小さな髪留め(未鑑定)①
「やあ『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムが御座いましたら是非、お立ち寄り下さい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定いたします。
……おや。貴方の手にされているそのアイテムも付与道具かもしれませんよ?」
フジワラはあくびを噛み殺す。
彼は朝が苦手だった。
まず決まった時間に目を覚ませたことがないし、その後もすぐにベッドを出ることができない。
すべては低血圧が悪いのである。
元々身体も丈夫なほうではなく何度か鍛えることで体質改善をしようと試みていたがことごとく失敗していた。
だからこうして店に出ても、午前中は椅子に腰掛けカウンターにひじを突きぼんやりしている事が多い。
幸いなことに客層の大半であるダンジョンに潜る人々も、午前中早くから訪れることがないので業務に支障はなかった。
「ただいまっ」
鈴の音とともに入り口の扉が勢いよく開き、そこから現れる全身甲冑。
どう見ても戦場帰りの重戦士か、ダンジョンから出てきた彷徨える鎧なこの人物は、正真正銘この店の被雇用者である。
腰にフリルエプロンをつけているのはいつものことだが、腕に買い物袋を下げているのは『太陽を見上げる土竜』亭までの買い出しに行って戻ってきたからだ。
「店長、ビスケットと珈琲を買ってきたぞ」
「……おかえりなさい」
「焼き立てだからきっと美味しいぞ。店長のお気に入りのプレーンのやつはなかったけど、ダークチョコチップとジンジャーと他にもいろいろ買ってきたぞ」
「……じゃあダークチョコを」
「テンション低いなーまだ眠いの治らないのか」
「……低血圧なんです」
「あとな、今日は店の前にいたから連れてきた人がいるんだ。誰だと思う?」
アネモネは店によく見知らぬ人間を連れてくる。
基本的に彼らは困っている人たちで、大半はダンジョンから地上に戻ってきたはいいが、治療院まで辿り着けない怪我人や行き倒れである。
だが今日はそういった類の人ではないようだ。
「こんにちはー」
「おじゃまします」
アネモネの甲冑の後ろからひょっこり見覚えのあるふたりが顔を出した。
ショートカットの少女ソアラととんがり帽子を被ったおさげの少女リンネである。
彼女たちはそれぞれこの店を訪れたことのある客だった。
「……やあ」
「あれどこか具合が悪いんですか?」
「顔色、青いですよ?」
「店長は朝にすごく弱いんだ」
「……まあ」
「最近よく遅刻してくるんだ。困ったものだ」
「……うう」
アネモネを雇ってから遅刻が常習犯化しているので反論できなかった。
だいたい早起きしたつもりで店に降りてきても、すでに彼女がやってきて開店作業から、買い出しまでを一通り終えている事が多いのでやることがないのである。
そういうところもあってアネモネが甲冑姿でいることにも強く注意できなかったりする。というか最近では御近所にも全身甲冑さんなどと呼ばれて市民権を得てきてしまっている始末だ。
「珈琲を入れるからそこに座って待っていてくれ。この人は放っておけば元気になるから」
「あっ手伝います」
「私も」
「……ふむ」
それからすべてをバックヤードに流れ込む三人の娘たちに任せると、フジワラは再びカウンターにひじを突いてだらけた姿勢になり、あくびを噛み殺すのであった。
◆
「これ、美味しい」
「メイプルシロップとナッツだな。私も好きな味だぞ」
「これは何ですか」
「それはジンジャーだな」
「ふうん、ちょっと癖がありますね」
「隠し味にモラセスという蜜を入れているらしいぞ。店主に聞いたことがある」
「いろんな味があるんですね」
「何十種類もあるらしいんだ。私もまだ全部は食べてないんだ」
バックヤードのテーブルではちょっとしたパーティが始まっていた。
三人の少女たち――ひとりは年上だったし全身甲冑姿だがまあぎりぎり少女だ――が朝食代わりに買ってきたビスケットを大皿に広げてわいわいお喋りしていた。
ビスケットは珈琲と同じく『太陽を見上げる土竜』亭のあまり知られていないメニューのひとつだ。
夜、探索者たちで賑わう酒場は午前中には喫茶店も兼業しており、フジワラたちは寧ろそちらを利用するほうが多かったりした。
フジワラはカウンターで店番をしながら、外から見えない位置にこっそり置かれた小皿に手を伸ばす。
口に運ぶんだビスケットは初めて食べる味だったが、殆ど甘みはなくチョコレートの苦味強い印象でわりと好みだった。
もしゃもしゃと口を動かしながら更に二つ目を摘む。
まだちっとも頭は冴えなかったがこのまま眠りに落ちさえしなければ、客がやってきても即座に接客対応できる自信はある。
「ところで今日はどこに行こうとしてたんだ?」
「僕ら昨日まで探索に行ってたんで、今日は休日なんです」
「これから迷宮都市の商店街でお買い物するんです」
「でもその前に、おふたりに報告することがあってここへ寄るつもりでした」
「ほう。ということは……」
「はい」
ソアラが嬉しそうに力強く頷いた。
「ようやく四階まで辿り着けました」
ソアラにはこれまで悩みがあった。
どうしてもダンジョンの地下三階が攻略できなかったのである。ここを初めて訪れた時には、探索者としての進退を考えるほどだったがあれから一ヶ月、ついに目的を果たせたらしい。
「おめでとう。本当によかった」
「お二人がリンネに会わせてくれたおかげです」
ソアラが立ち上がって、律儀に頭を下げてくる。
フジワラとアネモネは、彼女がダンジョン探索を単独で続けていたことに攻略できない原因を見たので、丁度仲間を探していたリンネを紹介したことがあったのだ。
どうやらそれが功をそうしたようだ。
「彼女の炎の魔術はすごいんです。こんな大きいモルドスライムも一撃でどっろどろにしちゃうんです」
ソアラがどれだけリンネの魔術が凄いかを身振り手振りを交えて説明してくる。
「ほう。それはすごいな」
「ただの初級魔術だよう」
褒められ慣れていないらしいリンネが縮こまる。
「それだけじゃなくて明かりの魔法も使えるからカンテラも出さなくて済むんです。燃料費がかなり節減できました。これは大助かりですよ」
「生活に優しいんだな」
「うー……それもすごくない」
「それから他にも――」
「もういいもういいよう。ソアラちゃん」
リンネがこの状況に堪え切れなくなって、ソアラの上着の裾を引っ張って座らせようとする。
ふたりの仲の良さそうなやりとりを見てアネモネは安心した。
紹介だなんて余計なことしたかもとか、相性が良くなかったらどうしようなどと心配していたのだが杞憂だったようだ。
「ああ良かったなあ……ぐすん」
アネモネは思わず涙ぐんで鼻を啜った。
「へへ……なんか涙がでてきたぞ」
「アネモネさん……」
ソアラも釣られて、じーんとなって目頭が熱くなる。
それから目元を拭うと、まだ他にも報告すべき良いことがあったのを思い出して、足下に置いていたナップザックを持ち上げる。
「そういえば今回の探索で、アイテムも結構手に入れたんですよ」
ナップザックははちきれんばかりに膨れている。大量のアイテムをどうにか詰めてきらしく剣の柄が何本もはみ出している。
「どうしたんだ大量じゃないか」
「『餌場』ってご存知ですか?」
「なるほどあれを見つけたのか」
アネモネは頷く。
ダンジョンの地下三階にはモルドスライムというモンスターが存在している。
彼らの身体は非常に固く、それは鉱物や鉄くずを主食としているからなのだが、故にダンジョンに点在する剣や防具などを一箇所に集める習性があった。
これを探索者たちは『餌場』と呼んでおり、もし見つけることができれば大量のアイテムを一度に手に入れることができる場所であるため、これを目当てとする者も多かった。
「それで今日はこれ鑑定をしてもらおうと思って」
「よし早速店長に――」
アネモネは店番をしてくれているフジワラのほうを振り向いた。
「すーすー…」
カウンターからは寝息が聞こえる。
「え……?」
「……うん。ごめん。この人は本当に朝が駄目らしいんだ」