微熱を帯びたショートソード(未鑑定) ⑤
「えっ?」
差し出したはずの剣がこちらに戻ってくる。
フジワラがソアラの腕の中に押し付けるように戻したのだ。その顔にはいたずらを企むような笑みを浮かんでおり、なにを考えているのかは分からない。
隣にいたアネモネも何故か同意するように頷いてる。
「さてアネモネ相談員」
「なんだろう店長」
「元熟練の探索者でもあるアネモネさんから見て、ソアラさんのお悩みどう思いますか。果たして彼は地下三階を攻略する為にこのファイアソードを売る必要があるんでしょうか?」
「ないんじゃないのか?」
「その理由は?」
「攻略できないのは装備のせいではないからだ」
ソアラは武器ではないと言われてどきりとする。
そうなれば他人に指摘されそうな心当たりはひとつしか思い浮かばない。
「勿論、実力不足が原因でもないぞ。日常的な身のこなしだけ見ても君は良き指導者の元でそれなりに鍛錬を積んできたことは伺える」
「そうじゃないなら何なんでしょうか?」
「君に足りないのは、ダンジョン探索においてもっと根本的で基本的なモノだよ」
「根本的で基本的なモノ……?」
ソアラには分からない。
地下三階から進めなくなってからずっと足りないものが何かなんて嫌になるほど考えてきた。
経験値、知識、剣の素養、判断能力、反射神経、資金、魔術の素養……。
そんなものは挙げればきりがないほどある。
ただアネモネが言っているのはそういうものではない気がした。
「店長さん、アネモネさん。お願いします。それをどこで手に入れればいいのか教えて下さい」
★
ソアラが扉を開けると、声と音が洪水のように迎える。
食器やグラスのぶつかる音。
従業員たちが世話しなく行き交う足音。
客のオーダー。
笑い声。
話し声。
時には罵声。
それらが活気あるざわめきとして店内に溢れ返っている。
そこは『太陽を見上げるモグラ亭』という酒場だ。
まだ日も沈みきっていない時間帯だったが、店は盛況のようである。
ソアラはおっかなびっくり中へと踏み込みながら、師匠の話でよく酒場のことが出てきたことを思い出す。
迷宮都市の探索者にとって、酒場は情報交換の場として欠かせない場らしい。
ただ師匠の場合、どこのウェイトレスが可愛いと、どの銘柄の酒が美味いとかそういう話題ばかりだったが。
「あの……すいません」
ソアラはカウンターに辿りつき、木製のエールジョッキを磨いていた女主人に声をかける。眼帯をつけた強面で、隠れていない方の鋭い瞳でぎろりと睨まれる。
「あう……」
「新顔だね。名前は?」
「ソアラといいます」
「あたしはエリザベス。ベスでいい」
「ベスさん、あのそれで――」
「ここは酒場だ。まず何か注文しな」
「じゃ、じゃあジンジャーエールを……」
「そんで?」
ソアラは巨大なジョッキになみなみ注がれたドリンクと交換に、おずおずと預かってきた魔法瓶と手紙を渡した。
「『オールドグッド』の店長さんからこれを……」
「あいつらはまた珈琲とビスケットの注文かい。うちは喫茶店じゃなくて酒場なんだがね。たまには……おや?」
手紙にはオーダーが書かれていたらしい。
馴染みの客からの注文を見てぶつぶつ言っていた女主人はふいに顔を上げてから、意味ありげな笑みをこちらに向けてくる。
それから「用意してくるから待ってな」と言って奥の厨房へと消えていった。
一体何なんと書いてあったのだろうか。
あの後、『|古き良き魔術師たちの時代』の店長から、ちょっとお使いに行ってきて欲しいと頼まれたのだ。
そんなことでダンジョンの地下三階を攻略できるとはとても思えなかったが、ソアラはとりあえず言う通りにすることにした。
からかわれたのか、いいようにお使いに使われたのかもと思わないでもなかったが、あの人たちに限ってそんなことはないだろうという気はした。
近くの空いているテーブルの椅子につくと用事が済むまでの間、ひとまず身を縮ませてその場から存在感を消すようにとつとめることにした。
実は酒場を訪れるのは初めてだ。
何となく恐そうなだからという気持ちもあったし何より初心者丸出しの探索者である自分が顔を出せば恥をかくような気がしたからだ。
口に運んだジョッキをちびちびと舐める。
思わず頼んでしまったジンジャーエールにはアルコールが入っていたがかなり薄いので飲みにくくはなかった。
師匠がよく飲んでいたと言っていたので頼んだのだが、この独特の辛さと甘さはどちらかと言えば好みだ。
「……」
ぼんやりとまわりの客席を眺める。
客たちはやはり物々しい鎧に身を包んだ戦士や、ゆったりとしたローブを身にまとった魔導師など、探索者らしき者たちが多い。
彼らは酒場でただ飲んだり食べたりするだけでなく、ダンジョンからの帰還を祝って乾杯したり、攻略について熱心に語り合ったりしている。
勿論、ひたすらに酒を酌み交わす者や、賭け札に興じている者もいる。
ここを訪れる探索者たちはおそらくダンジョンの地下三階程度なんなくスルーできる腕の持ち主に違いない。
そんな彼らと比べて自分に足りないモノは何だろうかと、ソアラはぼんやり考える。
装備の違い? 経験の差? スキルのありなし?
いや。そうじゃなくて、もっと身近で、切実で、肝心なものがあるはずなんだ。
そして、その違いは地下三階という局面だけで必要とするものではなく、ダンジョンそのものの攻略において大きく影響するものなのだ。
でも悲しい事にソアラにはそれが何なのか分からない。
「……の…………あの…………いません」
ふいに背後から声をかけられたら気がして振り返る。
眼帯の女主人がテイクアウトの商品を持ってきたのかと思ったら、そこにいるのは別の人物だった。
三つ編みでそばかすの少女。
体つきから同世代に近い気がした。
俯きがちで、大事そうに木製の杖を両手に持ち、もじもじと恥ずかしそうにしている。
目深に被ったトンガリ帽子と、少し煤けた深紫のローブという出で立ちから彼女が魔法使いらしいことは分かった。
「えっと誰?」
「……私……リンネといいます……」
「はあ」
「その……ソアラさんですよね……?」
「そ、そうだけど」
「仲間を捜しているんですよね?」
「えっ」
「……だから……その……よかったら私と仲間になってくれ……ませんか? ……特技は炎系の呪撃です……まだあんまり強くはありません……がグレイモルドくらいなら簡単に倒せる……」
ソアラとしては目の前の三つ編み少女が何を言っているのか分からず状況が飲み込めていなかった。だが遮るよりも先に彼女は勝手に自己紹介を始めていた。
「……好きな食べ物はイチゴジャムをつけたスコーン……嫌いなものは蜘蛛で……あと……あと苦手なモンスターはスケルトン……です!」
「ちょっ、ちょっと待って」
「……?」
仲間になるってどういう事なんだろうか。
自分はアンティークショップの主人にお使いを頼まれてここにきただけだ。他の誰かと人違いをして話しかけているのではないだろうか。
そもそもどうして名前を知っているのだろうか。この迷宮都市に知り合いは極限られた人しかいないはずだ。
ソアラは喉元まで出かかったいくつかの言葉を飲み込んだ。
――ふと気がつく三つ編みの少女の背後、カウンターのすこし離れた場所でいつの間にか戻ってきた眼帯の女主人が両腕を組み、微笑みを浮かべこちらの様子を伺っていた。
そういえばあのアンティークショップに頼まれたメモにはなんと書いてあったのだろう。
「……」
ソアラはそれから自らへ一度もした事のない問いかけをする。
自分は仲間を求めているのだろうかと。
それはこれまで何でもひとりでやってきたソアラにとって考えたことがなかった疑問だ。
「……えっと」
ふいに浮かんできたのは何故か師匠の思い出話だった。
故郷であるノーストンという田舎町で十年ほど前、ゴブリン盗賊団の襲撃があり、まだ幼かったソアラは逃げ遅れ殺されかけた。
そこに駆けつけてくれたのが当時放浪者だった師匠だ。
彼は携えていたファイアソードを抜き放つと、炎の渦を出現させゴブリンたちをあっさりと飲み込み、後に控えていた親玉のオーガをも一撃で葬り去った。
事件後、師匠は乞われて町の剣術の指南役として雇われることになった。
ソアラはすぐに弟子入りし以来、元迷宮都市の探索者だった師匠の思いで話を聞きながら稽古に励んだのだ。
ダンジョンで遭遇した恐ろしいモンスターの話。
誰も知らないような地下の湖の底に眠る財宝の話、
死にそうな目に遭いながらも、それを乗り越え手に入れた数々の冒険譚。
それらの話にはいつでも師匠の仲間たちがいて、だからこそ面白おかしく時には涙させられる事もあった。
そしてそれを聞きながらいつしかソアラは探索者に憧れを抱くようになったのだ。
ここにきてようやくソアラは自分に何が欠けていたのか分かった気がした。
自分に欠けているもの、ダンジョン探索においてもっと根本的で基本的なモノがなにかを。
「……どうしたの?」
三つ編みの少女――リネンが不安そうな顔で、こちらを伺っている。
何かを言わなくてはいけなかった。せっかく自分に声をかけてくれたのに、この大事な機会を不意にしたら、自分は探索者として失格だと言わざるを得ない。
「ス」
「す?」
「ス、スケルトンなら僕に任せてよ!」
頑張って、言葉を絞り出して精一杯の笑みをつくる。声だけでなく全身が緊張で震えていてかなり恥ずかしかったが、自分にしては上出来と言わざるを得なかった。
何故なら彼女--リネンがはにかんでくれたからだ。
「うん、よ……ろしく……!」
「よろしくね」
★
「はあ……あの子はうまくいくだろうか」
「うまくいくと思いますよ」
「ああ、こっそり後を付けて様子を見れば良かったかもしれない。何かあっても助太刀できたろうから」
アネモネは先ほどからずっと同じ場所で掃き掃除を続けては、気が気ではない様子でソアラの事を心配している。
だがフジワラとしては、彼女の手甲が握りしめている箒の柄がミシミシと音を立てているほうを心配していた。
「ちょっと様子を見てこよう」
「アネモネさん、落ち着きましょう」
初めてお使いにいく子供を心配する親みたいだなと思った。
そもそも全身甲冑の彼女が後からこそこそつけたら完全に不審者である。むしろトラブルの原因になりかねないだろう。
「そうか、店長はソアラ君のことはどうでもいいんだな。アイテムにしか興味がない変態だから、他人になんか興味がないんだろう。そうだ。きっとそうなんだこの人でなし」
「ヒドいこと言いますね」
「ああ、すまない。本音とは言え本当にすまない。私はどうかしているらしい」
「まあいつものことだから気にしませんが、アネモネさんこそやけに彼の肩を持ちますね」
「そんな事はない。ただあの子はおそらく一人で何でもやろうとするタイプだ。だからな人に頼ったりするのが苦手なはずなんだ。ああいうのを見ると何故か私は口出ししたくなったりするんだ」
「そうですか」
フジワラは、それはあなた自身によく似てるからかもですねと思った。
アネモネはきっとソアラに昔の自分の姿を重ねたのだろう。
気の合う仲間を見つける前、彼女も同じように誰かに頼ることを知らず、誰にも頼ろうとせず、鬱々としていた時期があったのを思い出す。
「そういえばアネモネさんは地下三階をどうやって攻略したんでしたっけ?」
「ああ? 攻略方法ならいくつも存在するぞ。モルドスライムは盾を使って膂力で圧倒すればすぐに弾けるし、戦闘を避けたいのであれば攻撃を全部かわして逃走すればいい。あのあたりならまだ壁も薄いからツルハシで壊して進む手もあるな」
「もしもし? それは攻略法とは言えませんよ?」
そういえばアネモネがダンジョンの地下十五階を単独走破していた経験がある事を思い出した。
彼女の二つ名である『死の足音』は、鋼鉄の足音が響く通路を追いかけると決まって、モンスターの死骸がごろごろ転がっているという逸話が由来なのだ。
それほどに強情系正面突破な人なのである。
「……ところで店長」
「ええ」
そういえばとアネモネが折れた箒の柄から顔を上げ、こちらに向かってそう言った。
「彼ではなく彼女です」
「……はい?」
一瞬、フジワラは何を言われたのか分からずに軽く首を傾ける。
「ソアラ君は女の子ですから」
「あ、ああ……そうでしたね。言い間違えました」
フジワラはそう言って誤魔化す。内心で驚き、カウンターからずり落ちそうになるもなんとか堪えて、平静を装った。
成程、いわゆる『僕っ子』というやつだったのか。
正直全然気がつけていなかった。確かになんとなく中性的な雰囲気をもった少年だなあとは思ってはいた。
剣士にしては小柄で細身なところがあったし、思い返せば口調や挙動に女の子っぽいところもあった気がする。
まだまだ修行が足りないようだ。人間の方の鑑定眼も磨かねばなるまいと心に誓ったフジワラであった。
◆
鑑別証『ファイアソード』
『汝、穢れた灰眼の蛮族を除くすべての輩に告げる、血を三百二十五滴捧げろ――さすれば世界は酸化せよ、発火せよ、燃焼せよ、ピクトハイム庭の篝火のごとく』
ファイアソードというのはそもそもが模造品の模造品でしかありません。原点は溶岩に棲息する火蜥蜴の古来種『すべてを溶かす赤き長い舌』にあります。名前通りの赤く長い舌に絡めとられたら最後この世のどんなものであれ、燃えながら溶かされ灰すら残らないと言われており、その逸話にインスパイアされ『古き良き魔術師の時代』のユースタン・ヨーツンハイムによって鋳造されたのが、伝説の剣フレイムタンです。携える者に、強力な火の加護を与え、その切れ味はバターでも溶かすみたいに岩や鉄を切り裂くといわれています。ファイアソードは更にそれをモデルに造られたものです。ただし設計の過程で火の加護は失われ、炎による剣撃の強化のみを特性としております。それでも使用時には剣身に炎を纏わせることで通常の斬撃に加えて燃焼によるダメージも与えてくれるその能力は、アンデッドモンスターを始めとする火を苦手とする敵には極めて有効であり、『良質』なものでも市場での相場は二万ゲルン程度と安く、中古武器商店の商品ケースに飾られたそれは、駆け出しの探索者にとって「頑張れば手が届きそうな最初の付与道具」であり憧れの対象でもあります。
以上が、ソアラとリネンがパーティを組むきっかけとなった経緯である。
この駆け出しふたりがまだ誰も到達しえないと言われているダンジョンの深遠を目指すのはもうすこし先の話だ。