酒臭い携帯用の水筒(未鑑定)
「やあ『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムが御座いましたら是非、お立ち寄り下さい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定いたします。
……おや。貴方の手にされているそのアイテムも付与道具かもしれませんよ?」
アネモネがいつものように掃除をしようと外に出ると店の壁に寄りかかり座っている緑の胴衣を着た子供がいた。俯いて頭を揺らしながら何かを呻いている。
だがよく見ると身の丈が低いだけで、靴を履いていないその足は異様に大きく毛に覆われている事に気がつく。どうやら彼は人間の子供ではなくハーフリングのようだ。
アネモネは取り合えずいつものように声をかけることにした。
この辺りにはダンジョンの出入り口があり、死にかけた探索者が治療院にたどり着くまでに行き倒れる事がよくあった。
「おい大丈夫か?」
「んー……なんりゃあ?」
ハーフリングは顔を上げると、大きく伸びをして欠伸をした。
別段、具合は悪くないようである。むしろ血色がよく頬に赤みがさしている。だが目はまともに開いておらず身体からはアルコール臭を発している。察するに、単に酔っ払っているだけのようだ。
「飲み過ぎるは良くないぞ」
アネモネが注意すると、彼は手にしていたスキットルを掲げて「こりぇはおしゃけじゃなくて、ひーいんぐぽーひょんらもんね(これはお酒じゃなくてヒーリングポーションだもんね)」と言って爆笑。
それからすぐにえずき始める。
「……うえっぷ……なんかぎぼちわるいろ……」
「やれやれ迷惑なやつだな」
掃除をしようと思ったところなのにこのまま店の前を汚されても適わない。
アネモネは溜息をつくと、ハーフリングの襟首をひょいとつまみ上げる。
「一名様、御来店」
こうしてハーフリングはアンティークショップ『古き良き魔術師たちの時代』へと連れて行かれたのであった。
◆
店内バックヤードにある応接用のソファまで連れて行き、緑の胴衣のハーフリングを座らせると目の前に来客用のマグカップを置いて、魔法瓶の中身を傾けた。
『太陽を見上げる土竜亭』から仕入れたばかりの淹れたての珈琲が湯気を立てて注がれていく。
相変わらずいい匂いだな。
アネモネは苦いのが苦手なので元の味が分からなくなるほどクリームと砂糖をかけてなくては飲めなかったがこの匂いだけは大好きだった。
「なんりぇあ、こりえ?」
「酔い醒ましには珈琲がいいと聞いたことがある。さあ飲むがいい」
「しょれは……うっぷ……ろうもれすろ……」
ハーフリングはよろよろとマグカップを手にすると、ぐいっとあおりごくごく喉を鳴らして飲み始める。
「とてつもなく苦いからその味だけでしゃきっとするはずだそ」
アネモネはその様子を見て、満足げに頷く。
言うまでもない事だが彼女は親切心からそうしたのである。
彼女はただ知らなかっただけなのだ。
実のところ珈琲というものには酔い醒ましの効果などない事を。そして寧ろ逆効果なのである事を。
◆
「専門的な話をすれば珈琲は、酔いによって拡張された血管を収縮する効果があり、これで顔の赤みが消えることはあります。ただ決して酔いがさめたわけではなく寧ろ逆です。血中のアルコール濃度が下がるわけではなく、カフェインも解毒作用を阻害するのでダメージがむしろ大きく、長引くことになるんです」
寝坊してやってきた店長のフジワラが、寝癖でボサボサの髪をそのままにしたり顔で説明を始める頃にはもう手遅れの状態になっていた。
緑の胴衣のハーフリングは厚かましくも勝手に珈琲のお代わりを続けた挙げ句、魔法瓶の中身を空にし終えていた。そして現在は桶に顔を突っ込んでえずきながら絶賛、胃を空にする作業を続けている。
惨状の一端を担ってしまったアネモネは甲斐甲斐しくもハーフリングの背中を撫でていたが、こちらに気がつくときっとい鉄兜からのぞくその眼光を八つ当たり気味にこちらに向けた。
「すべては店長が遅刻してくるからいけないんです」
「……」
フジワラとしても淹れたての珈琲が飲めないことに対するやるせなさがないでもなかったが、泣くこと機嫌の悪いアネモネには叶わない。
「やれやれ」とぼやきながらきびすを返してどこかにあった酔い止めの探索に向かうのであった。
◆
ハーフリングの名前はマルモといった。
職業盗賊の探索者だ。元々放浪者だったが、迷宮都市に訪れた際、現在のパーティから仲間に加わるように説得された。それは手先の器用さと探索能力が買われてのことで、他人に必要とされたことが初めてだったので嬉しくてつい了承した。
だが探索者を始めて気がついたことは、自分にはまるで向いてないという事実だった。
そもそもダンジョンが好きになれなかった。風が通らずじめじめと湿気の多い上に、太陽がないので寒くて暗い。おまけに歩いても歩いても石壁だらけで退屈過ぎた。
また労働状況もかなり過酷なものがあった。昼夜問わず神経を張り詰めさせひたすら歩き続けなくてはいけない。ろくに眠ることもできない上、ありつける食事はといえば味気ない携帯食ばかりだ。
そして何よりこの仕事には危険が多すぎた。落とし穴やつり天井、吹き矢などの罠があちこちに点在する上、何より恐ろしいのはモンスターとの遭遇だ。血に飢えた彼らとの戦闘ほど肉体的にも精神的にも苦痛を与えるものはない。
前回での探索では盗賊として偵察を行っている最中、うっかりドジを踏んで殺人的蜂の群れに取り囲まれ死に掛けるほどの大怪我を負った。
あの時の状況が何度も夢に出てこのところろくに眠っていない。
もう二度とあんな目には遭いたくはなかった。
◆
「もうダンジョンに行きたくないんだお……石壁しかなくてつまんないし……モンスターは怖いし……うっぷ」
緑の胴衣のハーフリングがソファの上で毛布を被りながら膝を抱えて寒そうにがたがた震え、ぶつぶつと何やら後ろ向きなことを呟いている。顔の赤みはすでに引いていて、今では蒼白になっている。完全に急性アルコール中毒の状態だろう。
「ふむ」
フジワラは顎に手を当てて考える。
不謹慎な話ではあるが、陽気で馬鹿騒ぎが大好きなハーフリングがこんなにもネガティブな状態になっているのは非常に興味深い光景である。
そもそもドワーフに次いで消化器官に優れた種族と言われ腐りかけの肉や野菜も平気で食べるし、言うまでもなく酒にも強い。酔いはするが滅多なことでは悪酔いや二日酔いなどしないはずだ。珈琲が止めになったとはいえ、ちょっとやそっとではこような状態まで追い込まれないはずなのだ。
「興味本位でお尋ねして申し訳ないのですが、いったいどんなお酒を飲んだんですか?」
「お酒は飲んでないお……おいらはこの傷薬を飲んでいただけだお……」
そう言って彼がよろよろした手つきで差し出してきたのはチタン製のスキットルだった。
話によると彼はダンジョン探索中のモンスターとの戦闘で大怪我を負い、暫く宿屋で療養していたらしい。
今日も仲間の差し入れてくれた傷薬を飲んで大人しくしていたのだが、気づいたら 陽気な気分になって散歩に繰り出していたのだという。
「ふむ」
フジワラはスキットルを受けとると、まず飲み口に鼻を近づけてくんくんと匂いを確認して顔をしかめる。
それから「失礼」と言いスキットルを傾け一滴だけを指先にこぼすと、それをぺろりと舐めて「うわあ」と苦悶の表情になる。
「店長、それは?」
「彼は嘘を言っていませんね。ここに入っているのは傷薬です」
「とてもそんな顔には見えなかったぞ」
「ええ。但しこれ通常の物とは違って蒸留酒……アルコールに変化している状態です」
「つまり傷薬(酒)ということか?」
「ええ、それもかなり強力なものです」
傷薬は、血中に含まれている魔力に作用し治癒効果を活性化させる仕組みのマジックポーションだ。
それがアルコール化したおかげでおかしな具合になっている。道具を使って検分しなければはっきりしないがマルモ氏の症状もただのアルコール中毒ではなく、血中の魔力が影響を受けて、不安定な状態になっていることが原因だろう。
「ただ傷薬っていうのはいくら放置しておこうが勝手にお酒になんてならないはず何です……」
フジワラはスキットルを眺める。
軽く振ってみるとちゃぽんちゃぽんと音がする。一見するだけでは何の変哲もなさそうな携帯用の水筒である。ただかなり古ぼけておりチタン製のその表面は傷だらけで凸凹もひどい。
「マルモさん、これはどちらで購入されましたか?」
毛布を被って震えているマルモに声をかける。
「前回の探索で拾ったんだお……」
「鑑定はされましたか?」
「何もしてないお……どうせ大したものじゃないお……」
「ちょっと調べてもいいですね?」
「……そうら……いっそ探索者なんてやめて……」
虚空に向かってぶつぶつと独り言を続けており、もはや話は聞いていないようだ。
フジワラはエプロンのポケットから取り出した単眼鏡を右目にはめると、スキットルを掲げて、もう一度観察する。人差し指でその湾曲した表面に触れ、つつとなぞっていき凸側の中央あたりで指を止める。
伝達と、隠蔽破棄の呪文を呟く。
人差し指の先に込められた魔力がスキットルへと伝わっていくと、その銀色の表面にぼんやりとした青い筋が顕れ、広がり、模様を形作っていく。
紛れもなくそれは魔術回路。
この鑑定物が付与道具であるという証だった。
「どうやらすべての原因はこれにあるようですね」
◆
マルモが馴染みの酒場『太陽を見上げる土竜亭』の扉をくぐると、いつもの喧騒と美味しそうな料理の匂いが彼を迎えた。
「いらっしゃい」
馴染みの給仕の娘も彼を迎えてくれた。
彼女の手にしているエールジョッキからいい匂いがしてくる。そこに入ってるはずの白い泡を 浮かせてた小麦色の液体がゆらゆら揺れているところを想像して、マルモは思わず喉をごくりと鳴らした。
だがぶるんぶるん首を振り、頭から追い払う。
別に酒を飲みにきたわけではない。というか金輪際、アルコールの類は口にしないと誓ったのだ。
「仲間たちはいるかお?」
「先程いらっしゃったところですよ。いつものテーブルです」
「ありがとだお」
マルモは今回の件で、アルコールの負の側面を知ってしまった。
あんなにも胸がむかむかして頭が金槌で殴られたように痛くなって、寒気と吐き気が止まらないのはもう懲り懲りだ。
あんな思いをするのあれば二度と飲まないほうが何百倍もましだ。
勿論、あのスキットルは売却した。
すべては冗談半分であれに傷薬を入れたのが間違いだったのだ。酒を飲んでいる気分になれるどころか本物の蒸留酒になるなんて思いもしなかった。あんな悪酔いをした後では手元に置いておく気にはなれなかった。
◆
本日の探索を終えた後らしい仲間たちがいつものテーブルを陣取ってすでに宴会を始めている。
「マルモ殿、今日は快気祝にござるな」
「すいまっせーん、こっちのおちびさんにエールお願いしまーす」
「さあ空いてるジョッキ取れよ。ひとまず乾杯しようぜ」
仲間たちが待ってましたとばかりに次々にジョッキーを掲げだしたのでマルモは慌てて両手を振る。
「も、もうおりは酒は飲まないんだお」
「おいおいどうしたんだよ一体」
「そういえば顔色が悪いでござるな」
「大丈夫? まだ体調よくないんじゃないの?」
彼らのことは嫌いではない。
気むずかしい奴、話を聞かない奴、口やかましい奴。個性は様々だが基本的に気のいい連中だ。
ダンジョンでは頼りになるし、何より一緒に飲んで騒いでしている時間はとても楽しかった。
でもそれと自分が探索者に向いているかどうかはそれと話は別の話だ。
マルモはここを訪れたのは酒を飲むためではない。彼らに探索者を辞めることを告げる為だ。
今日は、仲間たちに告げにきたのである。
「……」
だがいざ彼らを前にすると、どうしても「もう辞める」の一言がなかなか喉から出てこなかった。
「あそうだ。あれのことマルモに報告しなきゃじゃん」
「そうそう。元気のないお主に朗報があったんでござる」
「お前さ、前に地下九階の隠し宝物庫があるかもって話してただろ?」
「……あ、うん」
それはハーフリングたちの間で広まっている噂話の事だ。
バッドフットブラザーズ。
大昔に存在したハーフリングの強盗団だ。彼らはブラックジョークとエールと他人の金貨をこよなく愛し、最後には仲間割れによって全滅したらしい。
噂話の内容は、その隠し財産がどうもダンジョンの地下九階にあるのではないかというものであった。
仲間たちは周りで聞き耳を立ててる者がいないことを確認してからマルモの近くに顔を寄せてひそひそ話始める。
「どうもそれらしい場所見つけたんだわ」
「北西の階段付近なんでごさるよ」
「そこでまだ誰も手ぇつけてない仕掛け扉を見つけちゃったのよ」
「本当に、本当でござるよ」
「ていうか偶然落とし穴に落っこちたらさ、その底で見つけたんだよな」
「でもさーあのドア、見るからに強力そうな罠が仕掛けてあったんだよね」
「拙者も罠外しの術は幾分か心得てござるが、あれは危険にござるよ」
「つうわけでさマルモ、お前さんの出番なわけよ」
仲間たちが嬉しそうな顔で口々に報告してくる。
リーダーは腕で強引にテーブルの上の物をどかせ、懐から出した地図を広げている。彼が指で指し示したその区画は、マルモが以前から怪しいと睨んでいた場所だ。
「……」
おかしいなとは思ったのだ。
当初の予定だとマルモの怪我が治るまでの間、探索は中止。
彼らは久しぶりの休養をとるという予定だったはずなのだ。
それが休日を返上してまでダンジョンに出かけると言い出したのは、つまり隠し財産を探す為だったに違いない。
勿論、それは大怪我をして凹んでいたマルモを元気づける為だろう。
マルモは「おーい」と両手を振って給仕に呼びかける。
「こっちにエールちょうだいらお。勿論おっきいジョッキだお」
「あれおまえ酒は止めたんじゃないの?」
仲間の一人が「さっきと言ってること違ってるぞ」と突っ込みを入れてくる。
「誰もそんなこと言ってないお。前祝に酒飲まないで何飲むんだお」
「あれそうだっけ?」
仲間たちは首を傾げるが、マルモの気まぐれはいつものことなのでそれきり追及はしてこない。
ただマルモは別に心変わりしたわけではない。
ダンジョンはどれだけいても好きになれそうにないし、過酷な探索者家業に馴染むつもりもないし、モンスターが怖いのは百回死んでも治らないだろう。
そもそも隠し部屋の話もうまくいくとは思っていない。金銀財宝のお宝がそう簡単に転がり込んでくるはずはない。迷宮都市のダンジョンがそんなに甘くないことは身をもって知っているのだ。
でももうすこし大変の思いをしてみるのも悪くない。
何故ならのんびりした放浪者家業にはいつだって戻ることができる。
そして何よりもうすこしだけでもこの仲間たちと一緒に冒険がしたくなったのだ。
「今日は朝まで飲むから付き合うんだお」
「よし。じゃあ改めて乾杯だな」
「「「「いえーい乾杯!」」」」
マルモは運ばれてきたよく冷えたジョッキを仲間たちと思い切り重ねると、ぐいっと煽った。
◆
鑑別証『酔っ払いのスキットル(良品)』
『汝、穀物と微小なる生命に愛されし者に告げる、血を千百十三滴捧げろ――さすれば世界は繁殖せよ、糖化せよ、発酵せよ、蒸留せよ、ダリアッドラの樽のごとく』
これは錬金術師ビーカー・ハウスが造りだした『発酵のフラスコ』を遊び心から改良したもので、注いだ液体を醸造酒へと変化させるという不思議な水筒です。
現存数は少ないですが迷宮都市にもいくつか存在しており、良質なものには『蒸留』の効果が加わることが確認されています。それは注いだ水がたちまち高級ウィスキー酒に変わる上にいくら飲んでも二日酔いにならない優れものです。
但し薬品などを入れないようにくれぐれも注意して欲しいと思います。特に血中魔力に作用するマジックポーションの類を変化させた場合には、服用者にどんな作用を及ぼすかがわかりません。すでに酒に強いはずのハーフリングが急性アルコール中毒を引き起こしたり、ひどい二日酔いになる症状が報告されています。
※尚、このアイテムは未成年者への販売は致しませんので、予めご了承下さい。
以上が、『聞き耳』のマルモと『酔っ払いのスキットル』の経緯である。
彼とその仲間たちがバッドフットブラザーズの遺産の手がかりを掴むのはもうすこし先の話になりそうだ。