刺繍の施された麻布(未鑑定)④
「もう信じられない! 『侏儒のハンカチーフ』は持っていくわ。汚い燭台なんか押し付けてくるわ。ああもう腹が立つ!」
リンネが歩きながらまだ憤っている。
最初のうちは宥めていたのだが、一向に収まらないので今は放っておいている。
そのうちお腹が空けば大人しくなるに違いない。
結局、ソアラたちにとっても『侏儒のハンカチーフ』の取引に関しては損はなかった。
寧ろ、儲かってしまったと言ってもいい。
何故ならこちらの手元には二万ゲルンと付与道具――『永劫の燭台』、更にはその鑑別証まで残ったのだ。
「あ……この鑑別証、店長さんの字だ。……凄いなあカンテラ要らずだ」
鑑別証によれば手に入ったのは燃料要らずの照明器具らしい。
探索で重宝しそうな代物だ。
惜しむらくは教会信者にしか使用できないことだが、売却すれば一万二千ゲルンにもなる。
手間賃として考えれば高額。
寧ろ、彼女たちには悪いことをした気がしていた。
ただそんな事よりも何よりも、返す返すも残念なのはパーティを組めなかったことだ。
それも自分の実力不足で――。
「もうソアラちゃん聞いてるの?」
「聞いてる聞いてる」
「あれだけ言われて、悔しくないの?」
「悔しいというか、小娘なのは事実だし」
「むううううう! この底なし大らかさんっっ!」
リンネがぽかぽか叩いてくる。
被害者はソアラなのに、八つ当たりされているのは何故だろう。
「まあまあ。ほらリンネ。この林檎飴、美味しいよ」
取り敢えず落ち着かない相棒を、露店で見つけた食べ物で懐柔する。
蚤市のあちこちで美味しそうなものが売られているので、当分おやつには困らないだろう。
日頃お世話になっているアネモネと店長にもお土産を買っていこう。
「むうううううもぐもぐ、はたほうあっておははふう(またそうやって誤魔化すう)」
「あの子たちもさ、遊び半分で探索をしたいわけじゃないんだよ」
「ほうひふほほ(どういうこと)?」
「きっと強い仲間を探してるんだ。だから僕みたいな小娘じゃ駄目なんだよ」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……ごっきゅ」
リンネはあっという間に林檎飴を食べると、ソアラのほっぺを両手で抓ってくる。
「ひんへ(リンネ)?」
「そんな事言っちゃダメ! ソアラちゃんはただの小娘じゃないもん! すごく凄く強いもん! この前だってひとりで人喰い虎とやり合って勝ったんだもん!」
「あふぃはほう(ありがとう)」
「お世辞じゃないよ。本当のことなんだからいじけるのはやめて」
「ゔ……」
どうやらひっそりと落ち込んでいるのを見抜かれていたらしい。
さすがは相棒だった。
「確かにくよくよしても仕方ないよね。……『侏儒のハンカーチフ』、もうちょっと粘って探してみようかな」
「そうだよ。そうしよう。謝肉祭は始まったばかりだもん、きっとまた見つかるよ」
リンネの元気な声に後押しされて、ソアラは気持ちを切り替える事にした。
◆
「ちょっと待ってってばホオズキ!」
ホオズキは早足で歩きながら、戦利品を鞄にしまう。
『侏儒のハンカチーフ』という名前のわりに、やや大き目なのは何故だろうか。
「ホオズキってば!」
「……何ですか?」
「やっぱり戻ろう。こんなことせずに彼女たちとパーティを組むべきだよ」
ベアトリスはこちらに追いつくとそう告げてくる。
「いえ、もっと優秀な前衛職を探すべきです」
余程、あの二人と仲間になりたかったのだろうか。
だがやはりあのソアラという少女に、前衛が務まるとは思えない。
前衛とはいわばパーティの盾。
男性でなくとも、もっと体格と筋力のある人物に務めてもらうべきだ。
「……でも見つからないじゃん」
ベアトリスが漏らすように言う。
理由はわからないが、今に限って彼女は少し機嫌が悪いようだ。
「酒場で、地下迷宮で、色んな人に声をかけて、その度に断られてきたじゃないか」
「大丈夫です。実績を積めばいつか――」
「多分、無理だよ」
ベアトリスが小さく首を横に振った。
まだ結果が出てもいないのに、何故、見てきたかのような口ぶりで言えるのか。
「私たちだって小娘じゃないか」
『小娘』。
それは自分が、ソアラという少女に使った言葉だった。
「仲間ができないのは小娘の盗賊に、小娘の修道女だからだよ」
「それは――」
違います、とホオズキは否定できなかった。
自分が知る限り、この迷宮都市にいる探索者の大半が、成人男性だ。
種族は多様でも、女性は少数。
どれだけ技術があろうと、荒事の世界では体格や体力がものを言うからだろう。
ただ前衛職でなければ大丈夫、いつか仲間が見つかるはずと心のどこかで思っていた。
「……」
だが果たしてそれは真実だろうか。
自分たちが「小娘」という残酷な言葉のふるいにかけられなかったと、一体誰が証明してくれるのだろう。
酒場での苦い記憶が頭をよぎる。
声をかけた相手から与えられた値踏みすらしない侮りの視線と、取りつく島のない拒絶の言葉の数々がそこにあった。
「……理想ではなく、現実を考えて仲間を作れということですか?」
「違うよ。チャンスだったんだよ。そもそも彼女が弱いって決めつけるのも間違いなんだ」
彼女とはソアラだろう。
あの華奢な少女がどの程度の『強さ』なのかは知らない。
剣士を名乗っている以上、それなりに剣の扱いはできるのだろう。
だが彼女が地下迷宮で遭遇する魔物たちとまともに対峙できるとは到底思えなかった。
「……何か根拠でもあるんですか?」
「ソアラさんの腕には刺青があった」
刺青?
そんなものに何の意味があるというのだろう。
見た目を厳めしくしたところで中身が伴わなければ――そこまで考えたところではっとなる。
「『踏破の称号』――!?」
『踏破の称号』。
それは地下迷宮の五階毎に手に入る徴。
大の大人が徒党を組み、生死をかけたある試練をくぐり抜けようやく手にできる証だ。
もしベアトリスが見たものが本物なら――とてもそうは見えなかったが――彼女たちは相当の実力者という事になる。
「何でそれをもっと早く言わないんです!」
「言ったんだよ……」
ベアトリスが泣きそうな顔でそう言ってきた。
「ホオズキは何度呼び止めても聞いてくれなかったんだよ……」
何も言い返せなかった。
確かにベアトリスは何度も呼びかけいた。
ただホオズキはその場を離れようとする一心で歩みを止めなかったのだ。
『侏儒のハンカチーフ』を取り戻されないようにとばかり考えて、立ち止まっている余裕はなかったのだ。
「いつもそうじゃないか……何でもかんでも勝手に決めちゃって……どんどん歩いて行っちゃって……」
「だってそれは」
「もうちょっと……私の、仲間の言葉に耳を傾けてよ……」
ベアトリスが泣きそうな顔を伏せ、背を縮こませ、その場にしゃがみ込んでしまった。
ホオズキは立ち尽くす事しかできなかった。
釈明の言葉すら見つからないまま、見ていることしか出来なかった。
修道院時代に同じような過ちをしたことを思い出す。
あの時は確か、自分は悪くないと開き直ったのだ。
結局、友人になれそうだった相手を失い、孤立して、それでもまだ自分に言い訳をし続けたのだ。
でも――
もう同じ過ちは繰り返したくない。
ではどうすればいいのか。
目的のものは手に入ったのだから、悲しむ必要はないじゃないかと説得する?
丁寧に、こちらの気持ちを、そんなつもりはなかった意図と、説明をする?
いや、そうではない。
自分に残されたのはひとつだけだ。
「御免なさい。私が間違ってたわ」
ホオズキは勇気を振り絞って、頭を下げた。
「本当に……そう思ってる……?」
「ええ。『侏儒のハンカチーフ』で頭がいっぱいで周りが見えていませんでした」
自分は愚かだ。
多分、これまでに何度も色んなものを見逃してきたのだろう。
逸した機会と、得られた何かが思い出せない以上、数え上げ、後悔することは不可能だ。
ただ今、ここで失ってはいけないものが目の前にある事だけははっきりしていた。
「もっと貴方の話に耳を傾けるべきだったと思います」
「これからはちゃんと……私の意見もきいて……それで、勝手に色々決めたりしない……?」
「や、約束はできないけれど努力します。許して下さい」
「ぐす……いいよ。謝ってくれたから許してあげる」
果たして、ベアトリスは涙で滲んだ目を擦りながら、笑ってくれた。
ホオズキはその表現に、彼女の懐の広さに救われ、ほっとする。
ベアトリスには見損なわれたくない。
彼女は最初で、最も大切な仲間だ。
この先、何があっても彼女に愛想を尽かされる事だけはしたくなかった。
◆
「じゃあ戻ろう」
ベアトリスが目元を擦りながら、そう言った。
「え?」
「今ならまだソアラさんとも合流できるよ」
「そ、それは無理です!」
相棒は「何故?」と不思議そうに首を傾げている。
幾ら自分でもそれは無理だ。
あれだけ失礼な口を聞いた相手に、もう一度合わせる顔なんて持ち合わせてはいない。
半ば強引に『侏儒のハンカチーフ』を持っていった相手に、今更、仲間に加えてくれなんて厚かましい事を言えるわけがないではないか。
もう二度と会わないつもりだったからこそ、あそこまでできたのだ。
「……そういうの自覚あるんだ」
ベアトリスが呆れた声でそう言ってくる。
「あ、ありますけど」
胸を張れたことではないので、目を逸らしながら答える。
「だったら最初からしなきゃいいのに」
「そ、それとこれとは……もう反省しているのでこれ以上は問い詰めないで下さい」
口では言いつつも、すこしムッとなってしまう。
だって仕方がないではないか。
ベアトリスが『侏儒のハンカチーフ』を欲しいといったのだ。
だからあの時は彼女を喜ばせたくて喜ばせたくて必死だったのである。
恩義せがましい事は口にはできなかったが、もう少し慮ってくれてもいいじゃないかと、心のなかで思う。
それなのにこの相棒ときたら、人の気も知らないで、
「ホオズキはすぐカッとなっとなったりする性格はどうしかした方がいいよ」などと言い出す始末だった。
「むううううううう猛省しているので責めないで下さいっ」
ホオズキは思わず、目の前の頬を抓ってしまっていた。
「何故か、私が抓られるのさあ」と口をとがらせているが知った事ではないのである。
◆
「おいおいおいおいちょっと待て待てよ兄弟」
「どうしたんですかい兄貴」
犬人族のケインズは立ち止まり、兄弟たちを呼び止めた。
こいつは驚いた。
まさかあいつと再会できるとは思わなかった。
「とんでもねえもんを見つけちまったよ」
「ぱんぱんに膨らんだ財布?」
「ちげえ」
「すんげえ美人の犬耳ねーちゃん?」
「全然ちげえ」
何故、兄弟たちは気づかないのだろう。
路地の先にいる二人組みの人間の子供――そのうちの一人から漂ってくる匂い。
仄かに香る薄荷飴の匂い。
あれは間違いなくあいつ――『負け犬』ベアだ。
「変装したっておれの鼻は誤魔化されねえ」
「ああ……ありゃあ確かにビンゴだ」
弟分が鼻先をひくつかせてニヤリと笑う。
どうやら彼も気づいたようだ。
「どこどこだれだれ。おで臭いわかんない」
タスタンがふごふごと鼻を鳴らした。
もう一人の弟分は蓄膿症なので仕方がない。
「ほらベアだよ。おれたちを罠にはめたあの荷物持ちだ」
「ベア? ああホントだ」
この日をどれ程待ち望んでいたことだろう。
今やケインズの胸は恋い焦がれるように熱くなっていた。
あの日から何を食べても味がしなかった。
高い金を払った水牛の生肉にかぶりついた時もそうだ。
ぜんぶ毒入りスープのせいだ。
あの時の屈辱の味が未だに、舌を渋くさせるのだ。
「やりますかい?」
「当然だろう、こいつは正当な復讐だあ」
ケインズはだらんと垂らした舌が疼いた。
きっと失った味覚は、復讐という蜜を舐めれば戻るに違いなかった。
◆
一難去ってまた一難。
あと二話で蹴りがつくのでご勘弁を。
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