村での日常―その2―
町の郊外にあるかなり寂れた木造の一軒家を訪れる。もう大分古びてしまった木のドアを開けると、ギィーと非常に頼りない音がなった。
「レガラスさん、薪割りに来ました」
「おお!おまえさんが来てくれたのか、またよろしく頼む。老骨にはちと堪えるから」
そう言ってカハハッと笑うすっかり白髪のお爺さん。自分では老骨だのと言っているがまだしぼみ切っていないその筋肉はまだそう感じさせない。聞いたところによると昔はこの町で一番名の知れた鬼門番だったらしい。前回、まだ自分でできるんじゃないかと彼に聞いたが、その時は「最近は薪割りすら出来ない若者が多いからな、少しでも自分でやってみる機会を与えたいのじゃ」と言っていた。だが、近所ではそうやって若者に指南したり触れあうのが楽しいのでは無いかと言われているが。
「じゃあここにある斧を借りていきます」
「いいぞ、今回は4分割したのを200本ほど頼む」
「分かりました」
200本、つまり100回斧を振ることになる。あっちにいた頃には悲鳴をあげる回数だが、こっちに来て大分経つ今の俺には苦にもならない回数だ。
家の裏に回って小屋から斧を拝借し、干してある木を作業する場所まで運ぶ。作業するためにバックを置いて外套を脱ぎ、腕まくりをする。そのまとめて置いた荷物の上にバックから抜け出したフリアがちょこんと座った。
俺は木を置いては斧をただ降り下ろす。斧を振り下ろされた木は、パカッと小気味よい音をたてて割れる。そんな単純作業をひたすら繰り返していると、それを見ていたフリアは嘆息する。
「ハァ、ちゃんとギルドに登録して仕事が出来ればこんな依頼なんか受けなくても良いのにな~。昨日のあの怪物がちゃんと私たちの手柄になったらな~」
フリアは足をパタパタさせながらもう一度ため息をつく。そう、昨日のとある一件が朝からずっと彼女を不機嫌にしていた。
昨日、俺たちは確かに薬草採取の依頼で森に行った。しかし、薬草をとる前に村長の依頼であった森の魔物、突然変異で赤く染まったレッドグリズリーと対峙していたのだ。殺してしまっては誰がやったのか探されてしまう、なので右足を思いっきり蹴って脚の骨をへし折る位にし、すぐに離脱した。
だが、帰る途中にギルドで依頼を受けたらしい男達がそれに苦戦を強いられ、危ない場面を見つけてしまった。このまま彼らがやられてしまっては夢見が悪いと感じた俺は、頭までしっかり外套をかぶり、夕闇に紛れ、後頭部を斬りつけて結局止めまで刺してきたのだった。お陰で彼らに見られることはなく、ただ謎の黒い影が止めを刺したことになった。ちなみにその依頼の報酬は薬草採取の1.5倍だった。
フリアが言うにはお金が重要な訳ではなく、やったことにたいして正当な評価が無いのが不満らしい。それでいったら、やったのはまず彼女ではなく俺なのだが。
「今更そんなこと言ってもしょうがないだろ、それにボードの仕事はボードの仕事で良いことがある」
「例えば?」
「人との触れ合いがある」
「あまりつながりを持ちすぎると厄介なことになる由人には不都合なことね」
「報酬がたまにギルドのより飛び抜けたものがある」
「それ、大体はギルドのより低くて、高いのなんかほとんど無いって言ってるのと同じよ?」
「ギルドのような厄介な手続きが無い」
「約束を反故にしてこようとする人もたまにいるけどね」
「あとは~、町を歩き回ることになるから町の立地をよく知れる?」
「なんで疑問系なのよ」
「いや、別に結局覚えて無いなと思ってさ」
「なら私の勝ちね、もう反論の余地が無いのだから」
そう言ってフフンと勝ち誇るフリア。俺の環境下じゃなかったら1つめで論破出来ていたような気がするのは置いておこう。フリアの機嫌が直っただけで良しとしよう。
そんな下らない会話を楽しみながら順調に薪の数を増やしていく。この依頼を受けるのは今回で3回目。1回目は俺もレガラスさんに斧の振り方から教えてもらったが、直ぐに慣れてしまい2回目からはレガラスさんもつかなくなった。3回目にしてこれも終わりかと思うとちょっと寂しく感じられる。
最後の1個を終えたとき、茂みが不自然に揺れた。次の瞬間そこから魔物が飛び出す。赤い毛で、小さめの虎のような体躯にハイエナの顔をつけたような体が骨ばっている魔物、通称ジャバ。
「町の中でこんな魔物に会うなんて珍しい」
普通は侵入出来ない町の中にこの辺りではそれなりに強い魔物であるジャバが入るのは珍しい、というかゆゆしき事態である。それにこいつは通常青みがかった毛色であるジャバの突然変異種だと思われるからなおさらだ。
「町を囲う塀に穴でも空いてたら色々と大変だな」
「のんきなこと言ってないで剣でも構えたら?」
のんびりと感想を漏らす俺にフリアから呆れた声がかけられる、こんなの別に敵にもならないので、彼女の声も落ち着いているが。
俺をめがけてまっしぐらに走り来るジャバ、距離が大分詰まったら口を大きく開けて飛び込んでくる。あと少しで俺の脚に牙が届こうというところで、俺はその頭に右拳をただ叩きつける。
メギャッ
頭蓋骨から嫌な音をたてたジャバはそのまま地面に倒れ伏し、2回ほどピクピクと動いてそれっきり動かなくなる。
「ふぅ、これで終わり。死体どうしようか?」
「塀の外にでも投げて捨てたらいいんじゃないかしら」
「それでいいかな」
力なく体を横たえるジャバの体の下へ手を入れて一気に担ぎ上げる、そのまま塀の近くまで歩きそ外へポイッと投げ捨てる。人間ほどくらいの大きさがあるジャバの体は、その重さをまるで感じさせないほどに軽々と3mの塀を越えて向こう側に落ちる。
真剣に鍛えた結果とはいえ、あり得ない力は流石召喚時の補正だと思う。
「さて、これにて依頼終了」
「侵入経路を調べた方が良いんじゃない?」
「ここで見つかったとはいえ、さっきのジャバがどこから入ってきたのを探すのは俺一人じゃ骨がおれるからな。この町を出るときにでも匿名でギルドに投書でもする」
「そう、じゃあこの後はどうする?」
「久しぶりに遠出をするからな、町の外に出て訓練するさ」
「私も手伝う?」
そう言ったフリアの目が好戦的に光る。
昨日の1件はそんなに彼女へストレスを与えたのだろうか、それとも町では堂々と出られないからなのだろうか。とりあえずそのストレスの矛先がお目覚め電気ショックに向けられては困る。
「じゃあ頼もうかな」
俺の返事に「よしっ」とガッツポーズするフリア、少しかわいい。これが戦闘へのものでなければ多分もっとかわいい。
日はまだ頂点から下り始めたくらい、時間はまだそれなりにある。
俺は、薪を綺麗に片付け、依頼完了の報告をする。もちろんジャバの出現を除いてだが。家から出ようとした時、ひどく難しそうな顔をしたレガラスさんに呼び止められる。
「ユート、お前さんは……」
彼は俺から何かを感じたのか、それとも何かを見たのか、俺の1番触れて欲しくない話題を口にしようとする。しかし、彼はそこで言葉を切る。その顔には迷いが浮かんでいた。大方ただ数回依頼をしただけの冒険者にする内容じゃ無いと悩んでいるのだろう。彼はやがて表情を緩め、頭を振って続ける。
「いや、何でも無い。忘れてくれ」
そう言い残して頭をかきながら奥へ行くレガラスさん。俺はそのまま外に出て、一息つく。
「あと少しは…もう残り少ないかな」
バレたとは思えないが、かなり怪しまれている。思いがけないところでバレそうになるのは、旅を始めたころに何度もあったので驚きも何もない。ただ、遅からず正体を知られることになるだろう。
もし正体が完全にバレれば王都に連れ戻され、また英雄としての振る舞いを求められる。堅苦しく、他人に求められた英雄なんていうレールにしたがって歩くなんて真っ平だ。妹のことは気がかりだが、今はまだ戻る訳にはいかない。せめて国の手から逃れて、安心して暮らせる場所を見つけないと。
「早く準備を済ませるためにも、早く町の外へいかなきゃな」
いつもより少し速い足どりで、俺は町の門まで向かった。
門に着くと見張りの兵士たちがにこやかに挨拶してくれる。こんなところまで一人で来るただの旅人は珍しいらしく、割りと俺の顔は彼らに知られていた。
「ユートさんですね、どうぞお通り下さい。それと、最近一部の魔物が活性化していますのでどうかお気をつけて」
いつものようにあいさつを会釈で返し、俺は町の外に出た。風が少し冷たく、葉が段々と色づいてきている。月日の感覚はもとの世界とはあまり変わらない。今は10月中盤といったところか。風は冷たいが日光は温かくて気持ちがいい。もっとも、防具として普段から割りと着込んでいるので、冒険者としてはこれくらいの季節が過ごしやすくていい。
「さて、どこで訓練しようか」
「どこでもいいわ、思いっきりやれるなら」
町から大分離れたらフリアと一緒に場所選びをする。町から十分離れていること、人が寄り付かない場所であること、万が一人が来てもそうそう見られない場所であることを考慮し、最終的に選んだのは昨日と同じ森だった。
獲物の代わりにするため、固そうな木の枝を剣で切り落とし、握る場所をやすりで削って即席の模造剣をつくる。その間にフリアは魔力を使って体を普通の人間と同じ位の大きさにしていた。身長としても俺より少し小さいくらい。精霊自大が生命として存在しているが、人などより魔力により近い存在なため、髪だけ変える俺のような体の変更なんて目じゃない位に変わる。といってもそれができるのも高位の精霊だけだが。
「この姿になるのも久しぶりね、人目さえ気にしなければ町でもこの姿でいたいのに」
そう言って確かめるようにあちこち体を動かすフリア。実際に1回そのまま入ってみたことがあるが、彼女の容姿があまりにも人の目を集めすぎて、すぐに他の場所へ移ることになった。
「あと少しは我慢してくれよ」
「そうね、でも移動するのはたった数日でしょう?小さい姿も悪くは無いけれどこっちの方が色々と便利なの、話しかけるのにすら気を使うんだもん」
こちらとしてもその方がやり易いが、俺としては小さいことで利益はあるのだ。
「そろそろそこら辺も考えるからあとちょっと頼む……その方が宿代も浮くし……」
どこからともなくピキッという音がなった。小さい声で言ったのだが聞こえたのだろうか、相変わらず耳が良い。これで魔法なんか乱射されては困るので模造剣を放って渡し、本来の目的の準備を進める。剣を構える彼女からはなんとも言えないほどの圧力が感じられる。
「こりゃ1言多かったな」
おれも体を半身にし中段に剣を構え、魔法の準備を始める。正直精霊である彼女の力は俺に匹敵するレベルで強い。木の枝なんて1回打ち合っただけでボロボロになるだろう。
この世界での魔法は色々と種類がある。主に種族ごとで別れているのだが、これがなかなかに個性がある。通常の人間たちが使う魔法は想像に魔力を与えて物を造りだし、それを操る創造魔法。とても自由そうに感じられるが、想像は具体的でしっかりしている必要性があるし、使う魔力量も大きい。それゆえ1人で戦うときには向いていない。しかし、発動速度は群を抜いて早く、発動範囲も視界内ならばどこでもいい、後衛として使われるとかなり厄介である。実は俺はこの魔法を大して使えない、体から一定の範囲で小さい規模でしか行えない、妹は信じられない規模で行うが。
そんな俺がかわりに使えるのが、フリアと同じ精霊の魔法である。世界中のどこにでも存在する幼精霊たちに、魔力と指示を与えて彼らに世界に干渉してもらって行う魔法。魔法のなかでこれが1番万能で、他人の認識をいじるなどのこともできてしまう位に他への干渉ができたりしてしまう。それと同時に指示を伝えるのにコツが必要だったり(一応想像で伝えることもできるが)、手順が多いため発動が1番発動まで時間がかかったりする。まぁ指示をだしたあとは精霊自身が判断してくれたりするので同時に使うのに適したり、1人で戦うときに助かるという点もある。
(ただな……)
フリアを見て思う。何が起因してなのかは分からないが、急に俺の前で生まれた精霊。お互いの魔力が1番深いところではつながっていて、分け与えたりすることができるくらい俺と深く関係した存在。そろそろ5ヶ月位の付き合いになるが未だに彼女がどんな存在なのかは分からない。だが、彼女は長く一緒にいる俺のやり口を1番知っているし、魔法は俺より数段早く構築する。早さもあり、大体の手の内を知られている俺のなかで最高に厄介な相手だ。
フリアから目線を外さないように気を付けながら模造剣と体に魔法を付与して強化する。さらに攻撃用に精霊に指示を出そうと魔力を与え、精霊が活性化した輝きが俺の手に現れた瞬間、フリアが動き出した。
一瞬にして距離が詰められ、横薙ぎが俺の左肩に迫るのをなんとか打ち払って距離をとる。
「流石に攻撃魔法までは許してくれないか」
先ほど魔力を与えた精霊はその輝きとともに霧散してしまってる。
「本気でやるっていったじゃない、許すのは大怪我しないための身体強化までよ」
その時、急に背後で圧力を感じた。
ズバアァンッ
背後で巻き起こった爆発に吹き飛ばされる、とっさに受け身をとったが久しぶりに頭や内蔵が揺れる感触を味わった。
『しまった……』
精霊魔法の戦いは常に先のことを考えた先手勝負。魔法を使用する際の僅かな輝きなど見ている暇など無い。戦いは常にどこから来るか分からない魔法に気を配る必要がある。
さっきの一撃をもらったのは、話と魔法を使用するのに気をとられて周りを警戒していなかったせいだ。
「やっぱり、戦闘勘が鈍ってるな」
反省をしつつ、地面から素早く起き上がり駆け出す。
とりあえず足を止めるわけにはいかない、周りの木を蹴りながら三次元的に彼女へ斬りかかろうとし…俺はそのまま彼女の頭上をを通り抜ける。
「隙あり!!」
うちかかってくる彼女の目の前、つまり俺の背後で突然閃光が弾ける。
「あ、あぁ…」
この目潰しは俺がよく使う手だ、範囲を気にしなくていいので気軽に使える。
振り向いてフリアが目を手で隠しているのを確認し、その手にある模造剣を弾き飛ばす、あとは剣を突きつけて降参のコールでももらおうかと思ったのだが。フリアは手の隙間から こちらをちらりと見て可愛らしくペロッと舌を出す。
「なんちゃって♪」
それを見て思わず頬が緩む。
「だよな」
フリアに突きつけられた右手から風の弾が産み出され、俺は吹き飛ばされる。
まぁ、あれだよな、よく使う手を自分の手の内をよく知ってる奴に使うのが悪いよな。それに本気を確かめるためにやるのだ、これぐらいやってもらわねば困る。
「前回はこれでなんとかなったのにな」
「うるさい、私は日々進歩しているの」
そう言ってべーっとやってくるフリア。お前は子供か。
さて、これでまた距離を開けての仕切り直しだ。今度は何を試して見ようか。とりあえず風を主体にした防御魔法、いざというときの移動魔法を用意。攻撃は…自分でやるか。
身体能力に物をいわせて距離を詰めようと踏み出した右足の感覚が急になくなる。
「あり?」
俺の右足が知らないうちに地面にはまっていた、そりゃもうスッポリと。
規模が大きい魔法は撃つのに時間がかかりすぎて使えないが、かわりにこうゆう小技が効くのがこの魔法の厄介な所だ、言ってしまえば遠隔で操作も発動もできる魔法だからな。
スッポリとはまった足を抜こうと必死な俺を見てフリアは輝くような笑顔で俺に指を突きつける。さっきのとは比べ物にならない位に大きく気流が渦巻く弾と共に。
「これで終わり!!」
もらったら確実に大怪我は確実な塊が、彼女の手から解き放たれる。
こうなったら、いざという時にとっておくとかそんなこと言ってらんないというか、今がその時なので移動魔法を発動する。
パァンッと足元が弾け、俺の体は天高くへ舞う。
「ハァ、本当は剣を使って戦いたかったんだが、最終的に魔法合戦になっちまったな」
俺は、模造剣を腰にくくりつけ、手に魔力を集中する。ふよふよと耀く頼りない光を放つ者と俺は細やかなやり取りをする。これからやるのは結構大がかりなことなので時間がかかる。
徐々に迫り来る地面、そこではフリアもこちらに手を向けて待っている。
「あ~あ、周りに精霊をあんなに漂わせちゃって何するんだよ…。防御もつかな…?」
これ、訓練だからね?と言いたくなるような不安感を抑え、気合いを入れ直してフリアめがけて急降下する。
残りの距離が三メートルを切った時、フリアの手から魔法が放たれる。
「おわあっと!」
吹きすさぶ大風に吹き飛ばされそうになるが、こちらも風の防御で対抗する。威力としては弱い風を選んだところ、訓練ということは忘れていないようだった。……よかった。
「早くその手の魔法を解き放って対抗しなさい、じゃないと吹き飛ばすわよ!!」
「誰がそんなことするかっ!!」
風に音が飛ばされながら怒鳴り返す。体から魔力を放出して防御の威力を底上げするが、手の中の魔法は意地でも崩さないようにして対抗する。
大体誘導してるということはそのための備えがあるということだろう。誰がそんなこと乗ってやるか。
「うおぉぉぉぉっ!!」
必死になるあまり声が漏れる、早く終わって欲しい。耐えること数十秒、ついに風が弱まってきてジリジリと体が宙から降り、そして地に足がついた。
「ここだ!!」
全力で踏み出し、両手を前につき出す。必死そうに彼女の顔が歪むその中、俺の手が彼女のお腹についた瞬間に。彼女の姿が音もなく遠ざかった。徐々に消えていく手の中の光、俺の最大の魔法が消えていく。
「残念だったわね」
ニコリと微笑む彼女の笑顔。一息に距離を詰められ、抜こうとしていた模造剣も弾き飛ばされてしまった。準備してある魔法もないし、剣も無い。悔しいが今回は俺の敗けだ。
不機嫌になりぶすっとする俺の顔を見てクスッと笑いながら模造剣を突きつけてくるフリア。
「今回は私の勝ちね」
「初めて勝てて嬉しそうだな」
わざわざ初めてなんてつける分かりやすい皮肉にも、今の彼女は笑顔を崩さない。
「そうね、初めてね。でも勝ちは勝ちだわ。今回は私の言うことを聞いてね」
そう、こういう訓練は度々やっている。その度に勝者の権限として俺のワガママを何度も通していた。
「私の望みは…、次の行き先は私が決めこと!!」
フリアは小さい状態が不便だと言っていた、
いうことは……いったいどんな遠いとこに行かされるものか分かったもんじゃない。
恐ろしい想像をして、肩を落とす俺を見て彼女はひどく愉快そうにしたいる………。
そんな光景を、きっと彼女は見ているだろう。
実は、俺は負けていない。もっと言えば最大の一撃も外していない。ただ、俺の最大の一撃が全力の幻惑魔法だったというだけで。
そういうわけで、幻を見ている彼女は、俺からは1人で話続けているように見える。
1人で話す彼女を見ながらちょっと罪悪感を抱く。あんなに笑顔なのにそれをわざわざ壊すっていうのもね………後が怖いじゃないか……。
座って1人劇場を鑑賞していた重い腰を上げ、彼女の背後について首に腕を回して模造剣を首にそえる。
「まぁ、勝ちは勝ちだ。恨まないでくれ」
至近距離からの魔法の乱射、なんて事が無いように祈りながら、俺は幻惑魔法を解いた。
彼女の目の焦点が再び合う。突然俺が目の前からかき消えたのであろう。目をぱちくりさせながら周りを見ている彼女に、俺は話しかける。
「残念ながら、今まで見ていたのは幻術だ」
未だに信じられないようなようすのフリア。まだボーッとしている。
「だから、俺の勝ちで良いよな?」
そこでようやく彼女はハッと我に返り、急速に赤くなる。
「何でアンタ抱きついているのよ!!離れなさい!!」
何を勘違いしたのか、俺がただ抱きついていると思い込んだらしいフリアは、手足をばたつかせて俺の拘束を振りほどこうとする。地味に痛い。だが、ここで放す訳にもいかない。
「分かったから!俺の勝利を認めれば離すから!!」
「誰がそんなこと認めるもんですか!!」
「ここまでやられてまだ認めないのかよ!?」
そして振りほどかんとするフリアと、振りほどかれんとする俺の最後の戦いが始まった。
結局、俺の勝利を認めさせるのに5分かかった。最後に「もう分かったから…放して……」と言われた時には流石にやり過ぎたと反省した。そりゃもう本気で。そうなる頃には俺たちは二人ともへとへとに疲れ果てて、今はもう地面に座り込んで動けないでいる。
でも、認めさせなければ無かったことにされてしまう。彼女は口にしたことは守るが、それ以外は全力で無かったことにするくらい負けず嫌いなのだ……特にこんなスッキリしない感じの負け方をしたときは。
1度は勝ったと思わせるような意地の悪いことをしたからか、フリアは疲れきっているはずなのにまだ恨みがましい目で俺を見ている。
「で?何で幻惑魔法なの?」
「え、何が?」
「何で物理的な魔法じゃなくて阻害するような魔法なのってことよ!!あんなの組む余裕があるなら力押しでも勝負できたじゃない。何でわざわざ使いづらい魔法を……そもそもあんなの私でも上手く組めないんだけど」
フリアは悔しそうに顔をしかめる、精霊である自分より俺の方が上手く魔法を使っているのが悔しいのだろう。ちなみにあの魔法、場合に合わせて指示する必要があるため、十全の効果を発揮するように組むのは以外と大変なのだ。
「ああ、幻惑魔法をしっかり使えるのは、前に人を簡単に無力化できないかと思ってさ、何度も自分で練習したからなんだよ。それにさ、女の子を攻撃するのは訓練とはいえ抵抗があるだろう?」
俺がめったにしない女の子扱いをしたからか、それを聞いたフリアは少し顔を赤らめて、むず痒そうに頬をかいていた。
う~ん、普段からこんな感じで可愛らしければいいのだが。もっと女の子扱いをしてあげたらいいのだろうか?でも俺としては今くらいの距離感が好きなんだよなぁ。
そんなことを考えているうちに、気がつけば日は少しずつオレンジ色を帯始めている。そろそろ帰らなければいけない。
結論としては、あれだ、今の状態がいいということで。
さぁ帰ろうと、立ち上がって辺りを見回し、自分達が残した爪痕を確認する。毎度のことながらかなりひどい有り様だ。強風で枝が折れたり、地面がえぐれていたりまるで台風が通った後のようだった。
「ほら、帰るぞ」
フリアを立ち上がらせようと手を差し出した時、視界の端に気になる物が映った。なぎ倒された木々の端、そこにちらりと見える赤い物体。
「何だ…?」
あまりにも不自然なそれに、俺は駆け出していた。
「ちょっと!急にどうしたの!?」
急に手を引いて走り出した俺に、慌てるフリア。俺にはその声に答える余裕も無い。今まさに昨日と今日見かけたばかりの赤が、近づくにつれどんどんと視界に広がる。そして、最初に見つけた赤い物体の場所へ着いた時に俺は見た。
「赤い…魔物の…死体の山…」
隣ではフリアがあまりにも奇妙な光景に言葉を失っている。
なぜならそこには、百体を越すような数の赤い魔物の死体が、文字通りに山になっていたからだ。