赤い魔物と黒の人―その1―
俺は今ほど過去の自分を殴りたくなった事はなかった。軽々に自分の世界の事を教えるなんて愚かにも程があるだろう、それだけで俺の事を特定されてしまうというのに。まぁそもそも前の世界での習慣を未だに続けているのも悪いのだが…。
あれだ、食べ物と作ってくれた人への敬意 大事。
そもそもルーチンワークのような生活を送っていた俺に、会って直接話した事がある人自体が少ないのだ。そんな中で誰がこの習慣で俺(英雄)ということがバレると考えるだろうか!!
誰に向けるともない恨みごとと言い訳を自分の中で繰り広げている最中、急に頭を抱えてグヌヌと悶える俺にエミナが声をかける。
「あの…、由人様?急にどうかされましたか?」
狼狽する俺をよそに、不思議そうな顔をするエミナ。その様子を見て俺の頭もようやく冷える。まずは反省より先にちゃんと返事を返さなければな。しかし、どうしようか?ここまで言われ、明らかに動揺した姿を見せてしまい今さら言い逃れ何て出来ない。となると次の問題はどう口止めするかだ。幸い彼女は悪意をもって接してきた訳では無さそうだが…。チラリとエミナの顔を見ると、そんな俺に彼女は首をかしげた。わざわざ呼び出した彼女が、俺がこのまま『はい、そうです』と言うだけで納得してくれるだろうか?
ため息を1つ吐き、言葉を紡ぐ。
「そう、由人であってるよ」
観念して認めた俺に、彼女のテンションがいっそう高くなる。
「やはりそうなんですね!!お顔が似ていらしたので、そうではないかと思った私の勘は間違っていませんでしたわ!!」
ハハ…、大半は勘で当てられたのかよ…。ここ半年の俺の努力が…ちくしょう…。正直結構ショックだ。さらにショックを受ける俺に気づく様子もなく、彼女は興奮ぎみにさらにまくしたてる。
「それでですね由人様、今回の私の依頼の話ですが。あなたのこの半年間のことを私に聞かせて頂けませんか?」
「嫌だ」
「…え?」
間髪入れずに断った俺にエミナの動きがピタッと止まる。
「だから、その依頼は受けられない」
「あ、あの報酬なら望まれる分だけ用意できますよ?」
今まで依頼を断られたことが無かったのだろうか、さっきまでの勢いなど全く感じられないほどにエミナはおどおどしていた。
「いや、報酬の問題じゃない」
「口外など絶対にしませんよ?」
「それでも駄目だ、どうしても話したくない」
頑なに話そうとしない俺に困り、彼女は思案顔でいたがしばらくしてしゅんとした様子で諦めた。
「あ、俺のことはくれぐれも内密にね?」
「はい、お姿を変えられていることも含めて秘密は必ず守ります」
それを聞いて安心する。口約束とはいえ彼女は商人の娘である、秘密は必ず守るだろう。俺に出来ることはやりきったが思うが、口からはため息が漏れる。自分のことは言わないのに、こちらから一方的に彼女からあの魔物たちについての情報を聞き出すのは筋が違うだろう、そうなると結局正体がバレただけで何一つ得られるものは無い。
「それじゃあ俺はこれで」
「はい……今日はありがとうございました」
そう言うエミナの声は未だに落ち込んでいて、その言葉も形式的だ。
なんというか、そこまで落ち込まれると俺も少なくとも罪悪感を感じる。そんなに俺の話に興味があったのだろうか?
このまま終わるのも微妙に後味が悪いので、まだ取引の余地がないか改めてもう一度考え直す。エミナの依頼は俺のここ半年のことを話してもらうことだ。だが俺はその条件を飲むことは出来ない。ただ彼女の依頼自体の元が英雄となってしまった俺の話を聞きたいだけであるならば、別にここ半年に限らなくてもいいのでは無いのか?それならば俺もその依頼の報酬として彼女に逆に依頼すればいい。彼女がそれで満足してくれるかは分からないが…まぁ話してみるか。
「あのさ」
「はい?」
エミナはまだ帰らない俺を不思議そうに見る。
「王都にいた頃の話でもいいかな?」
エミナはきょとんとした表情でいたが、しばらくして暗かった雰囲気は華やかな物に変わった。
「是非!お願いします!!」
「はぁ…疲れた…」
あれからどのくらいの時間がたったのだろうか。俺の過去の話を散々話聞かせたのだが、エミナはなかなか満足することなく結局昼なんてとうに過ぎてしまい太陽はもう大分下がってきている。
「でもよかったじゃない、由人の依頼をこれで実質タダで受けてくれるんだから」
「確かにあれでタダなら安いものか」
俺の一年間分の話を全て話し尽くし、俺はエミナに報酬をもらう代わりに赤い魔物の情報を集めてもらう依頼をした。依頼の内容を話したときには「流石英雄様!」なんて言われ、当初商人の耳に情報が入っていないか確かめてもらうだけの依頼だったものは、使用人を総動員しての大規模な聞き込み調査にまで発展した。
「これで何か分かればいいけどな…」
「何か分かったら、どうするの?」
周囲に人はいない。だからフリアはバックから抜け出して空中を飛んでいる。
「害があるなら、俺がここを出る前に殲滅する」
「何で?」
「おいおい、何でって…」
あまりにも物騒なことを聞くフリアだが、合わせた視線は真剣そのものだった。彼女は俺が英雄などと呼ばれる事が好きでないことを知っている。だから、俺がそう呼ばれるような、自らの危険を省みずに戦う事を不思議に思ったのだろう。
「この町には二ヶ月もいたからな、愛着がわいたってやつだよ。それに今の俺はかなり強くなったからな、死ぬような目には合わないだろうし、自分とのつながりを守るために力を奮うならやぶさかでもないさ」
「別にこの町にも防衛のための兵士はいるのに…。私は由人がどうしたいのかいまいち分からないわ」
呆れたように微笑むフリアに俺は得意気な笑顔で返す。
「俺は英雄として振る舞うんじゃない、普通の人として困っている友人に手を貸すだけだ」
「まだ困ってはいないと思うんだけど?」
「困ってから何とかしてたら遅いだろう」
真顔でそう返す俺に、フリアはとうとう聞き返すのをやめた。
確かに俺が戦う必要はないかもしれない、だがあの赤い魔物は通常の魔物よりも硬く、力も強かった。俺がいなくなった後に知らない内に町は壊滅しました何て事も十分ありえる。そんなことがあったら悔やみきれない、だから俺はここ事を何とかしてからここを去るつもりだ。
「まぁ、さしあたって今からやるべきことは……帰って休んで情報を待つか」
んーと体を大きく伸ばし、少し茜色が混じり始めた光の中をいつもより早めに帰路についた。
その日の夜、俺は珍しく町をぶらつくことにした。疲労は感じていたが、結局昼の間体を動かしていなかったのだ、体力をもて余して風呂に入ったあとでも眠気が襲ってこなかった。そんな訳で少し肌寒い気温の中天体観測をしに町外れの丘までやって来た。
ハァと吐く息は白く染まり、手足の先が冷たくなる。我慢するのも馬鹿らしいので、体に温める魔法を付与する。体が内側からじわりじわりと温まり、ちょうどいいくらいになったところで足に力を込めて近くにあった木を駆け登る。そして頂点近くの少し頼りない枝に腰かけた。
「これはいい景色だ」
もとの世界にいたときのような無駄に明るすぎる光が一切ないこの世界では、星の光が遮られることなく輝き、秋の澄んだ空気はそれらを邪魔することなく地上に届ける。さらに眼下にはいつの幻想的な町の光があり、目の前がまるで一面の夜空である。
「フリアも来ればよかったのにな~」
ちなみに彼女は宿屋に居たままだ。なにやら本人がやりたいことがあるらしい。
こうしてゆっくりと空を見上げるのも久しぶりだ。稼ぎが少ないボードの依頼では常に日銭に困らないようあくせく働くしかないし、王都にいた頃なんか言わずもがなだ。それにこの世界は面白い、だからもとの世界で日課のように見上げていた空を忘れていたのだ。
「今度、星座でも調べてみようかな…。あるのかすらまず分からないけど」
何をするでもなくただ月と星を見つめてボーッとする。そして、頭のなかでは今後の事を考え始めていた。
今回、始めて人に正体がバレた。エミナは黙っていてくれると言っていたけれど、多分何かの拍子で他の人にも広まるだろう。バレかけたとバレたでは大きく意味合いが違ってくる。不確定な情報では王都の兵士は動かない、こんな御時世だから守りを薄くするわけにはいかないのだ。ただそれが今しっかりとした情報に変わりつつある、信頼が何より重要である商人だ、情報が漏れたら確実に連れ戻しに来るだろう。
「ハァ…いっそ国外に逃げるかな」
現在この世界『フラクトニル』は五つの大国に分かれている。大陸の中央に大きな山があり、そこから放射線状に広がる谷や川、鬱蒼と茂る森などの自然物によって国境が分かれている。まず俺と妹が召喚された人間の国 カルヒューキ。魔物が混じったような姿をとる、種族意識の高い魔人達の国 アフェクタム。精霊の子孫であり、規則に厳しい精霊人達の国 エリギド。獣の耳や尻尾をもち、礼節を重んじる獣人達の国デアコルム。大地や空、海といった自然と共に生きる自然人達の国 トリナント。今いる町は大陸の東に位置する中でも一番東にある、国外に行くとするならば一番近い魔人達の国だろうか。幸い大昔にあったらしい戦争で国同士の交流は無く、関所もない。国境付近は強い魔物が出現するため、追っても越えてこないだろう。
「問題は…受け入れてもらえるかどうかだな」
見ず知らずし種別さえ違う俺がそこで受け入れられるのか、それはいってみなければ分からない事だろう。改善されないが今のところ安全な生活を送るか、人の目を気にしなくていい危険な地に飛び込むかが悩みどころだ。
「クェェェェエエエ!!」
静謐な夜闇の中を歪な声で引き裂く鳥型の魔物が一匹、俺の背後に突然現れた。頭を使い周りが見えなくなっていた俺はギリギリで飛び退くが、そのまま枝から落ちてしまった。月明かりに照らされて浮かび上がるその体の色は、幻想的な周りの景色からあまりにもかけ離れた血のような赤。
「何で俺はこうこいつらと縁があるんだろうね」
右手にナイフを作り、その体めがけて投擲する。風の魔法を付与したそれは速度を上げながら狙い通りに体の中央を貫く。魔法で体を減速させながら落ちていく、その着地点には待っていたかのようにジャバが三匹、こいつらも体毛が赤い。
「しつこい!!」
剣はあいにく宿屋に置いてきてしまったので拳で対応する。一匹が飛びかかってくるのを飛び退いて避け、脚を狙う一匹を逆に蹴り飛ばし、背後からのしかかってくる一匹を身を低くしてかわす。普段より速く鋭い攻撃だが、今まで踏んだ場数を考えるとこんなの敵じゃない。ただ連続攻撃は止まること無く続く。
噛みつき、体当たり、引っ掻き、同時攻撃。それをひたすらステップ、転がり、ジャンプなどで避け続け、俺はひたすらこいつらを観察した。
「何だ…何かが違う…」
体が赤くて、通常より強い。そんなことだけではここまで俺がこいつらと関わる理由が分からない。
ポタッ ポタッと落ちる雫は赤く濁っていて、それはこいつらから落ちていた。
「血か?」
気がつけばこいつらの体は血まみれになっていた、さっきまでは体毛の色と同化して分からなかった。それにこいつらの爪は血や肉で汚れている、今までの攻防の間でお互いを傷つけあっていたのだろう。
「理性がぶっ飛んでやがる」
「ピ~ンポ~ン♪」
止めを刺そうと踏み込んだ瞬間男か女か判断が付かない声が響き、そいつは俺と魔物の間に割り込んだ。黒のフードつきローブを顔を隠すように被り、その表情は全く見えない。
「正~解~。こいつら改造されちゃって理性がぶっ飛んでマース♪だからね?危険奴がいるとそいつを排除しにいっちゃうんだよね~」
身ぶり手振りが大きくふざけ様子で黒フードは軽薄に笑う。
「あ、でもね?君がいなくなってもこいつらはこの町を襲うよ?だからね三日後にはこの町はこいつらでグチャグチャになるんだ~♪だからさ、一緒に遊ぶために君、ここに残っていてね?見捨てるなら構わないけど多分君がいないとたくさん死ぬよ?誰だか知らない人」
何なんだこの黒フード何がしたいのか全く分からない。殺しに来る宣言をしてるのに強いと分かっている俺をここに居させようとする。
「そう怖い顔しないでよお兄さん、ただ遊びたいだけだからさ♪」
「知るか、そんな遊びを俺は知らん」
「アハハハ、でも僕は遊びに来るね。じゃあ今日はこんなところで、この子達は持っていくよ」
そう言って黒フード腕を振り上げ三匹のジャバを吹き飛ばし、自身も風のように消えた。
「ハァ…終わった」
疲れを癒しに来たのに余計に疲れた。これじゃあ来ただけ損じゃねえか。
「あいつ…、今取り押さえた方が良かったかな…?」
誰に問うでもなく自分に問う。ただジャバ達はあいつが来てから急に大人しくなったし、町がグチャグチャになるほどということはまだまだいるのだろう。あいつらを押さえている黒フードを今捕らえて、予測不能にするよりは対策が立てられるいたの方が良いか。
「全ては三日後か…」
面倒事の足音は、未だ大きくなるばかりだ。
戦いによって結果的に体を動かしたことにより、眠気に誘われた俺はこれ以上考えるのを放棄して宿屋に帰る。