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京都にての歴史物語

籤引き将軍

作者: 不動 啓人

「八幡宮の御神前にて籤で決めてはいかが?」

「御継嗣(けいし)を、で御座いますか?」

「左様で御座います」

 幕府内の壇所(だんしょ)にて坐して対面する両宿老(しゅくろう)管領(かんれい)畠山満家(はたけやまみついえ)山名時煕(やまなときひろ)に対し、将軍家護持僧(ごじそう)である三宝院満済(さんぽういんまんさい)は五十を超えてなおふくよかな相貌の顎を引き、言い含めるような視線を両宿老に投げ掛け頷いた。


 応永三十五(一四二八)年正月十七日。室町第四代将軍足利義持(あしかがよしもち)に死が迫っていた。それに伴い、継嗣指名が大きな問題となった。

 義持には義量(よしかず)という嫡子があって応永三十(一四二三)年に将軍職を譲っていたが、応永三十二年、在位二年を経ずして義量は夭折してしまった為、以降将軍位は空位のまま、足利氏の継嗣も定められないまま今に至っていた。

 義持が継嗣を定めなかったのは、義量の死後、新たな男子を授かるか氏神である石清水八幡宮にて、(くじ)にて占い、男子出生との卦と出た為で、それを頼みとし継嗣指名を先延ばしにしていたのだった。ただし、この時点で男子出生の兆しはなかった。

 自身の死が近付いている以上、義持は務めとして継嗣の指名を行わなければならなかったが、義持は尚も男子出生の卦を持ち出し、

神慮(しんりょ)に反する」

 とし、指名を拒んでいた。これには幾分か投げやりな感情が含まれていて、自身の家督相続の経験から将軍といえども重臣の同意なしに円滑な幕府運営は困難であり、ならば重臣合議の下に新たな将軍を指名して盛り立ててくれれば良いとの考えもあった。

「その方共がよく協議し、しかるべき人物を決めよ」

 管領畠山満家の要請により等持院(とうじいん)等持寺(とうじじ)の両長老が義持へ継嗣指名の考えについて伺いを立てたところ、義持は目蓋を閉じ頑なだった。

 その頑なさに困惑した満家は、山名時煕を誘い、満済からも改めて継嗣指名を上申して貰おうと壇所へやってきたのであった。

 満済も、両宿老の要請は最もだと思った。しかし、死を間際にしてここまで頑なになっている義持が最後に翻意するのは難しいだろうとも考えた。

 そこで満済は、義持が最後まで御継嗣を指名しない場合の落としどころを探った。そして出した答えが、氏神である八幡の神前に置いて籤を引いて決するというものだった。

「それはいかがで御座いましょうか?」

 満済の案に、両宿老はお互いの心中を探る様に視線を交わしながら懸念の態度を示した。

 それでも満済は押し通すように姿勢を正した。

「しかし、上様もご指名なされない。あなた様方もご指名されない。ならば、最早八幡神の御神慮に依る他、収まりどころは御座いますまい。今は幕府存亡の時。お腹をお決め下さい」

 この時、幕府を取り巻く環境は決して安定したものではなかった。

 関東にあっては、鎌倉公方足利持氏(あしかがもちうじ)が次期将軍職の座を狙い頻りに運動していた。

 畿内にあっては、未だ皇統後継問題でくすぶる後南朝の動向が治まっていなかった。

 九州にあっては、幕府に従わない在来勢力が今も盛んであった。

 こういった状況の中で、もし継嗣問題が明るみになり、長期化するようなことになれば、諸問題は一気に鎌首をもたげて幕府を飲み込む勢いを持たないとも限らない。そうならない為にも、次期将軍をいかに速やかに決めるかということが重要であった。

「しかし、どのようにして」

「上様の弟君であられる方々を候補と致しましょう」

「なるほど。しかし御神慮とはいえ、誰でも、という訳には・・・」

「もちろんで御座います。この籤で、義円(ぎえん)様を引いて頂きます」

「・・・まさか、(たばか)ると(おっしゃ)るか?」

 満済の言葉に信じられぬような表情を浮かべ一瞬の間を置き、両宿老は衝撃の声を上げた。

――強き将軍を。

 幕府を支える三人の意見は一致していた。では、誰が望ましいか。

――青蓮院(しょうれいいん)義円。

 義持の八歳下の同母弟であり、数ある義持の弟の中でも年長である。幼くして青蓮院に入室し、成長してからは天台座主(てんだいざす)を勤めあげ、准三后(じゅんさんごう)大僧正(だいそうじょう)と僧職の高位にあった。この時三十四歳。明敏な頭脳の持ち主であり、満済が受ける印象からも、義円自身、強い将軍の必要性を認識していた。

 三人は義持による義円の継嗣指名を期待した。だが一方で、それは難しいことも知っていた。かつて義持と義円の間に諍いが生じていた。それは兄弟の、将軍職へ対する認識の違いともいえた。義円は常に強い将軍を求めた。一方の義持は諸大名の均衡の上に立とうとした。その政治志向の相違から対立し、義円が青蓮院より逐電する騒ぎとなった。ただその後、義円は義持へ恭順の態度を示し、一時頑なだった義持の態度も解け、義円は青蓮院へ復していた。

 それでも両者の間に、わだかまりが残っていることを三人は知っていた。故に、家臣から義円の名を継嗣として挙げるのは義持に対して憚られた。ましてや義円は僧籍にあり、多くの問題もあった。

 それでも、今後の幕府の運営を考えれば義円が必要だった。

「謀るなど、もっての外。この籤は、八幡神の御承認を頂く為のもので御座います。今の幕府にとって、次期将軍職にふさわしい方は義円様をおいて他に御座いますまい。我らは決して私心により義円様を推すのでは御座いません。幕府の為、ひいては天下泰平の為。それが幕府にとって正しき道であれば、どうして氏神たる八幡神への不敬となりましょうか。必ずや、八幡神の御神慮に叶うものとなりましょう」

 八幡神の神慮による指名となれば、義円の正統性は保たれ、そればかりか権威付けにもなり、義持逝去後の混乱を防止することにも繋がる。そして何より、指名を拒否する義持への配慮にもなると満済は判断した。

 満済の頭にあるのは、常に天下泰平への想いだった。その為には、将軍家の安泰が不可欠であるというのが満済の基本方針だった。その考えが育まれた陰には、満済が猶子(ゆうし)として多くの引き立てと薫陶を受けた、足利義満(あしかがよしみつ)の存在が大きかった。

――強き将軍、強き幕府こそ、天下泰平の礎である。

 満済の信念に迷いはなかった。

 両宿老は、尚も思案顔であったが、満済は決断を迫った。

「時がございません。もし、上様がご指名をなさらない場合は、よろしゅう御座いますでしょうか?」

 せめて籤引きの件だけでも、義持の容認を得ておきたかった。

 遂に両宿老は頷いた。

 満済は得たりと、早速、義持の元へと向うのだった。

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