金属管のついた硝子容器(未鑑定)
「やあ『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムが御座いましたら是非、お立ち寄り下さい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定いたします。
……おや。貴方の手にされているそのアイテムも付与道具かもしれませんよ?」
久しぶりに訪れた店の前に、黒猫がいた。
「おまえは一体どこからきたのだ?」
背を撫でてやると目を細めにゃあと鳴いて、擦り寄ってくる。
可愛らしい猫だった。
アネモネが店に入ろうと扉を開けると、すくっと猫が起き上がった。
それから開けかけた隙間から店内に入り込んでしまう。
「あっこら!」
アネモネは慌ててその後を追った。
◆
「すまない。猫が入ってしまったんだ」
声をかけたが、返事はなかった。
商品を荒らされたりしたら問題だぞ、と思いながらアネモネは猫を探す。
店内の空気がどこか煙たかった。
むせかえるような甘い匂いもする。
奥に進んでいくにつれ、うっすらと白い靄が漂っており、いつもとは違う店の雰囲気に戸惑った。
「えっと……あの……?」
「やあ甲冑のお嬢さん。いかがしなさったね」
カウンターに見知らぬ女がいた。
褐色肌で、耳がやや尖っているからダークエルフだろう。
彼女は水タバコをぷかぷかふかしながら、台の上に寝そべる黒猫をあやすように撫でていた。
これはもしかしたら入る店を間違えたのではないか、という疑念に襲われる。
「ここは確か付与道具専門店だと思ったのだが?」
「ああそうとも。ここは『古き良き魔術師たちの時代』。ほこりが積もって黴の生えたもんばっかりが売ってる古道具屋さね」
良かった。
自分のよく知っている店で間違いないようだ。
だが目の前にいるこの女性は一体何者なのだろう。
本来、カウンターにいるはずの、あの髪の長い眼鏡の青年の姿はどこ行ってしまったのか。
「あんたが誰かは十分に知っているつもりさ。アネモネ・L・アンバーライトさん」
「……」
「遠征軍を率いた騎士団主導者アドニスの妹。それから遠征軍討伐の英雄といったところだろ?」
「何故それを……」
ダークエルフの女はすべてを見透かすような目をこちらに向けて、微笑んでいる。
彼女とは初対面のはずだ。
会ったこともない自分のことを、何故知っているのか。
「うちの馬鹿弟子に会いに来たんだろ? 悪いがあいつちょいと留守にしていてね」
「……貴女は?」
「私はこの店の店主。アイネ・クライネさ。フジワラの師匠にあたる者だよ」
アネモネはようやく状況を飲み込むことができた。
成る程、フジワラからこの店に主人がいることは話には聞いていた。
だが何となく高齢の男性を想像していたので、彼女がそうとは思い至らなかったのだ。
アネモネは姿勢を正すと、改めて挨拶をする。
「初めまして。アネモネと申します。挨拶が遅れ申し訳ありませんでした」
「そういう固っくるしいのは抜きにしようじゃないか。……さあこっちにきてお座りよ。ちょうど暇をしてたんでお客さんは大歓迎だよ」
「そうですか。では失礼します」
促されるまま事務所兼作業場のソファへ腰掛けた。
何か失敗があってはいけないと緊張しながら、背筋を伸ばす。
「まあそんな顔しなさんな。別にとって食やしないさ」アイネがおかしそうに笑いながらグラスを手渡してくる。「ほらこれでもお飲み」
言われるままに受け取る。
グラスに入っているのは琥珀色の飲み物だ。なんだか分からないが緊張で喉が渇いていたので有り難い、と思いながら口をつけた。
「……でうちの弟子のどこが気に入ったんだい?」
「ぶっ」
思わず噎せた。
だがせき込んだのは唐突な質問のせいだけではない。
喉が灼けるように熱いのだ。
何だこの飲み物!?
「あらもしかして飲めなかったかい。高いのを用意したんだけど残念だねえ」
「えほっ……お……さけ……?」
何てものを飲ませるんだ。
初対面でいきなり酒を勧められるとは思わなかった。
そういえばフジワラが、この人について語る時、苦虫をつぶしたような顔で『傍若無人を絵に描いたような人物』と評していたのを思い出した。
これは確かにその通りかもしれない。
「あの……フジワラ……さんは出かけているんですか?」
「うん。あの馬鹿はダンジョンに行ったな」
「……へ? あの人がダンジョンにですか?」
「何へましなきゃすぐに戻ってくるさ。こんなちっちゃい頃は毎日のように通ってたんだ」
アネモネは驚きの声を上げていた。
現在のフジワラですら、ダンジョンにいる姿が思い浮かびそうにないのに、幼い頃から探索していただなんて、とても信じることができなかった。
もやしっ子ではなかったのか。
「あの頃はクソ生意気だったけどまだ可愛げがあったねえ……。でも今じゃ図体ばっかりおっきくなって、二言目には『仕事して下さい』『散らかしたものは片づけて下さい』『お酒は控えて下さい』『脱いだものは片づけて下さい』『無駄遣いは止めましょう』……ああもう喧しいったらありゃしない」
アイネが頭をかきむしっている。
アネモネは、子供の頃のフジワラを想像していた。
あの眼鏡で、あの長髪のままの少年ーーきっと可愛かったに違いない。
「アネモネちゃんは一体あいつのどこが気に入ったんだい?」
「はっ……へっ?」
「顔かい? 頭かい? まあ性格ってこたあないだろうけど」
「あ……いや……そうではなくて……えっとフジワラさんは何をしにダンジョンへ行ったのですか?」
アイネが興味津々といった様子でこちらにとんでもない質問を投げかけてきたので、強引に話題を変えた。
だが勿論、彼の行方が気になっているのも嘘ではなかった。
「『百鬼夜行』の原因が、何なのかは知っているだろう?」
アネモネは頷く。
組合から話は聞いている。
ダンジョンで死者がアンデッド化する現象はすべて『屍者のオルゴール』という付与道具によって引き起こされているそうだ。
だが百鬼狩りでも捜索を行ったが、結局見つからずに後続にすべてを任せることになった。
「その後続とやらにあいつは参加してるはずさ。付与道具を分析する鑑定師としてね」
「……」
アネモネには心当たりがあった。
地下十四階で、フジワラに似た人物を見かけたのを覚えている。
多分あれが彼だったのだ。
「……何故、声をかけてくれなかったのだろう」
言ってくれれば強引にでもついて行っただろう。護衛でも何でもできたはずだ。
だが彼はそうしなかった。
きっと言えば余計な負担をかけると思ったのだ。
普段は鈍いくせに、肝心なところで気を回してくる人だった。
彼がダンジョンへと赴いた理由も、恐らくはアネモネに協力しようとしてくれたからだろう。
……ならば何も言うまい。
アネモネは思った。
この件は彼自身の口から語ってくれるその時まで、黙っていよう。
代わりに自分はこの恩を胸に刻もう。
何があっても決して忘れない。
そして例え一生涯かけてでも彼に報いよう。
「それにしても何だろうね……。あいつは本来、そんな事をしに行くような性格じゃなかったんだ。この都市なんてどどうでもいい、他人がどうなろうと知ったこっちゃない。自分のことだけで精一杯って、思っている奴だのさ」
アイネが溜息混じりにそう言ってくる。
いつの間にか知らない一面を見せ始めた我が子に動揺している母親のようでもあった。
「あの人はすこし意地悪なところはありますが、とても優しい人だと思います」
「……そうかい」アイネは頷いた。「なら、あのぼんくらも成長したんだね。色んな客に出逢って、アネモネちゃんにも出逢ってさ」
その口元にはどこか嬉しそうなどこか寂しそうな微笑を浮かべていた。
「ねえアネモネちゃん。あんたはこれから暇かい?」
アイネが椅子から立ち上がりながら、そう訊いてくる。
「ええ。特に用事はありませんが」
「なら、ちょっとした昔話に付き合っておくれよ。あいつがここに来たときの話が急にしたくなったんだ」
「是非とも聞かせて下さい」
フジワラがどんな子供だったのか興味がある。
あの彼が一体どうやって、ダンジョン探索など出来たのだろうか。
そもそも彼は何を求めて探索者になり、何がきっかけとなってアイネに弟子入りをして鑑定師となったのか。
「その前に、飲み物とお菓子くらいは用意しようかね」
アイネはそう言って立ち上がると、とっておきの冗談を思い出したようにこう続けてきた。
「そうだね。例えばカフェオレとビスケットなんてのはどうだろう?」
アネモネは思わず苦笑いしながら「大好物です」と告げた。
恐らくアイネには何もかもお見通しなのだろう。
それから「お手伝いします」と言ってその後に続いた。
◆
『錬金術士の煙管(良品)』
師匠の愛用品で、水煙草を吸うための喫煙器具です。
ただの嗜好品ではなく、薬師や錬金術師などが探索などに用いるものでもあり、硝子容器のなかに魔法薬を投じると、その効果を薄れさせることなく周囲にまで行き渡らせる事が可能になります。
ちなみに師匠が店内でよく吸っている香りは林檎。この甘い匂いには他人に緊張を解き、会話を弾ませる効果があるそうです。
まあ勿論、彼女の場合、自分が吸いたいから吸っているだけなんですけどね。
以上が、アネモネとアイネの出会いの経緯である。
アイネが語って聞かせたフジワラの少年時代についてはいずれ語られるだろう。
◆
……という事で連続更新はここまで!
すでに文庫版をお手にとられた方々はお気づきかもしれませんが、以降の書籍版はありません。
力及ばず申し訳ありませんm( )m
ただWEB版についてはこのまま、
マイペースにやっていこうと思っていますので宜しくお願い致します。
多分、この先はフジワラの過去話か、ソアラたちの話になるかなーと思います。




