔が見えないよう俯いたまま、机の上のパンツを握り、足早に階段を降りて行った。
独り取り残されて、やっと気づいた。自分の呼吸も乱れていたことに。
勢いだけで書いておりますゆえ、稚拙な部分も多いかと思いますが、どうかご容赦ください。