複雑な文字の刻まれた鎚(未鑑定)
「やあ『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムが御座いましたら是非、お立ち寄り下さい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定いたします。
……おや。貴方の手にされているそのアイテムも付与道具かもしれませんよ?」
やあどうもアネモネちゃん、坊主はいるかい?
えっ用事に出かけちまったのか。
折角、このトリスタン様がやってきたっていうのに間が悪いなあ。
すぐ戻ってくるって? なら待たせてもらうとするか。
……ああすまないね。
アネモネちゃんの入れてくれたこの珈琲が飲めるなら、おりゃあ幸せさ。
どうだい最近調子は? 坊主とはうまくやってるかい?
そんなに照れなくっていいさ。
仲がいいならそいつは何よりだ。
俺たちゃはまあぼちぼちさ。
老い先短い爺さんはその日に飲めるだけの酒代を稼げりゃいいからな。
ああそういえばそうだ。
ちょっと聞いてくれよ。
前回の探索は本当に大変だったんだ。
うちにマンションていう爺様がいるだろ?
まあうちのパーティはみんな爺様なんだがね。
そうそう、あの腹がでっぷりした大柄のドワーフだよ。
何喰ったらあんな巨体になるのか分かんねえけど、とにかくあいつは何でも喰う奴なんだよ。
ドワーフの癖に酒は飲めねえんだが、いつでも何かしら口に入れてもごもごさせてる。
おまけに口癖が『腹が減ったのう』だ。
いや惚けてるわけじゃねえんだ。
あいつは兎に角、食いしん坊なのさ。
見ていて胃袋が壊れてるんじゃないかって心配になるくらいだ。
やつが『もう食べられない』って言葉を吐くときは多分、夢を見てる時だけだろうね。
だがまあそんな食いしん坊でもうちの『老頭児』には欠かせない面子だ。
唯一の前衛職にして不屈の戦士。
多分、武器の腕前だけなら♦持ちのなかでも随一だろうな。
まあとにかくそいつが新しい武器を手に入れてね。
『破壊の鉄槌』ってやつなんだが、これがまたすげえ代物なんだ。
ダンジョンの壁や柱でもガンガン壊せるし、ゴーレムくらい一撃で沈められる。
兎に角、頼もしい武器なんだよ。
だから手に入れた直後は俺たちも喜んだね。
これで戦闘は結構楽になるって思ったさ。
でも厄介なことに、こいつには致命的な欠点があったんだ。
聞けばアネモネちゃんは大した事ねえって思うかもしれない。
でもこれは間違いなく問題だ。
一体何だと思う?
……振るう度に腹が減るつうんだよ。
付与道具の代償ってやつだね。
『汝、自らの糧を捧げよ』って事らしい。
言うまでもなくダンジョン探索において空腹ってのは最大の敵のひとつだ。
場合によっては大型のモンスターなんかよりよっぽどやっかいかもしれねえ。
何せ逃げきりようがねえからな。
こいつは本当に難しい問題だ。
探索者っていうのは腕を上げれば上げる程、食料問題に頭を悩ませることになるのさ。
何故ならダンジョンの奥に進めるってことは、つまりそれだけ沢山の食料が必要になってくるってことだ。
でも一度に持っていける量にも限界がある。
幸いうちには魔法の鞄がいくつかあって、そのうちのひとつを食料庫代わりにに使ってる。
大きな箪笥程度くらいの空間はあるかな。
ただ実際はマンションのやつが大食らいなせいで、きりつめても一週間と持たない。
探索の帰りくらいになるとあいつはよくふてくされるんだ。
『こんなんじゃ足りないのう』とか『腹減ったのう』ってな。
子供ねえんだから我慢しろって言うんだけどさ、あいつにとっては大問題。
空腹は天敵なんだ。
何でも子供の頃に、森で迷子になって餓死しそうになったことがあるらしい。そんでそこで知り合った子山羊を泣きながら喰ったんだと。
その時から腹が減ると無性に辛くなるそうなんだ。
まあそういった関係で、『破壊の鉄槌』はここぞって時だけに使うって決まりになった。
とんでもなく強いモンスターと遭遇したり、戦闘で死んじまいそうな時とかな。
……でも嬢ちゃんも分かってると思うけどさ、探索者ってのは常に命がけのお仕事だ。
ここぞって場面にはよくよく遭遇するもんだろ。
まあそれでもあの日は運が悪かった方かな。
えらい手強いモンスターにばかり出くわしちまったんだ。
まず殺戮人形だろ。
それから大鬼。
極めつけは幼竜だ。
そいつらが立て続けにやってきたせいで、マンションは何度も破壊の鎚を振るわなきゃいけなくなった。
まあその威力たるや凄まじいもんで、正直こっちはやることがないくらいだったけどね。
で、その度にマンションは『腹減った』って飯を食べた。
勿論、俺たちも遠慮なく食べさせたさ。
まあ仕方ねえもん。唯一の前衛職を餓死させるわけにゃいかねえ。
おかげで何度目かの戦闘の後、食料が尽きちまったんだ。
こうなるとマンションだけの問題じゃなくなってくるだろ。
俺らだって飯は食うんだ。
飲まず食わずでダンジョンを彷徨けるわけでもない。
地上までの道のりはまだそこそこある。
マンションの真似じゃねえけど、みんながみんな『腹減った』って喚きながら階段を上って、ひたすら歩いたよ。
内心、餓死するんじゃねえかと冷や冷やもんだったね。
だが最悪な状況と、最悪な出来事は重なるもんだ。
後はここを超えればなんとか地上に戻れる、ってところでそいつと遭遇しちまった。
牛人だ。
名前くらいは聞いたことがあるだろう。
あの二本足の雄牛の化け物さ。
滅多にお目にかかれねえやつだけど強敵だ。
戦うならまともにやり合うのは難しい相手さ。
逃げるにも一本道の先で通せんぼしてて、迂回もできそうにない状況だった。
できるならマンション先生の鎚の出番を願いたかった。
でももうやつには限界が来ていた。
すでに口癖の『腹が減ったのう』を言わなくなってたし、青い顔でぜーはーぜーはー言っている状態だった。
だから鎚はなしってことになったんだ。
俺らは必死で戦ったよ。
頑張って頑張って、牛人を後一撃ってところまで追い詰めることができた。
だがそこで手が止まっちまった。
主力になってた魔術師がぶっ倒れちまったんだよ。
魔力切れだった。
残念ながら他の連中にも止めを刺せるような強力な手札は残ってない状況だ。
にもかかわらず更にとんでもねえ事が起きた。
牛人のあんにゃろ一匹じゃなかったんだよ。
後からひょこっと顔を出して来やがって二匹に増えやがった。
絶体絶命の状況ってやつだ。
俺は正直積んだな、って思ったね。
だがふと見るとマンションがこっちを向いてた。
目があったんだ。
やつは焦燥しきっていた。
その顔は土気色で頬もこけていて、今にも死にそうな感じだった。
これ以上はとても何かできる状況とは思えなかった。
でもその手にはいつの間にか鎚が握られていた。
それで、やつの目は『やる』って語っていた。
そんな奴に俺ができる事はひとつだけだ。
言ってやった。
『マンション。こいつらぶったおして地上に戻れたらおまえに好きなだけ食いもんを御馳走してやるぞ。いいか好きなもんを好きなだけだ』
次の瞬間、物凄い雄叫びを上げながらマンションが駆け出した。
そして握られた鎚が青白く輝いて、まず負傷した一匹に叩き込まれた。
見上げるほど大きなその身体は、物凄い勢いで壁にめり込むと瓦礫に埋もれて、もうそれ以上は起きあがってこなかった。
まだマンションは止まらない。
残りの一匹と間合いを測るようにしながら対峙した。
正直、分が良いとは言えない相手だった。
何故なら、先に倒れた奴よりも体格が大きくて、獰猛そうだったからだ。
更に言えば馬鹿でかい両手斧を持っていた。
でも競り合ったのは本当に一瞬だった。
次の瞬間、金属のぶつかり合う音がして、両手斧が宙を舞った。
マンションはすでに次の動きに入っていた。
まるで樵が大木を切り崩すように身体を捻り――
敵のすねに一撃を加えた。
それから相手のひざが折れて地面につくよりも前に腹に二撃目。
ずどんと魔術師が火炎弾を放ったときみたいな音だった。
そして止め――
前のめりに崩れ落ちてきた牛人の頭を撃った。
牛そっくりの頭部が粉々に吹き飛んで、残った巨大な身体はゆっくりと地面に伏した。
それで終わりだ。
えらいあっけない感じもしたが、とんでもない戦いだった。
普通はこんなに簡単に蹴りがつく相手じゃないんだ。
あの時のマンションはまさに神がかっていたよ。
それからまた、俺らは死に物狂いで這うようにして地上を目指した。
幸いそこからは何にも起きなかったけどね。
迷宮都市に辿りついて、真っ先に『太陽を見上げる土竜』亭の扉をくぐると、俺たちは叫んだ。
『さあ飯をよこせ!』ってね。
あの時のスープとパンの味は生涯忘れられない。
飯があんなにうまいもんだとは思わなかったよ。
ただマンションは虫の息だった
だから最初は施療院に連れて行くつもりだったんだが、やつは嫌がった。
手当よりも何よりも、まず食い物が欲しいって言った。
だから約束通り好きなものを食べさせることにした。
いやああいつは頼みやがったね。
身代わり羊の丸焼き、卑竜のレアステーキ、島海亀のスープ、暴れ牛のビーフシチュー、お化け魚の煮付け。
美味珍味怪味問わず、メニューの頭から欠までを全部だ。
その喰いっぷりはそりゃあもう凄まじかったよ。
料理の載った皿が、やつの卓に届いた瞬間からみるみるうちに減っていって、あっと言う間に空になっていくんだ。
俺らは途中で食べるのを止めて、次々と堆く積み重なっていく皿の山をぽかんと眺めてたよ。
それでさ聞いて欲しいのはここからなんだ。
あの女主人がもう『勘弁してくれよ』って言ってきたんだ。
食料庫が空になっちまったから、もうこれ以上は料理は出せないんだよって。
マンションはそれでようやく食べる手を止めた。
ナイフとフォークを静かに置いて、口ひげのまわりをふきながら、げっぷをひとつした。
それから膨れ上がった腹を満足そうに撫でて、一言だけ呟いたんだ。
なあ一体、何て言ったと思う?
思わず耳を疑っちまうくらい驚くべき一言だったよ。
『腹が減ったのう』だってさ!
勘弁して欲しいよな全く……。
◆
鑑別書『破滅の鉄槌(高級品)』
『汝、剛力の兵に告ぐ、その身の糧を捧げよ、さすれば世界は圧縮せよ、燃焼せよ、噴出せよ、破壊せよ、ドラクロエの機関の如く』
大昔、要塞都市レテトは『人形遣い』クーリエの率いる鉄の巨人たちによって七日間の攻防を繰り広げましたが、『癇癪持ちの魔女』ターブラが授けたこの『破滅の鉄槌』を用いて、巨人の腰骨を砕き追い返したと言われております。
故に別名『魔女の一撃』。
その言い伝えにもあるようにとても強力な破壊力を持っており、ダンジョンの壁やモンスターなどといとも容易く粉々にする事ができてしまいます。
但し、使用者は代償として眩暈がするほどの空腹に襲われてしまうようで、何度も連発をする事ができないので御注意を。
お買い求めの際には非常食も併せて購入されることをお勧めいたします。
◆
「えっ、トリスタンさん帰っちゃったんですか?」
「なんか話し終えたら満足して酒場に行くって言ってたぞ」
「一体、何の用事だったんだろう……」
以上が、マンションの『お腹空いた』事件の全貌である。
彼らの『もっと怪物が食べたい』事件についてはまた別の機会に語られる事だろう。
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『迷宮都市のアンティークショップ』3巻が
ファミ通文庫様より11月30日に発売される予定です。
ニヤニヤできる描き下ろしをふたつ書きましたのでどうぞ宜しくー♪