刺繍の施された麻布(未鑑定)⑥
「『天にまします我が主様。今一度、我が祈りに耳を傾け、傷つき子羊に慈悲の光を分け与え賜り給え』」
ホオズキは負傷したベアトリスの為に祈りを捧げていた。
無事祈りは聞き届けられ、両手から溢れ出した奇蹟――温かな光を、そっと彼女へと零した。
怪我は心配していたよりも軽く、骨折や外傷もない。蹴られた腹部についても内出血などはなさそうなので一度の『治癒』で元どおりになるだろう。
「これが祈祷術かあ」
「あっという間に傷が塞がってくね」
こちらの様子をソアラとリンネが横から興味深げに見ていた。
探索者なら、普通施療院に厄介になることがあるはずだが、彼女たちは怪我をしないのだろうか。
「助けて頂いて、有難う御座いました」
処置が終わってから、少女たちに深々と頭を下げた。
助けがなければ、あのままベアトリスも自分も怪我をするだけでは済まなかっただろう。
二人には感謝してもしきれない。
「いやあ偶然通りかかって良かったよ」
「どう? これで分かったでしょう」
三つ編み眼鏡の少女――リンネがえへんと胸を張っている。
「ソアラちゃんがただの小娘じゃないって事」
確かに彼女は――ソアラは強かった。
あの時、まるで絵物語から抜け出てきた戦乙女のように勇ましく、そして華麗だった。
自分は彼女を侮辱したはずだ。
だから仮に、通りがかったても、見捨てられて文句を言えない立場だ。
ベアトリスだけを助ける為だったとしても感謝してもしきれなかった。
「小娘だなんて言って御免なさい」
ホオズキはもう一度頭を下げる。
「『侏儒のハンカチーフ』を強引に持って行ってしまった事も謝ります」
「ふーん。悪いって自覚は一応あるんだ?」
「ええ」
頷くと、リンネはニコリと微笑んだ。
「じゃあ許してあげる。使えもしないのに強引に買ったのは私の方だもん」
「確かに……それがそもそもの発端だったと思います」
第一、助けてくれたのはソアラの方だ。
このリンネという少女は後方で応援していたに過ぎない。
まるで自分の手柄のように宣うのは如何なものだろう。
「むかー何ようその言い草」
「事実を述べたに過ぎません」
「ホオズキ、折角、和解できたのにその言い方はないよ」
「リンネもよしなよ」
「べーだ」
「ふん」
「ねえ、こんな路地裏で立ち話もなんだから、もし良かったら話ができる場所へ移動しない?」
ソアラがそう提案してくる。
「いい考えだね。そうしよう」とベアトリスも賛同した。
勿論、自分も同じ気持ちだ。
もう少し彼女たちのことを知りたいと思っていた。
きっと今、必要なのは甘いお菓子とお茶だろう。
「この辺りに美味しいドーナツのお店があるって聞いたことがあります」
「嘘。ドーナツ? それってアネモネさんが食べてたやつかも」
リンネという少女も乗り気のようだ。
甘いものが好きなら少しは、自分とも話が合うかもしれない。
「じゃあそこに行こう」
「確か、通りを出てすぐだって聞いたよ」
ベアトリスが案内するように歩き出し、三人はそれに続いた。
「丸い輪っかみたいなお菓子だよね」
「穴の代わりにクリームが詰まったのもあるそうです」
「シナモンのやつとか、チョコレートがかかったやつがあるんだよねえ」
そういえばこんな人数で道を歩くのは、両親たちと暮らしていた時以来だ。
修道院で生活していた時はいつも一人だった。
孤立していたし、一人で困った事はなかったから、それが当たり前だと思っていた。
けれど探索者になってから、二人で歩く楽しさを知った。
迷宮都市でも地下迷宮でもベアトリスとお喋りをしながらよく歩いた。
理想とは違う。
だからどうなるのか想像ができなかったし、上手くいくのか分からなかったし、第一そうなるかすら定かではなかった。
けれども彼女たちと探索をするのも悪くないかもしれない。
ホオズキは歩きながらそう思った。
◆
「あのガキどもおおおお絶対にぶっ殺してやる。獣人をコケにしやがってえ」
逃げ込んだ路地裏で、ケインズは喚き散らし、周りにあった木箱を斬り壊していた。
そうでもしなければ与えられた傷に、何より屈辱に耐えられなかった。
「こうなったら戦争だあ。てめえら『虫喰い耳』の連中をかき集めてこい」
「へい」
「あい」
弟分が飛ぶような勢いで駆け出した。
『虫喰い耳』は獣人たちの寄り合いだ。
幸いにして親分のジロチョウは祝祭の運営委員で留守。
若い兵隊ならば勝手に動かしても止めるものはいない。
数いれば、連中を見つけるのも容易いだろうし、あの小娘が多少腕が立っても押し切れるはず。
後は踏んじばってしまえばこちらのものだ。
「ひゃひゃひゃ人間どもめが、獣人の恐ろしさをとことん味合わせてやる」
「いやあ穏やかじゃないにゃあ」
突然の声の後、何かを引き摺りながら歩いてくる人物がひとり。
「ミ、ミケの旦那……あんたあどういう了見だ⁉︎」
ミケランジェロ。
猫人族の探索者。
群れず、どこの組織にも属さない一匹狼を気取っていたが、その腕は確かで、獣人界隈からは一目置かれた存在。
その男が何故、ずた袋のように二人の弟分を引き摺っているのか。
彼らは意識を失っているらしくぐったりと動かない。
「どういう了見にゃ? そりゃあ、吾輩の台詞だにゃあ。めでたい祭りの最中に暴動でも起こすのかにゃ?」
話をすべて聞かれていたらしい。
ミケランジェロはどこまでも穏やかな口調だったが、ケインズはまるで墓場に迷い込んだみたいな寒気に襲われていた。
「に、人間の連中が、俺を、獣人をコケにしやがったんだ! こ、このままオトシマエもつけずに黙って見過ごせってのかよ⁉︎」
「おいおい個人の安酒場のハムより薄っぺら~い劣等感を、種族の問題にすり替えるのは良くないにゃあ」
「なっ……」
「これ以上、オマエラのようなロクデナシの所業で、獣人全体の評判を貶められるのは見れられん」
「うっ煩え……このはぐれもんがあああああああああ」
ミケランジェロは遥格上の相手。
だが向こうはまだ剣を抜いてはおらず、こちらは抜いている。
ケインズは恐怖と苛立ちのなか、狡猾に判断を下し、襲いかかっ――。
「っっ!?」
ちくり――
気づくと針のような剣先が小突くようにケインズの額に触れている。
閃光にも等しい速度で、ミケランジェロの腰元より抜かれた細剣が繰り出されたのだ。
「これが犬の牙? 子猫の爪のがまだ斬れるのにゃあ」
「あ……ばっ……」
――馬鹿な。
――抜いた瞬間すら見えなかった。
「負け犬君。吾輩とオマエじゃ強さが違うにゃ」
バチンッ。
ミケランジェロの吐き捨てるような言葉と共に、激しく耳朶を打ったのは彼が細剣を収めた音だった。
――レベルが
――違い過ぎる。
ケインズはガクガクと腰から崩れ落ちた。
指先には未だ剣柄が触れていたが、もはや震えるだけで握り直すことはできなかった。
そしてできたのは、ただただ踵を返し立ち去るミケランジェロの後ろ姿を見送る事だけだった。
◆
鑑別証『小鳥のスカーフ(良品)』
『汝、足音せぬ者に告げる、物言わぬ悪戯な指先で五度撫でよ――さすれば汝は引っ張れ、取込め、囲め、捕らえろ、ボーラドーラの監獄のごとく』
どんな品でも小さく縮めて持ち運んでしまえる『侏儒のハンカチーフ』の亜種です。
魔法の鞄程ではありませんが、布の面積に比例して容量はあり、ちょっとした長旅の荷物くらいは詰め込むことができるでしょう。
使用していない時は、普通に首に巻いたり、被ったりすることもできます。
おめでとうございます。これは非常に希少な品です。
本家との違いは、何と言っても無生物でなくても、縮めて、収納できてしまえる点。
つまり扱いさえ心得れば、弱ったモンスターを捕獲も可能だったり、歩けない仲間を搬送したりと、使い方の幅が非常に大きいのが特徴です。
元の名称は『人攫いのハンカチーフ』でしたが、あまりにも聞こえが悪かった為、改名した経緯があるそうです。
ただ一見可愛らしい『小鳥のハンカチーフ』という名称も実はとんでもないもの。極東の隠語で『小鳥』とは、即ち『子盗り』を意味し、更にたちが悪いという始末。
悪用はくれぐれも厳禁です‼︎
こうして小さな探索者たちに心強い仲間ができた。
ただし四人が地下迷宮の冒険に向かうのはもう少し先の話である。
何故なら迷宮都市の祝祭は始まったばかりなのだ。
◆
「……で、我々はいつになったらお祭りに行けるのだ?」
「そう言ってもこの時期は鑑定の仕事が増えるので」
「むう。折角の回りたい場所リストと、食べたいものリストが無駄になってしまうではないか」
「店は閉めとくのでアネモネさんだけ先に遊んできても――」
「おんしはいっちょん、わかっとらん! (貴方はまるで分かっていませんね)」
「も、もうちょっとで終わるのでお待ち下さい!」
◆
というわけでお楽しみ頂きありがとうございました。
今回の更新はここまでです。
そのうちまた更新するつもりですのでブックマークはそのままにしていて頂けると幸いです。
お暇な方は『異世界銭湯♨︎』も宜しく♪




