微熱を帯びたショートソード(未鑑定) ④
眼鏡を外して、エプロンの腹部の位置にあるポケットに突っ込むと、代わりにいつもの小道具を取り出す。
まずはゴムバンド。
長い髪を束ねて結んだ。
それから黒い短筒を片目にはめ込む。
アイテムの細部を見るためには欠かすことのできない拡大鏡だ。
更に白手袋をはめる。言うまでもなく依頼人の預かりものに余計な指紋をつけない為のものだ。
これが鑑定士としての正装。
後は鹿皮のクロスが敷かれた台を取り出してカウンターの上に置けば、作業場の完成である。
「さて。見ていて下さい」
フジワラはソアラから預かったファイアソードを皮鞘から抜くと、抜き身だけを作業台の上に置いた。
まず剣先のあたりを人差し指で触れる。ゆっくりと剣身を樋に向かって何かを探るようになぞる。
フジワラは人差し指を、剣身の刻印が浮いている部分に置いて何かを呟く。それは魔術師が使う体内の魔力を外側に放出する為の初歩的な呪文だ。
先程の魔力を外側に放出するそれに加え、今度は隠蔽されているものを明らかにする効果を加える。
「これは……」
「これが魔術を用いずに魔法現象を発生させる技術――」
指先の下にある剣身が小さく反響音を鳴らした後、意匠を中心に青白い筋がまるで血管が浮き上がるように伸び、枝分かれし、広がり、奇妙な模様のようなものを形成していく。
よく見ればそれらは無数の魔術文字によって構成されており見るものが見れば抽象絵画や設計図のようにも見える。
「いわゆる魔術回路です」
ある学者はこれについて複雑怪奇な歯車が組み合わさった機械仕掛けのようなものだと語った。
またある詩人はあらゆる言葉遊びとが詰め込まれた詩の完成形だと語った。
だがフジワラを始めとする鑑定士や魔術師なんかに言わせれば最もよく似ているのは契約書だ。
そもそも魔術とは世界との有償契約行為。
その原理は呪文や身振りや呪具による『言語』を介在させることで世界と会話し、承認をもらい、魔力を通貨として、何らかの現象を引き出すというもの。
その原理を文字で代行させているのが魔術回路である。
そしてこれは基本的に三つ約款によって構成されている。
すなわち『資格』『代償』『報酬』。
『資格』とは、契約の当事者になる為――つまり道具の能力を使用するための資格の事。
実際にあるものを例にすると、「盗賊のみが扱える」とか「戦場で戦う場合のみ扱える」など。
それ以外にも血筋や年齢制限など本人の意志ではどうしようもない縛りも存在する。
『代償』とは、能力を使う際に支払うべき対価の事。
これについては稀に金銭や、髪の毛などを要求される場合もある(大抵の場合、焼却する)が、大抵の場合はまず間違いなく使用者の魔力が求められると考えていい。
『報酬』とは世界から得ることのできる魔法現象の事。
先に述べた二点がクリアされなければ引き出されないのは言うまでもない事だが、その難易度が高ければ高いほど効果・威力は絶大になる。
つまり――。
「これを読み取ることで、どういう条件下でなら使用できるのか、使用するために何をどれだけ費やせばいいのか、能力と威力などが分かりるんです」
「どうやれば剣から炎を出せるのか分かる……」
「そういう事です」
喋りながらフジワラは解析を行っていく。
単眼鏡越しに剣身の表面に刻まれた模様を眺めながら、時折羽根ペンで何かを走り書きをする。
一見地味で単調な作業だが、その見た目とは裏腹に持てる知識と知能と神経を総動員していた。
暗号と言って差し支えのない程に複雑に入り組んだ言葉の迷路を攻略するのは容易なことではないのだ。
まあ嫌いな作業じゃないんですけどね。
単語やフレーズに隠された符丁や隠語を見つけ出して変換――。
所定のアルゴリズムに従って置換と転換――。
言葉をパズルのように解きほぐし出来上がった文節を切り張りして接合――。
不要な修飾語を削除してはまた接合――。
常人ならば気が狂いそうになるような作業の繰り返しに、フジワラは口の端から笑みがこぼれてくるのを自覚した。
彼はむしろこういう事に楽しさを覚えるタイプなのだ(まあそれ故にアネモネからは変態呼ばわりされるのだが)。
◆
やがて少しずつ解読された言葉が積み重なっていき、ひとつの意味のある文章として姿を顕わしていく。
『汝、穢れた灰眼の蛮族を除くすべての輩に告げる、血を三百二十五滴捧げろ――さすれば世界は酸化せよ、発火せよ、燃焼せよ、ピクトハイム庭の篝火のごとく』
ほんの一文節ですら膨大な量の魔術文字が費やされている魔術回路を限界まで短く圧縮、要約、抽象化したのがこれ。
小説で言えばあらすじのようなものだ。
一見意味不明な詩か謎かけかの類にしか思えないその文章はもはや調べるまでもないくらい丸裸になったも同然である。
フジワラはその意味をひとつひとつ吟味していく。
まず『資格』についての記述である『汝、穢れた灰眼の蛮族を除くすべての輩に告げる』のくだり。
これは簡単に言えば、灰眼の蛮族でなければ誰であれ使用可能であるという意味だ。何故、そのような制約がついたのかの経緯を想像するのは容易だ。かつて魔術師たちは灰眼族と呼ばれる蛮族たちと戦争をしていたのである。そして彼らは絶滅させられもやは地上には残っていなかった。
次に『代償』についての記述である『血を三百二十五滴捧げろ』のくだり。
ここで求められるのは血そのものではなく、三百二十五滴分の血液に含まれる魔力の事である。
血中の魔力含有率は種族差、個人差が大きく製作当時の一般的な人間が基準であるはずなのであまり参考にはならない値だが、初歩的な攻撃呪文の消費量が血液五百滴前後であることを考えると身体の負担にならない程度の量だろう
(余談だが人間は体内を流れる血液の半分以上、約四万滴分の魔力を失うと著しい精神的失調に陥るかショック死に至るとされている)。
そして『報酬』についての記述は後半の『さすれば世界は酸化せよ、発火せよ、燃焼せよ、ピクトハイム庭の篝火のごとく』のくだりはすべてだ。
前半の炎を発生させるに至る流れについては説明不要だろう。
ここで重要なのは、後半の『ピクトハイム庭の篝火のごとく』の部分。
これは炎の質と規模を示すもので、古い物語に登場する小人たちが祝祭をする際に焚く篝火のこと。
炎の規模としてはダンジョンで使用する照明用の松明を三本重ねた程度の大きさのもので、武器を強化するにしては十分な量であると言える。
★
「結論から言えば、この剣の品質は『粗悪品』ではありません」
フジワラは嘆願鏡を外し、ポケットにしまう。
それから鑑定台の上に乗せていたショートソードを鞘に納め、留め金をかけてから、落としたりしないように両手で持ち主へと渡す。
「ソアラさんはアイテムの品質についてはご存知ですか」
「ええ、それは」
品質というのは大陸商業連合会が始めた制度である。作り手、素材、能力差などの違いについて知識のない層でも安心して買い物ができるよう、 アイテムに五段階で格付けを行うというものだ。
『高級品』『良品』『無印』『粗悪品』『役立たず』。
言うまでもなくその等級は売買に大きく影響する。またその善し悪しについて大まかな決まりはあるものの、細かい裁量については、アイテムを取り扱う商人の匙加減によるところが大きい。だから商店で何かを購入するときにはいいのかもしれないが、売るときには買いたたかれる場合もありえる。一概に良い制度とは言えなかったりもするが今では連合会の傘下商店以外にも広まり普通に行われている。
「このファイアソードはほぼ誰にでも使用することができ、失う魔力は少量、炎の威力もそれなり。性能としては良質であるとは言えますがひとつだけ問題があります」
「……」
「魔術回路の導線が非常に粗雑なんです。これのせいで魔力の循環が阻害されている。恐らく貴方が扱えなかった理由もこれでしょう」
「じゃあ欠陥品という事ですか」
「いえ、扱うことはできます。ただ通常よりも扱いが難しいんです。これを扱うには初歩的な魔術を修得しないといけません」
「それを覚えるのにはどれくらいかかりますか?」
「最短でも、半年近く魔術の修練を行わないといけません」
「……」
ソアラは俯いて、じっと手の中の剣を見つめている。
確かにファイアソードの総合的な価値は最初に想像していたほど悪いものではなかった。
むしろかなり良い結果だと言えた。
品質としては『難物』という評価が妥当だろう。
あまり馴染みのないものだが『無印』と同等だと考えればいい。売却するにしても『粗悪品』とは大きく差をつけて高額だ
だがソアラが望んでいるのはそういう事ではない。
彼が鑑定で知りたかった事は、剣の一般的な価値ではなく、どうすれば使いこなせるか、だった。
★
『餞別にこいつをやろう』
ソアラが探索者になる為、田舎町を出る日、見送りにきてくれた師匠が鼻をほじりながら手渡してきたのは、彼が愛用している剣だった。
思いがけない贈り物にソアラはすぐに言葉が出なかった。
『知っての通り、こいつはおれが現役時代に手に入れた獲物だ。じゃじゃ馬だから、どうせお前には扱えきれんだろう』
涙ぐみながら「大切にします」と礼を言ったら『そうじゃねえよ。さっさと売って、装備を整える足しにしろって事だよ、ダ阿保』と拳骨が落ちてきた。
頭を押さえながら涙目で、『このくそジジイ絶対に使いこなしてやるぞ』『見返してやるからな』とソアラは言い返した。
あの時の拳骨の痛さは今でも覚えている。
勿論、嬉しかったからだ。
★
実のところソアラはそこまで落ち込んでいるわけではなかった。
ここを訪れる前にも、すでに何軒もの商店を回って鑑定しており、それらの店で『炎が出ないかもしれない欠陥品』である事は聞いていた。
ただ駆け出しの探索者であるソアラをまともな客として扱ってくれるところはなく、ろくに検分もして貰えなかった為、その結果を、納得して諦めることもできないでいたのだ。
だから望まない結果にはなってしまったがむしろこの『|古き良き魔術師たちの時代』で鑑定してもらって満足している。
『修練次第では扱えるかもしれない』という新しい事実を聞くことができたし、何より剣が扱えないのだという事実を、ようやく納得することができたからだ。
「店長さん、お願いがあります」。
ソアラは受け取った剣を強く握りしめてから決意し、再びカウンターの上へと戻した。
「この子を、この店で買い取ってもらうことはできますか?」
「可能ですが何故……?」
「僕には魔法の訓練をするほどの金銭的余裕がありません」
故郷を出る時に用意していた資金はもう底を尽きかけていた。このまま探索者としての稼ぎを安定させなければすぐに迷宮都市での生活を続けていくこともできなくなるだろう。
「だからこれを売ったお金で、新しい付与武器を手に入れて地下三階を攻略するつもりです」
本当はもっとうまいやり方や、正しいやり方があるのかもしれない。
これは間違った選択なのかもしれない。
勿論、師匠から貰った大切な物を売りたくはない。できるなら扱えるようになるまで大事に持っておきたい。
でも今の自分にはこれしか思いつけない。
それに今できることをせず、このまま目の前のことから逃げ出すほうが嫌だった。
「分かりました」
フジワラは頷きながら、カウンターに乗せられた剣を取り上げる。
「でしたらファイアソードを売却した金額で、貴方にふさわしい武器を見繕いましょう」
「本当ですか。ありがとうございます」
それは願ってもない申し出だった。
こちらからお願いしようと思っていたくらいなのだ。
ソアラはここにきて本当によかったと思った。大事な剣を手放すことになったのは惜しかったが扱いこなせない以上、仕方がないし高望みはできない。何よりこれ以上の結果はないだろう。
――だが。
「……と答えるのが模範的な商人としての回答なんでしょうが」
フジワラは人差し指で眼鏡の位置を直しながら言った。
「生憎、ここはお節介な鑑定師の店ですので、お断り致します」