屍者のオルゴール(未鑑定)⑤
書を開くと、そこにあるのは一切が記されていないただの白紙。
それが風に晒されたようにばらばらと音を立ててめくれて、大量に中空を舞っていく。
その一枚一枚が未だ動けずにいるアンデッドモンスターたちへと襲いかかったかと思うと、何故かあちこちで火の手とうめき声が上がる。
「あはははははは。あははははははは。辺りが火の海だ。こいつは『すべてを葬る書』じゃないか。初代西王が焚書で用いた魔導書だ。なかなか良い趣味だ。愉快だねえ。楽しいねえ」
イゴールは正直呆れていた。
これではまるで曲芸場ではないか。
目の前で戦っている鑑定士には、一体幾つ引き出しがあるのだろう。
付与道具は本来、所持して多くても二、三種、使用する場面も、ここぞという時に限られてくる。
何故ならまず『資格』の問題がある。職業、性別、種族、血筋、技能、経歴、条件は様々だが、扱うには自分と適合するものでなければならない。それを見つけるのだけでも大変なのだ。
そして何より使用には魔力が必要になる。効果が大きければ大きい程、支払うべき代償も莫大になる。身体を流れる魔力には限りがあるから、乱用は時として死を招く事になるだろう。
だからイゴールは他に知らない。
こんなにも多彩で強力な付与道具を、湯水のように当たり前に扱うことのできる人物を
だがしかし、それでも尚、彼でさえ及ばない。
状況は未だ変わらない。
あれだけの攻撃を続けても尚、あの紅い化け物には決定打と呼べるような一撃を与えることができずにいる。
骨格にまとわりついた魔導書の頁がどれだけ燃え盛ろうとも紅の餓沙髑髏は平然としている。
目玉をぎょろりと動かし、再びフジワラを標的に定めて、更にもう一歩床を揺らしながら前に進んでくる。
「確かにアンデッドモンスターは火が弱点だよお。狙いどころは悪くない。でもねえ僕の紅い餓沙髑髏は城塞一個分の守りと兵力を兼ね備えている超稀少種なんだ。もうちょっと頑張らないと傷ひとつ負わせられないんじゃないかなあ?」
カリギュラが嘲笑う。
フジワラが気圧されるように一歩後ずさる。
腰巻き鞄に手をのばしたまま、何かを躊躇するようで、化け物を見上げたまま立ち尽くしている。
魔力が途切れたのか、もしくはめぼしい道具を出し尽くしてしまったのかは分からないが、もう打つ手がないようにも見える。
「……さあて宣言しておこうかな。こちらが後三歩踏み出せば、君は負ける事になる」
「……」
「何故ならその面倒な天秤を踏み潰せるからだ。そいつは壊すか、床から動かすかすれば効力を失う代物だろ? 紅い餓沙髑髏が自由になったら、遊びの時間はおしまいにするよお?」
イゴールは絶望的な気分になっていた。
◆
フジワラは剣や魔法をろくに扱えない。
更に喘息持ちで、体力もろくにない。
代わりに鑑定で身につけた知識と、ダンジョンで収集した道具を駆使して戦う術を磨いてきた。
だから在庫が尽きない限りは戦い続けることができる。
だが相手は手強い。
『円卓』を持っていたあの頃ならまだしも、めぼしい付与道具も殆ど使い果たしてしまった現在の在庫状況では、これ以上の善戦は正直難しい。
それに、そろそろ限界もくる頃だ。
身体の方はまだ保つ。
問題は、あちこちから聞こえてくるミシミシと軋む、もしくはピシリと亀裂のはいる嫌な音。
フジワラが身に付けている装備品――身体能力強化系の付与道具たちの悲鳴だ。
戦闘中では魔力の加減がおざなりになり、限界以上に能力を引き出してしまうせいで疲労状態になっている。これ以上、使用を続ければ、負荷に耐えきれなくなり次々に破損していくだろう。
そうなればフジワラは駆け出しの探索者にも力で負けるようなやわな身体に戻る事になる。
勝ち目はなくなるだろう。
「……勿体ないけどあれを使うか」
魔法の腰掛け鞄に手を伸ばし、それを指の感触で探り当てる。
手持ちで状況を打破できるのはこれだけだろう。
一度使ったら消えてしまう消耗品。
据え置き価格で六百万ゲルン。
フジワラにとって、万が一店を解雇されたときに食いつないでいく為の、大事な財産。
だが今回は涙を飲むとしようではないか。
取り出したのは見るからに奇妙な卵だ。
色彩豊かな模様が施されており、天辺には王冠の飾りが、底には脚がとりつけられている。
「……何だいそれは?」
「御存知ありませんか? 『復活の卵』。ダンジョンの至る場所に隠されているポピュラーアイテムです。中には様々な魔術が封じ込められているんです」
「それくらいは知っているよ。ついでに言えばどんな魔術が入っているかは分からない上、せいぜいが中級魔術程度の効果しかない役立たずの代物だ。実に無意味だ。そんな凡庸品を使ったところで紅い餓沙髑髏に効果はない」
だがフジワラはカリギュラには構わず、それを紅い餓沙髑髏に向かって投げ放つ。
狙い通り、足元の辺りに落ち、割れた。
紅い餓沙髑髏が何だろうというような仕草で足元をのぞいているなか、殻からとろりと溢れでた黄金の光が液体のような動きで、床の上で、勝手に動き出し文字や図形をつらつらと描きだし始める。
「『復活の卵』には、極稀に『高貴なる復活の卵』と呼ばれる種が存在するのは御存知ですか? それは『古き良き魔術師たちの時代』よりも遙か大昔に存在したとされる強力な魔法を封じ込めた稀少品です」
「……」
魔法陣が完成した。
同時に、どこからともなく軽妙な音楽が溢れだし、円環の内側では何故か草木が芽吹き、あちこちで花が咲き乱れる。
無数の花の蕾のなかには見目麗しい小さな妖精。
彼女たちはあくびをしながら、背中の羽でくるくると一斉に飛び周り、紅餓沙髑髏の眼前まで辿りつく。
そして思い思いの場所に口づけをすると、次の瞬間、彼女たち自身も、音楽も、植物も、魔法陣も夢幻の如く消えてしまう。
だが、ただそれだけだ。
それ以上は何も起きない。
紅餓沙髑髏の身体には特に変化は訪れない。
燃えさかることもしなければ、酸化して崩れ落ちることもない。
代わりに、使命を思い出したかのように動き出した紅い餓沙髑髏が前進。
ついに三歩目に至り、天秤を踏み潰すことに成功してしまう。
「……で?」というカリギュラの失望のこもった問いかけ。
不発。
その場にいる誰もがそう思ったに違いない。
だがフジワラだけは成功を確信していた。
何故なら、確実に卵は役目を果たしたからだ。
その証拠に、自由になったはずの紅い餓沙髑髏はそれきり何もしてこない。
自分が目の前にいるにも関わらず危害を加えようとしない。
そればかりか――
紅い餓沙髑髏静かに動き出すと、まるで騎士が忠誠を示すかのごとく片膝をつき、かしづいてくれる。
「なっ……馬鹿な……」
カリギュラが絶句する。
彼の魔術による支配から、紅い餓沙髑髏静が抜け出した事、に驚いているのだろう。
今の卵には見立て通り『魅了』の魔術が入っていた。
勿論ただの魔術ではないので他者が使役するアンデッドモンスターすらも虜にする代物だ。
「……というわけ紅い餓沙髑髏さんでしたっけ? ここにいる残りのアンデッドモンスターたちを片付けちゃって下さい」
紅い餓沙髑髏が首を反り返し吠える。
それは新しい主人であるフジワラの言葉に従うという返事に違いない。
動き出す。そして辛うじて消滅していなかったアンデッドモンスターたちを駆逐し始める。
無論、この場に紅い化け物を止められるものなど存在しない。
彼らは一方的に蹂躙され、駆逐され、それほど時間もかからずに辺りは静かになった。
「ああああああああああああああああ! あああああああああああああああああ! あああああああああああああああああああああ!」
唯一残ったカリギュラが叫んでいる。
先程までの余裕を失い、中空を踊るように舞いながら、半狂乱でかつて僕だったものに、まとわりついている。
「僕のっ! 僕のっ! 紅い餓沙髑髏ちゃんんんなあああああああああああああああ!」
だが紅い餓沙髑髏はその呼びかけに応えない。
ただ黙々と仕事をこなした後、フジワラの次なる命令に従い、城外にいるはずのアンデッドの軍勢を駆逐に向かう。
カリギュラもその後を追い、広間から消えてしまう。
◆
「……ふう」
何とか状況を一段落させる事ができたので、フジワラは息をついた。
辺りは大分、静かになってくれた。
ただイゴールや他の忍者たちまでもが、聖域の中で呆けた顔をしたまま固まっているのは何故だろうか。
危機は去ったというのに、一体どうしたというのか。
「まあいいか」
後はこれを何とかするだけだ。
足元を見ると『すべてを葬る書』を使った際に天井から落ちてきた箱が、奇妙な楽曲を流しながら転がっている。
『屍者のオルゴール』である。
かなり頑強な品らしく壊れるどころか、焦げ後もなく、蓋が開いたまま平然と稼働している。よく見ずとも禍々しい魔力をまとわりつかせ、周囲の空気をねじ曲げている。
なかなか、調べがいのありそうな品物であるようだ。
フジワラは早速、準備に取りかかることにする。
まず身にまとっている外套を脱ぎ捨て、代わりに腰掛け鞄から取り出した黒のエプロンを身につける。それから眼鏡をしまい、ゴムバンドで髪を束ね、手袋をする。
できれば台も用意したかったが、鑑定品を迂闊に触れるわけにもいかないので、このままにする。
後は単眼鏡を装着して完成。
そして、ようやく落ち着いて自分の仕事をする為の準備が整うと、フジワラはいつものように宣言することにした。
「さて、それでは鑑定を始めましょう!」
※お忘れの方もおられるかと思いますが、主人公は鑑定士です。




