第一の秘密
来てしまった。
夕方もいいけど、朝一番の校舎も好きだ。人がいないからね。大きな違いは、温もり。放課後と違って、早朝の校舎からは、そこに人がいたという温度を感じない。全体的にひんやりとした印象だ。
誰も見ていないことを確認して、例の階段を静かにのぼる。
眞賀さんは既にそこにいた。
「おはよう。天城さん」
昨日とは逆だ。今度は私が下から彼女を見上げている。
「お、おはよう」
階段をのぼりきる。私は眞賀さんじゃないから、それ以上距離は詰めない。
「眞賀さんは、……いつからここに?」
登校中も、校舎に入ってからも、彼女の姿を一度も見なかった。私よりもだいぶ早く来ていたのかもしれない。
「ついさっきだよ」
「もしも私が来なかったら、どうするつもりだった?」
昨日の放課後、結局私は返事をしなかった。まあ、来てしまったわけだけど。
「別に。そもそもここは私の城だもの」
ふうん。そうか。
「何をそんなに不機嫌そうな顔をしているの? 天城さん」
貴女の誘いに乗ってしまった自分が悔しいんだよ。
「せっかく天城さんの退屈を紛らわすために誘てあげたのに。ここまで来たってことは、興味があるんでしょう?」
それは、――ここへ来てしまった以上認めるしかない。
「沈黙は肯定だからね。それじゃあ、説明しましょう」
「――お願い」
眞賀さんは満足そうに微笑むと、近くの机に腰かけた。
「簡単に言うと、天城さんは私と秘密を共有するの」
これは、昨日も言っていたことだ。
「それってさ、一体どこが面白いの?」
「やってみれば分かることだよ。天城さん」
「そうなの。で、秘密って何? 教えてよ」
私がそう言うと、眞賀さんはまた微笑んだ。
「せっかちだね、天城さんは」
「眞賀さんが勿体つけてるだけだと思う」
「そうかもしれない。じゃあ、もっとじっくりいきましょう。今日私が用意した秘密は――」
眞賀さんが乗っていた机から降りた。そして彼女の紺色のスカートの裾を両手でつまみ、ゆっくりと持ち上げていく。
「え、あ、ちょ、何してるの眞賀さん」
思わず顔をそむける。いや、別に女子の下着なんて見たってどうってことないし、そもそも皆スカートの下に体操服のズボン履いてるだろうし、じゃあ何で直視できないのかというと、眞賀さんの醸し出す雰囲気というかなんというか――。
「ほら、ちゃんと見て。天城さん」
昨日は否定してたけどさ、絶対露出癖あるでしょ眞賀さん。
恐る恐る視線を戻すと、そこにはパンツも体操服もなかった。
おむつだ。
白い紙おむつを履いている。
私が言葉を失っていると、眞賀さんが昨日と同じように、私のすぐ目の前までやって来て言った。
「これが今日の私たちの秘密。良い?」
良い? って言われても、どう反応すればいいのかわからない。
「本当は天城さんにやってもらおうかと思ったのだけれど、最初だしね」
「私にそれ履かせるつもりだったの?」
「履いてみたい?」
首を横に振る私。全力で遠慮させてもらいます。
「それに、席の位置的にも私がやった方がいいと思ってね」
席がどうしたって?
「というわけで、これは私たち二人だけの秘密。他の人には絶対バレてはいけない。ルールはそれだけ。じゃあね」
そう言い残して、眞賀さんは階段を降りて行った。
「ちょっと待って」
慌てて呼び止める。
「何?」
「その、……そんなもの履いて、一体何をするの」
すると眞賀さんは、意地悪そうな顔で答えた。
「そんなの決まってるでしょう?」
それ以上は答えてくれなかった。
授業が始まった。
まず最初に私は眞賀さんの言っていた「席の位置」の意味を理解した。私の席からだと、ちょうど右斜め前方に彼女の姿を見ることができる。逆に眞賀さんから私を見ることは出来ない。
先生が何かしゃべっている。クラスメイトが当てられ、問題に答える。いつもと同じ退屈な授業風景。
でも、今日はそのすべてが頭に入ってこない。私の意識はすべて眞賀さんに、さらに言えばそのお尻のあたりに集中している。
紙おむつは分厚いので、普通よりもほんの少しだけお尻のあたりが膨らんで見える。スカート越しでもなんとなくわかる。
でも、それは本当にわずかな差で、注意して見ないと気付かない。私は眞賀さんがアレを履いていることを知っているから、その違和感に気付くことができるのかもしれない。そう。他のクラスメイトは知らないんだ。先生も。眞賀さんがあんなものを履いていることを。
女子は内緒話が大好きだ。それぞれ相手が知らなそうな情報を得意げに仲間内に披露する。クラスの有力な子は、いろんな人の秘密を握っている。好きな人、成績、恥ずかしいこと――。
そんなあいつらも知らないことを、私と眞賀さんだけが知っている。
そう。私たち二人だけが。
「――じゃあ、眞賀。次の問題の答えを途中式も一緒にな」
私が当てられたわけでもないのに、少しだけビクッとしてしまった。
眞賀さんが無言で立ち上がる。
あ、これは――。
座っているときと違って、立ってしまうと余計に膨らみが分りやすくなってしまう。でも、誰かが気付いたような様子はない。私が気にし過ぎているだけだろうか。
黒板にノートの解答を写し終え、眞賀さんがチョークを置いた。
その瞬間、肩越しにこちらを見て笑った気がした。直後、
くるり、と
眞賀さんは華麗な回れ右をキめてきた。
大きく広がるスカートの裾。ああっ、ダメ。皆に見えちゃう……ッ。
一気に上がる心拍数。クラスメイトの視線を急いで確認する。気付いてしまった人はいないか。私と眞賀さんだけの秘密に――。
大丈夫。まだバレてない。大丈夫だ。
自分の席に帰る途中、今度は間違いなく私の方を見て彼女は笑っていた。
眞賀さん。よく分かりました。貴女の言葉の意味。
でも、もう一つだけ分らないことがある。
眞賀さんは、私の「何をするの?」という質問に答えはしなかったけど、何かをしでかす、そんなことを仄めかすような答えを残していった。
彼女の言葉、「決まってるでしょう?」。おむつを履いたら、当然すべきこと? そんなの決まって――、え?
自分の頭を疑った。
そして彼女の言葉を疑った。
いや、まさかね。さすがに授業中にそんなことはね。
だって、だってだよ? クラスメイトに囲まれて、しかも授業中で、先生もいて。普通に考えて有り得ないよね。場合によっては履かないでいるより恥ずかしいんじゃない? 流石の眞賀さんでも、あんなことを敢行できるとは思えない。
と、頭の中では否定しつつも、気が付けば眞賀さんを凝視していた。
何? 私、もしかして期待してる?
そして、ついにそのときはやってきた。授業終了5分前だ。
わずかに、眞賀さんの肩が震えた気がした。
嘘でしょ……?
何故だろう。関係ないはずなのに、私の頬が紅潮してくのを感じる。
なんで? どうして? 私こんなにドキドキしてるんだろう。
だんだんと息が荒くなる。そうか、興奮してるんだ私。
授業が終わった。
「ねえ、マギちゃん」
隣の席の友達が、声をかけてきた。
「え、なに?」
「なんか授業中苦しそうだったけど、大丈夫? 保健室行っとく?」
「いや、その、大丈夫だから」
多少動揺しながら答えると、私は急いで眞賀さんの席へ向かった。
「ねえ、眞賀さん」
「ああ、天城さん。どうだった? いつも通りの退屈な授業は」
例の微笑みを顔に張りつけたまま、眞賀さんはいう。動揺は全く感じられない。
「そんなことより、……その、さっきさ、もしかして」
「もしかして、何?」
「えっと、……やっちゃったの?」
私の方が恥ずかしくて、小声になってしまった。
「やったって、何のこと?」
ニヤニヤとこちらを見つめる眞賀さん。
「ちょ、ふざけてないで答えてよ」
「ふざけてなんかないよ。それから、ちょっとお手洗いに行っておきたいから、話はまた後でね」
冷たくそう言うと、眞賀さんは席を立った。
「あ、そういえば天城さん」
「――何? 眞賀さん」
「保健室にシャワーってあったっけ?」