始まりまでの小休止
グラニドを文字通りに叩き起こした後、来たときより遥かに静かになった森のなかを俺達は重い体を引きずる様に、行きと比べてかなりゆっくりと時間を使って町へ帰った。
帰りの道中、グラニドにどうやってあの怪物を倒したのかと聞かれたが、ただ正直に大剣を借りて斬り倒したと言うと、幸いにもそれ以上追求されることはなかった。ただその代わりに、ほら言ったとおりだろうとでも言わんばかりのグラニドのしたり顔が返ってきた。その満足げな顔に少しカチンと来た俺は、また叩いてやろうかと思ったが、流石にそれは良くないと思い直してやめた。それでも何か返してやろうと思った俺は最終的に、フラフラ歩くグラニドへ貸していた肩を再び背負い直すようにして一度大きく揺さぶるに留めた。その結果『うっ』といううめき声をグラニドがあげて痛がるのを見て、俺は少し反省した。でも後悔はしていない。
その後、町に着いた俺はまず最初にグラニドを病院へ連れていった。鎧の様子からしてもひどい状態にみえるグラニドの容態は、しかし驚くべきものだった。傷口は既に俺が魔法で塞いでいたとはいえ、鎧がメチャクチャになるほどの攻撃を受けたのだ、常人ならただで済むはずがない傷を負っていてるはずなのだが、にもかかわらずグラニドの体はいくつかの骨にヒビが入っている程度のダメージしか受けていなかった。しかし、先生によると、それらの骨は新しく折れた痕跡が残っているという。つまりは町に帰って来るまでに治っていたということになる。流石は怪物と呼ばれるほどの男という所だろうか……本当に謎なくらいの怪物性である。
そのままグラニドを一応病院に置いて行き、俺は今回の件をエミナに報告をしに、屋敷へ向かった。そこでエミナと相談し、この事をギルドに報告して正式なクエストとして他の冒険者達にも手伝ってもらうことにした。最初はギルド長の反応も懐疑的で良くなかったが、あの赤い斑点のある足を見せると快く受け付けてくれた。人為的であり、その張本人が近くにいることを証明してくれるあれは、苦労した分の働きを十分に見せたと言えるだろう。
正式なクエストになったということで、ギルド長からとりあえずその情報を持ってきた俺へ何か報酬を出したいという話になり、そこで俺が冒険者としてギルドに登録されていないことを知られてしまった。せっかくなので登録してしまったらどうかと勧められたが、勿論俺は入るきが全くない。さてどうやって断ろうかというところで、俺の内情を知っているエミナがとりなしてくれることにより、その場は何とか乗りきった。報酬の方も今回のと合わせて商会の方から出してもらえるということで、俺としてはこの上なくいい結果になった、まったくエミナ様々である。
クエストが発表された翌日。この事は町の人に知れわたり、朝から魔物対策のバリケード作りや、避難が急ピッチで行われていた。俺もそれを手伝おうとしたのだが、『一番の主戦力に手伝わせる訳にはいきません、来るべき時の為に部屋で休んでいてください』とエミナに追い返されてしまった。
そういうわけで、太陽が十分に登りきった時間、いつもならどこかに出掛ける時間に、昼飯を食べ終えた俺は部屋で久しぶりに本を読んでいた。
カチッ…カチッ…カチッ…
機械仕掛けの時計が、魔力を原動力として規則正しく音をたて、時折そのなかに俺がページをめくる音が混じる。
「……暇ね…………」
静かな空間にポトリと落とされたフリアの呟きは、俺の耳へは入らずに消え、部屋は再び先程と同じ規則正しい音と紙が擦れる音だけに満たされる。
元々俺は割りと本が好きだ。ファンタジー物が特に好きで、集中して読み始めると周りの音なんかまるで気にならない。ただ、別に神話とかに詳しい訳でもない、なんというかこの没入感が好きなのだ。だからこそ、ここ数日割りと忙しかった俺にとって、こうしてまとまった時間での休みは貴重な至福の時間なんだが……。
突如後ろから延びてきた手に、ムニュッと俺の頬がつままれて、ムニーンとそのまま引き伸ばされた。
「ふりあふぁん?」
読書の邪魔という暴挙にでた相棒の名前を呼びながら、本から目を離して視線を上にあげると、つまらなそうな顔をして覗き込んでいるフリアと目が合う。そしてムニムニと何度かまたいじくられ、ようやく俺の頬から手が離された。
さんざん俺の顔をいじくったフいうのに、リアはなんとも暇そうに溜め息をついて、小さく呟く。
「暇なのだけれど」
「それを俺にどうしろと?」
違和感が残る頬をさすりながら、そんなこと俺に言われても困るのだがという意味合いを込めたジト目で正面から見据える。しかしその返し方がお気に召さなかったようで、フリアの目がスッと細められた。
「昨日また剣を折ってきたくせに」
「それは決闘のオマケでチャラだろ!?」
俺は昨日、戦闘で2本も剣を折ってしまったことを決闘の勝者の権限でチャラにしてもらい、フリアの怒りを納めたばかりであった。といっても魔国にいく予定である現在、剣なんて1本残ってれば問題ないわけで、半分以上は2本も折らざるをえなかった窮地に陥るようなことを心配してくれているのだろうが。分かっていてもやはり小言は面倒である。
「と・に・か・く 何か楽しいことはないの?」
「楽しいことっていわれてもなぁ……」
あいにく明日へ向けて今は休養をとるべきなのだが。まぁそれもフリアは分かっているはずなのであえて口には出さない。かといって何も返さない訳にもいかない。個人的な事情で彼女には色々と不自由させているし、昨日は丸一日放置だった事もある。
だから真面目に考えているのだが、出てくるのは「う~ん」という声ばかりだ。ただ、それでもしっかり考えてれば何かは思いつく訳で。
「あ」
「何か思い付いたの?」
フリアの若干期待の込められた目が向けられる。
「いや、楽しいことっていうのかは微妙だけど…。魔国行く前に、今一度ちゃんと人の村を見てみるのもいいかなって思ってさ」
「要するに……散歩?」
「まぁそういうこと、後は歩きながら考えればいいでしょ」
先が気になるが、きっとこのままでは落ち着いて読めないだろうと諦めて本を閉じ。いつものように上着を羽織る。
「それじゃ行くか」
「あ、ちょっと待って。すぐに行くから宿を出たところで待っててくれる?」
「ん?いや、いいけどどうしたの?」
「いいから早く早くっ」
なんだか無性に楽しそうなフリアに背中を押されながら部屋を出る。まったく、待ってと言った後に早くとはどういう了見だろうか。しかし、ただそこで突っ立ってる訳にもいかず、かといって部屋に突撃するわけにもいかないので、俺はおとなしく宿屋の前でフリアを待つことにした。
宿屋から程近い町の広場では、ギルドからの警告で避難を始めた人達が家財道具を集める人達で溢れかえっていた。家の家宝らしき巻物や壺を大切そうに持ってくる人や、フライパンや鍋などを持ってくる主婦。一応補給所としても機能しているらしく、魔法薬を集めている人も見受けられる。その端っこでは、よくわからない像らしきものを持ってきて、妻らしき人に頭をはたかれている男性もいる。
「平和だなぁ……」
そんな呟きが口からこぼれ落ちた。それは来る危険へ備えるための光景なのだが、人の繋がりが強く感じられる。広場から更に奥の方では壁の内側へ入られた場合の即席バリケードが建てられ、その近くでは炊き出しが行われている。そこにはエミナらしき人影も見受けられる、なら近くにいるあの身なりのいい大人は彼女の父親だろうか。王都にいる金持ち連中と違い、彼らは町の人たちとも仲がよさそうだ。
この光景を見るだけでも、やはりこの世界で生きるなら王都より田舎かな、なんて思えてくる。
「お待たせっ」
ボーと立っていた俺に後ろから声がかけられる。タイミング的にフリア以外に考えられないのだが、妙に違和感のある声だった。
「ん、で何してたん…え?………どちら様?」
振り返ったそこにいたのは、まったく見覚えのない少女。
「私よ、ワ・タ・シ」
「まさか異世界にきて詐欺にあうとは思ってなかったな~」
「絶対分かってていってるでしょ」
「いでっ」
馬鹿な事をいい始めた俺の頭がはたかれる。あまり痛くない。だがどうやら幻覚でも夢でもないようだ。
「それで、これはいったいどうゆうことだ?」
「勿論説明してあげましょう」
フリアらしい人は得意気に胸をはる。
「私はついに体の見た目そのものをすべて変える事が出来るようになったのだ!!」
漫画だったら後ろにババーンと出てきそうなくらいフリアに俺は「おお~」と言いながら拍手を送る。精霊とはいえそこまで大きく変化させられるのはとても凄い。ただ、気になる事が1つ。
「うん、それは凄いんだけどさ」
「何?」
「その服はどこで調達したの?」
その瞬間にサッと目をそらすフリア。
「な、何を言っているのか分からないわ」
「いやいや、流石に魔法を使ったとはいえ、服まで何とかするのは無理でしょう」
今の彼女は肩の辺りで黒髪を切り、桜色と白で彩られたエプロンドレスを着ている。その顔立ちは今までみたいな神秘的で人を引き付けるような美しさではなく、かわいらしい人をほっこりさせるような感じだ。確かにこれなら村娘として一緒に歩いても問題なさそうではある。しかし俺はこんな服を持っていたことも買ったこともかってあげた覚えもないのだが。
「……昨日初めて成功したからそのついでにと思って…」
「思って?」
「お財布からちょっともらちゃった」
財布を確認してみると、確かにそれなりの額が減っている。重さがそれなりに違うはずなのに気が付かなかった。財布から目を離し、フリアを見るとさっきの様子が嘘のようにシュンとしていて元気がない。やはり悪いことをした自覚はあり、俺に怒られるとでも思っているのだろう。だが、普段そんなことをしない彼女を事に及ばせたのは負担をかけてる俺の責任だ。怒る気はない、それに。
彼女が失態を侵したなら、それをチャンスとばかりに自らの行いを許してもらおうとするのが俺だ。
俺はおもむろに懐からもう1つの袋を取り出して、その中に入っていた貨幣をじゃらしゃらと財布に入れていると、フリアが不思議そうに聞いてきた。
「それは?」
「へそくり」
「え?」
「だから、へそくり。報酬の時ごとに1、2枚ほどちょろまかして溜め込んだやつ」
「………」
「いや~、助かった。昔は仲が良かったらしいけど、今も魔国で同じ貨幣が使えるとは限らないから全部物に代えておこうと思ってたんだよ。だけど額と物の量が見あわなくて怪しまれたらどうしようかと不安だったから、いっそバラしてしまう機会が欲しかったんだよな」
そんなことを言いながら詰め替える俺を呆然と見るフリア。そんなフリアを横目に詰め替え終える俺。そしてなるべく爽やかににこやかに言う。
「じゃあ、今回はこれでお互い様ということで終わ「らせないわよ!!」デフェッ!?」
二度目のどつきは、さっきよりキツかった。
「確かに私も悪かったけど、だとしてもあれは…あーもう」
さっきの事に未だご立腹のようで、ブツブツと呟くフリアに俺は「ハハハ」と乾いた笑いをするしかない。まぁこれでなんともなかったなら、それはそれで俺の口からは「HAHAHA」という笑いが出てたかも知れないが。とりあえず、さっきのことでフリアもなんとなく元気?がでたようなので、気を取り直して俺達は町を歩いていた。
天高く肥ゆる空に緩やかな風。決して暖かいとは言い難いが、過ごしやすく散歩日よりな天気。ともすれば鼻唄でも唄ってしまいそうだ。
「なんだか上機嫌ね」
「ん?まぁね。こうして何も気にせず町中を二人で歩くのは初めてだなっておもってさ」
「楽しい?」
「そりゃね」
いつもの事が気負うことなく出きるとなればそりゃ楽しい。さっきみたいな事を出来る相手もフリア以外にいないしな。
俺のその言葉が気に入ったのかフリアも「そっか…楽しいのか…」と呟き、フフっと笑う。見た目は違っても、その笑った顔は前とあまり変わらない気がした。
その笑顔をじっと見ていたことに気付き、俺は慌てて目をそらして、本来の目的の町の観察に移る。人間の国の町は大体が一万人前後だが、ここは王都から最も遠いからか、かなり少なめの三千人程度。道は石畳だったりしてよくあるファンタジーと同じような風景、家も木を主にした造りで一応魔法石を使った水道などもあり、割とこんな外れでも設備はしっかりしている。と考えたところで思考を切る。別にこんなこと考えても元々知ってるしな、今更だ。
ちょうどそんな時に、何故か今もやってる売店が見えた。
「アイスでも食べる?」
「賛成!!」
フリアから二つ返事をもらったところでちょうどたどり着く。
「おばちゃんアイス二つ」
「あいよ、あれ?ユート、今日は一人じゃないんだね、かわいい女の子なんかつれて」
よく依頼後に通っていたせいか、おばちゃんに顔と名前を覚えられていた。
「いや、別に俺だっていつも一人って訳じゃ無いんだよ?」
バックや懐にいつもフリアがいたからな。
そんなことは伝わる訳もなく、おばちゃんはそうかいそうかいと楽しそうに奥に行くと、しばらくして両手にソフトクリームを持ってきて戻ってきた。
「あいよ、アイス二つ。お代は10リルだよ」
「あいよ」
ソフトクリームを受け取って、おばちゃんの手に硬貨を返す。フリアは初めて食べるソフトクリームに目を輝かせていた。人通りが多いここら辺では、流石にこれの渡し方が思い付かなかったからな。そうしていると何故かおばちゃんに優しい目で見られていたので、コホンと軽く咳払いして当然の疑問をぶつけてみる。
「で、おばちゃんはなんでまだ商売してんの?」
「ああ、いやね。手伝うことがないかって聞きには行ったんだよ?でもね、主に力仕事ばかりだからやることは無いって言われちゃって。で、代わりに子供の面倒見ててくれって頼まれちゃってさ、それでこうしてアイス作ってるって訳さ」
ホラとおばちゃんが顎をしゃくった先には美味しそうに食べる子供たち。そういうことかと納得し、去ろうとすると今度はおばちゃんから聞かれる。
「むしろあんたはここで何してんだい、若い男なら力仕事得意だろう」
「残念、俺は主戦力だから休憩中」
「へぇ、あんた強かったの買い」
「それなりにはね」
へぇ~といってジロジロと観察するおばちゃん。視線を止めると、急に意味ありげにニヤッと笑う。
「休憩中ならなんで女の子とデートしてるんだい?」
「!? いや、デートとかそういうものではなく、いや…端からみればそうなるのか?…いや、でもそうではないんだよ」
「そうかい?ならそういうことにしておこうかね」
そう言いながらもニヤニヤするおばちゃん。完全にからかわれてる。隣のフリアがソフトクリームに夢中で話を聞いていないのが救いだ。動揺してしまってソフトクリームが溶けたものが地面に数滴落ちた。
「あ、溶け始めてる。て、ことでおばちゃんまたね!!」
「あいよ、またね」
そう言い残し、俺は未だにハグハグと食べ続けるフリアの手を引いてそそくさとその場を離れた。おばちゃんの視線が背後から更に強くなった気がするのは無視だ。
「まったく、何を言い出すのやら」
俺達は近くの道端の草の上に腰をおろしていた。俺の頭には未だにおばちゃんの言葉が頭に残っていて、軽く熱くなる頬をソフトクリームを口に入れることで冷やす。滑らかな口溶けとしつこくない甘さは現代のに劣らない、むしろまさっているくらいの品に何回も食べた俺の頬も緩む。
まったく、俺も健全な男子高校生の年なんだから意識してないということは無いのだ。ただ、恋人というよりは大切な友人だというように感じている。元々恋愛は苦手でそんな感情はよくわからないのだ。しかも、今の俺とフリアは一種の運命共同体に近いわけで、仮に俺が本気で好きになってフラれてしまったとしたら、その後のギスギスした空間なんかもう想像しただけでも最悪ではないか。
そうしておばちゃんの言葉に悶々としながらも食べ進めると、俺より先に食べ始めていたフリアがなんとも惜しい様子でソフトクリームを食べ終えた。その顔がなんとも満足気なことに俺は少し嬉しくなる。
「どうだった?」
無論、美味しかったの言葉を期待したものなのだが、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「ズルい」
「へ?」
「いつもこんな美味しいものをずっと一人で食べ続けていたのね」
「あ、ああそういうこと」
口を軽く尖らせていたフリアだが、その頬が緩んだ事に俺は安心する。いったい何を言われるのかと思った。よく見ればフリアの頬には白い物が付いたままになっている、それに気づかない彼女ではなかったはずだが、それに気づかないほど真剣に楽しんでいたということだろうか。俺が作った物でもないが、それが更に嬉しく感じられる。
「ちょっと動かないでくれ」
「ん?てちょっと……何?」
「いや、ついてたから」
上着の袖で拭ったそれをフリアに見せる。
「言えばいいのに、それにハンカチくらい持ってないの?」
「作ればある。だけど生憎面倒くさがりでね」
そう言って笑う俺に呆れるフリア。そんないつも通りの構図。あまりにも平和なやり取りが心地よくて、でもそれを行っている自分達は明日の夜魔物に襲われる村にいて、しかも人の目を逃れるために一人は魔法で髪と瞳の色を変え、もう一人は魔法でそのほとんどを変化させている。あまりにもちぐはぐな状態が更に俺の喉をくすぐり、思わず笑い声がこぼれる。そんな俺につられてフリアもクスクスと笑い出す。そうして二人ともしばらくクスクスと笑いあった。
ああ、平和だ。