赤い魔物と黒の人―その2―
いきなりの戦闘と、どんどんと動き出した周りについて頭を悩ませ疲れきった俺は重い頭で部屋の扉を開いた。
「ただいま~~ぅあ!?」
「……………!?」
扉を開けて思いもよらない光景が目に飛び込んできた。普段群青色のローブに包まれていた胸元は今、白い一枚の布だけに包まれ、美しい形の弧を描き、呼吸と共に上下し。いつも履いていた編み上げのブーツやニーソックスは無くなり、白磁のように白く滑らかで綺麗な肌が惜しげもなくさらされ。きめ細かいさらさらとした金髪はしっとりと濡れ、碧眼の瞳は潤み、顔はどんどん赤く紅潮してゆく。
まぁ要するに、風呂上がりのフリアがそこにいた。
「ちょちょっと待て!誤解だ!!狙ってやったとかそんな事は無いわけで」
眠気と突然の状況で麻痺した頭ではとっさの判断も効かず、上手い言い訳も出てこない。
すると、フリアの右手の指先がバチバチといい始めた。
「言い訳する前に、まずは早く目を離しなさいっ!!」
「お、おうっ!!」
言われるがままに急いで後ろを向くと、しだいに電撃の音も止んだ。
「いいって言うまでにこっち向いたら今度は撃ち込むからね」
物騒な発言に背中がヒヤッとする。そのあと、俺はしばらく扉とにらめっこし続けた……その間聞こえ続けた衣擦れの音でかなりの精神力を試されることになったが。
「もういいわよ」
さっきの光景が目に残っているので、若干顔が熱くなるのを感じながら振り返ると、フリアもまた顔がまだ赤かった。
「すいませんでした」
「うん、許してやろう」
言葉を何か並び立てる前にしっかりとお辞儀をしながら謝る俺に、腕組みをしながら少し偉そうな口調でフリアが返す。事故ではあったがこれは俺が悪い。
「許していただき光栄の至り」
「すぐにふざけだすんじゃないわよ、やっぱり罰として何かやってもらおうかしら?」
「それは勘弁してほしいな」
そう言って無理に喉の奥で笑う。ふざけでもしないと会話にならないんだよ。その証拠に俺はまだ顔が熱いし、お前もまだ顔が赤いじゃねえか。恥ずかしいからそんなこと口に出せないが。
「なら、その服が切れている理由でも説明しなさい」
「え?」
よく見ると俺の服の袖が切れていた、ジャバの引っ掻きを避けそこなっていたらしい。
「ああ、ちょっとね。あの赤い魔物とさっき戦ってきたんだよ」
「それを早く言いなさいよ!!」
そんなこと言える状況じゃ無かっただろうが。
それからさっきまであったことを全てを話した。今はもうお互い落ち着き、それぞれベッドやイスに座ってリラックスしている。
「ふーん、そんな奴がいたのね」
「いや、ふーんてお前…一応今回の件の黒幕だぞ?多分」
「そんなこと言っても、別に危険視するほど強そうな相手では無いんでしょう?」
「確かに見た感じでは勝てそうな相手ではあったけれどな」
「それならいいでしょう…あいつらではなさそうだしね…」
「ん、何か言った?」
「いや、何にも?」
さっき最後に何か呟いていたはずだが小さすぎて聞き取れなかった。言わないってことは多分フリアが別に問題ないと判断したのだろう、俺はあまり気にしないことにする。
「あ、そういえば、次にいく町のことなんだけど」
「それがどうしたの?昨日の勝負も由人が勝ったから、決めたのならそれでいいわよ?」
「ああ、いや別にそういうことじゃなくてさ。次はそろそろ国境でも越えようかと思ってるんだよ、それについて意見がほしくて」
すると、フリアの動きが止まる。
「本当に?本当に行くの!?」
思った以上にフリアは話に食い付き、ずいっと顔が近づけられた顔に驚いて思わず背をそらした。
「うん、行こうと思ってる。で、過去が過去だけに何かあるかもしれないからそれについて話し合っときたいんだけど…」
王都で読んだ本によると、今の五大国は過去に戦争をしていた。ただそこで共通の敵が生まれてそれを協力して倒し、今のようなしっかりと線引きされて国交もない状態になったらしい。だから人間であるだけで敵対される可能性もある、だから話し合いたいのだが……。
「フリア?」
呼び掛けたのに返事もなく、フリアは軽くうつむいた状態でただ肩を震わせている。
「や…」
「や?」
「やったぁぁああ!!」
歓喜の声をあげながら、飛び上がるようにしてフリアが満面の笑みで抱きついてくる。
「ちょっ、フリア!?」
「もうこれで小さい姿でいなくてもいいし、話しかけるのに気を使う必要もない、バックに押し込められることも無い!」
俺の呼び掛けに応じる様子もなく、盛大に喜ぶフリア。その一方で俺はさっきの件が頭の中にフラッシュバックして顔へ一気に血が上る、それになんだか髪からいい香りがしてるし、服の上からでも体の感触が伝わってきてものすごくドギマギする。
一応俺も年頃の男子であってこういうのはできれば遠慮していただきたいというか、役得というか。そこら辺考えて頂けません?という意図をもってフリアを見ようとしたのだが、肩ごしに無邪気に笑うフリアの顔を見て、そんな思いはかき消えた。その代わりにおそるおそる俺も手を伸ばし、フリアをしっかり抱き締め、そのぬくもりを確かめる。
まぁ、何かあったとしても今の俺が守るべきはこの命ひとつだ。それくらいなら守りきって見せようか、俺も男なんでね、それくらいの意地は通そう。
結局話し合えはしなかったが、俺の決意は固まった。その後、正気に戻ったフリアに今度こそ電撃を撃ち込まれることになりはしたが。
翌日、早朝に屋敷から使いの人が来た。
「ギルドからこの任務に最適な冒険者を提供して頂きました、1度屋敷までご足労願います」
その言葉を聞き、とても嫌な想像に行き当たって俺は苦虫を噛んだような顔をしたのだと思う、使いの執事がにこやかに笑っていた。
「ちょっと待ってもらってもいいですか?」
「はい、どうぞ」
急いで部屋に戻り、フリアに話しかけようとするとそれよりも早く返事がきた。
「私は部屋にいるから、由人、頑張ってきてね」
にこやかに笑いながら待機宣言するフリア。他人事だと思いやがってこんちくしょうが。
「………はぁ…」
朝から重いため息が漏れる。俺はとりあえずいつも1本だけもっていく剣を今日は予備の物を含めた3本背負う。
「じゃあ、行ってくるわ」
「本気出してバレたりしないようにね」
「あいよ」
重い足取りで廊下を進むと、やがて宿屋の出入り口についてしまう。
「それでは参りましょうか、ユート様」
「はい」
ああ……憂鬱だ。
清々しい朝に俺がこんな気分になるのにはそれ相応の理由がある。昨日、俺はエミナと話し合い、なるべく早めに周囲の魔物の状況調査を行いたいと相談していた。だから今日の呼び出しはそれについてだと思われる。ただ、俺が提案したときは数日以内に行いたいと言ったんだ、昨日の今日じゃ早すぎる。昨日あんなことがあったから早いのは助かるが、彼女達にはまだ昨日のことを伝えていない、今日説明して催促しようと思っていたくらいだ。だからこそ今日これから会うであろう人物に酷く心当たりがあった。
「それでは、私はここで失礼します」
そう言って去っていく執事は俺をある一室の手前に置いていく。ドアを開け、中に入るとそこに予想通り俺が一番見たくない顔があった。
「おおボウズ、久しぶりだな!お前が今日俺と一緒に行く依頼者か?」
「確かにそうだけど、できれば俺はあんたと行きたくなかったよ、グラニドさん」
「ガハハハ、相変わらず生意気なボウズだ」
豪快に笑うその男の向かいにで困ったような笑顔でエミナが座っている。俺も近くにあった席へ腰を下ろした。
このグラニドという男こそが、俺の憂鬱の原因だった。年齢は40歳ほどで、赤茶けたライオンのような髪とひげ、そして荘厳な顔つきをしているが絶えない笑顔をとその豪快な笑いかたで親しみが持てそうな見た目である。そう、見た目だけは。
冒険者は基本的に布や皮の装備で固める。装備したとしても胸当てや肩当てなど局所的な物にとどめる。これは、魔物が動物と違い他を補食対象として見るので、金属同士が擦れあって生み出される音で呼び寄せないためだ。ただこの男はこの定石を真っ向からぶち破って行くのだ。赤と白と金でカラーリングされた全身鎧をガチャガチャと鳴らし、その笑い声を遠くまで轟かせ、周りの魔物どもを全てかき集める。そんな危険な真似をする男についていく者などいるはずもなく、一人で戦うわけなのだが、たとえ魔物が50匹集まろうがその無骨な大剣を鋭く振るってなぎ倒す。依頼をされた目標に向かってなるべく少ない戦闘回数で進む冒険者とは全く違う、目標の獲物が出てくるまでそこら一帯を狩り尽くす怪物。
彼はその怪物の如き強さと、常に魔物と一人で戦い続ける姿から 怪宴という二つ名で呼ばれる。田舎のギルドに似つかわしくないほど強すぎるこの町一番の冒険者、それがこの男グラニドだった。
「生意気もなにも、魔物を集めすぎたせいで剣を2本折った上に、逃げ帰るような原因を作った奴と行きたくなくなるのは普通だと思うんだけど?」
睨めつけるような俺の視線をなんとも感じないように、グラニドはまたガハハと笑う。
「剣が折れたのはお前があんな折れやすい片手剣などという武器を使っているからだろう。それに逃げ帰ることになったのは俺とお前が弱かったからなのだからお互い様だろう。どうだ?今度は俺の大剣を貸してやる、また前回と同じ所へ行ってみようじゃないか」
ガハハと笑う声が室内に反響し、俺の鼓膜を激しく殴打する。なんとも耳が痛くなる男だ、物理的な意味で。これのせいでフリアも来ないんだよな。
「あんな危険なこともうやりたくない。まぁ、今回行くのはその近くだけれど」
このまま話していても話が進まない。視線でエミナに話を切り出すように促す。
「あ、はい。今回グラニドさんにはユートさんと一緒に森へ行って頂き、そこで赤い魔物を探す手伝いをお願いします」
「ほう、どうやってだ?」
「それについてはいつも通りにして頂くだけで十分です」
「なんだ、結局また俺と森へ狩りに行くだけじゃないか」
そう、腹立たしいことに今回やるのはこの男と前回やったことと全く同じ。グラニドが魔物を集めてそれをひたすら倒して誘い出すというなんとも杜撰な方法。だけどこれが一番手っ取り早いのだ。森であるのもあの死体の山が見つかったからである。
「前回ほど奥には行かないけれどやることはそうだね。だけど前回みたいな量を呼び出さないでほしい」
自分と同じらい大きな体躯をもつイノシシ型の魔物10匹に追い回されるとか本当にやってられなかった。
「それについては知らん、全てはあいつらの気分次第だ」
そしてまたグラニドは上機嫌に笑う。その一方で俺は今回もまたあの数と戦うことになると思うと頭が痛くなった。
「とにかく今回は頼みます、グラニドさん」
「おう、頼まれた。今回は早々に音を上げるなよボウズ」
「別に前回音を上げてないし、俺はボウズなんて年でもない」
「俺からしたら十分子供だ ガハハハ」
ええいうっとうしい、頭をぼすぼすやるんじゃねぇ。
俺の不機嫌な顔を気にすることもなく、まるで親戚のおじさんがするかのようにグラニドに頭を小突かれ、それをニコニコとエミナに見守られているのがなんとも気恥ずかしい。
まったく、明後日に始められる大虐殺を防ぐための打ち合わせなのになんて和やかな雰囲気だ。嫌いじゃないけどな。