屍者のオルゴール(未鑑定)⑥
『屍者のオルゴール』を前にして、フジワラは依然として腕組みをし続けている。
すでに鑑定作業は終わっているらしいのだが、そこから手が止まり、長考に入ってしまったのである。
解析の結果、この付与道具には三重の魔術がかけられている事が判明したようだ。
ひとつは付与道具としての能力。
これは使用者の魂と引き換えに強力な死霊魔術技能を身につけることができるというもの。あのカリギュラはこの力によって、アンデッドモンスターを従えたり、自らを死の王というアンデッドの上位種に変えたりしていたようだ。
もうひとつはオルゴールの音色が奏でる魔術楽曲。
これは死者の魂の一部を強制的に徴収し、屍者に換えてしまうというもの。要は百鬼夜行の原因だ。ちなみに得た魂は、オルゴールの内部機関を回し続ける糧や、使用者の死霊魔術の補助に回されるようだ。
そして最後に呪い。
これはオルゴールの製作者、もしくはかつての使用者の怨念がこびりつき魔術回路化したものだそう。そこには『演奏を妨げた者の魂を汚す』と記されており、オルゴールの蓋に触れでもしようものなら、かなり広範囲にまで及ぶ『絶叫』が発生。耳にした者の精神を汚染し、発狂死させるようだ。
つまり『百鬼夜行』を止めるには、オルゴールを止めなくてはいけないのだが、呪いが邪魔になる。発動条件は、オルゴールに触れる触れないは問題ではなく、音楽そのものを止める事なので、迂闊に手を出すことができないのだ。
「呪いを受けずにオルゴールを止める術はないのですか?」
険しい表情をしたまま沈黙を続けるフジワラに、イゴールは尋ねる。
この男がまだ仕事を続けるという姿勢を見せている以上、手出しをするつもりはない。だがもし「諦める」の一言を口にすれば、その時はこの身と引き換えにでも、例え部下や彼に被害を及ぼすことになってでも、蓋を閉めるつもりでいた。
「呪いを回避する事自体は簡単です」
「……?」
それは意外な返答だった。
「この付与道具は演奏を邪魔されるのが嫌なだけなんです。つまりは曲が途切れるフィナーレまで待てば――」
フジワラは説明をしながら、おもむろに『屍者のオルゴール』に触れると、そっと蓋を閉めた。
「ほら、この通りです」
「おお……?」
楽曲はきりのいいところで途切れ、それきり沈黙する。
彼の言っていた呪いとやらも起きる気配がない。
「……だがそうなると、フジワラ殿。貴方は何を悩んでおられるのですか?」
依然としてフジワラの表情は険しいままだった。
『百鬼夜行幻想曲』さえ止めてしまえば、死者が屍者になる現象は止まる。それこそがこの迷宮都市の悲願。
それが達成できた今、これ以上、何を悩む必要があるのだろう。
「自分も、当初はこれで全て片がつくと思っていました。……でも残念ながら、そうではありません。何故なら『百鬼夜行』を止めても、すでに発生している屍者たちが消滅するわけではないのです」
「……」
イゴールは息を呑む。
先刻、カリギュラは紅い餓者髑髏を追って広間から消えてしまった。その行動について抱いていた疑問が氷解する。
やつが大切なはずの『屍者のオルゴール』に目もくれなかったのは何故か。
それは、そうする必要がなかったからだ。
まだこの広間の外、城の敷地には無数のアンデッドモンスターたちがうごめいている。それを従えている以上、いつでも取り戻せると考えていたのである。
◆
「全く……よくもやってくれたものだねえ。あの付与道具使いのせいで、せっかくのお気に入りが台無しじゃないかあ」
ようやく紅い餓者髑髏を沈めることができた。
言うことを聞かない、屍者は必要ない。ましてや動かなくなればただの屍だ。何の利用価値もなくなったのだから、せめて他の屍者の糧にさせるより他ない。
ごり……ぼり……と骨を貪り始める音が聞こえてくる。
「……まあいいさ。紅い餓者髑髏が一匹、消えようが何も支障はない。まだとっておきの屍者がたくさんいるんだからね」
希望を与えながら、真綿でじわじわじ絞め殺すのはもうやめよう。
何も分かっていない彼らに本当の絶望というものを教えてやろう。
どんなにあがこうが自分に勝ち目がないことを思い知らせてやろう
その時に彼らの表情に浮かぶだろうその絶望を思い浮かべて、カリギュラは恍惚とした気分に浸った。
◆
ずん、ずん、ずん。
突如起きた地響き。それは床だけではなく、広間全体を激しく揺らしている。
「これは……!?」
「まずいですね」
どうやら壁の外側から、巨大な何かが強い力が衝撃を加えているようだ。
城を壊そうとしているに違いない。
柱が激しく揺れ、天井から大量の埃と共に、シャンデリアや木細工などが次々に落下してくる。
瓦礫によって退路をふさがれてしまった今、元きた道を引き返し逃げる術はない。
幸い『聖なる旗』の恩恵がまだ継続しておりイゴールたちの身は聖域に守られていたが、これから訪れるだろう最悪に対しての焦燥感は高まる一方だった。
「――!!」
そしてついに広間の壁面が完全に崩壊する。
向こう側――つまり城の外側が露わになると、そこに広がっているのは悪夢のような光景だった。
まず現れたのは巨大な骸骨だ。
城を見下ろすような背丈のその化け物が、崩れかけた城壁を掴んで崩しながら、こちらをぎょろりと見下ろしてくる。
骨格は血を煮詰めたような、もしくは心臓へ送り出される血で塗り固めたような色――黒。
体格から考えても、あの紅い餓者髑髏の更に上位種にあたる存在で間違いないようだ。
そして、何より絶望的なのは、その背後に見える二の丸一帯。
その敷地を覆い尽くさんばかりに溢れかえるアンデッドモンスターたち。その数は遠征軍の比ではないように思えた。
どこからともなく響いてくるカリギュラの嘲笑。
「オルゴールを止めることができたのは褒めてやってもいいよ。おかげで僕は新しく屍者を得る術を失ったからね。……でも、それだけだ。未だこの手にはこれだけの軍勢がいる。何なら少し猶予をあげてもいい。さっきみたいに得意の付与道具を繰り出してみたらいいさ。好きなだけ凍らしてもいいし燃やしたりすればいい。勿論、それでどうにかできる数とは思えないけどねえ」
やつは勝利を確信しているのだろう。
フジワラはすでに先の卵で、手持ちの道具を使い果たしてしまったと言っていた。だから彼の力で現状を打開する事は不可能だ。大体、この状況は普通、付与道具で解決できる数ではない。例え、万全の状態の百鬼狩りがそろっていても何とかなる規模ではないだろう。
だがそれでもイゴールは是が非でも『百鬼夜行』を食い止めるつもりでいた。
誰か一人でもここから逃げ出し、『屍者のオルゴール』を安全圏まで持っていくことができればこちらの勝ちだ。
勿論その算段はない。
だが幸い聖域のおかげでイゴール以外にも、配下のなかに動けまで回復できた者もいる。何とか時間稼ぎをしている間に、フジワラを含めた数人だけでも逃すことができれば、きっと地上への道のりを切り開けるはずだった。
「フジワラ殿――!?」
だが声をかけるよりも先にフジワラがたった一人、前へと進み出そうとしていた。
ぎょっとし、一瞬、彼の正気を疑う。何故なら、彼の手のなかにあるものを見て、これから始めようとしている企てに気づいたからだ。
「貴方は一体何をするつもりですか?」
その横顔にあったのは普段の穏やかな表情ではない。だがここを死に場所にするという諦念も、どうにかして逃げのびようという焦りも見えない。わずかに伺えたのは何かを決めたという決意だけだ。
「イゴールさんできればそのまま聖域にいて下さい」
「勝算はあるのでしょうね?」
「……すいません。でもこれがベストな方法だと思います」
仕方あるまい。
イゴールは溜息をつき、彼にすべてを託すことにした。
続きは本日中にアップされる予定です。




